7-26. アニスとシズアは神殿の儀式の準備を進める
「何とか間に合ったな」
「モーリス、ありがとね」
王都の祭りの二日目。
アニスと叔父のモーリスは、中央神殿の礼拝堂の二階通路の欄干から下のフロアを眺めていた。
広い礼拝堂は吹き抜けのようになっており、入口から入った両脇の二階部分には壁で仕切られた桟敷席が並んでいる。
しかし、その並びの一番入口側、つまり、神像から一番離れた部分だけは、桟敷席ではなく通路の一部になっていて、欄干が設置されていた。
アニス達は今、入口から入って左側の二階通路の欄干の前に立っている。
礼拝堂の入口は開かれ、儀式に参列しようとする人々が一階のフロアに続々と入ってきているところだ。
二階の桟敷席は貴族用なので、一般市民は立入禁止になっている。
二人が通路とは言え二階にいられるのは、儀式の関係者として立ち入りを認められているからだ。
「礼には及ばないさ、アニス。きちんと神殿から依頼を受けた仕事だからな。まあ、採算面は少し厳しかったが、神殿の要職者と関係を持てたことを考えれば十分に元は取れている。逆に、僕のささやかなお願いを叶えてくれていたことを君に感謝したいくらいだ」
「いやぁ、信じられる人にしか任せられなかったしね。でも、間に合わせてくれて本当に助かったよ。でないと、せっかくシズが考えた作戦ができなかった訳だし」
「作戦は上手くいくのだろうな?やってみたら駄目でした、だと僕はともかくも神殿に申し訳が立たないぞ」
「だいじょぶだよ。ちゃんとシズの考えた通りにできるって実験して確かめてるから」
アニスがどんと胸を叩いてみせる。
「そうか、ならば良いが。それにしても、よくザナウス神の巫女を実験に連れ出せたな。秘密裏にことを運ぶために神殿内での実験は無理だから、どこか離れたところでやったんだろう?」
「そ、そだよ。流石にリリエラは連れ出せなかったから、代わりの人に頼んだんだ」
冷や汗を掻きつつ、アニスは言葉を返す。
実験をしたのは事実だ。
だが、リリエラの代わりが務まるザナウス神の巫女などいない。
詰まるところ、リリエラの代役をしたのはアニスだ。
だから、「代わりの巫女」とは言わずに「代わりの人」と口にした。
嘘を吐けば勘の良いモーリスにはすぐに分かってしまう、そんな雰囲気を感じ取っていたので、嘘ではないギリギリの言葉を選んだ。
それでも、それが誰かと尋ねられたら窮することには変わりがない。
これ以上、突っ込んでくれるなよと念じながら、モーリスの顔色を伺う。
「そうか。確かに本人じゃなくても、作戦の有効性は確かめられるよな」
「そそ。モーリス、よく分かってる。まぁ本当に襲撃があるかも、私達の思った通りになるかも分からないけど、できる準備はしたつもり」
「まぁ準備はしたところで、何ごとも起きなければ、それ以上良いことはないんだけどな」
上手い具合に実験のことから話が逸れた。しかしどうも、引っ掛かる物言いに聞こえる。
「モーリス、何か気になることでもあったの?」
「えっ?あぁ」
そこでモーリスは口を閉じた。
暫く待っても、続く言葉が出てこない。
「モーリス?」
アニスが首を傾げてみせるが、それでも黙ったまま。
なので、アニスもジーッとモーリスを見詰め続ける。
と、諦めたのか、漸くモーリスが口を開いた。
「商会仲間に聞いたんだが、東の方で不穏な動きがあるらしいんだ。何でも、どんな魔法でも防げない攻撃魔法が放てる魔具があって、それが高値で取り引きされていると。ただ、公式にはそんな記録は無くて、飽くまで噂の域を出ていないんだ」
「ふーん」
王国の東と言えば、帝国や魔導国のある方角だ。
「そなら、その魔具が王都に来ているかも知れないってこと?」
「その可能性はあるな」
「出元を辿るなら東へってことかぁ。まぁ、どっちにしても魔導国絡みなら東しかないけど」
「行ったりしないよな?」
心配そうな叔父の声に、アニスは安心させるように微笑んでみせる。
「今のところは、行く理由がないからね。シズを危険な目に合わせたくないし」
先のことは分からない。
魔女としては気になるものの、シズアの傍から離れたくはないし、シズアを連れて行きたくもない。
だが、シズアに行きたいと言われたら、行くしかないだろう。
まあ、その時はその時だ。
今は神殿の儀式に集中せねば。
「モーリスはこれからどうするの?ここにいるのは危ないと思うけど」
「そうだな、そろそろ退散するかな。僕の仕事は終わったし、ここに留まっていても足手纏いにしかならないだろうし。君達は冒険者としては、もう一人前なのかも知れないけど、相手が相手だ。十分に気を付けてくれよ」
「ん、ありがと、気を付ける。モーリス、またね」
「あぁ、また」
片手を挙げながら、モーリスは通路につながる階段を下りて行った。
アニスは手を振って見送っていたが、モーリスが見えなくなると振り返り、再び欄干から一階のフロアに目を向ける。
一階は、もうかなりの人で埋まっていた。
誘導係の神官が、空席を見付けては立っている人を招いているものの、限界が見えてきている。
「やっぱ、立ち見は避けられなさそうだなぁ」
事前の打ち合わせで、立ち見をどうするかは議論になった。
警備のことを考えると立ち見は無しにしたいが、昨年まで認めていた立ち見を禁止にすると不満が出るのを避けられない。
結局、最後尾の席の後ろを立ち見席とし、通路との境には神殿の護衛騎士を配置することとなった。
理由は、何かあった時に護衛騎士が動きやすいように、だ。
実際にはそれだけではないのだが、貴族派に知られないために、それ以上のことは言っていない。
『ねぇアニー、聞こえる?』
耳に付けた遠話具の子機からシズアの声が流れてきた。
『何?シズ』
子機に意識を向けて魔力を流し込みながら返事をする。
こちらの声が相手に届くのは魔力を流し込んだ時だけで、その時は同時に軽い雑音が子機から聞こえてくるようにしておいた。
だから、無意識に子機に魔力を流し込んでいても、気付けるのだ。
『今、モーリスが来たわ。別の仕事があるから行くって』
「うん。モーリスってば、私と別れてからシズの方にも寄ったんだ」
シズアがいるのは、アニスの真下にあたる位置にある小部屋だ。
階段を下りたモーリスが立ち寄るのは、自然なことではある。
『くれぐれも無茶をするなって言われたわ』
「モーリスは心配性だね。でも、シズの方にだって襲撃者が来るかも知れないんだからね。まぁ、サラもいるからだいじょぶだろうけど。って、サラはいるんだよね?」
『我はおるぞ。いやしかし、この遠話機と言うものは、偉く便利だな。我も仲間との連絡用に欲しいぞ』
サラの声色からも、遠話気に興味を惹かれているのがよく伝わってきた。
『だったら、私の魔力補助のペンダントととの交換でどう?』
おおっ、シズアが昨日の話を持ち出している。
転んでもただでは起きないよなぁ。
けどサラが相手なのだ。
『まぁそれでも構わんが、ペンダントを渡すのは早まらんぞ。気長に待たせて貰うだけだ』
サラの返事はアニスにとっては想定の内。
魔女には魔女の連絡手段がある。
アニスの作った遠話具が無くてはならない、と言う状況でもないのだ。
『うー』
唸ったところでシズアの不利には変わりがない。
「サラ、通信相手は何人くらい?」
『そうだな。15か20か?欲を言えば30くらいは欲しいが』
「だったらその倍の数の魔石を集めて、全部を綺麗に二つに割って貰って欲しいんだけど」
『分かった用意しよう。だが、なぜ倍なんだ?』
「半分は私達が貰うから」
『なんだ、そう言うことか。お主も抜け目がないな。良かろう、渡す魔石の半分はお前達にくれてやる』
魔石を集めるのも、割るのも、魔女にとっては朝飯前のことだろう。
サラにとって不利益なことは何もない。
アニスとしても、キョーカに割って貰った魔石の数が減ってきていたので、助かる話だったりした。
『ちょっとアニー。何で勝手に話を進めてるのよ』
シズアの不満げな声が耳に入ってくる。
「今回はシズの負けだって。だけど、サラ、本当に必要な時には私もお願いするからシズアのペンダントも用意してね」
『ああ、約束しよう』
サラの返事と同時に、アニスの目の前に光るものが現れた。
白銀に輝く小さくて丸い紋様。
この紋様をアニスは知っている。
確か、転移陣。
その転移陣の上に何か物が現れ、それと引き換えに転移陣が消えた。
当然のようにその物は落下しようとするが、アニスはそれが下に落ちないように手で受け止める。
それは緑石のペンダントだった。
中に魔力補助の付与魔法の紋様が見える。
シズアのために用意されたものなのだろう。
今の話の流れからすると、本当に必要な時になったら自分で渡せと言うことらしい。
しかし、用意までしておいて渡さなかったのは、サラにも迷いがあったのか。
確かにアニスとしても悩ましいところだ。
まぁ焦る必要はない。暫くシズアの様子を見てから考えればいっか、と収納魔法で開けた収納空間にペンダントをしまうアニスだった。
収納サックなどは収納の魔法付与をしたもので収納空間は魔法付与した物に紐づきますが、収納魔法は人に紐づくものなのでアニスが収納魔法で開いた収納空間は他の人には開けられない、という性質があります。
モーリスとの会話の中で出てきた、モーリスのささやかなお願いの話は7-14.でしたね。