5a-29. アニスとシズアは南の公都を後にする
「シズ、忘れ物はない?」
「えぇ、アニー、大丈夫。アニーこそ、机の引き出しとかに道具か何かを入れっぱなしにしてない?」
「うん、大丈夫だと思うけど、もう一回見てみる」
アニスは机の引き出しをすべて開けて何も入っていないことを確認した。ついでにクローゼットやタンスの中も順番に見ていく。
「ベッドの下にもないよね?」
念のためにと床上で四つん這いになり、二つのベッドの下も覗き込んだ。
「何かあった?」
「ううん、何も無い」
シズアの問い掛けに首を振ると、アニスは立ち上がり収納サックを背負う。
「じゃあ、シズ、行こうか」
「うん」
アニスとシズアは廊下に出て、扉越しに部屋の中を眺める。
結局、この部屋には一か月もお世話になった。
パルナムに来た時には、こんなに長く滞在するとは思っておらず、夜寝泊まりするところくらいの感覚でしかなかったが、日が経つにつれ、自分達の家のように思えてきていた。
なので、いざ宿を出るとなると寂しい気がしてくる。
ただ、そんなことを言っても、これ以上パルナムに留まってもいられないのだ。
アニスもシズアも部屋に別れを告げると、廊下を歩き、階段を降りて一階の受付に向かう。
「アニスにシズア、おはようなのにゃ」
「おはようございますなのです」
食堂のテーブルに座っていたキョーカとスイが声を掛けてきた。
宿の受付と食堂は繋がっている。なので、受付に来たアニス達は食堂からも良く見えている。
「おはようございます」
「二人共おはよう。チェックアウトするから、ちょっと待ってね」
「あぁ」
受付の横にあるハンドベルをアニスが持って鳴らすと、看板娘のリーナが出てきた。
「あ、おはようございます。ご出発ですか?」
「うん、そう。これまでありがとう。色々お世話になったね」
アニスは部屋の鍵を受付カウンターの上に置きながら言葉を掛ける。
「いえ、長く泊まってくれてありがとうございました。今度またパルナムに来た時には、ここを使ってくださいね」
「そだね。その時はまたよろしく」
「リーナ、またね」
片手を挙げて、別れの挨拶をすると、食堂のキョーカ達の元へ。
「連絡ならいつでも取れるのに、わざわざ見送りに来てくれたんだね」
「こうして面と向かって話すことは暫く無いだろうからにゃ。火の山の後も、こっちには戻らないよにゃ。神殿の式典が終わり次第出発すると言ってたから来てみたにゃ」
「まあ、確かに暫く会えないかなぁ」
火の山に行った後は、公爵から預かった書簡をザイアスのアルバートのところへ持っていかねばならない。それにティファーニアとの約束があるから、王都にも行くことになるだろう。パルナムに来るとなると、それらがすべて終わってからだ。
「この一か月は楽しかったのです。二人がいなくなると寂しいのです」
「私も。でもまた来るから。スイには色々頼んでしまったけど、お願いね」
「はい、スイにお任せなのです」
キョーカとスイを自分達の商会にいれようと言い出したのはシズアだった。
その大きな理由はスイの計算力だ。
シズアが試しにとスイに算盤の使い方を教えたところ、直ぐに使えるようになったことにアニスは驚いていたが、シズアにとっては予想通りだった。
何しろ算盤を教える前からスイは計算が速かったのだが、計算をする際、右手の指を動かす癖があることにシズアは気付いていた。なので、算盤に類する物を使ったことがあるのではないかと推察されたが、シズアはそれについて尋ねたりはしていない。
ともあれ、コーモン一家を傘下に入れるにあたり、信頼できる人物に財務を任せたかったし、スイは適任だった。
キョーカも日頃はおちゃらけた態度を取っているものの、押さえるべきところはキチンと分かっている。
だからアニスもシズアの提案に一も二もなく賛成したのだ。
「ねぇシズ、そろそろ行こっか?」
頃合いと見たアニスが、シズアに声を掛ける。
「そうね、行きましょう」
「ワシらも門まで一緒に行くにゃ」
四人は宿を出て、街中を歩き始めた。
北の大通りを真っ直ぐ西に。向かうは、北西の門。
火の山に向かう道が、そこから北の方へと延びている。
「そう言えば、キョーカ達のこと昨日神殿で見掛けなかったけど?」
「ワシらは行ってないにゃ。神殿と貴族にはできるだけ関わりたくないにゃ」
「あれ?でも、神殿の掃除は手伝ってくれてたよね?」
コーモン一家と神殿の清掃に行った時、キョーカ達も一緒だったことをアニスは覚えている。
「あの時はただの掃除だったからにゃ。神に祈りを捧げるとか、そういう行事でなければ問題ないにゃ」
「あぁ、そういうこと」
キョーカの言いたいことは何となく察せられた。関わりたくないのは神殿と言うより神なのだろう。ただ、神と何らかの因縁があったなどの話は聞いたことがない。
シズアの手前、今ここで尋ねるわけにもいかず、今度サラにでも聞いてみるかと思うにとどめる。
「だったら、コナーのところに行くのは問題ないんだ」
「そうにゃ」
コナーとは、貧民街の支援組織ネクティ・ハーペルの代表、コナー・ボブスレーのことだ。
彼らは放棄された神殿の部屋を活動拠点として使っていた。
神殿の復活にあたり、ネクティ・ハーペルの活動拠点をどうするかが一つの課題となったが、弱者の救済は神の教えにも通じるところがあると、結局、神殿の一部の部屋を使わせて貰えることになった。
使える部屋数は減ってしまったものの、それでも十分だとコナーは喜んでいた。
「そう言えば、キョーカ達はお給料をコナー達への寄付に回したいって言ってたけど、本当にそれで良かったの?」
キョーカとアニスの会話を聞いていたシズアが話に割り込んだ。
「別にワシらは金には困っていないからにゃ。情報屋としての収入だけでも十分にゃ」
「泥棒を止めさせたので、コナー達の資金が不足して困るのです。だから、スイ達はコナー達にお金を回すのです」
泥場騒ぎが大きくなってきているので、ここらが潮時だとキョーカ達は判断したそうだ。
アニスはその話をキョーカ達から聞いているが、シズアには泥棒はキョーカ達とは別の人達だと伝えていたので、スイはそれに合わせて話をしている。
「本当は寄付が要らなくなると良いのだけど」
「その気持ちは分かるが、シズ、世の中なかなか直ぐには変わらんものだにゃ。時間は掛かるかもしらんが、コーモン一家を通じて仕事を回していけば、いずれ寄付も不要になると信じるにゃ」
「えぇ、そうね、キョーカ。そう考えることにする」
シズアはキョーカを見、そして微笑んだ。
どこかキョーカには達観したところがある。普段の態度は、そうした心情を隠すためのものかも知れないとシズアは思う。
何にしても、自分のしたことが少しでも貧民街の役に立てば嬉しい。
そんな話をしているうちに、四人は北西の門の近くまで来た。
と、そこでキョーカが立ち止まる。
「ん?キョーカ、どした?」
キョトンとした顔でアニスはキョーカを見るが、キョーカの方は顔を顰めていた。
「アニスにシズア。悪いがワシらはここでサヨナラにゃ。この先に関わりたくない奴がいるにゃ」
「え?あっ、そうなの?うん、まあ、分かった。それじゃあ、キョーカにスイ、またね」
「また今度なのです」
「えぇ、また」
アニスにシズアはキョーカ達と手を振って別れ、そのまま門に向かって歩く。
少しして、門の横に知った顔がいるのに気が付いた。
「ラウラ、トニー」
そこにいたのは冒険者でもある貴族。なるほど、キョーカ達が手前で別れた理由が理解できた。
そんなアニスの心情には関係なく、ラウラは手を挙げてアニス達に近付いてきた。
「やぁ、アニスにシズア。いよいよ火の山に向けて出発だな。道中気を付けて」
「ありがとう。ラウラはこれからどうするの?」
「暫くは王都とここと行ったり来たりだな。お前達とはまた会いたいところだが、王都では私には近付かない方が良いぞ。下らない争いに巻き込まれかねんからな」
王家の後継者争いのことを「下らない争い」と言ってしまうあたり、ラウラにも思うところがありそうだとアニスは察した。
「それじゃあ、ここでまた会おうね」
「あぁ、元気でな」
そこでラウラはシズアに視線を移す。
「シズアは火の精霊と契約できると良いな」
「試練の道のこと、教えてくれてありがとうございました。私、必ず契約しますから」
「良い知らせを期待している」
「えぇ」
ラウラとの挨拶を終えた二人は、ラウラの隣に立つ男性にも手を振る。
「トニーもまたね」
「二人とも達者でな。また会おう」
アニスは収納サックから二輪車を取り出して跨った。後部座席にシズアが座り、アニスの腹に手を回してしがみつく。
アニスはもう一度ラウラとトニーに手を振ると、二輪車を発進させた。
二輪車は北西の門を潜り、北に向かう道に入る。目指すは火の山だ。
もう、ファタリスも終わろうかという頃だが、南の気候はそれを感じさせない程に暖かかい。
そんな中を、二輪車はひた走る。
「ねぇ、アニー」
二輪車を運転しているアニスの後ろから、シズアが話し掛けてきた。
「何?」
アニスは顔を少しだけ横に向けてシズアの声を良く聞こうとする。
「キョーカとスイって異世界から来た人、多分、転移者だと思うけど、知ってた?」
「えっ?そうなの?」
キョーカ達に確認しようにも、パルナムの街は既に遠く後方だ。
何故今このタイミングでその問い掛けをしてくるの、とアニスは思わずにはいられなかった。
本話でスイの計算の話が出て来ましたが、5a-7.に書かれていたことです。何だかもう随分前のことで忘れているかもですが。
何にせよ、5A章が終わりました。長かったです。
あ、あと一つ、間話がある予定。その後は、ようやく6章になります。