5a-14. アニスとシズアはパスタを食べる
「後はこの事務棟と本殿だね。先に三階に行ってみる?」
「お前の好きにするにゃ」
コナーと話をした後、アニス達は設置魔法の有無を調べるため、旧神殿内を歩き回っていた。
先程話をしていた部屋が本殿に入って右側にあったため、そのまま本殿右奥にある教室棟を一階から順に三階まで、そこから最奥にある宿舎棟を今度は三階から順に一階まで、一つ一つ部屋に入っては中を確認しながら進んで来た。
そして今、宿舎棟から本殿の左奥にある事務棟の一階に移動したところにいる。
本殿は一階しかないので、どちらにしても一度は三階まで上がり、また一階に戻って来なければならない。だからどうか、キョーカはどうでも良さそうな反応だった。
シズアもスイも黙ってアニスのことを見ているので、同意と捉えて階段を上ることにする。
「ここの階段も埃が積もってる」
アニスは階段を上りながら、足元の埃を気にしていた。
「広いのに使われてないのは勿体無い気もするわね」
「呪われているかも知れない場所を使おうと考える物好きはコナー達くらいしかいなかったということにゃ」
三階に到着し、一部屋ずつ見ていく。他の棟もそうだったが、什器類はそのまま残されていた。神殿を放棄する際に書類はすべて持ち出したようで、書棚はあっても中には何も収められていない。
アニスは呪力眼を発動して、埃臭い部屋の中を隈なく見回して確認しては、隣の部屋へと移動していく。
三階のすべての部屋を調べたら、次は二階へ、そして最後に一階へ。
何も見付けられないまま、アニス達は本殿に入る。
コナーを訪れる際にも本殿は通ったが、中をまじまじと眺めるのはこれが初めてになる。
「ここだけ見ると、普通の神殿と変わらないよね」
「そうだにゃ。神の像もあるしにゃ」
キョーカの指摘通り、本殿の奥には十柱の神の像が並んでいた。神官達は什器類どころか神の像も残している。
それらの像はコナー達が手入れをしているようで、すべてが綺麗に磨かれ、他の神殿同様に立ち並ぶ姿には神々しさが感じられる。
その佇まいを見て、アニスは祈りを捧げたくなった。
先日のザナウス神との会話で、アニスの祈りの声は良く届くらしいと分かり、ただ祈るのも迷惑だろうかと躊躇いたくなる気持ちが湧かなくもない。
が、何も言わずに黙って像の前に跪き、祈りを捧げているシズアの姿を見て、アニスも心の赴くままに祈ることにした。
いつものように真ん中左のヴィリネイア神から順に祈りを捧げ、最後にザナウス神の前で手を組み跪く。
特に出てくるなと祈らなかったものの、ザナウス神からの声はなかった。
声が掛からないなら掛からないで、寂しい気がしなくもなく、自分でも矛盾しているなとアニスは思う。
ともあれ、そうしてアニス達は、旧神殿の調査を終えた。魔法の痕跡がないかと廊下も部屋も中庭もすべてを見た。だが、何も見付けらなかった。まあ、想定通りと言えば想定通りである。
キョーカやスイも一緒にだから合わせて六つの呪力眼で調べての結果なのだ。見落としは無い。
神殿結果をコナーに伝えてから、アニス達は神殿を後にした。
「シズ、次はどうしよか?」
問われたシズアは腕を組み、頬に手を当て考え始める。
「呪いのことは確認したから、次は憲兵のことかな。となると公爵様とコナーが言っていた荒くれ者達の両方の話を聞きたいところだけど、公爵様とは明日で約束を取り付けているから、今日は荒くれ者達の方に行ってみる?」
「そだね。でも、どこにいるのか聞いてないよ。戻ってコナーに聞いて来ようか?」
言いながら踵を返そうとするアニスだが、その腕をキョーカが掴む。
「アニスよ、慌てるにゃ。ワシらは情報屋にゃ。そいつらのことくらい普通に知ってるにゃ」
「そうです。スイ達は知り合いなのです」
どうやらキョーカとスイは荒くれ者達と面識があるらしい。
ならばとアニスはキョーカ達に案内を頼んだ。だが、昼になったので、先に食事にしようとキョーカ達はアニス達を食堂に連れて来た。
「この海鮮パスタ、凄く美味しい」
「挽き肉とカボチャのニョッキだって、とっても美味しいんだから」
「そうなのにゃ、この店は穴場なのにゃ」
それはピザとパスタの店だった。
注文した料理を食べてシズアとアニスが絶賛し、キョーカは満足そうだ。スイもにこにこ微笑んでいる。
「ねぇ、キョーカ。それ、枯草豆のスパゲッティよね?」
向かい側のキョーカが食べている皿を見詰めながら、シズアが問い掛ける。
「ああ、そうだにゃ。それがどうかしたかにゃ?」
「少し食べさせて貰えないかな?」
「好きに食べるが良いにゃ」
シズアはキョーカから差し出された皿を受け取り、フォークに絡めてスパゲッティを口元に近付ける。
そしてまずは匂いを嗅ぎ、それから口に入れてしばしモグモグと咀嚼すると、目を見開いた。
「これ、ナットウだ」
「ナットウって何?」
シズアの様子を横から眺めていたアニスが首を傾げる。
「うーんと、煮た大豆をナットウ菌で発酵させた発酵食品?」
「ナットウ菌?」
「そう、ほら、少し糸を引いてるでしょう?この糸ってナットウ菌が大豆の蛋白質を分解してできたものなの。こっちで生まれてから初めて見た。何でこの食堂にあるのかな?」
「それはワシが作り方を教えたからにゃ。枯草豆はワシの好物だからにゃ、食べたくてここの店主に教えて作って貰ったにゃ」
と、スイが横肘でキョーカを突いた。
「姉様、違うのです。枯草豆の作り方をここの店主に伝えたのは、母様なのです」
「え?あれ?そうだったかにゃ?」
キョーカが首を捻る。
そこに小太りの女性店員が皿を持って来た。
「はいよ、スイ。アンタの好物、辛子魚卵とじゃが芋のピザだ。たんと食べとくれ」
「ベティ、ありがとうなのです」
「あの、すみません」
ベティに向けて手を挙げるシズア。
「なんだい?」
「この枯草豆って、キョーカのお母さんが教えたって聞いたのですけど?」
「ああ、そうだよ。今から30年くらい前かねぇ。どうしても食べたいって言われて教わったのさ。他にも幾つか教えて貰った料理があるよ。こっちの辛子魚卵もね。いや、これは先代のキョーカの妹に教わったんだったかな?」
ベティがうーんと頭を悩ませている。
だが、そのことよりもシズアには気になる言葉があった。
「先代のキョーカって、もしかしてキョーカのお母さんの名前もキョーカだったとか?」
「ああ、そうさ。それに先代のキョーカも双子の姉妹だったね。ただ、妹の名前はスイじゃなかったんだ。スイ何とか、うーんと、何だっけか」
「スイゲツとか?」
「そう、そうだ。スイゲツだった。アンタ、良く分かったね」
「ええ、まぁ、何となくそうかなと思って」
ベティに感心されるが、シズアは曖昧な笑顔を浮かべていた。
「それで、先代のキョーカ達は最近このお店に来てたりしますか?」
重ねて尋ねるシズアに、ベティは首を横に振って答えた。
「いんや。あの人達がいたのはそれから二年ほどだったかねぇ。息子のカークの名付け親になって貰ってから直ぐ、いなくなっちまった」
「母様らは故郷に呼び戻されたにゃ。そしてワシらが生まれたにゃ。ワシらは成長すると母様らと同じように故郷を出てこの街にやってきたにゃ。それで、故郷の味を食べたくなった時、母様から聞かされていたこの店に来たにゃ」
「まったく、初めてキョーカ達が来た時は吃驚したもんだよ。なにせ二人共、先代に瓜二つだったからねぇ。たまげたもんさ」
アッハッハとベティが笑い、シズアは愛想よく笑みを返す。
アニスもにこにこと微笑みながら話を聞いていた。
「お話ありがとうございました。すみません、お時間いただいてしまって」
「いんや構わないよ。私も話ができて楽しかったさ。ゆっくり食べていっとくれ」
そう言い残してベティは厨房へ下がっていった。
「ふーん、そか。ここってキョーカのお母さん達も来てたんだ」
感慨深げに感想を述べるアニス。
頭の中ではキョーカ達の母親も魔女だったのだろうかと考えていたが、それは口にはしない。
そんなアニスをシズアは黙って見、それからキョーカ達に視線を移す。
二人は「旨いにゃ」「美味しいのです」などと言いながら、食べるのに忙しそうにしている。
シズアはどうしたものかと考えるが、シズアに視線を合わせないように下手な芝居を打つ二人を眺めているうちに段々と悩むだけ損な気がしてきたため、頭を切り替えて目の前の食事を楽しむことにした。
「そう言えばスイのピザの上に乗っているの、辛子メンタイコだよね。それも少し貰えないかな?」
アニスとシズア、知っていることが違うので、考えていることもずれてます。
なお、枯草豆を作るには40度くらいの一定の温度にしておくのが良いのですが、中の物を40度に保つ保温魔具が登場してから枯草豆を作るのが楽になったのだとか。