7-16. アニスとシズアは優しさにつけ込みたい
「忙しい、忙しい。最悪だぁ」
執務室の通りに面した窓を背にして机に向かうドワーフの男性が、書類に目を通しながら唸り声を上げた。
机の上には書類が山のように積み上げられている。
「ワシが何をしたと言うのだ。どうしてこう次から次へと仕事が積み重なっていくのだ?」
半分ぼやきながらも仕事を片付けていく。
そんな時、部屋の扉が叩かれた。
「誰だ?ワシは忙しいぞ」
開かれた扉から入って来たのは一人の女性。
「お忙しいのは貴方が仕事を引き受けてしまうからではないですか?マイマスター。余計な仕事は本部に押し返してしまえば良いのです」
「そうは言ってもなぁ、マリア。魔具に関する件は、こちらの仕事だと言われれば、断り切れないじゃないか」
「だからと言って、魔具の取引価格の交渉ごとまで面倒見る必要はないでしょう。マイマスターは魔具職人にしかできない仕事だけ受けていれば良いのです。ここは魔具師ギルドなのですから」
半分諦めながらもマリアはいつものやり取りを繰り返す。
マリアの正面で書類に埋もれているのは、マルコ。
ここ魔具師ギルドのマスターだ。
いや、実は魔具師ギルドという組織は存在していない。
マルコの肩書は、商業ギルドの魔具師部門長。商業ギルドの職員だ。
通常なら商業ギルドの本部の建物の中で仕事をするのだが、マルコは例外的に本部とは別の建物に事務所を構えることが認められている。
その事務所の名称は商業ギルドの魔具師サブギルドなのだが、面倒なので皆魔具師ギルドと呼んでいた。
魔具師ギルドが商業ギルドの本部とは別の場所にあるのは、本部にいるとマルコが片っ端から仕事を拾ってしまうのでマルコの部下がマルコを本部から引き離そうとしたと言う噂もあるが、マルコがいつでも仕事をできるようにしたかったと言う説もある。
何しろ、建物の一階と二階が魔具師ギルドの事務所で、三階がマルコの住まいなのだ。
放置しておくといつでも仕事をしてしまい兼ねず、定時になるとマリアがマルコを執務室から追い出して鍵を掛けてしまうのが日常になっている。
従って、仕事量を減らすようにとマリアが苦言を呈するのも毎日の話なのだ。
「その話は聞き飽きたわ。それでどうした?まさか、仕事を減らせと言いに来たのではないのだろう?」
「そうでした、マイマスター。お客様です。コッペル姉妹商会の方々がお見えになりましたが、如何いたしましょうか」
「コッペル姉妹商会?はて、聞いたことのない名だな。面会の約束をしていたのか?」
マルコは首を傾げて記憶を探るが、心当たりがない。
「いえ、お約束はありません」
「それは最悪だな。約束が無いのなら、丁重にお引き取りいただいても問題ないよな?」
マルコに相談を持ち掛けると引き受けてしまうので、普通ならマリアの判断で面会を断っている筈だ。
それなのにマリアはマルコのところに来た。
厄介事の匂いがする。
「それが紹介状をお持ちでして」
「誰の?」
「サラです」
マリアが封書を差し出してきた。
「サラか。もしかして、あの噂絡み?それならこっちに話を持って来ずに、自分達だけでよろしくやってくれれば良いのに、最悪だな」
ぶつぶつ呟きながらも封書を受け取って封を切り、入っていた手紙を取り出して広げると、文面に目を通す。
「何々、
『娘達の話を聞いてやって欲しい。よろしく頼む。なお、お主の欲しい情報が得られるかも知れんぞ』
ワシの欲しい情報?」
サラの言わんとするところは分からないながらも、いい加減なことを言う奴ではないことは知っている。
「マリア、こっちに通してくれるか。会ってみる」
「分かりました。今お連れします、マイマスター」
想定通りの指示に、頭を下げて客人を迎えに行くマリアだった。
* * *
「こちらです」
そう言いながらマリアは扉を軽く叩き、ゆっくりと開けていく。
部屋の中の様子がアニス達の目に映る。
手前にはローテーブルにソファ、奥に机。この手の造りの部屋を何度も見てきたアニスには、ここが魔具師ギルドの長の部屋だと理解できた。
「初めまして。コッペル姉妹商会のアニスとシズアです。それと南の森の奥に住んでいるプラム」
部屋に入ると、アニスが代表して口を開いて挨拶をする。
「ワシはマルコだ。しかしまた随分と若いな。サラとはどう言う知り合いなんだ?」
「シズと私はザイアスの街に良く行ってたんだけど、そこでサラと知り合ったんだよね。半年くらい前に」
「ザイアス?精霊の森の入口にある街か。まさかお前達、精霊の森の住人ではないよな?」
マルコの問い掛けにアニスは首を横に降る。
「私達の家はコッペル村だよ。商会の名前にも使ってる」
「あぁそうか、ならば良い。で、ワシに何の用だ?」
「お願いがあって。それも二つ」
アニスは申し訳無さそうに首を縮めてみせた。
「何だ、言ってみろ。最悪なことに厄介ごとには慣れとる」
「魔具工房への紹介状を書いて欲しいんだ」
「紹介状?そんなものサラに書いて貰えば――」
と言い掛けたところで、マルコに思い当たる節があった。
「もしかして、ストゥラトゥール工房に行きたいのか?」
「そそ。良く分かったね」
「分からいでか、まったく。サラはあそこの連中に良く思われていないからな。しかし、サラの代わりに紹介状を書かねばならんとは、これまた最悪だな」
不満げな表情で机の引き出しから紙を取り出し、何やら書き始めたマルコ。
アニスはマルコが自分達のことを放って、仕事に戻ってしまったかと思う。
「駄目かな?」
「駄目ならこうして書いていたりせんわ。よし、こんなもんだろう」
マルコはさっさと書き上げると、インクを乾かして封筒に入れて封をする。
そして、封筒の表にも書き込みをすると、そのインクも乾かしてからアニスの方に差し出してきた。
「ほら、紹介状だ持っていけ」
「あ、ありがとう」
アニスはマルコの気が変わらないうちにと、急いで机の前へと進み出て封筒を受け取る。
「で、もう一つは?」
「それなんだけど」
そこでアニスは扉の前に戻り、プラムの手を引いて前へと押し出した。
「プラムを預かって欲しいんだよね」
「はぁ?」
予想もしない依頼にマルコは唖然として口を開けた。
「何故にワシが預かることになるんだ?」
「通いで神殿学校に行きたいって言うんだけど、預かって貰える家が見つからなくて」
アニスはプラムの事情を話して聞かせる。
「経緯はともかく、ワシが選ばれる理由にはならんぞ」
「それは、推薦があったから」
「推薦?まさかサラか?最悪だな」
アニスが頷くのを見て、溜息を吐く。
「あと、モーリスもだよ」
「モーリスって、エバンス商会のか?」
「そそ。私達の叔父さん」
「まったくどいつもこいつもだな。預かったとして、ワシに利点があるのか?」
マルコは目を細めてアニスを見る。
「それ考えたんだけど、マルコは仕事し過ぎて肩凝りが酷いらしいから、毎日肩もみするのはどうかな?」
「肩もみだぁ?そんな小さな手でワシの肩が解せる訳がないだろう?」
「駄目かどうか一度試してみてよ。プラムの手が届くようにこのソファに座ってくれる?」
「まあ、試して気が済むならそうしてやろう」
マルコは席を立ち、アニス達の目の前のソファに腰を下ろした。
そしてプラムがマルコの後ろへと回り込み、両手をマルコの肩に乗せる。
「ん?どうした?何も感じないぞ」
「こらからやん。動くと危ないからじっとしてるんやで」
「動くな?どうしてだ?」
マルコの脳裏に疑問符が浮かぶ。
「電撃」
「うわわわわ」
プラムの電撃を受けたマルコの身体がブルブルと震える。
「わわわ。ん?肩以外に痺れが来ないな?」
最初の衝撃には驚いたものの、それに慣れると両肩の間にしか電撃が走っていないことに気付く。
「ふふふ、そうでしょう」
そこでシズアが何故か眼鏡を掛けてマルコの前に進み出る。
「電撃は電位差によって生じるものです。普通は電撃を行使する人と地上との間の電位差により電撃が発生しますが、それだと電撃は相手の全身を通ってしまいます。しかし練習すれば、右手と左手の電位差で電撃を発生させることもできるのです。そうして右肩から左肩に電撃を走らせれば、凝っていた肩の筋肉を解せる。名付けて『電撃マッサージ』なのです」
誇らしげに解説するシズア。
サラから得たマルコの情報を元に『電撃マッサージ』を思い付いたのはシズアだった。
プラムに両手の間で電撃を飛ばせるか試させたところ、割りと簡単にできるようになったので、シズアは自ら志願して『電撃マッサージ』の練習台となった。
その成果が出て嬉しいのだ。
「理屈は良く分からんが、慣れると気持ちが良いもんだ。こういうことを思い付くとは、お前達は中々だな。商会をやっているのも頷ける。ただ、その格好は冒険者だよな?また随分とあちこちに魔法付与してあるが。うん?あ、ちょっと止めて貰えるか?」
マルコはプラムに電撃を止めさせると、シズアの方に体を起こして、装備の付与魔法を念入りに観察し出した。
そして少しすると驚愕の表情になる。
「何でこの印が付いているんだ?」
椅子から立ち上がると、今度は横に立っていたアニスに近付き、同じように装備の付与魔法を確認し始めた。
「こっちもか。お前達、この装備はどこで手に入れた?」
「ザイアスだよ」
「ザイアスだぁ?あそこにいるのはオドウェルだけだが、あいつがこの印を使う筈がない。誰が装備に魔法を付与した?」
マルコが鋭い眼光でアニスを見上げる。
誤魔化しきれるか自信が無いながらも、アニスはいつも通りの答えを告げた。
「あー、魔法付与は賢者様にお願いしたけど」
「精霊の森の番人か。なら分からなくも無いが」
マルコは目の前の少女達を順に見ていく。
アニスは水属性、シズアは風属性、プラムも風属性だが少し火属性の色が出ている。
魔力眼持ちはいないようだ。
付与魔法の見分けがつくとは思えない。
だが、サラの手紙に「欲しい情報が得られるかも」と書かれていたことがマルコの頭を掠める。
どの道、駄目で元々だと考えたマルコは、腰の収納ポーチから小さな箱を一つ取り出した。
マルコの掌で掴める程度の立方体の木箱。
蓋を開けた中には、丸い水晶のような珠が入っていた。
「こいつが何か分かるか?」
マルコが差し出した箱を、アニスが受け取る。
「箱から出しても良い?」
「ああ。落とさないようにしてくれよ」
アニスは頷き、箱を傾けて透明な球を自分の手の上に乗せた。
それは球の形をしていたが、一箇所だけ切り取られたように平らになっているところがある。
そして球の中央には魔法の紋様が見えた。
「綺麗な紋様ね」
横からシズアが覗き込んでいた。
シズアの掛けている眼鏡には魔法の紋様が見える魔法が付与されているから、球の中の紋様が見えているのだ。
そうだ、自分もそうしなければと眼鏡を取り出して顔に掛けた。
「シズア姉、ウチにも見せて」
プラムに弱いシズアは、自分の掛けていた眼鏡をプラムに掛けてやる。
さらに眼鏡の使い方が分かっていないプラムのために、シズアが眼鏡のつるに手を当ててそっと魔力を流し込むと、プラムにも珠の中の紋様が見えるようになった。
「うわぁ。何この模様?」
「魔法の紋様だね。これ、丸くした魔石に紋様を刻み込んだ魔具だよ」
「その通りだ。だが一つ問題がある」
「何?」
「これの使い方が分からん。もし、何か知っていたら教えて欲しい」
マルコは素直に願いを告げた。
そのしおらしい様子を見兼ねて親切心を発揮したくなったアニスだが、いやここは交渉の場だと自分を戒める。
「教えたら、私達に良いことがある?」
「その電撃娘を預かってやろう。最悪だが仕方が無い」
「おー」
アニス達にとって、願ってもない申し出だ。
「だったら調べるから、夜まで時間をくれない?」
「夜までだぁ?そんな短時間でどうやって調べるんだ?」
「それは内緒」
アニスはマルコにニヤリと微笑んでみせた。
本作品はフィクションです。
とっても危ないですから、良い子は『電撃マッサージ』の真似をしようとしてはいけません。
大丈夫、分かってますよね。
その他、モーリスがマルコを推薦したと言うのは、7-14.でのモーリスの「ちょっとした情報」の中身なのです。
あと、マルコの眼にシズアの火属性が見えていないのは、2-7.でサラに貰ったペンダントの効果だったりしますが、あまりに古いネタだったでしょうか。
さて、今回は書けました。何だか書き過ぎたくらいなような。
ですが、すみません、次回は土曜日ではなく日曜日の夜中の更新となる予定です。よろしくお願いいたします。