5a-11. アニスとシズアは箱を開けたい
シンとした室内。
静寂に包まれている祈祷の間の中で、一人だけ嗚咽混じりに泣いている、その音だけが響いていた。
「かつて神殿で神の降臨に立ち会った時も感動したものですが、まさかこのお屋敷に神が降臨されるとは。長くここに勤めさせていただいた甲斐があったというものです」
エリックは涙ながらにそう語る。
アニスにしてみれば迷惑な要素の方が強かった神の降臨も、エリックにとっては泣くほど嬉しいこと。
まあ、それは良い。喜怒哀楽の基準なんて人それぞれだ。
ただ、それを心の内で閉じておいてくれれば、助かったのだが。
「お前、神の声を聞いたのか?」
ラウラの目がいつになく真剣なものになっている。
「聞いたよ」
「なら、魔力眼持ちなんだな?」
「違う」
予想された問いだ。
心の準備ができていたアニスは、顔色を変えずに嘘を吐く。
魔力眼ではなくて魔術眼だとこじつけのような言い訳を心の中ですることもなく、堂々と。
「まさかそんなことがあるのか?エリック?」
確認を促すようにラウラは執事に目を向ける。エリックが魔力眼持ちだと知っていたようだ。
「アニス様の仰る通りです。神が降臨されていた時には見えていたザナウス神の色が、今は見えません。マルレイア神の色だけです」
「そうか」
エリックの言葉を聞いても、ラウラの顔にはまだ信じられないと書かれている。
しかし、魔女のペンダントで得意属性を偽っている以上、この筋書きで押し通すしかない。
「ここは神殿でもないよね?ザナウス神は言ってたよ、属性も場所もまったく関係ないこともないけど、声が届くかどうかは結局は相性の問題だって」
アニスがザナウス神まで持ち出したところで、漸くラウラの瞳に納得の色が浮かんだ。
「神との相性か。ならばお前は相当に相性が良いのだな。だったとして、これからどうする?」
「そだね。神の像を台座から降ろしたいから手伝ってくれる?」
「違う。そっちの話ではないわ」
「ん?」
すっ呆けた顔をしてみせたが、ラウラは乗ってくれそうな気配がない。
「神の巫女になりたければなれるぞ?」
もう神の話題は終わりにしたいのだが、そうはさせて貰えないようだ。
「なりたい訳ないよね。神の巫女とか全然興味ないし」
「お前のことを知ったら、神殿が黙っていないと思うがな」
「そこはラウラ達が何とかしてくれるんじゃないの?ここにいる王国の人達は私を神殿に渡さないだろうって言われたよ」
ラウラの眉がぴくりと動く。
「それは神が言ったのか?私達のことをどこまで聞いた?」
「ここにいるのは王国側の人間ばかりだってことだけだよ」
「そうか。しかし、神はそんな情報までお前に与えるのか。まぁ確かに神殿には渡したくないが」
ラウラは腕を組んで考え込み、少ししてから顔を上げた。
「お前、貴族になりたくはないか?領地を持たない貴族なら、殆ど縛られることもなく、自由に暮らせるぞ。お前は腕が立つから、騎士爵なら誰も文句を言わないと思うが」
何だか「うん」と言えば、即座に貴族になれそうな勢いだ。
「い、いえ、貴族だなんてトンでもない」
アニスはあたふたと手を振り首を振る。
魔女は貴族に取り込まれるなと言われているのだ、取り込まれるどころか貴族になってしまったら、その先には不安しかない。
「後ろ盾を得るにはそれが一番手っ取り早いのだがな。ならばどうするか――あ、そうだ、お前達、商会を立ち上げていたよな?ファランツェ公に商会の後見人になって貰うのはどうだ?それなら身分を変えずに済むし、貴族の面倒なしきたりからも逃れられる」
ラウラも貴族のしきたりは面倒と考えているらしい。
それにしてもファランツェ公、つまり南の公爵とはまた大物だ。
商会の後見人であれば、ぎりぎり大丈夫だろうか。
ただ、商会のこととなると、アニス一人では決められない。
アニスが視線をシズアに移すと、シズアはにっこり微笑みながら頷いた。
「アニー、そのお話、有難く受けたら?」
「シズが良いなら、構わないけど」
「よし、なら決まりだ。早速、ファランツ公との面会を設定しよう」
意気揚々と計画を立てるラウラ。
「あの、南の公爵様とはもう面会の約束を取り付けてるよ。明後日だけど」
「何だ、そうなのか。それならば話が早い。後で一筆したためておくから、ファランツェ公に渡すと良い。ラターニア姉様、書簡の差出人に貴女の名前を貸して貰いたいのだが」
「どうぞ、ご随意に」
「うむ。ではアニスのことはこれで良いな」
ラウラは満足そうに頷く。
「ところで、お前達は何のためにファランツェ公と面会しようとしていたのだ?」
問われたアニス達は互いに目配せをする。
「悪いけど、それは依頼に関わることだから話せない」
アニスが代表して答え、シズアが頷いて同意を示す。
「確かに冒険者たるもの、依頼内容は口にはできないな。私の方こそ済まなかった」
「分かってくれれば、それで良いよ」
率直に謝意を示すラウラに対して、そこまで気にしていなかったアニスは、若干戸惑い気味に応じる。
「それより、そろそろ像を台座から降ろしたいんだけど良いかな?」
「そうだな」
ラウラは前に出るとアニスと共に像を抱え、台座の脇の床上にそっと下ろした。
「この台座の中に金貨が入っているのか?」
「その筈なんだけど、開けるのが結構大変なんだよね」
「確かにパッと見では、どこが開くのか分からないが」
台座は寄木細工で出来ていた。
どこにも隙間は見えず、ラウラの言う通りに開口部の特定が難しい。
キョーカ達から開け方を教わったアニスでさえ、普通に目で見ただけでは判別できない程、精緻な作りだ。
だが開ける方法はある。
アニスは台座の天板部分に右手を当て、そこから魔女の力を弱く放出する。
すると、寄木細工の中に、魔女の力に反応する物が幾つもあることが、魔女の力の眼で捉えられた。
それはキョーカが付けた魔女の印だった。
寄木細工の部品の一つ一つに、移動する順番を示す数字と移動方向、それに移動量が記されている。
つまり、1から順に印の通りに移動していけば、最後に蓋が開くのだ。
早速、アニスは「1、2、3」と一つずつ数えながら、部品を動かしていく。
「面白いなこれは。単に寄木を箱型に組み上げただけの箱ではないのか。あちこち少しずつ移動させているが、一体、どれだけの数を動かせば開くんだ?」
「全部で41だって聞いてる。それで、えーと、今度は9かな?それから10」
「41?良く覚えられたな?若いと覚えが良いんだろうか。そう言えばお前、歳は幾つだったか?」
「ん?13だよ。あれ?次は14だっけ?あー、分からくなった。悪いけど、ラウラ、少し黙っててくれる?」
「いやー、悪い悪い」
ジト目で見るアニスに、ニコニコ顔のラウラ。
「わざとでしょ?」
「うん?」
相変わらず笑顔のラウラに、アニスは溜息を吐いて寄木の部品を元の位置に戻す。
そして改めて1から始める。
「19。20。21と」
「おおっ、ようやく21まで来たな。残り半分だ、応援してるぞ」
「応援は有難いけど、黙ってて貰った方がもっと嬉しい。22」
「そう言うなよ。私は猛烈に楽しいんだ」
「それ、邪魔するのが面白いからじゃないの?オバさんって言うよ?23」
「言う暇があるなら、言ってみれば良い」
「そんなの言えるよ。オバさん、オバさん、オバさん。で、24」
「失礼な、私は23なんだぞ。オバさんではない」
「23なら私より十分歳取ってるんだからオバさんだよ。で、23?ん?24?あれ、幾つだっけ?」
「さぁ、幾つだったかな?お前は私より十分若いんだから覚えていられるのではないのか?」
「こんな風に邪魔されてたら無理だから」
頬を膨らませながら、アニスは再び寄木を元の状態に戻す。
「アニー、私が数えるのを手伝おうか?」
「うん、シズ、そうして貰えると助かる」
三度、1から数え始めるアニス。
今度はシズアの助けもあって、順調に手数を進めていく。
ラウラも口を挟まず、黙って見ていた。
そして、遂に。
「41。やった、開いた」
「アニー、凄い」
シズアがパチパチと拍手をする。
最後にずらしたのは天板の部分だった。
そこから中を覗き込むと、寄木の箱の底に散らばっている数枚の金貨が目に入る。
アニスは箱に手を入れ、中の物を掴んで取り出そうとした。
「ん?これは何?」
金貨とは違う手触りの物がある。
取り出して見ると、何であるかは直ぐに分かった。
「冒険者証だ」
それはA級の冒険者証だった。
「レオンってあるけど」
「ふむ、そう言うことか」
ラウラはラターニアを見、ラターニアは頷いた。
自分が見付けたのにも関わらず、置いてきぼりを喰った感じで少し憤りを感じたアニス。
「ねぇ、オバさん。そう言うことって、どう言うこと?」
「オバさんと呼ぶ奴には教えない」
言い返され、仕方なく妥協する。
「ラウラ、ごめん。だから、どう言うことか教えて」
ラウラはアニスが手に持つ冒険者証を指差しながら、口を開いた。
「そのレオンと言うのは、レオナルド・デル・ウォーレン。先代のファランツェ公だ。つまり、ここに隠されていた金貨は、先代が用意した物だということだ」
「はい?」
アニスはラウラの言葉の内容は理解したものの、それが何を意味するかまでは考えが及ばなかった。
真剣に作業しているところに、悪いと思いつつも邪魔したくなることってありますよね?
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(2023/11/25)
すみません。またラウラの歳を間違えました...。正しくは23歳です。直しました。