6-32. アニスとシズアは麓(ふもと)まで駆け下りたい?
竜人族の里長の家の玄関先で、アニスとシズアは里長のドレクに別れの挨拶をしていた。
「もう発たれるのですかな?昨日、試練の穴から戻られたばかりではないですか。それまで二週間近く、ずっと野宿だったのですから、もう少し休んだ方が良いのでは?」
ドレクの言葉にも一理ある。
竜人族の里を出て、シズアが火の精霊イェリと契約するまでに要した時間は約二日。
それから一週間以上戻って来なかったのは、シズアの火魔法の練習に付き合っていたからだ。
イェリと契約したシズアは火魔法が使えるようになった。
だが、いきなりすべての火魔法が使えたりはしない。
中級魔法から練習を始めて、熟練度を上げないとより高度な火魔法は使えるようにならない。
そこは詠唱魔法と同じなのだ。
なのでシズアは早速火魔法の練習をしたいと言い出した。
それをアニスが断る筈もない。
かくして、シズアの火魔法の特訓とも言うべきものの始まりとなる。
朝から晩まで練習尽くし。
夜、日が暮れると夕食を作り、食べ終えるとテントで寝る。
朝、日が昇ると朝食を作り、食べ終えると練習を開始。
そんな日々の繰り返し。
ただ、途中で場所を変えている。
最初は、試練の穴の入口になっている洞窟の前の広場を使っていた。
が、そこはワイバーン達の集まるところでもあり、そしてアニス達がそこにいると餌をせがんで来るのだ。
ワイバーン達に餌をやると手持ちの食糧がなくなりそうだし、ワイバーン達のためにもよろしくないと考えた二人は、試練の道を竜人族の里の方に少し戻ったところにある岩場へと練習場を移すことにした。
そこには寝泊まりするのに丁度良い洞穴もあり、特訓にはお誂え向きだった。
それからは何にも邪魔されることなく練習を続けた二人。
火魔法の上位魔法である炎魔法のヘルフレイムやフレアバーストを撃てるようになったところでシズアが満足し、特訓を終えて竜人族の里へと戻って来た。
それが前日のことだ。
普通なら火の精霊の洞窟まで一週間もあれば余裕で行って帰って来られる。
時たま試練の穴の掃除を頼まれていたりもする竜人族の里の冒険者にとっては、それが常識であり、二週間近く掛かったのは火の精霊と契約できずに粘っていたからだろうと思われていた。
なので里に戻った当初は、契約に失敗したのではと腫れ物に触るような扱いを受けたが、シズアが契約できたと知ると皆喜んで祝ってくれた。
ここの人達は、皆良い人ばかりだ。
アニスとシズアはそう考えている。
だから里長のドレクが二人を引き留めるのも親切心からだと思っていた。
しかし、アニスは首を横に振る。
「もうすぐ王都でお祭りがあるらしいから」
昨晩、宿での食事中に仕入れた話だった。
祭りの話を聞いている中で、そう言えば以前に両親もその話をしていたと思い出し、良い機会だから行ってみることにしたのだ。
アニスの返事にドレクはにこやかに頷く。
「確かに、もうザナスの月になりますな。だが、王都は遠いですよ。今から向かっても間に合うかどうか」
「大丈夫だよ。私達、移動は早いから」
「左様ですか。ならばお引止めするべきではありませんな。貴女がたの旅路に神のご加護があらんことを。機会があれば、またこちらにお越しくだされ。お渡しした通行証があれば、試練の門の脇の通路を通れますので、いつでもお出でいただけます」
「うん、ありがとう。また来るね」
「ありがとうございました。失礼します」
アニスとシズアは口々に別れの挨拶を述べ、ドレクの家を後にした。
「これからどうする?火魔法の練習はもう良いの?」
道を歩きながらアニスがシズアに問う。
「そうね。練習したいところではあるけど、あまり人目に付くところではやりたくないし。森の中で火魔法を使うのも危険よね」
「そだね。強力な魔法だと消しきれないかも知れないから」
「そんなこと言って、どうせアニーは氷結魔法を使ってくるのよね?何でもかんでも全部それで凍らされてしまうし、いつかそれを破れるようになりたいものだわ」
若干腹立たしげな表情を見せるシズア。
竜人族の里に戻る前の火魔法の練習で、シズアの放つ魔法の尽くを氷結魔法で受けていたことを言っている。
氷結魔法は、水属性の上位である氷属性の魔法の上級にあたり、とても強力なのだが範囲を限定したりなどの小回りが利き使い勝手の良い、防御にも使える魔法だ。
これまでも良く使っていたことから熟練度は上がっており、既に間違ってもシズアに当ててしまうような領域にはない。
しかし、魔法は熟練度が上がれば上がるほど、細かく制御できるようになる。
アニスにはそれが面白く、氷結魔法を本当に狙ったものだけを凍らせられるような高みに到達させたいと考えていた。
そんなことから、ただシズアの練習に付き合うだけではなく、自分の氷結魔法の魔法熟練度を上げようとしたのだが、攻撃の受けが単調となったことがシズアのお気に召さなかったらしい。
「私もシズには負けたくないしね。それにもっと高度な魔法を使うとシズまで凍らせてしまいそうだから怖いのもあるし。シズが私の氷を溶かせるようになってからなら良いけど」
「凍ってしまったら、どうやって魔法を発動させるのよ?」
「うーん、そこは気合いと根性で何とかならないかな?」
「気合いで何とかなるってものなの?」
シズアは半眼でアニスを睨む。
「少なくても人の身体の中では自分の魔力の方が強いから、治癒魔法のように受け入れて貰えるならともかく、そう簡単に他人の魔法で干渉できないと思うんだよね。だから、魔力を放出して耐えて、頑張って口を動かせば行けるんじゃないかな?シズは精霊魔法が使えるから、詠唱要らない訳だし」
「そうなら、凍ってても口にし易い言葉が良いわね。ウォーム、ホット、ヒート――ヒートはどう?」
「バーニングは?何だか気合い入りそうだよ、バーニング」
「まあ、そうね。でも、そんな魔法があるのかな?」
「それはイェリに聞いたら?って、今はいないんだったね」
アニスが改めて周囲を見渡してみても、火の精霊の姿は見えない。
イェリはシズアと契約した後、数日はアニス達と共にいたのだが、その後、出掛けるからと言っていなくなってしまった。
「どこに行くとも、いつ帰るとも言ってなかったし、割りと自由な性格よね。精霊は契約すると、いつも契約者と一緒にいると思っていたけど、違うのだと言うことが良く分かったわ」
「離れていても火魔法は使えるから不便してないしね。あ、熟練度が足りない魔法は使えないか」
「いざとなれば召喚できるから、問題ないわ。それでだけど、まずはドワランデまで下りてしまわない?それから先も移動優先で。王都の近くまで早くに移動しておきたいと思うのよね。火魔法の練習のことはそれからでも良いわ」
「あのさ、シズ。王都に早く行くならここから直接行くってのはどうかな?その方が早いし」
恐る恐る提案するアニスをシズアが睨む。
「アニー、試練の山での賭けのこと、忘れた訳ではないわよね?」
「い、いやぁ、勿論、覚えてるって。ただ、シズが一刻も早く王都に行きたいって言うから、ここからピューって飛んで行くのはどうかなって思っただけだよ」
冷や汗を掻きながら、アニスは必死に言い訳する。
そんなアニスを冷たい目で見るシズア。
「そう。そこまで早く行くことを考えてくれているのなら、早速出発したいわね。アニー、行くわよ」
むんずとアニスの手を握り、シズアは里の出口の方を目指す。
可愛い妹に掴まれたアニスは何の抵抗もせず、なすがままに連れられて行く。
とは言え、あの坂道をシズアの運転する二輪車で下って本当に大丈夫なのか、頭に不安がよぎる。
「シズ、お願いだから、安全運転でね」
「何を言ってるのよ。私はいつも安全運転してるよね」
うん、何か、ズレがあるかな。
アニスは諦めの境地に立っていた。
シズアは念願叶って火魔法が使えるようになり、ある意味、旅の目的は達成できたとも言える。
でも、それはただの通過点に過ぎず、二人の旅は続く。
時は既にバカントの月も半ばを過ぎていた。
どうやら二人は王都に向かうようです。
と言うことで、第六章の本文はここまでです。
この後、間話が続く予定、ってもう四月も終りですね...。早い物です。