5a-30. 間話・ダリアは実家に顔を出す
「帰って来ちゃったわね」
旅商人のダリアは、幌場所の中からバルナムの街並みを眺めていた、
実家を飛び出して以降、パルナムには近寄ることはなかったのだが、商売のためだ、仕方がない。これまで、ザイナッハから王都に、更に東の公都まで足を延ばしもした。その先、共和国に行くことも考えたが、流石にパルナムの方が先だと思い直し、共和国との国境となっている山脈の北側を旅してきた。
ダリア達の馬車は北東の門からパルナムに入った。実家は東地区の南側だから、そう遠くはない。
「久し振りですが、ここの景色はそんなに変わっていませんね」
旅の同行者の一人、商人見習いの犬人族のケビンが感想を漏らす。
「建物だけ見ればね。でも、入れ替わっている店が幾つもあるわ。あの靴屋の隣は服屋だったのに雑貨屋になっているし、あそこの喫茶店のあるところは、食堂だったし他にもあるわ」
「言われてみれば、そうですね。それだけ時間が経ってしまったということですか」
「そういうことね。まだ四年にもならないのに」
二人が年月の経過に思いを馳せているところに、馬車の前方から声が掛かる。
「なぁダリア。このまま真っ直ぐ商会に行くので良いのか?宿はどうする?」
御者台で手綱を取っている用心棒で冒険者でもある人狼族のジャコブだ。
ジャコブの隣には娘のカーラ。だが、カーラは黙って周囲の景色に目を向けていた。
「まだ時間が早いし、実家に行ってみてから考えるわ」
「分かった」
ジャコブは、北の大通りから南に下る道へと馬車を乗り入れる。
このまま中央の大通りを越えればダリアの実家の商会は直ぐだ。
実家の皆は、どんな顔をするだろうか。
驚かれるかもしれないが、門前払いされることはない筈だ。
ただ確信があるわけでもなく、心の中では緊張感が高まっていた。
そんなダリアの思いを乗せた馬車は、何事もなく数分後には店の前に到着する。
「着いたぞ」
そうジャコブが伝えるより早く、ダリアは馬車から降り、眼の前にある店の看板を見上げていた。
「ブランダル商会」
出て行った時と変わらぬままの看板がそこにある。
確かにあの女は商会を守ると言っていたし、旅の途中でも商会の噂は耳にしていたので無くなったとは考えていなかったものの、こうして再び看板を見ると懐かしさだけでなく嬉しさも込み上げてくる。
「え?ダリア嬢さん?」
店から出てきた男性は見知った顔だった。
「あら、ライオット?久し振りね」
「ダリア嬢さん、漸く帰ってらしたんですね。いやぁ、無事でなによりです」
「あ、いえ、ライオット。別に帰って来たわけじゃないから」
腕で涙をぬぐうライオットに、あたふたと訂正を入れるダリア。
「え?違うんですか?それじゃあ、何故ここに?」
「取引の相談にね。パルナムで商売するのに、流石にここに知らん振りしてとは考えられなかったから」
と、そこでダリアは両手を腰の前で握り、もじもじし出す。
「ねぇ、あ、あの女はいるかしら」
「ダリア嬢さん、まだそんな言い方をするので?会長なら中にいますよ。ケビンにジャコブ、カーラも久し振りだな、そこに突っ立ってないで一緒に中へ入れ。ビリー、馬車を裏に回しておいてくれるか?」
一緒に出てきた少年に馬車のことを任せると、ライアットはダリア達を店の中へと促した。
「会長、嬢さんが帰ってきましたよ」
店の奥に向けてライアットは声を張り上げる。
すると、奥から若い女性が出てきた。
商会長のパネラだ。まだ三十代の前半だが、先代となる亡き夫の後を継いで、もう何年も経つ。
「あら、ダリア、よく帰ってきたわね」
「いや、だから帰ってきたんじゃないんだけど」
ダリアはライアットにしたのを同じ言い訳をする。
「まあ、商売のためでも良いけれど。それで、どんな話を持ってきたの?」
流石に商会の会長だけあって、パネラは切り替えが速かった。
「それが、算盤って言う計算のための道具なんだけど」
ダリアが算盤を収納ポーチから出すと、パネラは目を丸くしてそれを見た。
「あら、貴女もそれに目に付けたのね。流石はあの人の娘ということかしら」
パネラが夫を引き合いに出して感心したことに嬉しくなる気持ちと、この女に評価されてもという撚た反発心とが入り混じるが、耳にした言葉にはそれ以上に気になる言い回しがあった。
「私も?私以外にこれを持ってきた人がいるの?」
アニス達の叔父モーリスが経営するエバンス商会も幾つか支店があるが、基本的に王国の北部中心で、パルナムは勢力圏外の筈だ。
他に考えられるとすると旅商人だが、態々ザイアスまで行ってあの姉妹と交渉した上にこの時期にパルナムまで来るとなると、途中、相当急いで移動したことになる。
「えぇ、いるわ。そろそろ来ると思うけど」
「そうなの?」
それが誰なのかと邪推するよりも、会って話ができるなら話が早い。
と、店の入口の方から声が聞こえてきた。
「こんにちは、コッペル姉妹商会なのにゃ」
「お邪魔するのです」
二人の女性が入ってきた。
よく似た二人だが、一人は猫耳を付けている。
「貴女達がコッペル姉妹商会?確かに姉妹に見えるけど、コッペル姉妹商会をやっているのはアニスとシズアでしょう?」
ダリアは強い勢いで二人に迫るが、二人は軽く受け流す。
「もしかして、貴女はアニス達を知っているのですね?私達はその二人に雇われているのです。私はスイ、こちらの猫耳を付けているのがーー」
「姉のキョーカにゃ。二人でコッペル姉妹商会のパルナム支店を任されているにゃ」
スイの言葉を引き継ぎ、キョーカが胸を張って名乗りを上げる。
「パルナム支店?え?あの二人はここに来たの?」
「はい、三日前までこの街にいたのです」
そうか、あの二人も旅する話をしていたような。パルナムに来ていたのか。
「それで貴女達はあの二人に雇われて算盤の営業をしているのね」
「ワシらは営業ではないにゃ。ワシらは傘下の商会に卸しているだけなのに、話を聞きつけたパネラが直接取り引きしたいと言ってきたにゃ」
キョーカの説明に、新たな引っ掛かりを覚えるダリア。
「傘下の商会?」
「ミトハーン商会のことなのです。コッペル姉妹商会は、ミトハーン商会を傘下に加えたのです」
「え?ミトハーン商会って貧民街にある大商会よね。あの地区を牛耳るコーモン一家の息が掛かった。一体どうやったら傘下にできるのよ」
「コーモン一家も傘下にしたにゃ。って、それ、自慢になるのかにゃ?」
「さぁなのです。彼らの貧民街の外での評判は良くないのです」
互いに首を傾げ合うキョーカとスイの二人。
が、二人の疑問はダリアにはどうでも良い話に聞こえた。
「何をどうすればコーモン一家が傘下になるのよ」
そっちの話こそ聞きたいところだ。
「ダリア、問題はそれだけではないわ。コッペル姉妹商会には公爵様が後見に付いたのよ。それが一ヶ月くらい前のことだけど、パルナムの商人にとって無視できない存在になったのは確かね」
「はぁ」
パネラの補足に相槌を打つのがやっとだった。
最早それ以上何を聞こうが、驚く気力も湧いてこない。
だが、何も知らないまま放置しておきたくない気持ちがむくむくと頭をもたげてきた。
「私、一度二人と話がしてみたい。二人は今どこなの?」
「火の山に向かっている途中にゃ」
「あの二人は移動が早いですけど、貴女には何か早く移動する方法はあるのです?闇雲に追い掛けても追いつかないと思うのです」
「うっ」
言われてみればその通りだ。
あの魔動二輪車を移動に使っているのなら、幌馬車では到底追いつけないし、ダリアには他に移動手段がない。
いや、一人だけならワイバーン便で運んで貰う手もないではないが、そこまでしたものかは悩ましい。
どうしたものかと悩むダリアにキョーカが声を掛ける。
「ワシらがアニスらに連絡を取ってみるにゃ。それからどうするか考えれば良いにゃ」
「そうね。お願いしても?」
公爵の後見まで得ているのだ。遠写具か何かの連絡手段は持っていてもおかしくはない。
それなら数日内には連絡がつくだろうし、当てもなく突き進むより結果的に早く二人に会えそうに思える。
だが、そうだとしてもダリアは旅商人だ。ただ連絡の結果を待ち、二人を追い掛けるためだけに時間を費やしたくはない。
そして、暫く離れていて勝手の分からなくなった街で、意地を張って使える物を使わないで済ませようとするほど子供でもなくなった。
「ねぇパネラ」
ダリアは初めて相手を名前で呼んだ。
「何?」
パネラはそんなダリアの変化に気付いていたが、顔には出さずに自然に応じる。
「出発まで時間がなさそうなんだけど、仕入れの相談に乗ってもらえないかな?」
「えぇ、喜んで」
「よ、よろしく」
ダリアはおずおずとパネラに向けて、右手を差し出した。
ダリアも少し大人になったようです。
ところで、間話と言ってダリアが出てくると予想されていたかは分かりませんが、3-1.でダリアの実家がパルナムにあることは言及されておりましたです。
さて、5A章はこれで終わりです。読んでいただきありがとうございました。
漸く6章、火の山に向かえます。