6-12. アニスとシズアは夜中の番をする
夜、月明かりに照らされた森の中で、アニスとシズアはダントンと焚火を囲んでいた。
他の冒険者達は見張りの交代のため、今はそれぞれのテントの中で休んでいる。
直ぐ先には、漆黒ダンジョンの入口のある小さな崖が見えていた。
そこから湧いてきたと思われる黒魔獣の群れがこの森に現れたのは六日前のこと。
その群れは、その日のうちにアニス達が討伐した。
だが、アニスとシズアが冒険者達を救出してドワランデの近くまで来た時には日が傾いており、漆黒ダンジョン探しは翌日に持ち越しとなる。
そして翌朝から大掛かりな漆黒ダンジョン探し。
ドワランデにこれだけの数の冒険者がいたのかと思うくらい人数が集まり、一斉に捜索を開始した。その中には前日に救出した冒険者達も混じっていた。勿論、アニス達も。
その結果、漆黒ダンジョンは見付かった。
正確には大掛かりな捜索が功を奏したのではなく、アニスの機転のお蔭だ。
昼の休憩の後、前日黒魔獣と遭遇した地点からグレイウルフのアッシュに黒魔獣の匂いを辿らせれば良いのではないかとアニスが提案し、早々に実行に移された。
そうして漆黒ダンジョンが発見される。
捜索隊が一度通った場所だったが見落としたらしい。
傾斜のある土地で、一部凹んで見えるところに小さな崖があり、その崖の一部に漆黒ダンジョンの入口があったのだ。
目的のものが見付かったことから捜索隊は解散したが、一部の冒険者達に対し漆黒ダンジョンの入口の見張りの依頼が出た。
アニス達は他の冒険者達と共同でその依頼を受け、ダンジョンの入口の前で野営を始めた。
それが五日前のことで、見張りの仕事は六日目に入っている。
そして今の時間はアニスとシズアの見張りの担当であり、冒険者ギルドのギルマスであるダントンが二人に付き合っている形だ。
「ねぇダントン、本当に後二日の間に漆黒ダンジョンは消えちゃうの?」
「あぁ。もう五日経ったからな。俺の知る限り、一週間を越えて残っていたことはないんだ」
ダントンは尋ねて来たアニスの目を見て話す。
「だからと言って、今回も同じである保証も無いがな。それで、お前達は漆黒ダンジョンが消えるまでここにいるつもりなんだよな?試練の道を進まなくて良いのか?」
「シズが待ちたいって言うからさ」
アニスが隣に目を向けると、シズアが頷いた。
「えぇ、漆黒ダンジョンが消えるところを見てみたいの。ダントンだって見たことは無いのよね?」
「ない。いつも目が覚めた時には消えていたんだ」
「それって不思議よね?必ず寝ている間に消えるなんて」
疑問をぶつけられたダントンは眉を落として苦笑する。
「俺達だって同じことを考えたさ。それで頑張って起きていようとした奴もいたし、漆黒ダンジョンの中に入って待ち構えていた奴もいた。だが、どれも結果は同じだった。気が付くと朝、地面の上で寝っ転がっているのさ」
ダントンは両手を広げ、首を竦めてみせる。処置無しと言った体だ。
「漆黒ダンジョンの中にいた?運び出されたってことよね?」
「ああ、そうなる。それがどんな存在なのか分からないが、俺達が眠っている間に漆黒ダンジョンを消している奴がいる。でもそいつは、漆黒ダンジョンを消しているところは見られたくないんだろうな」
「或いは、自分のことを知られたくないのかもね」
「そうだな。騒ぎ立てられたくないのかも知れないな」
ダントンは腕を組み、口のへの字にする。
「人の知らないところで漆黒ダンジョンを消して回る。そうやって陰で暗躍するのって悪女的で良いわね」
アニスが見ると、シズアは胸の前で両手を組んで目をうるうるさせていた。
何かツボに嵌まるものがあったらしいが、今一つ理解できない。
と、そこでダントンが顔を上げた。
「どうして悪女的だと良いんだ?って、女?あれ、俺、あいつらが女だって言ったっけか?」
「言ってないわ。でも、女の人達なのね」
にんまりと笑みを零すシズア。
対するダントンは頭を抱える。
「すまない。今のは聞かなかったことにしてくれ」
「そうね、聞かなかったことにしても良いわ。ただし、幾つか質問させて欲しいかな」
あ、何か今のシズアは少し小悪魔っぽい。
ダントンには災難だろうけど、とアニスは思った。
「答えられることなら答えてやっても良いが、あいつらのことは殆ど知らないんだ」
「会ったことは無いの?」
シズアの問いに、首を横に振るダントン。
「生まれてこの方、一度もな」
「だったら、その人達にはどうやって漆黒ダンジョンが現れたことを伝えているの?」
「冒険者ギルドの連絡網に漆黒ダンジョン現れたことを流すんだ。そうすれば、一週間以内にあいつらが漆黒ダンジョンを消してくれることになっている。俺達が今こうしているのは、漆黒ダンジョンを消して貰うまでの間に、漆黒ダンジョンから黒魔獣が出てこないように見張ることと、誰も漆黒ダンジョンに入らないようにすることだ。どうやって消しているのかを知らないのは、さっき話した通りさ」
何かが吹っ切れたように、聞かれていないことまで口にする。
「冒険者ギルドの連絡網を使っているってことは、どこかの冒険者ギルドがその人達と繋がっていると言うことよね」
「そうだろうな。けど、俺はどこか知らないぞ」
「えぇ。そちらを調べるのは難しいでしょうね。必ずしもギルマスが繋がっているとも限らないし」
そしてダントンに向けてにっこり微笑む。
「教えてくれてありがとう、ダントン。でも、ギルマスなんだから、口を滑らさないようにした方が良いと思うわ」
「あぁ、面目もない」
頭を掻きながら苦笑いしているダントンは、大いに反省しているようではあるものの、この先再び同じことを繰り返さないかどうかは不安が残るなとアニスもシズアも思うのだった。
だがまあ、それはそれ。
嫌な空気を壊したいと、アニスが話題を変える。
「ねぇ、ダントン。ダントンはギルマスなのに、一週間もここにいちゃって良いの?」
「漆黒ダンジョンは重要案件だからな。自分の目で見て判断したかったんだ」
「でも、ギルドの仕事もあるんだよね?」
アニスがダントンを見る。
ダントンは目を逸らす。
「そっちはケイトが上手いことやってくれているだろうさ」
「え。だったら、ケイトがギルマスでも良さそうな気がするけど」
「おい、お前までそんなこと言うのかよ」
肩を落とし涙目になるダントンを見て、アニスは自分が何やら間違いを犯したことに気付いた。
「ごめん。冗談のつもりだったんだけど、言い過ぎだった」
「い、いや、良いんだ。ここのところ、俺も気弱になっていたからな」
落ち込んでいるダントンに、こんなつもりではなかったのだけどとアニスは困惑する。
しばらく黙っていた方が良いのかなと思いながら隣を見ると、シズアが下敷きの上に置いた紙に、ペンを滑らせていた。
「シズ、何を書いてるの?絵?」
文章を書いているのかと思いながら紙を覗き込んでみたのだが、書かれているのは文字には見えない。
「そうね。これは暗号よ」
「暗号?シズ、『暗号』って何?」
「それが分かる当事者の間でだけ通じる通信文、かな?」
書いていた手を休め、言葉を選びながらアニスに答えるシズア。
「当事者の間って、シズと誰かの間ってこと?」
「そうなるわね」
「えっ、でも、私には読めないからシズと私じゃないよね。だったら誰?」
相手が気になって仕方が無い様子のアニスに、シズアは安心させるように微笑んでみせる。
「これは漆黒ダンジョンを消していると言う女の人に宛てた物よ。本当なら直接話したいのだけど、ダントンの話の通りだと眠ってしまうと思うから、文通ならどうかなって。ダントン達は文通を試したことはあるの?」
「いや、俺の知る限りでは、ないな」
「だったら有効かも知れないわよね?」
ダントンから自分に戻って来たシズアの視線に、静かな圧力を感じるアニス。
別に自分は「やるな」と言ってはいないのだけどなと思いつつ、疑問を口に出した。
「どうして暗号にしたの?文通したいんなら、普通に文字を書けば良さそうだけど?」
「悪女には悪女のルールがあるのよ。私は私と同じルールに従う悪女な人達と話がしたいだけ」
「ふーん」
相変わらずシズアのどこが悪女なのか良く分からず、誤魔化された気がしなくもない。
そんなアニスを横目に、シズアは再びペンを握った。
少しして暗号文を完成させたシズアは紙を折り畳み、そして立ち上がると、漆黒ダンジョンの入口まで歩いていって、入口の脇の岩の隙間にその紙を挟み込んだ。
「これで何か反応があると嬉しいのだけれど」
焚火のところに戻りながらそう口にしたシズアに、アニスは問い掛ける。
「隠れてコソコソやってる人が、シズの手紙に返事を書いてくれるのかなぁ?」
「書いて貰えなければ、私の見込み違いだったってことね」
「そんなもの?」
怪訝そうなアニスの目線を気にする素振りも見せずに、シズアはアニスの隣に座り直した。
「それっくらいで考えておかないとってこと。それにしても、眠くなって来たわね」
シズアは大きな欠伸をすると、アニスに寄り掛かる。
前を見ると、ダントンも座ったまま船を漕いでいた。
少しして、シズアからも寝息が聞こえ始める。
その原因が何かは、悩む必要もない。
「来たんだ」
振り向きもせずにアニスが言う。
自分の背後に人物がいると、魔女の力の眼が教えてくれていた。
「お主らを、あまり待たせるのも悪いと思ったからな」
声の主は、歩きながら焚火の光の当たるところへと入ってくる。
「それじゃ、これから漆黒ダンジョンを消すんだね」
「あぁ、そうだ」
アニスの視線を受けたサラが微笑んだ。
ダントンもうっかりさんですね。シズアは別にダントンに鎌を掛けた訳でも何でもなかったのです。
ところでシズアが「暗号」の言葉をどうして知っているのか気になったかも知れませんが、それはアーサー・ミーツの話の中に出てきたからです。探偵小説なら暗号のことが出て来てもおかしくないですよね。