7-24. アニスとシズアは皇子達の思惑を知る
アニスとジタンの手合わせは、ジタンの脇腹から血が流れ出たところで取り止めとなり、ジタンは出血部を押さえながら城内の一室へと案内されて、医者が呼ばれた。
やってきた医者は、光属性の治癒魔法を患部に当て、その結果に目を丸くする。
「どうして治癒魔法が効かないんだ?」
「だから、水属性の治癒魔法も効かなかったって言ったよね」
医者が来る前にアニスも治癒魔法を試していて、それが効かなかったことは話していたのだが、説明だけでは信じられなかったらしい。
アニスの魔力眼では、魔法を掛けるも何も患部の部分に魔力が存在しないため、ジタンの脇腹の傷に対して魔法が作用しないように見えていた。しかし、魔力眼のことは未だに王女にも話していない状態であるし、今ここで明かすつもりもない。
傷の部分に魔力が存在しないのは、何かそれを妨げるもの、例えば水に対する油のようなものがあるためのようだ。
それについはアニスの魔力眼では捉えられず、魔女の力の眼に映っていた。
一見すると黒魔獣を覆っていたモヤモヤに近いものがあるが、黒魔獣のそれは黒魔獣が死んでしまうと消えてしまっていた。
なので、黒魔獣のモヤモヤを取り出して使うことはできそうにない。
そう考えると、それは黒魔獣のものではなく、邪神の力に関係しているのではと思われる。
であれば、魔女の力を使えば何とかできるかも知れない。
でも、魔力眼が使えること以上に魔女であることは秘密だ。今は試せない。
幸い、止血処理をすれば血は止まるし、生命に関わることではなさそうに見える。
だから、良い方法を思い付くまでは、様子見しておくのが良さそうだ。
そうしたことから結局、ラ・フロンティーナが呼んだ医者にアニスが伝えたのは、治癒魔法を掛けたが効かなかったことだけとなっている。
その場面を王女が見ていたとは言え、何の説明も無しに医者が信じられる筈もない。
「治癒魔法が効かないとなると、傷口を押さえておくくらいのことしかできませんが」
医者は自分を呼び出した王女を見、王女はアルフレッドに目を向けた。
「それだけしてくだされば十分ですよ、先生」
口を開いたのはジタン。
その言葉にラ・フロンティーナが頷いているのを見て、医者は傷口にガーゼを当て、包帯を巻きつけて動かないようにすると「お大事に」と言って部屋を出ていった。
「この傷は先程の手合わせで付いたものではありませんよね?」
医者が出て行った後の最初の王女の言葉だ。
その眼は、アルフレッドを向いていた。
「ああ。こちらに来る前のことだ。皇都の城下に出ていた時に見知らぬ賊に襲われた。私が狙われたのだが、ジタンが庇ってくれてな。その時に付いた傷だ」
「では、帝国の医者にも診てもらっているのですね?」
「そうだ。だがまぁ、医者は先程と同じような感じだった。だから、魔法師団長に相談したのだ。そしたら、魔導国の邪神の力が関係しているかも知れないとのことだった」
アルフレッドは、辛そうな表情で俯いている。
「王国に来られたのも、その怪我が関係しているのでしょうか?」
ラ・フロンティーナの言葉は、傍目には単なる問い掛けのように聞こえるが、そう言う意図ではないのだろうなとアニスは捉えていた。
アルフレッドは、帝国にいた時点で既に負傷していた者を、王国への表敬訪問に供として連れてきた。
しかも、その傷には邪神の力が関係しているかも知れない。
邪神の対抗勢力と言えば魔女だし、魔女の本拠地は王国内の片隅。
その王国に連れてきたのだから、目的は自ずと知れている。
つまり、王女は答え合わせをしているのだ。
その問いにアルフレッドが答えるまで、暫くの間があった。
「私達はジタンの傷をどうすれば治せるかを調べた。そして、それができるかも知れない者達が王国のとある土地にいるらしいとの情報を得た」
想像通りの答えだ。
「王国内のどの辺りなのでしょうか?」
分かってはいても、魔女のことは口に出せないため、王女は誰とは尋ねない。
「ザイアスの向こうの精霊の森の奥にその者たちの里があるらしい」
精霊の森の奥にはエルフの里もあるが、アルフレッドが言っているのは、どう考えても魔女の里のことだろう。
「アニスに手合わせを申し込んだのも?」
「出会ったのは偶々だったが、何か関わりができればザイアスに行き易くなるかも知れないとは考えた」
王女の的確な質問の連続に吹っ切れたのか、アルフレッドの口調は滑らかだ。
「皇子は正直ですね」
「ザイアス子爵は貴女の陣営に入ったと聞いた。どの道、ラ・フロンティーナ王女、貴女には話を通さなければと考えていたのだ」
「なるほど」
ラ・フロンティーナは、聞きたいことを聞き終えたのか、そこで一旦口を閉じた。
それからゆっくりとアニスの方を見る。
「ジタン様が手合わせの賭けの褒賞にザイアスの案内と言われたのも精霊の森の奥に行きたかったからのようね。決着は付かなかったけれど」
「もうちょっとで私の勝ちだったんだけどね」
「貴女が手でジタン様の体に触れたこと?賭けでの勝利条件は相手の体に剣を触れさせることでしたよね。手を触れただけでは勝ったことになりませんよ」
王女は眉根を寄せ、怪訝そうな顔をしてみせる。
「えっ、あれ?掌底を打ち込めば勝ちじゃなかったんだっけ?」
「アニス、何を言っているのです。貴女の方から『相手の身体に剣を当てたら勝ち』と言い出したのではないですか」
そうだっけ?とシズアを見ると、シズアもうんうんと頷いていた。
どうやら間違えていたのは自分の方らしい。
「ごめん、勘違いしてた。でも掌底打ち込んで姿勢が崩れたら、剣を当てるのも簡単だよね」
「そんな仮定の話をされても、勝負がついていないことに違いはありません。なのに、貴女はジタン様の裸を見ていますよね」
出血の治療のために、ジタンは上半身裸になっていた。
確かにご褒美の筋肉を見せて貰っていることになる。
「あー、私だけが褒美を貰っているって言いたいんだ。そうすると、私も皇子様達をザイアスに連れていかないといけないってこと?」
「コトがあの人達に関係するとなると、私は口を出さない方が良さそうに思います。貴女が良ければお連れして、としか言えませんね」
王女が言う「あの人達」とは、勿論魔女のことだろう。
王家としては、できるだけ魔女には関わりたくないのだ。
事情は分かるが、判断をこちらに丸投げしなくてもと、目を細めて王女を見た。
「アニス、どうかして?あぁ、貴女が忙しいのは分かっているのよ。だから、直ぐにとは言わないわ。祭りが終わった後でならどう?」
アニスの半眼を王女は勘違いしたようだが、忙しいのは事実だ。神殿やリリエラに頼まれていることもある。
なので後回しにして良いのなら、そこは助かる。
「我々としても祭りへの参加もあっての表敬訪問だから、祭りが終わるまでは王都に留まらなければならない。動けるのはその後だ。ジタンの傷がそれまでに治れば良いが、これまでのことから難しいだろう。しかし、逆に悪化することもなかったから、祭りの後、年明けまで待たされても問題はないと思う」
王女とアニス、二人の会話を聞いていたアルフレッドが発言し、王女の言葉を後押しした。
「待って貰えるのは嬉しいけど、ザイアスへ行くにはザイナッハを通らないといけないよ。皇子様を連れて、黙って通り抜けちゃって良いのかな?」
「秘密裏に通り抜けて後で知れると面倒なことになるでしょうね。かと言って、ザイナッハ侯爵は私の陣営ではありませんから、話を通すにしても難しいものがあります。アルフレッド皇子も、事情をあちこちに説明したくないでしょうし」
「ラ・フロンティーナ王女のお気遣いに感謝する。ただ、いざとなれば私はここで待っていても構わない。ジタンだけなら大きな問題にはならないだろうしな。それにしても、話には聞いていたが王国内の派閥争いは大変そうだな。帝国内も似たようなものだが」
アルフレッドが自嘲気味に話す。
「帝国と言えば、皇子を狙った賊は、皇子の帝国内の対抗勢力に雇われた者達ではないのですか?それとも、皇子は魔導国に狙われているのですか?」
「私自身が魔導国に狙われていることはないと思う。襲撃を後ろで操っていたのは帝国内の他派閥の連中だろう。確証はないが、第五皇子辺りではないかと考えている。彼らは魔導国と繋がっているのではないかと言う噂があるんだ」
「魔導国ですか。どうやら王国内にも魔導国の息が掛かった一団がいるようで、警戒を強めているところです」
「あのう、王女様よろしいですか?」
それまで黙って話を聞いていたシズアがおずおずと口を開いた。
「シズア、どうかしましたか?」
「今、王女様が口にされた魔導国の関係者達ですけど、邪神の力が籠められた魔具を使うらしいとのことでしたよね?ジタン様の怪我も、そうした魔具に拠るものかも知れません」
「確かにその可能性もありそうですね」
「私たち、その魔具への対抗手段を探すつもりですけど、もしそれが見付かれば、ジタン様の怪我も治せるかも知れません。そうすれば、ザイアスまで行く必要もなくなります」
「それはそうですけれど」
ラ・フロンティーナは暫しの間、口を閉じて考え込んだ。
「そうですね。精霊の森へ行っても解決するかは分かりませんし、できることはすべてやってみましょう。アニスとシズア、貴女方は魔導国の関係者の持つ魔具への対抗手段を見付けられたら、教えてくださいな。ただ、神殿の儀式が先ですから、まずはそちらが無事に終えられるようにすることを優先で」
「はい、王女様」
アニスはシズアと共に返事をしながら、この人も偶には王女らしいことを言うのだな、と王女であるラ・フロンティーナに対してとても失礼なことを考えていた。
アニスがラ・フロンティーナのことを王女らしい、とか、王女らしくないと思うのは、アニスの中に「王女とはこうするものだ」と考える基準のようなものがあるからなのでしょうね。
ところで、書いた文章は二度三度と見直ししているつもりなのですが、どうにも誤字が残ってしまいます。前話も誤字を見付けて昨日直しました。申し訳ありません。