6-28. アニスとシズアは試練の穴の中で戦いたい
試練の穴とされている漆黒ダンジョン。
その中では、あちこちに伸びた通路が無秩序にぶつかり、交わり、時に部屋や広場のような空間があったりと、複雑な構造となっていた。
そうしたダンジョンの中を黒魔獣の姿を求めてアニスとシズアが進む。
「また分岐だね。シズ、どっちに行こうか?」
アニスがシズアに尋ねる。
ここで左に向かえば、黒魔獣に近づく。
アニスにはそれは分かっていたが、敢えて自分では道を選ばない。
黒魔獣のいる場所を知っているのではとシズアに疑われるのを避けるためだ。
どちらに向かうかを自分で決めた結果として黒魔獣に出会えば、流石にアニスが黒魔獣の位置を知っていたとは疑われない筈。
ただ、シズアに選ばせてばかりだと、どうして自分だけが決めるのかと訝しがられる。
なので、アニスが決めるときもある。その時は、黒魔獣までとの間に別の分岐があればそちらの方を、分岐が無けれは黒魔獣とは反対側の方を、つまりできるだけ黒魔獣には近付くものの、最後の判断はシズアに任せる形になるように進む方を選んでいた。
因みに、最後の表示板に到着するまでは、黒魔獣からなるべく遠くなるようにアニスが道を選びつつ、どちらを選んでも差し支えない時にはシズアにも選んで貰っていた。
どちらにしても、シズアとアニスと適宜交代しながら道を選んでいることには変わりなく、シズアに不審に思われる要素は無いとアニスは考えていた。
「そうね。右にしようかな」
「おけ、右ね」
残念ながら、また黒魔獣と出会う機会を逃してしまった。
これで何回目だろうか。
シズアはわざと黒魔獣を避ける方を選んでいるのではと思えるほどに外している。
他人に道を選ばせながら誘導するのは難しいなとアニスは思う。
同じところをぐるぐる回ると変に思われるだろうから、左横の通路にいる黒魔獣は諦めて、この先の右側にいる黒魔獣に向かおうかと考える。
そんなことを繰り返しながら、アニスとシズアは黒魔獣を求めてダンジョン内を歩き回った。
出会いたくても出会えない。
アニスにとってもどかしい時間が過ぎていく。
しかし、何事にも終わりはある。
漸く、その努力が実る時が来た。
「今度は左かな?」
シズアが当たりを引き寄せたのだ。
やっとのことでホッとしたい気分ではあれど、戦いの本番がこの先に待っている。
相手は一体だけだと言っても、気は抜くのは危険。
「左で良いけど、シズ、疲れてない?」
「そうね。脚は張ってきてるわね。でも、まだ大丈夫」
「そか。だけど、無理は禁物だからね」
「ええ、分かっているつもり」
何気ない態度でシズアの疲れ具合を尋ねてみるアニス。
表情を見ても疲れの色は見えていないので問題はないだろうと思うものの、可愛いシズアのことなので気が休まらない。
歩いている通路が左に折れ、そこから少しずつ右に曲がって行ったあと、広い空間に出た。
その向こう側を保護帽の灯りで照らすと、暗闇の中に一体の黒魔獣の姿が浮かび上がる。
「シズ、いたよ」
シズアに注意を促す。
「プレーリーボアを真っ黒にして一回り大きくした感じね」
「プレーリーボアにはあんな大きな牙はないと思うけど」
見た目は黒いイノシシだが、下あごの牙が伸びている。
あれに刺されたら、ひとたまりも無さそうだ。
「ええ、そうね。ただ、姿には違いがあるにしても、攻撃するとなると真っ直ぐに突進してきそうに思えるのだけど、どう?」
「そだね。あの出っ張った大きな鼻で押すにしても、長く伸びた牙で突き刺すにしても、直線的に進むのが一番だろうしね」
黒魔獣を観察しながらも、二人は剣を抜いてそろりそろりと相手に近付いていく。
「ねぇアニー。提案があるのだけど?」
「何?」
「私が囮になるから、アニーが隙を突いて攻撃すると言うのはどう?」
「えー、それ、シズが危険だよね」
難色を示すアニス。
「風魔法で敏捷性を上げられるから問題ないわ」
身体強化魔法が使えるのはその通りにしても、危険なことには変わらない。
「私が囮になった方が良いんじゃないかなぁ」
「それで誰が攻撃するの?私だと力不足と思うのよね。そしたら、結局アニーが黒魔獣の攻撃を受けつつ隙を見て反撃することになって、私の出番なんて無くなるわ」
「うーん」
シズアの言葉にも一理ある。
アニスが黒魔獣の前面に立ってしまうと、シズアが戦いに参加する意義が薄れてしまうのは避けようもないだろう。
そう考えると仕方がないかとアニスはハァッと溜息を吐いた。
「分かった。シズの方が前に出て。でも、黒魔獣の脚を正面から受けて止めようとか考えないでよ」
「それくらいのこと私だって分かっているわ。子供扱いしないでくれる?」
「いや、シズは十分子供だよね?」
何しろまだ十歳なのだ。大人になるまであと四年半と少しの期間がある。
「まあ、見かけはね。でも、中身は立派な悪女よ」
「清掃当番の役目をきっちり果たそうとする律儀な悪女な子供じゃない?」
「ええ、もうそれで良いわ。ともかく、そろそろこちらに向かって来そうよ」
アニス達が黒魔獣を見付けた時、相手は頭を左にした横向きで佇んでいた。
その状態で先程からこちらをジッと観察していたのだが、近付く二人を迎え撃てるように体の向きをゆっくりと変えている。
二人の方もそんな黒魔獣の様子を見ながら軽口を叩いていた訳だが、いい加減、戦いに集中した方が良さそうだと頭を切り替えた。
「シズ、お願いだから回避優先でやってよ」
「ええ」
アニスはシズアから離れながら魔女の力を身体中に巡らせ、身体強化を図る。
なるべく身体強化を疑われないように振舞うにせよ、攻撃力を上げておいて戦いを早く終わらせるに越したことはない。
シズアには、咄嗟に魔法で身体強化したと言い張るだけだ。
黒魔獣はと言えば、自分に近い方にいるシズアに向かおうと考えたようだった。
両目でシズアを捉えた状態で体の向きを変えるのを止め、前脚で土を蹴りながら頭を下げる。
対するシズアも剣を両手で握り、正面に構えた。
そこで黒魔獣が勢い良く駆け出す。
目指すはシズア。
シズアは風の加速魔法を唱えて、力ある言葉を叫ぶ。
「ウィンドアクセル」
残念ながら風の加速魔法では思考速度は上がらない。その代わり、身体が軽くなったように感じた。
ちゃんと魔法が発動している。
そのことが確かめられて心に少しゆとりができたシズアは、冷静に黒魔獣との間合いを見極める。
今だ。
剣先が黒魔獣の牙にぶつかるかぶつからないかのところで、シズアは右に足を踏み出す。
同時に剣を左へと移動させ、すれ違いざまに黒魔獣の顔面を狙って剣を振るう。
「シズ、上手い」
ドキドキしながらシズアを見守っていたアニスが、シズアの良い動きを褒める。
シズアの剣は黒魔獣の左目に傷を負わせていた。
失明に至っているかは不明なれど、瞼から流れている血で左側の視界は遮られているように見える。
黒魔獣は残った右目でシズアを捉えるために、首を右に曲げながら速度を落として立ち止まり、シズアの方へと体の向きを変えようとする。
戦いが始まる時にシズアの右後ろに移動したアニスに対しては、左側面から後部を晒す形となり、アニスはこれ幸いとその死角から黒魔獣へと駆け寄っていく。
そんなアニスの動きを視野の片隅に認めたシズアは、黒魔獣の注意を引くように剣を構えながらゆっくりと黒魔獣の方へと近付いていこうとする。
対する黒魔獣もシズアから目を離さずに、再び突進する時機を見定めているような動きを見せた。
向きを変えた黒魔獣の右後ろから接近するアニスは、そのまま右後ろから攻撃するか、目の見えない左に回り込むかと考えていたが、直ぐにも駆け出しそうな黒魔獣の様子を見て、最短経路で進むことを決める。
そして走りながら剣を頭の上で構え、走る勢いと共に黒魔獣の首元目掛けて思い切り剣を振り下ろす。
「まだっ」
手応えはあったが致命傷ではない。
だがよろめいているところを見ると、それなりの痛手を与えられたようだ。
ならば今だと剣を右に構え、与えた傷口から急所の後頭部目掛けて剣を突き通す。
と、相手の動きが止まる。
そこでアニスが剣を引くと、黒魔獣はどうっと地面の上に倒れ込んだ。
「シズ、倒せたよ」
呼吸を整えつつ剣を振って血糊を落とす。
そして、その剣を鞘に戻しながらシズアの方に目を向ける。
シズアはまだ剣を片手で握ったまま、ボーッと黒魔獣を見詰めていた。
「シズ?」
返事がないのでアニスはもう一度声を掛ける。
するとシズアは頭を上げてアニスに視線を移した。
「アニー、ぞくぞくするような戦いだったね。魔法や魔双剣が使えないとこんなに緊張するのかって思った」
「私はシズが怪我しないか、ずっとドキドキしてたよ」
アニスの素直な感想である。ぞくぞくする要素はどこにも無かった。
「心配してくれるのは嬉しいけど、もう少し私を信じてよ」
「うん、まあ、なかなか難しいんだけどね」
魔双剣を使った遠隔攻撃を任せる分には良いが、こんな近接戦だとどうしても気が気ではなくなってしまう。
「アニーには慣れて貰った方が良さそうね」
「えっ、慣れるってどゆこと?」
「決まってるでしょう?もう何体かと戦うのよ」
「まだやるの?シズ、疲れているよね?」
何とか諦めて貰えないかと、理由を探すアニス。
「確かに疲れたわね。だから、私の魔力を使ってアニーが治癒魔法を発動できるか試してみてよ。駄目?」
シズアが上目遣いにアニスを見上げる。
そんな目でお願いされたら断れる訳ないよ。と、結局シズアの言いなりになってしまうアニスだった。
シズアは剣での戦いに目覚めてしまったみたいですね。