6-31. シズアはこれからについて考える
火の精霊と契約したからと言って、風魔法が使えなくなる物でもない。
ましてや、今使っている風の探索魔法はアニスがイヤリングに付与してくれたものだ。属性に関係なく使える。
シズアはアニスと別れる前から、正確には試練の穴を出た時から風の探索魔法を発動させていた。
風の探索魔法は大気の中で動くものを見付ける魔法なので、精霊のように実体のない物は捉えられないし、動かずにじっとしている物も無理だ。
それでも物理的な実体を持ち、動く脅威は多いので、十分役に立つ物だとシズアは考えている。
実際、今も近付くものがあるのを教えてくれている。
ただ、今回の場合、やけに唐突に近くに現れたように感じる。
普通なら、もっと早く、遠くにいる時に気付けていたのに。
火の精霊イェリとの契約で嬉しかったからと言ってもこんなに近くに来るまで気付けないなんて。
それは、湖沿いの道を洞窟の奥の方に少し進んだところで横に分かれた通路から近付いて来ていた。
距離にして百メートルもない。
しかし、シズアのいるところからは横に曲がった先なので、その姿はまだ見えない。
風の探知魔法では細かい形は分からないが、横長ではなく縦長。
魔獣であれば四足歩行ではなく直立した二足歩行、或いは人かアンデッドのような人に類したもの。
カツカツと足音が聞こえ出し、それが、靴なのか骨なのか思い悩んでいる暇もなく、横の通路の出口まで来てしまった。
シズアは不慣れな火魔法より慣れた風魔法を選び、エアブレイドを詠唱して何時でも撃てるようにして備える。
そしてそれはシズアの前に姿を現す。
最初は幽霊かと思った。
淡く白い光が人の形をしていたからだ。
だが考えてみれば風の探知魔法に引っ掛かったのだから実体がある筈だ。
更によく観察すれば、身体は透き通っておらず、身体の周囲が淡く光っているだと分かる。
人の姿をしているが、人なのかと思わせる容姿。
長い髪を左に寄せて束ね、団子にして余った部分をサイドテールとして流しているが、異様に見えるのは髪が白銀に輝いているため。
顔は色白で、眉は髪と同じように光っている。
そして、瞳は濃い銀色。
服装も白地に銀色のアクセントが入った上着にスカート。
目に入るすべてが白と銀とで構成された、女性の姿をしているものの人なのか分からない存在がそこにいた。
そうした存在には、これまで会ったことはない。
しかし、似たような姿を昔に見たような気がする。
遠い記憶を探り、シズアは漸く相手が誰であるかに思い至った。
「あぁ、私の手紙を読んで来てくれたのね」
「そうだ。お主、転生者だと聞いておったが、まさか前世で我らの関係者だったとはな。ところで、その物騒な魔法を解除しようとは思わんか?」
美しいその女性は、眉根を寄せてシズアに苦言を呈する。
「そうね、ごめんなさい。何が近付いて来ているのか分からなかったから」
言い訳をしつつ、シズアはエアブレイドの魔法を発動させずに解除した。
「構わんよ。この世界では何がいつ襲って来るかも分からんからな。警戒したくなる気持ちは良く分かる。で、お主は我と何を話したい?」
「その前に、その全身キラキラを止めない?見たことが無かったから吃驚したわ。その白銀の髪と瞳で分かったけど」
「そうか、驚かせたのなら済まなかったな。これに大層な名前書き並べておったから、この方が判り易いと思ったのだがな」
懐から白い紙を取り出してひらひらさせながら、女性は全身を光らせるのを止めた。
女性の手元にあるその紙について、シズアには心当たりがある。
ドワランデ郊外に出現した漆黒ダンジョンの入口脇の岩の隙間に自分が挟み込んだ手紙だ。
それにはシズアの古い顔馴染み達の名前を前世の文字で書いておいた。
目の前の女性はそれを読み、誰であるかを把握している。
漆黒ダンジョンの特徴と、それを消す女達の話から、もしかしたらと思ったのだが、どうやら当たりだったらしい。
「私は貴女達がその力を誇示するところなんて見たことがないわ。そもそも自分達の存在を隠し続けていたわよね。こっちでも同じなのではない?漆黒ダンジョンを消すときも目撃されないようにしていたし」
「まぁ、お察しの通りと言うところだな。我らは人の社会に影響を与えることを望まん。ゆえに力のことは極力隠しておる」
と、女性はシズアを見詰めながら、腕を組んだ。
「それで、お主はそうした話がしたかったのか?」
「それも含まれるわね。他にも聞きたいことがあるのだけど、その前に貴女の名前を教えて貰える?知っているとは思うけど、私はシズア。よろしく」
相手は礼儀作法を気にしないだろうと思いながらも、スカートの両脇を指で摘まんで持ち上げ軽く会釈する。
「我はトゥリレと名乗っておる」
トゥリレは腕組みを解き、右手を胸に当ててみせた。
「トゥリレ、つまり三番目ってことね」
「そうだ。三番目の魔女だよ」
再び腕組みして頷くトゥリレ。
「魔女。あぁ、魔女って耳にしたことがあったっけ。あれは貴女達のことだったのね。それはそうとして、この世界は貴女達が『シンタニア』と呼んでいた世界なのよね?」
「そうだ」
「魔導国にいる青と緑の邪神の使徒は貴女達の敵」
「そうだ」
シズアの問いの一つ一つに、トゥリレが頷き返す。
「そうそう、青と緑で思い出したけど」
「何をだ?」
それまで首を縦に振っていたトゥリレが、今度は首を横に傾げる。
「試練の穴に設置されていた問題文のことよ。問題文をバラバラにしたのはワザとなの?」
「大した意図は無いがな。分かる者には分かるように真実を記しておこうと考えただけだ」
「真実?なら『青と緑の邪神が現れた』のところで赤を入れるべきと思うけど」
「奴は神を名乗っておらんからな。使徒も作らず一人で自由気ままにフラフラしとると聞く」
「こっちの世界にも来ているのよね?会ったことは無いの?」
「ないな。別に会いたいとも思わん」
「ふぅーん」
シズアは両手を後ろで組み、地底湖の方を向いて遠くを見る。
「ねぇ、トゥリレ。この世界はどうなるのかな?魔導国にいる邪神の使徒たちに支配されたりしない?」
「それは我らが全力で阻止してみせる。だが、気を付けろよ。帝国の一部の輩が魔導国に近寄っているとの噂を耳にしておるからな」
魔導国も帝国もシズアの住む王国の東に位置している。帝国は南側で魔導国が北側。
王国と魔導国の間には高い山脈とその手前には古の精霊の森があり、容易に行き来できるものではないが、魔導国と帝国との間にはそうした障害は存在しない。
なので、公式には帝国は王国と手を組んで魔導国と敵対する姿勢を見せていても、裏でそれとは違う動きがあってもおかしくはない。
もっとも、王国の人間としては、あまり歓迎できる事態ではないが。
「どうしたものかしらね。帝国に手を伸ばすのは、王国を掌握してからにするつもりだったけれど、順番を変えた方が良いのかな?」
「はぁ?お主、国王にでも成り上がるつもりなのか?」
それまで真面目な表情で話をしていたトゥリレが、呆けた顔になる。
「国王になんてなるつもりは無いわ。私は王国を裏から操る悪女を目指しているんだから」
頬を膨らませながらトゥリレに目を向けるシズア。
「それはまた大層な計画だな。まさか我らに手伝えとは言わんよな?言われても手伝えんが」
「貴女達の助けは要らないわ。私は私でやっていくから。あ、でも、情報屋の双子を情報屋として使うのは構わないのよね?」
「ん?情報屋の双子とは誰のことだ?」
「情報屋イルージオをやっている、キョーカとスイ、いや、スイゲツの二人。キョーカもスイゲツも儚い幻を意味するから、イルージオっていう屋号を付けたみたいだけど、その意味はあっちの世界でだけ通用するものよね?それにアニーに頼まれて魔石を真っ二つにしてあげているし、試練の穴を掃除しながらワイバーンの餌付けをしているのもあの人達じゃないの?」
目を細めて双子の所業を言い募るシズアに押され気味になるトゥリレ。
「い、いや、そのことについて見解を出すのは差し控えさせてはくれまいか?後、分かっておるとは思うが、我らのことはお主の家族にも内密に願いたいのだが」
「言われなくてもそうしているわ。双子のことも含めてね。それで、帝国のことは何かした方が良いの?」
「いや、調査は我らの方で進めるから気にするな。それに折角生まれ変わったのだ。前世のことも我らのことも忘れて、お主の好きに生きてみてはどうだ?」
「そうしても良いけど、結局、魔導国のことは気にしなければならないことに変わりは無いのよね。ねぇ、まだあそこと決着は付けないの?」
「残念ながら、いま暫くはその時は来ぬよ」
「そう、それは本当に残念ね」
憂いを帯びた目で地底湖の先を見詰めるシズアだった。
アニスはシズアに隠していることがありますが、シズアもまたアニスに隠していることがあるのでした。
それにしてもと言うか何と言うか、ようやくこの話に辿り着けました...。