5a-18. アニスとシズアは公爵との昼食会に臨む
南の公爵、ファランツェ公爵ウォーレン家の居城。
その中の領主用の食堂にアニスとシズアはいた。
シズアは上機嫌である。
何しろドレスに着替えられたのだ。
それもただのドレスではない。公爵の娘達が成人前に来ていた物を特別に貸してくれた。
その上、侍女達に髪を結って貰い、薄く化粧も施している。
気分が高揚しない道理がない。
公爵様も気前が良いなぁとアニスは思う。
何しろ、時間がないからと簡略にしたとは言え、女性の支度には時間が掛かるのだ。
すべてが終わるまで、軽く一時間は経ってしまっただろうか。
既に割りと昼に近い時間だったのだが、シズアの我儘を受け入れたがために、その分昼食も遅くなってしまっている。
そんなこと、貴族である公爵には分かり切っていた筈。
忙しいだろうにも関わらず、待つことを選んでくれたのだ。
尊大な言動の割りには優しい側面があるらしい。
その公爵は、アニス達が食堂に入った時には、既に着席していた。
テーブルの上にはワイングラスに、チーズや薄切りにしたサラミを載せた皿が置いてある。どうやら軽く飲みながら待っていたようだ。
そして食堂に入って来た二人の姿を認めると、嬉しそうに目を細めた。
「お待たせしました」
シズアが両手でドレスの裾を持ち上げながら、軽く膝を曲げて挨拶するのを見て、アニスもそれに従う。
「うむ、よく似合っているぞ。お前達のその姿を見ると、娘達が幼かった頃を思い出すな。物静かそうに見えて肝が据わっているお前の佇まいは、どちらかと言えばラターニアに近いものを感じる」
後半の言葉はシズアに向けられた物だ。
「お褒めの言葉を賜り恐縮です、クロード小父様」
シズアは要領が良い。
既に公爵を小父様呼びしていることにもそれが表れている。
元はと言えば、身支度のために手筈を整えるよう指示を出した公爵に対し、シズアが「ありがとうございます、素敵な小父様」と声を掛けたところにあるのだが、そこで「小父様」と呼び掛けるなど、アニスの頭の中にはまったく思い浮かんでいなかった。
もしかしたら、最初のは自然に出た言葉かも知れない。
例えそうだったとしても、そのシズアの言葉に公爵が満更でもない表情を浮かべたのを見逃さず、名前まで聞き出してしまうあたりはシズアの手腕のなせる業である。
そこは真似できないなとアニスは思いつつも、何か言いたくなる気もする。
「ねぇ、それ、シズの方がお姉さんに見えるってことじゃない?」
ラターニアは、公爵の二人娘のうちの姉の方である。
シズアの雰囲気がそちらに似ているのなら、アニスよりシズアの方が年上に見えていると言えなくもない。
もっとも、前世の記憶を思い出して以降、シズアの方がアニスより大人っぽい意見を示すことは多くなっていて、あながち公爵の見立ても外れていないなと思ったりもする。
そんなアニスの言葉に、シズアは半眼になって応じる。
「アニーの方が子供っぽいってことなら合っているとは思わない?折角素敵なドレスを貸してくれると言うのに、どうしてその服を選んだのか、私には理解できないのよね」
「ん?これはこれで素敵だと思うんだけど。何か変?」
アニスは下を向き、改めて自分の服装を確認する。
どこにも可笑しなところはない。
「変では無いのよ。でも何故ドレスではなくて騎士服なの?」
「私はいつでもシズを守りたいって言うのじゃ駄目?この服、綺麗で格好良いし、それでいて動き易いから、丁度良いなって思ったんだよね」
その服は、正確には騎士服と言うより、騎士服に似せた子供服だ。
上着はほぼ騎士服そのものだが、下に穿いているのは長ズボンではなく膝上丈のキュロットスカート。前方は布が巻かれており、一見するとスカートのように見える。
可愛らしさと動き易さを両立した服だ。
アニスとシズアは着替えに当たり、衣装を決めるために侍女達にクローゼットの中を見せて貰っていた。
そこにあったのは殆どがドレス。しかし、こうした騎士服のような衣装も何着かあった。
そうした衣装のうち、自分の背丈に合い、かつ、一番動き易そうな物をアニスは選んだ。
その選択が間違っていないことを示すように、アニスは両手を広げると、そこから無手の型を幾つか披露してみせる。
「ねっ?これなら動き回っても問題ないよね?もし万が一、シズが公爵様を怒らせて、そこの衝立の裏から兵士がわらわらと出てきたって、私が全部倒すから任せといて」
アニスはシズアにサムズアップしてみせる。
「これはまた随分な自信家だな。我が兵士達は皆優秀だぞ。まともにやり合えばひとたまりもないだろう」
そうは言いながらも、公爵は目に微笑みを浮かべている。
子供の戯言くらいにしか考えていないのだろう。
だが勿論、アニスは本気だった。
いざとなれば、魔術眼も含め、隠している全属性の魔法を総動員してでもシズアを守るつもりだ。
しかし、流石のアニスもここで面倒事を起こせば、自分どころかシズアの立場も悪くなることは重々承知している。
なので、不必要に相手を煽るつもりはない。
「私は最後までシズアのために戦うだけです」
勝つとか負けるとかは言わず、覚悟の表明だけに留める。
そんなアニスの反応を見て、公爵がかっかと笑う。
「その心意気たるや良し。この先が楽しみだな。成人したら、騎士になったらどうだ?推薦状が必要なら、相談しに来るがいい」
「ありがとうございます。でも、私はシズから離れたくないので、騎士になるつもりはありません」
「そうなのか?まあ、自分ことだ、自分で決めれば良い」
と公爵は視線をシズアに移す。
「姉には随分と好かれているようだな。それで、お前はどうなのだ?将来なりたい物はあるのか?」
問われたシズアは公爵に向けて不敵な笑みを返した。
「私は悪女を目指します、小父様」
「悪女だと?」
シズアの言葉の意味を測りかね、オウム返しにしかできなかった公爵。
そんな公爵にシズアは頷いてみせる。
「はい、悪女です、小父様。世界を動かせるほどの悪女になりたいのです」
「世界を動かすとな?王家を乗っ取ろうと言うのか?」
公爵に取っては王家が世界の中心だからだろうか。
「いえ、王家を乗っ取るとかそんなつもりはありません。政治で世界を動かせるとは思いますけど、世界を動かすのは何も政治だけではないとは思いませんか?」
微笑みを浮かべながら返事をするシズア。
妖艶さを狙っているのかも知れないが、アニスにはただの可愛らしいシズアにしか見えない。
しかし、公爵は慄いていた。
「まさか裏社会に足を踏み入れようと言うのか?まだ幼いと言うのに、大した玉だな」
「別に裏社会でなければならないとも思いません。商売でも世界は動かせるでしょうし。ともかく、世界を股に掛けた魅力的な悪女、それが私の目指すものなのですよ、クロード小父様」
「それはまた大層な夢だな。だが、だとすれば、今回の貧民街の件などは、お前の悪女としての練習には丁度良いのではないか?」
ようやく公爵にも、シズアの考えが呑み込めてきたようだ。
「ええ、その通りですね。私も最善を尽くすつもりです」
微笑み合う公爵とシズア。
そこに別の声が響いてきた。
「あら、楽しそうなお話をしているようですわね」
アニスが声のする方を見ると、そこにはドレス姿の美しい女性が立っていた。
「これは気が付きませんでトンだ失礼を」
それまでゆったりと席に座っていた公爵が急いで立ち上がり、胸に手を当てて頭を下げる。
「いいえ。私はお忍びでこちらに寄せて貰っている身、それに小父様と私の仲ではありませんか」
「そう言っていただけると助かりますが。ともあれ、お席にどうぞ」
公爵が自ら椅子を引き、女性を招く。
そちらに向けて優雅に歩いて行く姿を見ながら、アニスがボソッと呟いた。
「悔しいけど、オバさん凄く綺麗だ」
と、女性が歩みを止める。
「喜んで良いのか良く分からないコメントね、アニス」
王国の第一王女ラ・フロンティーナ・ダイナ・ラフォニアが、アニスを見詰めていた。
「私も複雑な心境なんだよね、ラウラ」
遂にと言うか、ようやくと言うか、ラウラのフルネームが出て来ました。
ところで、アニスもシズアも素直に本音ベースで話をしてますが、公爵様の方は話半分くらいにしか聞いていないようです。まあ、先のことは誰にも分かりませんからね。