7-23. アニスは皇子の親衛隊長と手合せをする
「ここなら野次馬を気にせず手合わせできますよ」
ラ・フロンティーナに連れられて来たのは、先程のお茶会に使った温室の隣にある庭園だった。
「元は私の母の庭園で、今は私の専用になっていますから」
王女はにこにこしていたが、アニスは薄ら寒い物を感じ取っていた。
「王女様の専用の庭ってことは、ここにある草花は全部王女様の物ってことだよね?」
皇子達の手前、ラウラとは呼ばないでおく。
「ええ、そうです。大切な花たちですから、折らないでくださいね。万が一、草花を折るようなことがあれば、その者はその時点で負け、加えて鞭打ち百回にしましょうか」
「えーっ」
どうしてここに連れて来たの?と言いたくなったが、元はと言えば自分達が原因だ。
アルフレッド皇子ができれば人目のないところでやりたいと申し出たのに対して、アニスも好都合とばかりに乗っかった。
それで思案したラ・フロンティーナが手合わせの場所として、この庭園を選んだのだ。
庭園内には散策用の通路が整備されていた。
特に今アニス達が立っている庭園中央の通路は幅十m程はあるので、一応、動き回れはする。
が、派手な立ち回りは危険だ。一歩間違えれば、花壇に突入してしまう。
そんなことになってしまったら、どうなるのか想像も付かない。
ジタンの顔も少し青ざめている。
まぁ何となく、王女は無茶をするなと言いたいだけのような気がするのだが、鞭と口にしたことはとても気掛かりではある。
「武器は?」
とは言え、アニスは悩んでいても仕方が無いと割り切り、ジタンに手合わせのための武器について問い掛けた。
「剣を鞘付きのまま使うでも構いませんが、木剣をお持ちなら貸していただけますかな?」
ジタンは帝国の伯爵家の当主とのことだったが、アニスに対しても丁寧な物言いをしてくる。
「分かった」
アニスは収納サックから木剣を二本取り出し、一本をジタンに手渡した。
「ん?これは重さがありますな。鉄心の入ったものですか」
「そだよ。訓練用の奴。ただの木剣だと軽すぎるから。防具も貸した方が良い?」
「いえ、私めには不要です。これでも鍛えておりますので」
「おけ。じゃあ、始めよか」
アニスはジタンをその場に残し、距離を取って向かい合った。
木剣を両手で握り、前に構えながら相手の様子を観察する。
ジタンもまた木剣を両手で構え、それまで薄くでしかなかった体内の魔力濃度を一気に上げた。
流石は帝国の騎士だけあって、魔力の使い方に無駄がない。
身体から外に魔力が漏れ出さないようにきちんと制御できている。
そして、魔力濃度にもムラが無い。
ただ一箇所を除いて。
それはジタンの左の脇腹。
切り傷のような形になっている部分にだけ、魔力が広がっていない。
怪我をしているから?
いや、その程度の大きさの怪我なら、治癒魔法で簡単に消せる筈。
それがどうして残ったままなのか。
最初にジタンを見た時から、そこが気になっていた。
しかし、魔力眼で見えているとは言えず、それが怪我なのかどうか、どうなっているのかを確かめる術はないと諦めていたのだ。
でも、そこに都合よく手合わせの話が出てきた。
手合わせの中で怪我かどうかを見定めて、本当に怪我をしているのなら見せて貰おう。
それがアニスの狙いだった。
「ねぇ、ルールは?」
何も取り決めていなかったことに気付いたアニスが、再度問い掛ける。
「好きなように打ち込んでみて貰えますかな?」
まぁ向こうの目的からすればそれで良いのかも知れないが。
「ただ打ち込むだけだと面白くないから、勝負にしない?どちらかが相手の身体に剣を当てたら勝ちってことで」
「ほっほっほ。私めの身体に貴女が剣を入れられると?良いでしょう。もし、貴女が勝ったら、何か褒美を差し上げましょう」
「え?良いの?」
「構いません。どんな褒美をお望みですかな?」
「うーん」
言ったは良いが、考えていなかった。
この手合わせで求めたい物は何か。
「あ、そだ。私が勝ったらジタン様の身体を見せて。きっと筋肉ムキムキなんだよね?」
これならば、勝つだけで怪我かどうかを確かめられる。
「そんなことでよろしければ、構いませんが」
ジタンは顔色をまったく変えずに返事をしてきた。
怪我をしていないのか、負けることはないと考えているのか。
「私めが勝っても褒美をいただけるのですかな?」
「え?良いけど、私の身体が見たいとか言わないよね?」
構えている剣を手放して、手で身体を覆いたい気分になる。
「私めも紳士の端くれ。そんな下品なことを望むものではありせん。そうですな――」
と、そこでジタンはアルフレッドをちらりと一瞥した。
「もし私めが勝ちましたら、皇子様と共に貴女の故郷、ザイアス子爵領を案内いただくと言うのはいかがでしょうか」
「ザイアスを?うん、それで良いのなら」
どうして、と詮索したい気持ちを抑えて了解の言葉を返す。
これで取り決めも済んだ。
ここから先は打ち合うのみだ。
剣を構え直し、相手に集中する。
さて、何処から打ち込もうか。
どう見ても隙がない。
ならば、適当に散らしていくか。
「行きます」
宣言してから前に出る。
魔法は使わないが、魔力は身体中に巡らせていて、ついでに装備に付与してある身体強化の付与魔法も発動。
流石に身体強化無しでは、力の差だけで負けてしまうためだ。
「やぁっ」
気合を入れて、まずは相手の右肩へ打ち込んだ。
次に左肩、右脇。
ジタンは的確に剣を合わせて受けている。
なら左脇は。
アニスが剣を右脇に引くと、ジタンの闘気が高まった。
だが、アニスはお構いなしにジタンの左脇への打ち込みを決行。
ジタンは、ただそれに合わせるだけでなく、勢いを付けて自分の剣をアニスの剣に当て、思い切り跳ね上げた。
そして一歩前に踏み込んで、アニスに向けて剣を振り落とす。
アニスもそれは予想のうち。
剣を跳ね上げられたと同時に思い切り後ろに飛び退いていたため、ジタンの剣は空を切った。
そこへアニスが上段から剣を振り下ろす。
ジタンがそれを剣で受け、押し返したところで二人は離れて向き合った。
「ふぅ」
アニスは息を整える。
ジタンの左脇を狙った時に思い切り反撃を受けた。
そこをまた狙おうとすれば、容赦はしないということか、それとも特段の意図はなかったのか、今のやり取りだけでは分からない。
ただ、左に重心を置いた状態で踏ん張れば左の脇腹にも負担が掛かる。
そうしても問題ないのなら、怪我ではないのかも知れない。
ふむ。どうしたものか。
最初はお互い様子見も入っている。
次は、もっと厳しくなるだろう。
少なくともこちらからは厳しくいかないと失礼な気がする。
加速して勢い良く行きたいところだが、花壇に突っ込むとどうなるかわからないから、その手は使えない。
ならば。
「アイスコーティング」
力ある言葉とともに木剣の刃先が氷で覆われていく。
勿論、刃先は丸めてある。
氷の重さが加わり、剣が大分重くなった。
「アブソリュート・ゼロ」
魔法で木剣を覆う氷をより冷たくして固くする。
こうすれば、ちょっとやそっとでは割れることは無い。
これで良し。準備は出来た。
アニスは、質量を増した剣を右側に開いて構え、左狙いであることを明らかにしながら、前へと飛び出す。
もしジタンがガラガラの自分の左を狙ってきたら、左手に氷の盾を出して相手の剣を止めつつ、氷で重くした木剣を右手一つで叩き込む腹積もりだ。
だが、ジタンはそうしては来ず、体の前で剣の柄を左とする形で横に構えた。
アニスの打ち込みを正面から受け止めようと言うのだろう。
ならばこちらも全力で行く。
「おおおおおっ」
足を前に踏み出しながら、気合とともに剣を振るった。
ガキッと、剣と剣とがぶつかり合う。
そして、そこで止まった。
そのまま押し込もうとするアニスに、跳ね上げようとするジタン。
「うおおおっ」
今度はジタンが声を張り上げて、剣に力を籠める。
結果、ジタンの剣にアニスの剣が押されて跳ねあがった。
ただし、勢いは緩やかだ。
ジタンは振り上げた剣を頭の上で回転させ、その勢いで打ち下ろす。
アニスは左手で剣を引き戻すと、右手で剣先を持ち、横にした剣の真ん中辺りでジタンの打ち込みを受けた。
そこでジタンの剣を押し返しながら前へと踏み出し、目の前にあるジタンの左脇に自分の右手を当て、掌底を撃ち込もうとしたところで、止まる。
「ちょっと待った」
「どうかしましたかな?」
「ぬるっとした。冷たい」
「何と」
アニスが右の掌をジタンの脇腹から離して確かめると、赤い血で濡れていた。
一応、アニスの目的は達成できたわけですが...。
ジタンは打ち合いに夢中で、自分のことなのに気付けなかったようです。
さて、次回更新ですが、土曜日の夜中になるかと思います。よろしくお願いいたします。