7-17. アニスとマルコは今は亡き老人の優しさに触れる
マルコが家の扉を叩く音に気付いたのは、夜も十分更けてからのこと。
いつものように執務室を追い出され、夕飯を食べに行ってから建物の三階にある自宅に戻り、追い出される前に収納ポーチに忍ばせておいた書類の束を書斎に籠って大方片付けたところだった。
「誰だ」
書斎を出て廊下の奥にある玄関の扉に向けて声を上げる。
玄関の外側上部に取り付けてある監視具が撮影した映像が、廊下の壁に掛けられた表示具に映し出されているので、誰が来たのかは分かっていたものの、確認は怠らない。
「アニスだよ」
「今夜の気分は?」
「最悪」
良し。とマルコは玄関の扉の鍵を開け、ノブを回して扉を引く。
「随分と遅かったな。こんな時間の独り歩きは危ないんだが」
「気を付けてるから問題ないって。それより中に入って良い?」
「あぁ」
マルコはアニスを招き入れると、玄関の扉の鍵を閉めた。
そして二人で居間に入る。
マルコはアニスをソファに座らせると、自分でお茶の用意をしてからアニスの前に座った。
「それで何か分かったのか?」
アニスの前にお茶を入れたカップを置きながら、尋ねてみる。
駄目で元々と思っているものの期待せずにはいられない。
ただ、直ぐに調べが付く物でもあるまいにと思う部分もあった。
複雑な心境を抱えつつ、マルコは自分のカップを手に取り、お茶を口に持っていく。
「あー、それなんだけど、実は最初から分かってたんだよね」
思わず吹きそうになる。
「何だと?」
「いやぁ、あの時はプラムがいたからさぁ、言うことができなくて」
「内緒ごとか、最悪だな」
「知りたくないなら帰るけど」
「いや、すまん。ワシが悪かった。秘密は守るから教えてくれ」
あっさりと前言を撤回し、頭を下げるマルコ。
「良いよ。マルコは口が堅いから大丈夫だってサラが言ってたしね」
「サラか。お前、サラのことをどれくらい知っているんだ?」
「全然知らないよ。お昼にも言ったよね、サラと出会ったのは半年くらい前だって。マルコの方がずっと付き合いが長いし、私よりよく知ってると思うよ」
「ワシのことは良いんだ。あいつと付き合うのは危険と隣り合わせだと分かっているのか気になってな」
マルコの顔には、はっきり心配だと書かれている。
知り合ったばかりの人間の心配をするとか、本当にお人好しだよなとアニスは思う。
「まぁ私も少しは知ってるけどね。昔はシエルと名乗ってたとか、トゥリレと署名したりするとか、宵闇の一員として動いたりとか、鍵開けが早いとか」
「最後のはどうでも良いが、前三つを知ってるって、お前、それ最悪だぞ」
「そうかもね。でも知っちゃったんだから仕方がないよ」
飄々とした表情で、アニスは肩を竦めてみせる。
「私のこと心配してくれるのは嬉しいけど、マルコだって同じだよね?で、魔具の話はしなくて良い?」
いい加減に話を戻したいんだけど、との気持ちはマルコにも伝わったらしい。
マルコは大人しく収納ポーチから昼間の木箱を取り出し、蓋を開けた状態でテーブルの上に置いた。
「頼む。これが何か教えてくれ」
アニスは木箱から珠を取り出すと、左の掌に乗せて顔の前へと持っていく。
そこで改めて珠の中に焼き付けられている紋様を確認した。
「多分だけど、記憶玉だと思う」
「記憶玉?記録を蓄えておく魔具か?」
「そそ。私、似たようなの持ってるんだよね」
アニスは自分の収納サックから、透明な珠を一つ取り出した。その珠は、マルコの物と同じように一箇所だけ平らになっている。
「これが記憶玉だよ。見てみて」
アニスに手渡された記憶玉を念入りに観察するマルコ。
更には自分の物と両方を右手と左手に持ち、二つを見比べてみる。
「うーん、似てるが焼き付けられている紋様が違うな。ワシのは五層だが、お前のは四層。ん?もしかして欠落させてあるのか?」
「そそ、欠損してる。足りない部分を補わないと発動しないようにね」
マルコは顔を上げてアニスを見た。
「安全対策か?」
「そだね。間違って記録を消しちゃうと困るからって聞いたけど」
「使う時には欠損を補わないといけないのか。面倒だな」
「だから、記憶玉を使う魔具には足りない部分を補う紋様が仕込まれてるんだよ」
アニスは収納サックから、魔具を二つ出し、テーブルの上に置く。
「こっちが記録具で、もう一つが再生具ね。どっちも凹んだところに記憶玉を置くんだけど、その下に欠損を補う補完の紋様を焼いた魔石が仕込んであるよ」
そう言いながら、アニスは再生具の記憶玉を置く台座を外し、その下にあった魔石を取り上げてみせた。
「ほら、こうやって魔力を込めると、紋様の一部が出る。で、これを記憶玉の平らなところにくっ付けると」
説明しながらアニスは自分の記憶玉の平面に魔石を合わせてみせる。
「ね?記憶玉の紋様が完全になった」
「うむ、記憶玉の仕組みは分かったが、ワシのはそもそも五層だぞ。欠損なんて無い――いや、違うのか?」
マルコが確かめるように自分を見てきたので、アニスはにっこり微笑みながら首を縦に振る。
「分かり難いけど、これ、欠損してるよ」
「五層の紋様で欠損してるって、元は七層なのか?」
「そゆことになるよね。二層分、丸々足りない」
「そんな大きな欠損、どうやったら補えるんだ?最悪だな」
マルコは呆然とした表情で、自分の記憶玉と思しき物に焼き付けられた付与魔法の紋様を見ていた。
「一層だけなら、反対側を見れば大体分かるけど、二層分となると、元の紋様を予測するしかないと思う」
「どうやって予測するんだ?内側の層は見えないんだぞ?」
「それはそう。でも、複雑度の上げ方には作った人の癖が出易いから、それを考えてやればできるかも」
「お前、簡単に言ってくれるが、それで本当にできると思うのか?」
怪訝そうな顔をするマルコに、アニスは眉根を寄せた。
「できるかできないかを考えるより、やってみた方が早いよ」
「やるにしては道具が足りなくないか?」
「うーんと、補完の紋様を焼き付けるための魔石を一つ出しといた方が良いかな?」
アニスは収納ポーチを覗いてみるが目ぼしい魔石が見付からず、収納サックの方から魔石を一つ取り出した。
「これでどう?大きさも丁度だし、平らなところもあるし、洗浄済みだし」
「お、おう。しかし、設計図はどうするんだ?」
「紋様を決めないと設計図は書けないと思うけど?」
「紋様はどうやって決めるんだ?」
「だからやってみようって言ってるよね?」
先程から何か話が噛み合っていない気がする。
ともかく、やって見せれば分かるだろうと、アニスは右手を前に掲げ、その先に魔法の紋様を描いた。
「これが記憶の付与魔法の紋様ね。最初から三層だから、複雑度3から始めることになるけど」
「なぁ、何気なくやってるが、お前、魔力眼持ちなんだよな?」
「うん、正しくは魔術眼ね。言っておくけど、私の魔力が減らないのは魔術眼で周りの魔力を集めてるからだよ」
「はぁ、そうか。それは最悪だな。聞かなければ良かった」
「『後悔先に立たず』だね。じゃあ、良い?複雑度を上げてくよ」
「ああ、やってくれ」
半ば諦め口調で、マルコはアニスに先を促した。
「複雑度3にして、4にして、5にして。それで上下に層を加えて五層にしてから複雑度を6にする。これで、私の記憶玉の紋様と同じになったよ。ほら」
アニスは右肩の先の紋様を維持しながら、左手で自分の記憶玉を持ち上げて紋様と並べてみせる。
「そうだな」
マルコは半眼で応じる。
アニスは嬉々として紋様を変形していた。
それがどれだけ凄いことかを分かっているのだろうかと思うのだが、余計なことを言えばまた変な形で跳ね返って来そうで、モヤモヤした気持ちを抱えながらも黙っていた。
「続けて複雑度を7にした後に七層にして複雑度を8にして、9にして。ここまでだと同じにならないから、複雑度を10にしてみよか。あっ、同じになったよ」
アニスは今度はマルコの球を左手に持ち、その中の紋様と自分で作った紋様とを見比べて、それらが一致しているのを見て喜んでいた。
「そうだな」
マルコは相変わらずの表情で、複雑度10って何だよと思っていた。
世の中的には複雑度8より先ができるとかできないとかの論争になっていた筈だ。
複雑度9の紋様すら、これまで見たことがない。
なので、自分の目の前でいとも簡単に複雑度10の変形をやってみせられたことが、今一つ信じ難かったりする。が、それについても口にはしない。
「これで紋様の完全な形が分かったから、球に焼き付けられた紋様と見比べて、丸々二層分と安定に必要な三層目の一部を分離して、と。これが欠損した部分の形だよ。これ見て設計図を描く?」
アニスは左手で欠損部分の紋様を切り出して、マルコに掲げてみせた。
「いや、良い」
そもそも設計図を描く目的は、魔法の紋様の形を決めることと、紋様を簡単に作れるようにすることにある。
だがアニスは、設計図から紋様を作り出すよりも早く、一から紋様を作ってしまった。
もう一つ作れと言っても同じか、もしかしたらもっと早くに作ってしまうかも知れない。
そんな職人に設計図なんて無意味に過ぎる。
「そう?なら補完の紋様を描いて、それに切り出した紋様を繋げて、魔石に焼き付ける。この魔石を再生具に嵌めて、台座部分の蓋をして。はい、できた。完成」
アニスは出来上がった再生具を手に取って嬉しそうに眺めた後で、マルコの方に目を向けた。
「再生するから部屋を暗くしてくれる?その方が見易いから」
「分かった」
マルコは立ち上がると、部屋の壁に埋め込んである天井灯の制御具のところへと行き、部屋の灯りを暗くした。
「これで良いか?」
「うん。それじゃあ、こっちに来て。一緒に見よ」
誘いに応じ、マルコはアニスの隣に座る。
アニスはテーブル上に置いた再生具の台座の凹みに、マルコの記憶玉を乗せて魔力を籠めた。
すると、再生具の魔石が光り、その上の空間に老人の上半身が浮かび上がる。
白髪の優しそうな目をした老人だ。
アニスにとっては、かつて見慣れた懐かしい恩師の顔。
それが記憶玉に蓄えられた過去の姿だと分かっていても、胸の中に込み上げてくる物がある。
その老人が口を開くと同時に、再生具から声が聞こえて来た。
『なぁマルコ、元気でやっているか。これを観ているのなら、隣に俺の後継者がいるよな。もう理解できていると思うが、こいつの技量は大したものだ。だが、まだ幼く世の中を知らない。お前には想像付くだろう?もし、こいつの存在が世間に知れ渡ったら、放っておいては貰えないとな。だからお願いだ、こいつを守ってくれ。悪いがこんなことを頼めるのはお前しかいない。よろしく頼む』
ああ、師は最後まで自分のことを案じてくれていたのだと、アニスの心は感謝の気持ちで一杯になる。
頼みを受けたマルコの反応が気になり隣の様子を伺うと、目を潤ませながら師の姿に微笑みを向けていた。
「最悪だ。最悪だよ、ゼペック。俺しかと言われてしまったら断れないじゃないか」
お人好しのドワーフの頬を、涙が伝って落ちていく。
サラがシエルと名乗っていた話は2-14.に出てましたね。
と、2-14.を読み返したら間違いを見付けてしまい、慌てて手直しました。
いやはや、念入りに推敲しているつもりではあるものの、なかなか完璧とはいかず、申し訳ありません。
さて、ここでお知らせです。
私的な都合で恐縮ですが、投稿を二週間お休みさせていただきます。次回の更新は二週間後、7月7日の夜中を目標としています。
心身共にリフレッシュした上で、気合を入れて第七章の後半をお届けしたいと思います。
お願いですから、本作品のことを忘れないでくださいませ...。