7-6. アニスは内密の話に応じたい
「アニー、本当に行くつもり?あんなロリ小母さん、放っておけば良いのに」
宿の部屋の中で、シズアは腰に手を当て仁王立ちしながら頬を膨らませていた。
「だって、大事な話があるって書いてあるし、シズの役に立つことかも知れないよ」
アニスは一所懸命にシズアを説得しようと試みる。
リリエラがアニスに渡した紙には、大事な話があるので今夜、神殿の人間に知られないように一人で来て欲しいと書かれていた。
自分が除け者にされたからか、そもそもリリエラからの呼び出しだからなのか、ともかくシズアは気に入らないらしい。
「どうだか。何か企んでいるかも知れないわよ。腹黒そうだったもの、あのロリ小母さん」
「まだそんなに話もしてないんだから分からないって。ところで『ロリ小母さん』って何?ただのオバさんとは違うの?」
「簡単に言えば、幼く見せようとしているオバさんってことよ。ただのオバさんだとアニーのオバさんと区別が付かないから、そう呼んだの」
「私のオバさん?マーサはシズのオバさんでもあるから違う?」
アニスが首を捻っていると、シズアが半眼になった。
「ラウラのことをオバさんって呼んでたのをもう忘れたの?」
「あー、ラウラね。そっか、そだった」
あははと笑うアニス。
「まあともかく、シズのロリ小母さんが何考えているのかは、聞いてみないと分からないから行って来るよ。悪いけど、シズはここで待ってて」
アニスの決心が堅いことを見たシズアは、軽く溜息を吐いた。
「仕方が無いわね。でも、気を付けてよ、本当に」
「分かってる。私が出たら、窓は閉めといてね」
箒を取り出し、跨るアニス。
シズアに手を振ると、箒に魔力を流して宙に浮かせ、開いた窓から外へと飛び出した。
通り沿いの二階の部屋から出発したアニスは、直ぐに空高くへと箒を浮かび上がらせる。
魔女の先輩であるキョーカから教わった認識阻害も使っているので、誰かに見咎められる心配はないが、街中を行き交う人達から離れているに越したことはない。
十分な高さまで上ると、アニスは中央神殿の方へと箒の針路を定めた。
上空は真っ暗で肉眼では何も見えない。
足下には王都の街明かりが遠くにまで広がっていて、とても綺麗だ。
「シズが見たら喜びそう」
今度、シズアと一緒に箒に乗って王都の夜空を散歩するのも良いかも知れない。
楽しそうに笑うシズアの顔を思い浮かべながら、アニスは箒を飛ばしていく。
眼下には、街灯に照らされた道が光の筋として見えていた。
街中を縦と横に走る光の筋は、さながら蜘蛛の巣のようでもある。
幾重にも孤を描きながら東西に走る光の筋は蜘蛛の巣の横糸のようでもあり、南北に走る光の筋は巣の中心に向かう縦糸。
それら縦糸の集まるところは、王都の構造から二箇所ある。
アニスから見て遠くの方、王都の北の端にある一つ目は王城。
その手前、中央よりやや北側のところにある二つ目が中央神殿だ。
だから中央神殿の位置は、幾ら暗くて建物がよく見えずとも、間違えようがない。
中央神殿の南側、正面の入口は広場に面しており、明かりで照らされているが、リリエラの部屋のある宿舎棟は北側の明かりの少ない部分。
部屋の正確な場所は憶えていないが、最上階の三階だった。
アニスが来るのを待っているのなら、部屋の明かりを点けていてくれると信じたい。
中央神殿の真上に到着すると、アニスは箒を下へと降ろしていった。
認識阻害は解除している。
他にも対策をしているので、まず見付かることはないだろうし、認識阻害を使っていたのではとリリエラに疑われる危険を冒すくらいなら、見付かった方がマシだ。
宿舎棟の三階の様子が十分に見えるところまで箒を降ろしたアニスは、それぞれの部屋の窓を順番に観察していく。
明かりの点いている部屋は三つ。
そのうち、窓が開いているのが一つある。
それがリリエラの部屋だろうか。
若干賭けだが、他に手掛かりもないため、アニスは窓の開いている部屋の前の小さなバルコニーに降り立った。
開いた窓からそっと部屋の中を伺おうとするが、窓に掛かっているカーテンが邪魔で中が見えない。
風の探索魔法より性能が良い魔女の力の眼であっても、障害物の先となると、分かることは人がいるかどうか程度なのだ。
と、身に付けていた魔具によって引き起された風が、カーテンを揺らす。
「そこに誰かいるの?アニス?」
部屋の中から聞き覚えのある声がした。
リリエラの声だ。
「そだよ。言われた通りに来たけど?」
アニスの返事の後、少ししてからバルコニーに通じる扉が開かれ、リリエラが顔を覗かせた。
「良く来てくれたわね。神殿騎士達が探索魔法で侵入者を検知していた筈だけど、どうやって見付からずに済ませたの?」
「ん、これを使った」
アニスは胸のペンダントを持ち上げてみせた。
サラから貰った魔法属性を隠す魔道具は服の下に隠してある。
リリエラに見せたのは、それとは別で透明な青色の石に魔法の紋様を刻んだ物だ。
「何それ、見せて貰える?中に魔法の紋様が刻まれているわね。何の魔法?」
「風の防御魔法を弱くした奴と、自分の周りの空気を冷たくする氷魔法だよ。体温で人を見付ける魔法があるかも知れないと思って」
答えながらアニスは首からペンダントの紐を外してリリエラに差し出した。
受け取ったリリエラはペンダントヘッドに刻まれた魔法の紋様をしげしげと眺める。
「なにこれ?二つの紋様が交わっているじゃない。魔具は幾つも見てきたつもりだけど、こんなの初めて見たわ。一体幾らしたの?」
「え、えーと、五万ガルくらい、だったかな?」
自分で作ったとは言えず、咄嗟にドワランデのマーシャの店にあった魔具の値段を思い出し、それより少し高めの額を口にした。
「えっ?これが五万?」
「た、高かったかな?」
「安いに決まっているじゃない。これだけの物なら十万と言われても驚かないわ」
鼻息も荒くアニスに向かって言い切るリリエラ。
そんなリリエラを見て、もう少し高めに言えば良かったか、いや、それでは高すぎではないだろうかとアニスは困惑する。
「ねぇアニス。これ、私にも一つ手に入れて貰えない?貴女の手数料込みで六万でどう?」
「いや、良いけど、お金は大丈夫?」
「そうね。神の巫女としての収入だけだと心許ないけれど、他にもあるから心配しなくて良いわ。そうそう、私のは透明な石にして貰える?貴女は水属性を見せているから青で合っているとして、私の場合は魔法神だから色なしが良いの。銀色の金属でも――いえ、この魔法の紋様は絶対に見せびらかしたいから、無色透明な物が良いわ」
「わ、分かった」
完全にリリエラの勢いに飲まれながらも、どんな石なら喜んで貰えそうかとアニスは頭の中で考え始めていた。
「さて、と。出掛けますか。あ、これは貴女に返しておくわね」
「あ、ども。ところで今、出掛けるって言った?リリエラがいなくなっても騒ぎにならないの?」
返して貰ったペンダントを再び首に掛けながら、アニスが尋ねる。
「なるでしょうね。だから、これを私の代わりに置いていくのよ」
そう言いながらリリエラが収納箱から取り出したのは、等身大の人形。
「人形?」
「『身代わり君1号』よ。中に私の魔力を籠めた石を入れてあるから、布団を掛けておけば私が寝ているようにしか見えないわ」
リリエラは身代わり君1号をベッドの上に寝かせ、布団を掛けた。
確かに、リリエラが寝ているようではある。
「良いのかなぁ」
「良いのよ。もし見付かっても貴女に迷惑は掛けないから心配しないで」
リリエラがさっさとバルコニーに出てしまったので、仕方なくアニスはその後に続いて外に出て扉を閉めた。
「で、どうやって来たの?」
問われたアニスは、黙って収納サックから箒を取り出してリリエラに渡す。
「箒?あら、魔法が付与されているのね。何の魔法?」
「浮遊の魔法と推進の魔法。これに跨って魔力を流せば空を飛んでいける。魔力を沢山使うけど」
「魔術眼があれば問題ないわね。でもこれも初めて見たわ。十万、いえ、十二万以上かしら。ねぇ、さっきのペンダントとセットで二十万でどう?」
「え、あー、うん」
売り物ではないと言う前に値段を付けられてしまった。
仕方なく、アニスはリリエラに頷き返す。
それにしても、ペンダントにせよ箒にせよ、リリエラに与えてはいけない物だったのではないだろうか。
きっと、これからも度々神殿を抜け出すに違いない。
でも、それはリリエラが悪いのであって、自分のせいではないのだ。
心の中で整理を付けると、アニスはリリエラと共に箒に跨り夜空へと再び飛び立つ。
「どこ行く?」
「ほら、少し南の方に時計塔があるでしょう?その塔の屋根の下のバルコニーに下ろして」
時計塔は王都の街の中心的な存在だ。
四角い塔で、街中のどこからでも見えるよう、東西南北すべての面に時計が付けられている。
その塔の一番上、三角屋根の下の空間は、物見ができるバルコニーになっていた。
アニスは箒に跨ったままバルコニーに乗り入れると、箒を床の上へゆっくりと降ろす。
リリエラは箒から降りるとすぐ、バルコニーの端へと向かった。
「ここから見る夜景は素敵ね。一度来てみたいと思っていたのよ」
バルコニーの南端の手摺りに掴まり、街の様子を眺めたリリエラは感嘆の声をあげた。
「リリエラはこれが見たかったの?」
アニスに問われたリリエラは、後ろに振り返ってアニスを見詰める。
「それもあるのだけど、夜景は序でよ。本題はこれから」
リリエラがフッと微笑む。
と、時計塔の屋根を支える四隅の柱の内、北東、つまりアニスの左後ろの柱に取り付けられた扉から人が出てきた。
このタイミングなら、リリエラの仲間?
だが、物凄い殺気だ。
まさか、襲撃者なのか?
何やら呟いていたその人物は、剣を抜いてアニスに襲い掛かって来た。
速い。
その動きを魔女の力の眼で視ていたアニスは、相手の魔法属性から、時空属性の加速魔法を使っているのだろうと見当を付けた。
自分も同じ魔法を使えば余裕で対処できるが、手の内をそう簡単には晒したくない。
この距離なら、普通の身体強化でもギリギリ間に合うだろう。
そう判断したアニスは、身体中に魔力を漲らせながら襲撃者の方へと振り向き、脚を前へと踏み出した。
動きは速いにせよ、自分がいる位置目掛けて剣を振り下ろそうとしているのだ。距離が変われば、その分、振りは中途半端なものになる。
だがそれは、相手も想定内のようだ。
剣を握る腕を体に引き付け、振り遅れないよう回転半径を短くしてきた。
ならば、こっちももっと。
アニスは防具の背中の部分に付与していた風の推進魔法を起動し、一気に相手の目の前へ。
そして左手で相手の肘を掴み、右手の掌を相手の腹に当てると、思い切り掌底を放った。
「あうっ」
呻き声を挙げて、バルコニーの床に転がる襲撃者。
手から離れて床に転がり落ちた剣を拾い上げたアニスは、相手の横に立つとその剣を相手の首に押し当ててから、険しい目付きでリリエラの方に振り返った。
「で、何がどうなっているのか説明してくれるかな、リリ小母さん?」
最後にアニスがリリエラに向けた呼び名は、シズアがロリ小母さんと呼んでいたことを意識したものですね。ロリ小母さんと言わなかったのは、説明が面倒だったからでしょうか。それとも遠慮したのでしょうか。