7-34. 間話・リリエラは第三皇子の礼に戸惑う
リリエラのいる控え室の扉がトントンと叩かれる。
「はい」
「ラ・フロンティーナ様がお越しになりました」
執事が扉越しに第一王女の来訪を告げた。
「お通しください」
漸く来た、とリリエラは椅子から立ち上がり扉の方に体を向ける。
ここは王城の中。
王都の祭りの最終日の夜に王城で催される晩餐会に神の筆頭巫女として参加していたところ、第一王女からの呼び出しを受けた。
王都の中央神殿にいる神の筆頭巫女は全部で十人。その十人ともが晩餐会に招待されている。
しかし、第一王女の呼び出しを受けたのは自分一人のようだ。
どうして自分だけなのか、第一王女はどんな話をしたいのか、頭の中で思考を巡らせても答えが浮かんでこない。
何の準備もなく話をするのはできれば避けたかったが、第一王女相手では断ることもできやしない。
ただまぁ、まったく知らない仲でもない。
王都に来る前、南の公都の中央神殿にいた頃、同じザナウス神の巫女であるティファーニアから良く第一王女のことは聞かされていたし、ティファーニアはリリエラのことも第一王女に話していると言っていた。
その繋がりによって変な話にはならないと期待したいところではあれど、結局はなるようにしかなるまい。
リリエラが腹を括ったところで、視界の真ん中にある控え室の扉が開いた。
扉の向こう側に見えたのは、真っ赤なドレスを着た美しい女性。
その姿は晩餐会の会場で見ている。
第一王女ラ・フロンティーナ、その人だ。
「ザナウス神の巫女リリエラ、私の誘いに応じてくれて嬉しく思います」
「直接お話できる機会をいただけるのに、お断りするなんて勿体ない。お目に掛かれて光栄です、第一王女ラ・フロンティーナ殿下」
ラ・フロンティーナとリリエラは、互いに微笑みを交わした。
「貴女とは一度ゆっくりとお話ししたいと思っていました。ですが、今日は貴女との面会を希望されている方がいるのです。その御方を紹介させて貰えますか」
「はい、どちら様でしょう?」
自分に話があったのは、第一王女ではなくて別の人?
リリエラが心の中で首を傾げていると、ラ・フロンティーナがリリエラから見えないところに控えていた者達を部屋に招き入れた。
部屋に入ってきたのは、三人の男性。
一人は若い。ラ・フロンティーナよりも年下だろうか。
しかし、堂々としている。
立派な服装で身分が高そうだ。
二人目は、白髪混じりの年配の男性。
その身のこなしから、相当の手練れだ。
この男と正面からやりあうのはよろしくないと、リリエラの直感が告げている。
最後の男も若く見えるものの、最初の男性よりかは年長そうだ。
この男は戦士と言うよりも、知的な印象を強く受ける。
ラ・フロンティーナの斜め後ろに控えたことから、ラ・フロンティーナの配下なのだろう。
となると、話がしたいというのは、最初の二人の男性?
彼らは晩餐会にも参加していた。が、それ以前にどこかで見掛けた気がする。
どこだっただろうか。
リリエラが彼らの名前を尋ねる前に、ラ・フロンティーナが口を開いた。
「こちらのお二人は帝国からのお客様です。帝国の第三皇子アルフレッド・スパナーズ殿下と、親衛隊長のジタン・ダート様」
「お初にお目に掛かります。王都中央神殿ザナウス神の巫女を務めておりますリリエラです」
両手でスカートを摘み、丁寧に会釈する。
それに対してアルフレッドが一歩前に出て、胸に手を当てた。
「リリエラ殿、貴女のことは昨日の神殿での儀式で拝見させて貰った。とても堂々として見事な立ち振舞いだった。そして礼拝堂全体を包んだ貴女の魔法。あれもまた何とも素晴らしかった」
「そんなにお褒めいただかなくともよろしいですのに」
「いや、貴女の魔法は稀有な物だ。何しろ、他の者の治癒魔法では治らなかったジタンの傷を治してしまったのだから」
「え?傷を治した?何のことです?」
身に覚えのない話に、リリエラは混乱する。
「だから昨日の儀式の時だ。あぁ、少し説明が足りなかったか。ジタンが傷つけられた相手の獲物には、邪神の力に関わる何かが付与されていたのではないかと我々は考えている。それにより斬られた傷口には、邪神の力の残滓が付いてしまい、治癒魔法が効かなくなったのだと。それを貴女の魔法が浄化してくれた」
「邪神の力の残滓。あぁそう言うことでしたか」
漸く話が見えてきた。
傷口に付いた邪神の力の残滓をリリエラの魔法が洗い流したと言っているのだ。
確かに魔力補助のペンダントから出てくる魔力を使えば、邪神の力に対抗できる。
だが、神殿の礼拝堂全体を覆うように大きく広げた魔法で、ジタンの傷に付けられた邪神の力が綺麗に消えるものなのだろうか。
もっと魔力を集中させて――、と考えたところで儀式の最中に目撃した光景を思い出す。
アニスが魔力の塊を作り、それを自身とは反対側の桟敷席に向けて飛ばしていた。
そうだ。その桟敷席にいたのがこの皇子だ。
ジタンのことは生憎と記憶にないが、皇子のことは憶えている。
だが、そうだとするとアニスはジタンの傷を知っていたことになる。
それを尋ねてみたいリリエラではあったが、自分を敬意の目で見詰めるアルフレッドに、口を開くことができない。
そんなリリエラに対し、アルフレッドが跪いた。
「ザナウス神の巫女リリエラよ。貴女に我らの最大の感謝を。何か礼をさせては貰えないだろうか?」
帝国の皇子の振る舞いに戸惑うリリエラ。
「そうして跪いていただくだけでも大変に名誉なことですのに、その上お礼だなんて」
「リリエラ様、私めにもお願いさせていただきたい。どうか我らに感謝の意を捧げる機会を与えてはくださらんか」
腰が引け気味のリリエラに、アルフレッドに倣い跪いているジタンが畳み掛ける。
この状況ではアニスの話なんて持ち出せそうにない。
しかし、自分の手柄でもないのに帝国の皇子から礼など受け取るのも気が引ける。
考えあぐねているところにラ・フロンティーナが助け船を出してきた。
「どうですか、リリエラ。貴女が個人として礼をいただくのではなく、神殿として寄進を受けるのは?」
まあ、儀式の場は神殿であったし、それなら構わない気がしないでもない。
「はい、あの時は神との繋がりもありましたし、私だけで成し得たとも思えません。ですから、神殿としてお受けできるのであれば、それでお願いしたいと存じます」
「分かった。巫女殿の言葉に従おう」
皇子は満足そうに微笑みながら立ち上がった。
「ラ・フロンティーナ様、リリエラ殿と話す機会を設けていただいたことに感謝する。我らはこれにて下がらせて貰おうと思うが」
「承知いたしました。トニー、アルフレッド様達をお連れして貰える?私はリリエラと少し話がしたいから」
「姫様の仰せのままに」
第一王女の意を受けたトニーが、皇子達を部屋から連れ出していった。
リリエラは、ラ・フロンティーナが今度は何を言ってくるのだろうかと身構える。
「ねぇ、リリエラ。貴女とこうして話すのは初めてだけど、初めてな気がしないのよね。ティファーニアから何度も話を聞かされていたからかしら」
先程よりも親しげに話し掛けてきた。
「私も殿下のことは彼女から何度も伺っておりました」
リリエラが畏まって話すと、ラ・フロンティーナが眉をひそめた。
「二人きりの時は殿下なんて呼ばなくて良いわ。名前で呼んでくれない?」
「ラ・フロンティーナ様と?」
「そうではなくて、愛称よ。トニーはラウって呼んでるわ」
「では、ラウラとお呼びしても?」
リリエラはラ・フロンティーナがパルナムの神殿学校に通っていた時の名前を挙げた。
「そうね。後はもっと砕けた口調になると言いわね、夜の烏のリリエラさん」
わざわざ実家のことを持ち出してくるとは。
ならば応じないわけにはいかなさそうだ。
「貴女も物好きね。冒険者のラウラさん」
リリエラの返事を聞いたラ・フロンティーナ、いやラウラが笑顔になる。
「そう、それで良いわ。それでだけどリリエラ、貴女、ジタン様の傷を治したのは自分ではないと考えてる?」
いきなり真っ直ぐ来た。
「少なくともジタン様の傷のことは知リませんでした。ラウラは知っていたのですか?」
「ええ。とある少女とジタン様が手合せしたのがきっかけでね」
とある少女?
「その少女は、何故ジタン様と手合せを?」
「元々は私のところに来ていたのよ。名目的にはザイアス子爵の使者として」
ラウラがその時の様子をリリエラに話して聞かせた。
少女の名前は伏せたままで。
しかし、ザイアスの地名は聞き覚えがある。
そうだアニス達の商会の本拠地もザイアスだった。
「ラウラ。私、その少女に心当たりがあるのですけど」
「そう?まぁザナウス神の巫女である貴女なら知っていて不思議はないわね」
ラウラは敢えてザナウス神の部分を強調してみせた。
その誘いに乗るのは癪だが、話を進めるためには仕方がない。
「何故そこでザナウス神が出てくるのです?」
「私は自分の目で、あの子に神の光が宿るのを見たのよ。リリエラの思い描いている子はそうではないの?」
「ザナウス神と話が出来るかと言えば、出来るでしょうね」
リリエラの場合、実際に目撃したことはないものの、ザナウス神と話したことは聞いている。
「でも、あの子は神の巫女ではないわよね?リリエラは、その少女のことを神殿に話したの?」
「いえ、神に止められているので」
「そう、なら今回のことも黙ってなさいな」
ラウラの笑みが、悪巧みの共犯者のように見える。
「ジタン様の傷のこと、ラウラはあの子がやったと考えてます?」
「可能性はあるでしょうね。因みに確認だけれど、その気になれば貴女にも出来るのよね?」
「ええ、多分」
「そう。なら不本意かもしれないけど、貴女の手柄にしておくのが良いとは思わなくて?少なくとも誰かさん達の襲撃を貴女は防いだのよね?」
リリエラには何となく、ラウラの言いたいことが分かった。
「魔導国の関係者の目を私の方に向けさせるために?」
「ええ。そして私もあの子を守るように動くつもり。ザナウス神の光を見たとき、そうしろと言われたように感じたから」
もしかしたらラウラと話す機会が持てたのも、ザナウス神の導きに因るのかも知れないとリリエラは思った。
国と神殿はそれぞれ独立の管理形態をとっているので、日ごろはあまり交流がなかったりします。
まあ、悪だくみする連中は繋がりを持ちますけどね。
ラウラとリリエラの二人も手を組んだら、色々と悪いことができそうです。気も合いそうですし。
さて、第七章も残り一話の予定です。って、もう八月終わりではないですかぁ~。