6-13. アニスは漆黒ダンジョンが消えるのを見たい
アニスはサラから言い聞かされていたことがあった。
漆黒ダンジョンと黒魔獣の対処は魔女の役目。
なので、それらに遭遇したら直ちに連絡を取るようにと。
アニスはその言い付けをきちんと守り、六日前、冒険者の救出に行く前に便所の中で隠れて遠話具を使って魔女仲間であるキョーカ達に一報を入れている。
その際、以後の連絡は不要と言われたため、シズアと行動を共にしながら魔女達の誰かが来るだろうと待っていた。
そしてやってきたのがサラ。
アニスを魔女の仲間に引き入れた魔女達の長。
「普通の格好なんだ」
サラはウェーブの掛かった栗色のミディアムの髪を頭の両脇でまとめ、ツインテールにしていた。
服装は冒険者のそれで童顔かつ肌もつやつやすべすべなことから、一見すると年若い女性の冒険者にしか見えない。
「ん?いけなかったか?」
サラがこてんと首を傾げてみせた。
普通に可愛い仕草である。
シズアの可愛さには到底及ばないものの、世間一般で見れば十分に「可愛い」領域に入っている。
だからこそ、アニスの魔具職人としての師匠であるゼペックも「ツインテールのロリ婆」と呼んでいたのだ。
そう、外見ではそうとは見えないが、その渾名の通り、実際には相当の年齢の筈だ。もっともサラに尋ねても、いつも躱されてしまうので、本当の歳は知らない。
それに、今はそのことを話題にしたい訳でもない。
「漆黒ダンジョンを消すのは魔女の仕事なんだよね?その時は、魔女としての正装をしても良いんじゃないかなと思って。それとも魔女の正装って無いの?」
「いや、無い訳でもないが、着る機会は殆ど無いな。そもそも正装は他人に見せつけるためのものであって、こんなコソコソした仕事をする時に着用しても意味なかろうて。別に部屋着のままでも、いや、いっそ下着姿でも構わないくらいよな?」
確かに誰が見ている訳でもないので、服装など気にしても仕方が無いと言われればその通りではある。
しかし、魔女であることを少しは誇りに感じられる機会があっても良いのではとアニスは思うのだ。
どうも昔に何かあったらしいのだが、その頃を知らないアニスにとっては世間の裏方に徹するような現在の魔女の在り方に不満とまでは言わずとも寂しい気がしている。
まあ、そうした状況を受け入れたとしても、下着姿のままは無いのでは。
とは言え、気になることもある。
「ねぇ。サラって、今どんな下着を着てるの?」
「は?なぜ真顔で聞いて来るのだ。ここで教える必要があるのか?」
「だって、下着姿でも構わないって言ってたのはサラだよね?いっそのこと、今ここで下着姿になっちゃうとか」
「だからなぜ真顔?おい、分かっているのか?さっきのは言葉の綾だ、言葉の綾。それを真面目に受け取って掘り下げるでないわ」
両腕で胸の辺りを隠し、アニスから遠ざかろうとする様子をみせるサラ。
そんなつもりではなかったのだが、怯えさせてしまったらしい。
「そんなこと言うんだったら、正装じゃなくて下着で十分とか言わないでよ」
「あー、まぁ、そうだな。我も極端なことを言い過ぎたわ」
アニスの苦言で誤解が解けたか、サラは両腕を胸から降ろした。
「で、どうやって漆黒ダンジョンを消すの?」
随分と寄り道をしまったが、ともかくも本題に戻る。
「それなんだが、まず、消す前にやるべきことがあるぞ」
「何?」
「漆黒ダンジョンの内部の確認だ」
そう言うと、サラは向きを変えて漆黒ダンジョンの方へと歩いていく。
「私も入って良い?」
「あぁ、我から離れるなよ」
アニスは毛布を取り出し、シズアをその上にそっと寝かしつけると、立ち上がってサラの後を追い掛けようとする。
と、サラが入口のところで立ち止まった。
「何だこれは?」
岩の隙間から覗いている白い紙に気が付いたらしい。
サラはその紙を破らないようにそっと引き抜いた。
「あ、それ、シズが書いてた奴。漆黒ダンジョンを消している人と文通したいって言ってたけど」
「ふーん、そうなのか」
サラは折り畳まれていた紙を広げ、書かれた内容に目を通した。
「なあ、シズアはこれについて何か言っていたか?」
顔を上げたサラがアニスを見る。
「えーと、悪女には悪女のルールがあって、自分と同じルールに従う悪女と話がしたい、だったかな。だから暗号にしたとか。サラにはそれが読めるの?」
「そうだな。どうやら我はあ奴と同種の悪女らしい。ともあれ、これについては何れ我が直接話をするつもりだ。お主は知らない振りをしておいてくれるか?」
「今のサラの言葉を伝えるだけでもシズは喜びそうなんだけど、良いよ。黙ってる」
「悪いな。では、行くぞ」
サラは紙を再び折り畳み、腰の収納ポーチに収めると、漆黒ダンジョンへと入っていった。
アニスがそれに続く。
話には聞いていた通り、漆黒ダンジョンの中は真っ暗だ。
しかし、魔女の力の眼で周囲の様子は分かるので困りはしない。
そうだ。漆黒ダンジョンについて、もう一つ聞いていたことがあった。
「ライト」
周囲を照らす初級の光魔法を発動させようとする
だが、光の珠は生まれない。
「やっぱり、漆黒ダンジョンの中では魔法が使えないんだね」
「あぁ、黒魔獣と同じように魔法を打ち消す力が働いているのだ。だが、知っているか?自然の魔力での魔法は使えんが、魔女の力を変換した魔力ならば魔法は発動するぞ」
「そなの?」
早速アニスは試してみる。
自分の中の魔女の力から魔力を作り、それを元に魔法の紋様を描くと。
「ライト」
そうしたいと思った通りに光の珠が発現し、周囲を照らす。
「本当だ」
「分かったか?実を言えば、同じことをして発動させた魔法なら、黒魔獣にも通用するぞ。だが、それをした瞬間に魔女であることがバレるがな」
「知らなかった」
最近は魔術眼で魔力を集められるので魔女の力で魔力を補充することはしなくなっていたものの、一歩間違えれば魔女であると知られてしまう危険性があったとは考えていなかった。
どこに落とし穴が開いているのか分かったものではない。
「さて、用は済んだし、外に出るとするか」
「あれ?中を調べるって言ってたよね?」
踵を返して出て行こうとするサラの背中にアニスが声を掛けると、サラが振り返った。
「もう調べ終わったぞ。問題はない」
「何を調べたの?」
「冒険者が間違って迷い込んでいたりしないかどうかと、他の魔女が調査に入っているかどうかだが、どちらもいないようだからな」
「そんなに直ぐに分かっちゃうんだ」
「一人前になればお主もできるだろうさ。外に出て、さっさとこいつを消すぞ」
「はーい」
折角漆黒ダンジョンの中でも魔法が使えることが分かったので、盛大な奴を一発放ってみたいところであったが、仕方が無い。
いや、一度くらい試してみるか。
アニスはダンジョンの奥に狙いを定め、魔法の紋様を描く。
「ヘルフレイム・フルバースト!」
大きな灼熱の炎が生まれ、奥の方へと飛んで行った。そこで何かにぶつかったか、ゴオッと大きな音が聞こえてきた。
それと共に空気の流れが生じる。その流れは段々と強くなり、身体ごと奥の方へと吸い寄せられそうになってしまう。
そんな時、アニスは地面に押し倒され、すぐ横で声がした。
「アースウォール」
ダンジョンの奥の側の土が盛り上がって壁になり、空気の流れが止まる。
「おいコラ、アニス。お主何を考えておるのだ。こんな狭いところであんな盛大に火を燃やせば、空気が薄くなって風が起きると想像できんのか?」
「ごめん、サラ。分かってなかった。もう覚えたから許して」
想定外の事態を引き起こしてしまい、アニスは大いに反省する。
「まったくしょうもない奴だな」
先に立ち上がっていたサラは、ぶつぶつ言いながらもアニスの手を取って起き上がらせてくれた。
サラのそうしたところは、優しいというか、寛容で面倒見が良いと思うのだ。
「そう言えばさぁ」
「何だ?」
気を取り直し、サラと共に漆黒ダンジョンの外に足を踏み出しながらアニスが問う。
「黒魔獣って最初に倒した十四体の他に見付けられていないんだけど、もういないってことで良いのかな?」
「ああ、そのことか。お主らが黒魔獣を倒して街に戻った後、あの双子にこの辺り一帯を探させたからな。まあ、あ奴らとて一人前の魔女だ。二人掛かりで探し漏らすことは考え難い。あ奴らが狩ったもので全部だろう」
「そか、キョーカ達が狩ってくれてたんだ。今度お礼言っておかないとだね」
「そうしてやってくれ」
そうして、サラとアニスは再び漆黒ダンジョンの入口を前にして立った。
サラが右手を挙げ、その掌の内側に円形の紋様を描く。すると、その手の中に一本の杖が現れた。
杖の先端には羽のような飾りが付いており、その飾りの根元に透明な石が嵌まっているのが見える。魔石に似ているが、魔石では無さそうだ。
「その杖は?」
「我らは時空修復の杖と呼んでいる。魔女の使う魔道具の一つだ」
「それで漆黒ダンジョンを消すの?」
「そうだ。見ているが良い」
サラが杖に魔女の力を注ぐと、杖の先端から別の力が放出されていく。その力が漆黒ダンジョンの入口の周囲に当たると、入口が少しだけ小さくなった。
ふむ、これを続ければ漆黒ダンジョンの入口が消えるのだろう。
しかし、とアニスは思った。
「サラ、少しだけその杖を見せて貰えないかな?」
「別に構わんが。ただし、気を付けろよ。こいつは魔女の力を沢山引き抜こうとするから、お主が使うと身体が焼けるぞ」
警告しながらも、サラはアニスに杖を渡してくれた。
アニスは杖の先端部を顔の前に持って来て、良く観察する。
付与魔法と同じようにできるだろうかと、試しに弱く魔女の力を透明な石にぶつけてみた。
すると、透明な丸い紋様が姿を現す。いや、杖の先端の側から中をよく見ると、その下にもう一つ透明な石があり、そちらからも丸い紋様が現れている。奥の方の紋様の方が魔女の力を多く吸い取ろうとしているように感じる。
つまり、奥の紋様で魔女の力を集めて、先端の紋様で漆黒ダンジョンを消す力を出しているのだろう。
ならばとアニスは自分の右手の掌の先に、先端に現れていたのと同じ丸い紋様を描いて魔女の力を注いでみる。
予想通り、その紋様から漆黒ダンジョンを消す力が放出されているのが分かった。きちんと、力を放出する方向も制御できる。
そのまま右手を漆黒ダンジョンの入口の周囲に当てると、入口が少し小さくなった。
「アニス、何をしてる?」
ん?今のが見えてなかった?
もしかして、サラには漆黒ダンジョンを消す力が見えていない?
だからその向きを制御できず、杖から放出された力が四方八方に広がっていたのかも知れない。
しかし、サラは一人前の魔女で、自分は見習いだ。見習いの魔女には見えていて、一人前の魔女に見えないなんてことがあるのだろうか。
ふむ、謎だ。
ともかくそれはそれとして、自分がこの杖を使えばサラより効率よくやれそうな気がしないでもない、が。
「ううん、何でもない。これ返すね」
アニスはサラに杖を戻す。
先程余計なことをして迷惑を掛けたばかりだ。
危険だと注意を受けていたのに、それを無視して怪我をするような羽目になったら愚かに過ぎる。
今回は大人しくサラの作業を見物していようと考えたアニスだった。
アニスはまだ未成年ですからね、失敗することも勿論あるのです。