6-27. アニスとシズアは試練の穴を掃除したい
アニスとシズアは清掃当番の道具を身に着け、試練の穴でもある漆黒ダンジョンの中を歩いていた。
「ランタンを持たなくて良いと、それだけで少し気が楽になるわね」
シズアが感嘆の声を漏らす。
ランタンを手にしたまま黒魔獣に遭遇するとランタンの扱いに困る。
持ったままだと片手の剣だけで戦うことになるし、地面に置くと、ランタンを倒さないようにと気にしなければならない。
だが、今は保護帽に取り付けられた魔法の灯りがある。
何も気にせず両手を使えるのが嬉しい。
そんな気持ちがシズアの心に少しのゆとりを齎してくれていた。
「それじゃ、シズ、右側の壁沿いに進んで行くよ」
「ええ」
アニスが右方向を選んだのは黒魔獣を避けるためなのだが、そんなことは口にせず、さも思い付きのようにシズアに持ち掛ける。
実際のところ、二人から一番近い表示板もそちらだし、そのことはシズアも分かっているから不自然に思われる要素も無い。
なので、最初の目標は簡単に決まった。
ただ、いくら黒魔獣が近くにいなくても、ダンジョンの中では何が起きるか分からない。そこは慎重を期して警戒を怠らずに進んで行く。
「あ、あそこ光が反射してる。表示板じゃないかな」
「そんな感じがするわね」
二人がそれと思しきところに近付いて確かめると、予想通り、文字が刻まれた金属板がダンジョンの壁に固定されていた。
高さは大体アニスの肩から腰くらい、幅はアニスが両腕を広げたのと同じくらい。
そこに文字が一文だけ刻まれている。
「『汝はいずれの神を崇める者か』だって。どゆことかな?十柱の神々から一柱の神を選べってこと?」
「これだけでは何とも分からないわね。すべての表示板を見てから考えない?」
「そだね。じゃあ、次に行こか」
「ええ、でも待って」
アニスを引き留めたシズアは、収納袋から雑巾を取り出して表示板を磨きにかかる。
元からそれほど汚れてはいなかったが、シズアが磨くことで、綺麗な光沢を放つようになった。
「これで良いわ」
腰に手を当て、仕上がり具合を見て満足そうに頷くシズア。
そして雑巾を収納袋に仕舞うと、アニスが手を出してきたので、その収納袋をアニスに渡す。
「アニー、持ってくれてありがとう。ともかくここはこれで綺麗になったわ。清掃当番としての仕事はきちんとしないとよね」
「シズは偉いよ」
ここには試練を受けに来たのであって掃除をしに来たのではないが、楽しそうなシズアを見るのは嬉しいので、これで良いのだ。
それから二人は右側の壁に沿って、二つ目の表示板を目指す。
ダンジョンの入口から一つ目の表示板までは十分程度歩いただろうか。
一つ目の表示板から二つ目まではその倍近くの距離があった。
それでも、二人は黒魔獣に出会うことはなく、無事に二つ目の表示板を見付けられた。
「『神に対峙する存在として、青と緑の邪神が現れた』か。どうやら十柱の神々だけの話ではないようね」
シズアが表示板を眺めながら考えを口にする。
「青と緑の邪神って、魔導国に降臨したって言われてる十柱とは違う高位の存在のことだよね?」
「そうだと思うわ」
「さっきの文とどう言う繋がりなんだろ?」
「さぁね。金属板はまだあと三つあるわ。次に行かない?」
「そだね」
そうは言いつつ、シズアはここでも丁寧に表示板を磨く。
磨き終えると、また同じくらいの距離を歩いて三つ目の表示板へ。
「『邪神もまた世界の人々に神と名乗る』か。つまり、十柱の神々か、邪神のどっちを崇めるかってこと?」
「見付けた三つだけから考えればそうなりそうに思うけど、他にもまだあるわよ」
「だよね。ここからどうなるんだろう?」
腕組みをして首を捻るアニス。
「楽しみにしていれば良いと思うわ。で、次だけど、ダンジョンの真ん中の方にある表示板に行かない?」
「えっ?あそこは二層の入口だから違うと思うよ」
「違っても何でも表示板があるなら磨きに行かないと。私達、清掃当番なのよ」
雑巾を手にしながら堂々とアニスに宣言するシズア。
「分かったよ。ここのを磨いたら真ん中の方に行こう」
シズアの希望なら従うしかない。
「あともう一つ気になっていることがあるのよね」
「何?」
「ここまで運よく黒魔獣に出会ってないけど、黒魔獣を狩って減らさないといけないと思うの。清掃当番の役目として」
「黒魔獣も狩るつもりなんだ。まあ、シズがやりたいなら止めないけど、まずは全部の表示板を回っちゃおうよ。その途中で黒魔獣を見付けるかも知れないし」
「そうね。それで良いわ」
取り敢えずは表示板巡りを続けるようにシズアを説得したアニス。
黒魔獣を狩るのは良いとしても、魔法が使えない漆黒ダンジョンの中でシズアに怪我をされては困ると考えていた。
勿論、黒魔獣と戦うとなってもシズアを前面に出したくはないのだが、魔法が使えない中で攻撃するとなると剣を使うしかない。
それが危険だからと戦いに参加させなければ、不満顔になるのは容易に想像がつく。
シズアの膨れっ面もアニスにとっては可愛いものであるにせよ、機嫌が悪くなって口を利いてくれなくなるのは大変困るのだ。
なので、シズアと共に戦うしかない。
アニスがシズアの安全に最大限の注意を払うのは当然としても、戦いの中で不測の事態が起きないとも限らず、負傷する可能性も捨てきれない。
それでも、表示板をすべて確かめた後でなら、漆黒ダンジョンから脱出する判断ができる。
だから、それまでは黒魔獣を避けながら進んでいくのだ。
そう考えたアニスの誘導で、二人はそれからも黒魔獣に出会うことなくダンジョン内を進む。
真ん中寄りの表示板に「この先第二層、試練の挑戦者は立ち入り禁止」と予想通りの内容が書かれているのを確かめた後、問題文が刻まれている表示板の三つ目から反時計回りの位置にある四つ目を経由して、入口に近い最後の五つ目の表示板に到達した。
「これが最後の表示板ね」
「そだね。えーと、『名もなき神は世界を作り、そこに世界を統べる神が生まれた』か。四つ目が『最初に名もなき神がいた』だったから、それに繋がるのかな?」
「そうだったとしたら、問題文はどうなると思う?」
「名もなき神が最初だって書いてあるんだから、そこから始めるしかないよね?だとすると、
『最初に名もなき神がいた。
名もなき神は世界を作り、そこに世界を統べる神が生まれた。
神に対峙する存在として、青と緑の邪神が現れた。
邪神もまた世界の人々に神と名乗る。
汝はいずれの神を崇める者か』
になると思うけど、合ってるのかな?」
アニスは首を傾げて、シズアに意見を求める。
「そうね。元々この試練で求められていたのは、5枚の金属板に書かれた文字を調べて、そこから質問文を作ることであって、それが正しいかどうかは求められていないような気がするのよね。それにアニー、名もなき神の話って聞いたことがある?」
「ううん、ない」
シズアの問いにアニスは首を横に振った。
「そうよね。神殿学校で教えられる話なら、ジークが話していたと思うし」
二人の兄のジークことジークリフは、兄妹の中でただ一人神殿学校に通っていた。
神殿学校に通っていた頃のジークリフは、基本的には神殿学校の寮で寝泊まりしていたが、偶に実家に帰って来ていたし、その時に神殿学校で教わったことも話してくれていた。
そうした話の中に名もなき神のことが含まれていた記憶が二人にはない。
「神殿学校だったら母さんも行ってたよね。けど、母さんからだって世界がどう出来たとか、十柱の神々がどう生まれたかなんて聞いたことが無いよ。人は神々の願いによって生まれたって話はあったけどね」
「ええ。だから、名もなき神のことは神殿が認めていない話のように思えるし、下手にその話をすれば異端扱いすらされかねないわ。だから、この試練の中だけのことにした方が良いと思うのよね」
「うん、そだね。私もそう思う」
アニスが真剣な表情で頷くのを見て、シズアは安心したように微笑んだ。
「さて、試練への挑戦者としての目標は達成できたところで、清掃当番としての役目を果たさないとね。これだけ歩き回って一度も出会わなかったってことは、このダンジョンの黒魔獣は相当数が少ないのだと思うけど」
「ねぇシズ、本当に黒魔獣と戦うの?このダンジョンの中では攻撃魔法も防御魔法も役に立たないし、怪我したって治癒魔法も使えないんだよ?」
「本当にそうなのかな?」
「どゆ意味?」
自分の言葉をシズアに反論され、驚くアニス。
「ここで治癒魔法が使えないのかどうかって話。体内の魔力で身体強化はできるって言ってたわよね。なら、私の体内の魔力を使ってアニーが魔法を使えば、私の身体を治癒できそうには思わない?」
「えっ、そんなこと考えたことも無かったけど、できちゃったりするのかな?」
確かに理屈の上では可能かも知れないと思いつつ、それができれば良いって話なんだっけと多少混乱気味のアニスだった。
神殿学校で教える歴史の話は、二人の母であるサマンサが通っていた頃と、ジークリフの頃とで、そう大して変化はしていないようです。
さて本章、四月にはみ出るのが数話とか書いていたような記憶があるのですが、まだ終わらないですね...。見込みが甘くて申し訳ないです。もうしばらくお付き合いください。