2-7. アニスとシズアは出発したい
「さて、そろそろ参るか。ほら、アニス、いつまでへこたれておる。シャキッとせい」
サラがパシッとアニスの背中を叩く。
「え、あっ、はい」
気合を入れられたアニスは、サラを雇った理由を思い出し、くよくよしている場合では無いと気持ちを切り替える。
「ん、よし」
立ち直ったアニスの様子に満足げに頷いたサラは、自身の鞄に手を突っ込み、中をまさぐった。
「これから賢者様の家に向かうのだが、それにあたってお主達にこれを渡しておく」
鞄から取り出したサラの手には、二つのペンダントが握られていた。銀色のペンダントトップに銀色の鎖、ペンダントトップには、色付きの透明な石が嵌め込まれている。石の色は、一つは緑、もう一つは青。
サラは、緑石のペンダントをシズアの手に、青石のペンダントをアニスの手に乗せた。
「お主達、良いか。賢者の家の周りには結界が張ってあるからそのままでは家に近付けんぞ。そのペンダントは結界の中に入るのに必要なものだ。身に着けておかないと結界に入れんから、今から首にぶら下げておけ。後、そのペンダントはお主達それぞれの魔法属性に合わせてあるから、取り替えると役に立たんからな」
言われるままに、アニスとシズアはペンダントを首から掛ける。そしてシズアは、ぶら下げたペンダントトップを右手に取り、しげしげと眺めた。
「これは銀?それにしては少し白っぽいような?」
「その通り。良く分かったな、それはミスリルだ。鎖も含めてな」
「は?物凄い高価なものじゃない」
驚きの声を上げるシズア。
「仕方がなかろう。ミスリルでないと期待通りに機能せんのだ。賢者の家に行きたいのであれば、黙ってぶら下げたままにしておけ」
サラは面倒くさそうに半ば投げ遣りな口調でシズアを諭す。どうもサラにとっては大した価値を持たないらしく聞こえる。
反論しようとするだけ無駄だと悟ったシズアは、それ以上ペンダントについて触れるのは諦めて口を閉じた。
シズアの沈黙を納得と受け取ったサラは、話を先に進めていく。
「それではニャンタ達に乗るとするか。アニスはミーコに乗せて貰え。シズアは我の後ろだ」
ニャンタが背を低くしたところにサラが飛び乗る。そこから手を伸ばしてシズアの手を掴み、自分の後ろにシズアを引き上げた。
それに合わせてミーコも背を低くしたので、アニスもその背によじ登る。そこでミーコの毛皮に顔を擦り付けた。
「うーん、やっぱり良いね、この感触」
ミャウ。
アニスに褒められて嬉しそうに鳴くミーコ。
バウッ。
アッシュは何かを訴えている。
「アッシュ、分かってるってば。いずれアッシュにも乗せて貰うから、早く大きくなりなね」
バウッ。
今度の鳴き声は嬉しそうだ。
そうして全員がジャイアントキャットの背中に乗ったところで、サラがニャンタをミーコの横に並ばせた。そしてサラは二人に問い掛ける。
「お主達は迷いの森は知っておるか?」
アニスはシズアと目を合わせてからサラに視線を移すと口を開いた。
「ここから西にある大きな森のことだよね。中に入ってしまうと本当に道に迷って帰って来られなくなるから近付くなって言われてる」
「あの森は魔素が多くて半分ダンジョン化しておるからな。だが、その森の外れに賢者の家がある。近付かない訳にはいかぬ。でだ、万が一森に入ってしまった場合だが」
そこでサラは一呼吸入れた。ここが大事なことだと言わんばかりの間の取り方に、アニスとシズアは耳をそばだてる。
「諦めろ」
「へ?」
「森に入ってしまったら、奇跡でも起きない限り、外には出られん。諦めて森の中で生きていくことを考えるのだ。結構、食べ物には困らんからな」
「サラは迷いの森の中で暮らしたことがあるの?」
アニスはサラの言葉の中に、そうした意味が含まれているように感じたのだ。
「ああ、あるぞ。三か月ほどだが」
「その時はどうやって森から出たの?」
「精霊に会ったのだ。迷いの森は魔素が多いゆえ、精霊も他所より多く、出会う確率が高い。その上、精霊は迷いの森に惑わされないからの。道案内して貰った」
「サラは精霊の姿が見えるってこと?」
アニスにはサラの得意属性は火属性に見えていたので、精霊が見えるとは考えておらず、意外なことだった。
「精霊に会った者の話を聞いたことは無いのか?精霊は自身が見せたいと思った相手には、その姿が見えるのだ。勿論、魔力眼を持った者にも見えるが、その時にはただの魔力の塊に見えるらしい」
「ふーん」
アニスは相槌を打ったものの、精霊そのものには興味が無かった。
精霊は神の僕であり、精霊と契約すれば、精霊の主神の属性魔法が扱えるようになる。なので大抵の人間、特に魔法師や騎士や冒険者など、戦いが避けられない人々は新しい属性魔法を得るために精霊を探し求めるのだ。
しかし、アニスは違った。アニスは魔力量が多くないがために使える魔法の強さに限度があった。ただ、その限度内であれば、どの属性の魔法も扱えたので精霊との契約に何の利点も魅力もを感じていなかった。精霊と契約すれば魔力量が増えるならまだしもだろうが、残念ながら契約しても魔力量は変化しない。
ただ、精霊と契約する利点は何も魔法に限ったものでもない。
長い時を経た精霊の中には、それまでに蓄えた知識を過去の記録として契約者に閲覧させてくれるものもいる。そうした精霊と契約できれば、書物では語られていない失われた歴史の内実を知ることもできるのだ。
「ねえ、ちょっと」
アニスは小さく呟いた。
「こら。『小さく呟いた』とか、スルーするんじゃないってば。誰に向かって話し掛けているか分かってる癖に」
いや、私はただの語り手なので。
「その割には、さり気なく自己アピールを入れてるじゃない」
それはまあ、売り込める時には売り込んでおかないとですからねぇ。どうです?契約する気になりました?
「全然」
つれないですねぇ。魔獣とは契約したのに。
「アッシュは別。何だかピンと来るものあったんだよね。精霊でもそんな出会いがあれば、もしかしたら契約するかも知れないけど」
良いですよ。私は気長に待ちますから。幸い時間は沢山ありますし、アニスさんの周りは面白そうですしね。
「ご自由に」
アニスは何事もなかった振りをして視線を巡らすが、そこでサラと目が合った。何となくサラに凝視されていた感じがする。もしかして、今のをサラに見られていたのかと内心焦りつつも、極力平静を装って笑顔を作り、話し掛けてみる。
「サラ、何かあった?」
目を逸らさずにニッコリ微笑むと、サラの方が視線を外した。
「何でもない」
だが、直ぐにサラは何かを思い出したかのような顔になる。
「そうそう、途中で精霊の森の外れを通るが、精霊に声を掛けられても気安く契約せんようにな。分かっておるかも知れんが、精霊は魔獣とは違い、契約は一体としかできんから、契約相手はじっくり慎重に選ぶに限る。もっとも、精霊に興味を持たれなければ契約自体できんが」
それが単なる助言なのか、自分に向けられた言葉なのか、アニスには判断が付かなかった。
いや、どちらでも構わない。それより心配なのはシズアの方だ。
「シズ、聞いた?火の精霊と契約したいからって慌てないようにね。『慌て者の銭失い』って諺もあるんだし」
「ええ、アニー、分かってるつもり」
シズアのことになると極度の心配症になるアニスだが、今はシズアの言葉を信じることにして、サラに向かって頷く。
「よし、出発だ。ニャンタ、ミーコ、頼んだぞ」
ニャア。
ミャウ。
ニャンタとミーコが走り始める。
バウッ。
アッシュも吠えて、後を付いて来た。
ニャンタ達は牧草地の終わるところまでは道に沿って進んだが、牧草地の柵が途切れたところで道から外れて針路を少し北に向ける。
雑草の生い茂る草原をニャンタ達は苦にせず走り抜けて行く。
ここから先は、アニス達にとっては未知の領域だ。サラの案内があるものの、冒険に出て行くような高揚感に包まれ、アニスは楽しくなった。
見知らぬところに行く時って、冒険しに行くみたいな気がしますよね。
------------
(2023/12/30)
後書きが無かったので追記しました。