1-2. アニスは説明を求めたい
「シズ、大変なのは分かったから落ち着いてくれない?」
アニスは肩に置かれたシズアの手を右手で取り、そこに左手を添えつつ安心させるように微笑みかける。
「え?あ、ごめん、アニー」
自分が取り乱していたことに気付いたシズアは、恥ずかしそうに微笑んだ。
アニスはそんなことを気にする必要はないからとの気持ちを籠めて首を横に振り、そして再びシズアに目を向ける。
「ねぇシズ。教えて欲しいんだけど、ゼンセって何?テンセイシャってどういう意味?」
問われたシズアは、少し困った顔をした。
「教えるけど、アニーは信じてくれる?結構信じ難い話だよ」
今までシズアは、そんな前置きをしたことが無かった。
アニスがシズアのことを信じるのは当然のことだったし、シズアだってそれは分かっている筈。だから、そんなことを言うのは余程のことなのだろう。
しかし、アニスに迷うところは無い。
「今さら何言っているの。私がシズのことを信じるのは当たり前じゃない?どうしちゃったのよ、まったく。私より魔力量が増えて、シズこそ私のことを信じられなくなった?」
少しむくれた顔をしてみせたが、シズアはキョトンとしていた。
「え?私、魔力量が増えてるの?」
あ、しまった、伝えて無かった。
「あー、いや、昨日からね、少しずつ増えてたんだよ、シズの魔力。だから調子悪かったんじゃないかなぁって」
今更ながら伝えていなかったことに対して後ろめたい気持ちが湧き上がり、アニスは心の中で冷や汗を掻いていた。
「えー、私、全然分からないんだけど。ねぇ、どれくらいの量があるの?さっきアニーより多いって言ってたよね。それじゃあ、父さんと比べたら?」
事態が呑み込めてきたシズアは、目を輝かせている。前に魔力量が少ないと零していたことがあるから、増えたことが嬉しいのだ。
「父さんよりずっと多いよ。もっと言っちゃうと、私がこれまで見て来た人の中の誰よりもね。もっとも王都にいる宮廷魔法師とか近衛騎士は見たことがないし、そういう人達の魔力量は物凄く多いらしいから、国中でどれくらいかは何とも言えないんだけど」
「そっかあ、そんなに沢山あるんだ」
うっとり微笑むシズアは、宙を睨んで何かを考えている様子だった。
これまでシズアの思い付きに何度も付き合ってきたアニスは、何か突拍子もないことを言い出すのではないかと身構える。
「ねえ、アニー」
「何?」
「アニーより魔力量が多いってことは、当然神殿学校に入れるよね?」
ああ、そう来たか。
でも、気持ちは分かる。
この国では8歳の夏の終わりに、神殿に行って魔力測定を行うことになっている。そこで一定以上の魔力量があると認定されれば、その秋に神殿学校に入学する資格が得られる。
しかし、シズアは8歳の時、その基準値を満たせていなかった。
8歳の時が駄目でも、10歳までの間に基準値を超えることがあれば神殿学校には入れる。シズアはそのことをちゃんと覚えていたらしい。
でも、それは不味い。アニスは焦った。
「い、いやぁ、シズさぁ。確かにその通りなんだけど、今さら神殿学校に入らなくても良いんじゃないかなぁ」
神殿学校は全寮制だ。休みの日は外出できるようなので週に一度は会えるだろうが、毎日シズアを堪能できなくなるのはアニスにとってはとても辛い。アニスはだから権利があったにも関わらず神殿学校に入らないことにしたのだ。シズアが8歳の時であれば、まだ一緒に入学する手もあったのだが、神殿学校は12歳までなので、13歳のアニスはもう入学できやしない。
なので、全力でシズアの説得に掛かる。
「ほら、あそこでは魔法を教えてくれるけど基礎の基礎だけって言われてるし、読み書きに計算はもうシズはできるようになっているじゃない」
8歳の時に神殿学校に入れないことが決まると、これからどんな仕事をするにせよ、読み書きと計算ができないと困るからと、両親がシズアに読み書きと計算を教えていた。勿論、アニスも手伝った。だから既にシズアは読み書きが十分できるようになっている。
「それに歴史や神様の逸話まで勉強させられるんだよ。退屈で辛かったってジークが言ってたよね」
二人の兄のジーク、正式にはジークリフは、12歳まで神殿学校に通っていた。今は王国騎士団の将校になるべく王都にある王立大学の軍事学科で学んでいる。そんな優秀な兄が退屈だと言っているのだから、勉強する価値は無いよね、とアニスは主張する。
「まあ、そうだけど」
アニスの説得に心を動かされつつも、シズアはまだ完全には心を決められていないでいた。
「私、魔法をきちんと勉強したくて」
「大丈夫、魔法なら私が一から教えるから。シズなら知ってるでしょう、私がどれだけ魔法が得意か」
「知ってるけど、アニーはいつも私に分からないやり方で魔法を発動しているじゃない。本当に私にできるようにやれるの?」
「やれるって。私だって最初はシズと同じで何も知らなかったんだから。色んな人に教わって、今の私があるの。だからちゃんとシズに教えられるよ。任せておいて」
元気よくアニスは胸を叩いた。
そんなアニスにシズアは苦笑する。
「分かった。魔法の使い方はアニーに教えて貰う。神殿学校には行かない。それで良い?」
シズアの宣言に、アニスは大きく頷く。
「うんうん、そう来なくっちゃ。私はいつまでもシズと一緒にいるからね」
アニスがシズアの右手を両手で掴むと、シズアもそこに左手を添えて来た。手を握りあって微笑む二人。
と、アニスが話の途中だったことを思い出す。
「ねえ、シズ。で、結局、ゼンセとテンセイシャって何なの?」
今度はシズアは迷うことなく返事をくれた。
「まず分かって欲しいのは、私がシズアとして生まれる前に、別人としての人生を経験しているってことだけど、それは良い?」
「うん」
シズアの言った通り、確かに信じ難い話だった。だが、アニスはシズアを疑わない。
「その生まれる前の別人としての人生のことをゼンセと言うのよ。その人生での出来事として覚えている事柄をゼンセの記憶と呼んで、そうしたゼンセの記憶がある人がテンセイシャなの」
「ふむ」
言葉の意味は分かった。
「シズのゼンセって、昔の人?」
「分からない」
シズアはゆっくりと首を横に振った。
「だって、この世界の人じゃないから」
「へ?」
アニスは理解できなかった。
「この世界じゃないって?」
シズアは俯いて溜息を吐いた。
「だから突飛な話だって言っているのに」
しかし直ぐに真面目な表情を作ってアニスを見る。
「人が住んでいる世界はここだけじゃないのよ。他にも世界はあるの。私のゼンセの世界には魔法が無かったし、太陽も二つに見えて無くて一つだった。それだけでも、この世界とは全然違うって分かるでしょう?」
「そうだね。魔法が無い世界があるんだ」
アニスは驚きつつも、世界が一つではないと言う事実を受け入れる。
「事情があって完全に魔法的な要素が無い状態ではなかったんだけど、本質的には魔法の無い世界ね。魔法が無い代わりに科学技術が発展していて、人の寿命も長かった。ただ、私自身はゼンセでは長生きできなかったの。29歳の時に交通事故に遭って死んだから。こっちの世界では長生きしたいものだわ」
29歳と聞いて、アニスには急にシズアが大人びているように見えた。
「シズには私が子供に見えているの?」
見た目は子供でも心は大人のシズアに子供扱いされてしまったらと思うとアニスは泣けて来そうだった。
「アニー、何言っているの。私は今は10歳だし、アニーは私の姉さんでしょう?こっちの世界とゼンセの世界では色々と違うし、アニーはゼンセの私が13歳だった頃よりも余程しっかりしているから全然気にすること無いって」
「そうなんだ。それなら良かった」
アニスはホッとして笑顔になる。
「アニーってば心配性よね」
シズアも笑う。
「それで、いつから魔法を教えてくれるの?」
「そうだね、今日、仕事から帰ってからかな。って、今何時だろう?朝ご飯食べて出掛ける支度しなくちゃ。シズ、起きられる」
「うん、大丈夫」
アニスは立ち上がって、シズアに手を差し伸べる。シズアはアニスの手を取ると、ベッドから降りた。そして二人は手を繋いだまま部屋から出て行こうとする。
部屋のドアノブに手を掛けたところで、アニスがシズアに振り返った。
「そうだ、言い忘れてた」
「何を?」
首を傾げるシズアに、アニスは微笑みながら口を開く。
「10歳のお誕生日おめでとう、シズ」
「ゼンセ」「テンセイシャ」は、適切な言葉を知らないシズアが、前世の単語をそのまま発音しているのです。
もっとも、正しい言葉で話しても、アニスには何のことやらですよね。