5a-19. アニスは興味を覚える
「ここの牛ヒレ肉は相変わらず美味ですね。柔らかくてしっとりしている」
「はい、アントニー殿。我が領内のヒデルの黒毛牛は王国随一の食用牛だと私共は考えておりますぞ」
メインの肉を称賛するトニーの言葉に、ネルソンが応じる。
トニーは、その名をアントニー・マーデラルと言い、伯爵家の嫡男だった。歳は25でまだ若いが、王立大学を首席で卒業する一方で、剣の腕も立つ文武両道を地で行く青年で、ゆくゆくは次期伯爵だろうと目されていることが分かった。
ならば、王国の第一王女ラ・フロンティーナの秘書官兼参謀として、常に同行していることも頷ける。
だがそんな人物をトニーと呼んでいて良いのかとアニス達は不安になって尋ねたところ、冒険者としての知り合いだから非公式の場ならば問題ないとの返事だった。
そう言われても、とアニスは思わなくもなかった。
トニーの貴族としての先輩とも言えるサウザラン伯爵ネルソン・クロフォードがトニーのことを「アントニー殿」と呼び掛けているのに、ただの平民であるアニスが「トニー」と呼び捨てにするのは変な気がしたのだ。
しかし、食事中の会話の中で誰も気にする素振りを示していなかったので、アニスは気にするのを止めた。
「牛と言えば、飼料に使う麦やトウモロコシが今年も豊作だったと聞きました」
「そうですな。お陰で牛肉の価格も少し下がって来ておりますが、穀物の生産者は厳しくなっとります」
トニーに対して渋面をみせるネルソン。
「では、穀物の余剰分は伯爵家で買い取られましたの?」
「はい、ラ・フロンティーナ様。ただ、昨年も豊作でしたので、我々の所だけで買い取るのは難しく、クロード様にも助けていただいております」
「今年はこの辺りはどこも豊作だったから、我らとしても苦しいところではあるが、農民のためには致し方無しだ」
ラウラに向けたネルソンの言葉を、公爵であるクロードが補足する。
「クロード小父様。買い取った穀物を不作の地域に回したりしないのですか?私達が通って来たサリエラ村の辺りは、米の出来が今一つで大変そうでしたけど?」
「シズアよ。我らがそうした手段に出るのは最後の最後だ。下手に物を動かすと商人達の不興を買うからな。余りに穀物が値上がりして看過できないと判断した時だけだ」
シズアが会話に参加し、クロードが答える。
「それだと結局捨てることになったりしませんか?」
「なるべくそうならないように調整しておる。古くなった物は加工業者に安値で卸したりしてな」
「なるほど、色々と気を使われているのですね」
「貴族だからと言って尊大に振舞っていれば良いだけではないのですよ、シズア」
クロードの言葉に頷くシズアに、ラウラが優しく語り掛ける。
その二人に挟まれるように座っているアニスは、ムムムと唸る。
残念ながら、一人だけ会話に参加できずにいた。
語られている内容自体は理解できるのだが、それに対してどんな意見を言えば良いのかが分からない。
冒険者同士の会話の時には感じたことのない疎外感がある。
幸い、シズアは楽しそうな様子なので、自分だけなら我慢すれば良い話だ。
若干手持ち無沙汰なアニスは、グラスを手にして水を飲んだ。
グラスの中身が大分減ってきたので継ぎ足すかと、グラスの上に魔法の紋様を展開。
詠唱して略しているのが分からないようにむにゃむにゃ言うのは忘れていない。
グラスに少し足すだけなので、生み出す水はごく少量だ。
籠める魔力をともかく少なく。
魔法の紋様もできる限り小さく。
そして、一度にどっと流れ出ないよう、少しずつ垂らす気持ちで一言。
「ウォーター」
力ある言葉と共に紋様から水が少しずつグラスの中に落ちていく。
適量になったところで魔法を解除。
上手くいった。
アニスは早速グラスを持って水を飲む。
うん、温い。
そう言えば、水温のことは考えていなかった。
冷たい水は出せるか?
グラスの水を少し飲んで、今度は冷たい水が欲しいと考えながらウォーターを発動させてグラスに注ぐ。
そしてグラスの水を飲んでみるが、冷たくなった気がしない。
ならば氷を入れてみるか。
ん?そう言えば、水を固まらせれば氷になる。氷の魔法の紋様はどんなだったか?
魔法の詠唱をして、出てきた紋様を眺めてみた。
うむ、水の魔法の紋様に似ている。
氷の魔法の紋様が消えないように意識しながら、その上に水の魔法の紋様を重ねてみた。
似ていると言うか、かなりの部分が同じだ。
紋様で違いのあるところが、水と氷の差になるのだろうか?
水と氷の差は何かを考える。形がないか、固まっているか。温いか冷たいか。
水の魔法の紋様に、氷の魔法との差分を一部入れ込んだら冷たくなるかな?
そうした紋様を試しに一つ描いてみたが、安定せずに壊れてしまった。闇雲に書き換えても使い物にはならなさそうだ。
そう言えば、付与魔法には温度指定をする方法があったっけ。それと水魔法を組み合わせるとどうなるだろう?
と、そこまで考えたところで、書き換えた魔法の紋様を発動させるための力ある言葉がどうなるかが分からないことに気が付いた。
周りが談笑している中で力ある言葉を色々試すのは、流石に気が引ける。
アニスは、それについては時間がある時に掘り下げてみることとして、取り敢えずはグラスの水を冷やすために氷の魔法の紋様だけを残して残りを消した。
そして水の魔法の時と同じように、注意深く魔力量を制御する。
「アイス」
今度は親指より二回りくらい大きな氷がポツポツと落ちていく。
三つ数えたところで魔法を止める。
グラスを持って揺らし、氷を水の中で回してから一口飲んだ。
うん、冷たくなった。
「アニス、貴女随分と器用なのね」
「えっ?」
まさか自分に注意を向けている人物がいるとは思わず、アニスは少し動揺しながら声の主であるラウラを見た。
この部屋に魔力眼持ちはいないので、アニスがしていたことは誰にも分からなかった筈だ。
「小さなグラスから溢れないように水や氷を出せる人を初めて見たわ」
「これくらい、練習すれば出来るようになると思うけど」
「私の知っている人達の大方は出力重視で、繊細な制御に気を使う人は少数派なのよ」
ラウラの知り合いと言えば貴族や騎士達だろうか。それならば、戦い向けに出力を重視するのも理解できなくはない。
「戦うことを考えてのこと?でも、戦いの勝ち負けって出力だけで決まる訳じゃないよね?」
「ええ。けれど、広範囲を攻撃できる範囲魔法が使えるとなれば、その方が一人で多くの敵を相手にできるわよね?」
「まあ、それはそうだけどさ」
それが出力重視の理由だと言われれば、何も言うことはない。
範囲魔法は確かに多人数相手に有効ではあるものの力が分散されるため、相手側にある程度の力量があれば防がれてしまう。
なので、範囲魔法を使うより各個撃破した方が良い場合もあると思うのだが、多分、ラウラはそれを分かった上で今の貴族達の風潮を言っているのだ。
「貴女の考えは考えで良いの。問題なのは、そう考える人達にとっての、ザイアス子爵が私の陣営に加わることの意味よ」
「どう言うこと?」
ラウラの言いたいことが分からず、アニスは首を傾げた。
「貴女もザイアス子爵の使者を務めるのなら、知っておくべきと思うのだけど。勿論、シズアもね」
「私ですか?」
自分の名前に反応して、アニスと同じようにラウラに顔を向けるシズア。
「貴方達、ザイアス子爵領の北西部に、精霊の森があるのは知っているわよね?その森の奥に何があるかは聞いたことはある?」
ラウラは二人に問い掛けた。
「知りません」
シズアは首を横に振る。
「エルフの里があるって聞いたことあるけど」
実際は二つの里があるのだが、それをここでは話せない。
アニスはどう答えようか逡巡したのち、無難な側だけ答えに挙げた。
「そう、大昔からあの森の奥にはエルフの里があったと言われているわ。そして、その後にもう一つの里ができた。虹色の魔法使い達の里が」
「虹色の魔法使いだけの里ですか?」
シズアが尋ねると、ラウラは苦笑気味に微笑んだ。
「それは分からないわ。ともかく、そこには虹色の魔法使い達がいて、彼らは皆、強力な魔法が使えたそうよ。でも戦うのが嫌で、だから森の奥に移り住んだ。そして彼らを煩わせる人達を近付けないようにと王家に作らせたのがザイアス子爵領。だからザイアス子爵は、代々中立を保ち続けていたのよ」
「なら、ザイアス子爵の第一王女派への参加には、その魔法使い達の意向が働いているかも知れないと?」
「私はそうは思わないけれど、他の派閥はどうでしょうね。何にせよ、私自身もそこはきちんと確認しておきたいの。そのために一度、ザイアス子爵と話をしたい」
「ん?ラウラも私達と一緒にザイアスに行くってこと?」
アニスの問いに、ラウラは残念そうに首を振る。
「それは難しいから、貴女達にザイアスまで持って行って欲しい物があるの」
「何?」
「対話の鏡と呼ばれる魔具。それがあれば、互いに顔を見ながら話ができるわ」
対話の鏡。アニスは前にゼペックから聞いたことがある。
共鳴し合う一対の魔石を使った映像通話魔具。品質の良い魔石が必要なために品薄で、とても高価なのだとか。
アルバートの所へ運ぶことに否はないが、自分用にも一組作れないかなと思うアニスだった。
アニスは作るのが好きですから、貰うんじゃなくて、自分で複製したいんですね。
なお、本話でラウラの口調が違うのは、公爵を前にして王女らしく振舞っているからです。あ、いや、こっちが素なのかな?