8-5. アニスとシズアは男爵令嬢と不審な建物に忍び込みたい
夜。
アニスとシズアにアリシアの三人は、西地区の路地裏となっている建物の陰にいた。
そこから路地に顔を出せば、少し進んだ先にメリッサから教えて貰った建物が見える。
「シズ、あの建物だよね」
「えぇ。メリッサが言ってた通り、灯りが見えないし、動きもないわね。放棄されたからか、外に様子を知られないためにそうしているのかは分からないけど」
シズアはイアリングに付与してある風の探知魔法を発動させてみた。
建物のどこかの窓が開いていれば、その中で動く物があるかは探知魔法で確かめられる。
妹が魔法を発動させたのを見たアニスは、答え合わせも兼ねて自分で確かめていた結果を口にする。
「窓は全部閉まってる」
「残念ながら、そうみたいね。風の探知魔法を建物の中へ送り込む隙間が見つからないわ」
「忍び込むにも、どこかを開けないといけないけど。どしよっかな?」
「全部閉まってるのなら、いっそ正面玄関から行くとか?」
普通の窓は外側から開くようにはできていない。
しかし玄関なら当然、外からも開けられるようになっている。
「幾ら何でも正面は止めとこうよ。人通りがまったくない訳でもないし」
アニスから渋い言葉が返って来た。
「それなら、箒に乗って建物の周りを飛び回って探す?この服は真っ黒だから丁度良いわね」
上手い考えと思いついたとばかりに笑顔になるシズアだったが、アニスの反応は芳しくない。
「確かに真っ黒だけどさぁ。その恰好で箒に跨るのは無理じゃないかなぁ。だってシズが着てるの、ドレスだよ、ドレス」
強調するかのように連呼するアニス。
でも、シズアも負けてない。
「そうよ、ドレスよ。見付けちゃったんだもの、仕方がないわよね。悪女が黒いドレスを着ないと言う選択は無いもの」
胸を張って言い返す。
「まぁ、見付けちゃったって言いたいのは分かるんだけどね」
シズアに弱いアニスは、そうそう強い態度を続けてはいられないのだ。
ことの発端は、アリシアの部屋で三人がこれからの行動について話し合っていた時、アジトらしき建物の調査にアリシアが同行したいと言い出したところにあった。
「もしかしたら、そこに兄が囚われているかも知れませんよね?なら、私も連れて行ってください」
「アリシア様の気持ちは分かるけど、夜の街を行くのにその恰好だと目立っちゃうよ」
アリシアは質素とはいえ明るい色のドレス姿だ。
そんな服装で夜の道を歩いたら、間違いなく人の目を引くだろう。
その時のアニスの思惑は、「でしたら貴女の服を貸して貰えませんか?」とアリシアに言って貰うことだった。
お金にゆとりがないとは言え、相手は貴族だ。こちらから自分の服を着てとは言い難い。
けれど、アリシアの反応は想定外のものだった。
「目立つのが問題でしたら、確か、黒のドレスがあった筈です」
そう言うと椅子から立ち上がり、隣の侍女部屋に入ってクローゼットの中を漁り出したのだ。
「ほら、これですけど、どうですか?」
アリシアが自分の身体に合わせて見せたそれは、文字通りの黒のドレス。
そして、それにシズアが喰い付いてしまう。
「凄く良い。アリシア様、似合ってます。私に合う物があるともっと良いのですけど」
「私が貴女くらいの時のもあったと思いますよ」
アリシアの記憶は正しく、一回り小さい黒のドレスもクローゼットに入っていた。
で、シズアは上機嫌でそれを着てきたのだ。
「ドレスで箒に跨るのが無理なら、横座りすれば良いわ」
そうだ、何も跨るだけが乗り方ではない。
馬だってドレス姿の女性は横乗りすることがある。
「横座りでだいじょぶかなぁ」
箒への横座りは自分でやったことがなく、不安げな表情をみせるアニス。
「心配だったら一緒に乗る?アニーが支えてくれるなら安心だし」
「おぉ、いーね、それ」
シズアと一緒に居られるのなら、アニスとしては大賛成。
途端に上機嫌になった。
「あの、私はどうしたら良いですか?」
そこへアリシアが遠慮がちに申し出る。
「えーと、どしよっかな?」
アニスは考えた。
アリシアは箒に乗ったことが無い。
魔力量はシズア程ではないが、短時間飛ぶくらいなら問題なさそうではある。
ただ最初から一人で、しかもドレス姿だから横乗りをさせないとだが、やらせてしまって良いのだろうか。
やはりアニスがアリシアと組むべきか?
でも、そしたら今度はシズアが一人で横座り?
「ねぁアニー。三人乗りはできないの?」
困った様子のアニスを見て、シズアが助け舟を出した。
「え?あ、そっか。できるかも」
そうだ、二輪車とは違って箒なら三人でも行ける気がする。
アニスは箒を取り出してまずは自分で跨った。
「シズは私の前に来てくれる?アリシア様は後ろで」
「えぇ」
「こうですか?」
「どっちも私に捕まっててね」
シズアはアニスの腕に手を絡め、アリシアはアニスの腰に手を回す。
うんうん、そうやってくっついてくれるとアニスとしては嬉しい。
「じゃあ、飛ぶよ」
アニスが箒に魔力を籠めると、箒に付与した浮遊魔法が発動し、宙に浮かび上がる。
そのままアニスは箒を周囲の建物より高い位置へと上昇させた。
「夜景が綺麗ですね」
眼下の学園都市の灯りに目を向けたアリシアが、感嘆の声を上げる。
学園都市の主要な建物が灯りに照らされ、それらが街路灯の光の線で結ばれて大きな光の模様となっていた。
暗闇の中に浮かぶ光の模様は、幻想的で美しい。
「ねぇアニー、建物を良く観察するには少し高過ぎる気がするけど?」
夜景は確かに綺麗だが、今の目的は夜景を見ることではない。
「ん?あぁ、折角だからアリシア様に夜景を見せたげようかと思って。アリシア様、降りますよ」
「ありがとうございます。そうしてください」
アニスは三人の乗った箒を建物の上へと降ろしていく。
「アニー、目指してる建物は私達の真下?」
「そだよ。どうかした?」
「屋根が平らに見えるから。いえ、屋上になってる?」
シズアが建物上部の構造に気付いて声を上げる。
「うん、屋上みたい。端の方に出入口もあるね」
そう話している間に、箒は建物の屋上に到着した。
三人は箒から降り、出入口の扉の前に並んで立つ。
「アニー、開けられる?」
「だいじょぶじゃないかな?やってみるよ」
早速、アニスは扉の鍵開けに取り組み始めた。
「アニスは器用なんですね」
素直に感心するアリシア。
「うーん、まぁね」
鍵開けは、元々は魔女の力の目を鍛えるためのものだった筈なのだが、それとは関係なく使うようになっているのがアニスとしては微妙な気分。
いや、これだけできるようになったのだから、特技として自慢してしまっても良いのかも知れない。
「あ、開いた」
鍵穴からカチッと音がした。
アニスが把手を持って慎重に押してみる。
扉が内側に開くと共に、風の探知魔法の効果が建物の中へと広がっていく。
「階段や廊下には人がいないみたいだね。シズ、分かる?」
「えぇ。でも扉が閉まっている部屋が多いから、一部屋ずつ開けて確かめないといけないわね」
風の探知魔法での確認結果はシズアの言った通りなので、アニスは頷いてみせた。
「そそ。上の階から順番に行こうと思うけど、良い?」
「それで良いわ」
「付いていきます」
「おけ。じゃあ、私、アリシア様、シズアの順に行くよ。って、シズ、何でショールを直してるの?建物の中に入るから無くても良いような…、と言うより邪魔じゃない?」
「邪魔とかそういう問題ではないの。魔双剣とか胸当てとか、アニーの言う通りドレスの上から装備した物は、無粋だから見えないようにしたいのよ。それに、そうした方が相手も武器を持ってないって油断するかも知れないし」
言い訳はともかく、悪女の嗜みとして、シズアはそうしたいのだ。
それが分かってか、アニスは仕方なさそうに首を横に振る。
「良いけど、魔双剣は直ぐに出せるようにしておいてよ」
「えぇ。誰かが襲ってきたとしてもショールをパッと投げつけて、相手が怯んでいる隙にサッと魔双剣を抜くわ。こんな風に」
シズアは口に出しながら体も動かし、実際に魔双剣を抜いてみせた。
「アニー、どう?悪女っぽい動きだと思わない?」
「そだね」
シズアの動きはやっぱり小悪魔っぽいのだが、そうとは言わずに同意して、その上で。
「だけどショールを下に落としちゃったよ。それ、アリシア様のだから返す前に洗わないとだからね」
「わ、分かっているわよ。きちんと洗ってから返すわ」
あわあわと足元に落ちたショールを拾い上げ、埃を払うシズアの仕草が可愛い。
真面目な悪女にうっとりと見とれるアニスだった。
アニスは、基本、シズアに好きなことを好きなようにやらせてあげたいのです。
そして、そんなシズアを眺めるのが楽しいと思うタイプ。
はい、と言うことで結局、木曜日夜になってしまいました。次は日曜日の夜を目指したいです。