5a-9. アニスとシズアは貴族の屋敷を調べたい
「いらっしゃい、ラウ。小さなお友達を連れてくるなんて、珍しいこともあるものね」
屋敷の玄関を入ったロビーのところで、草色のゆったりとしたドレスを身に纏った若い女性がアニス達をにこやかに出迎えた。
「すみません、ラターニア姉様。この子達は冒険者仲間なんですが、一緒に来たいと頼まれまして」
「こんなに可愛らしいお客様なら大歓迎よ。でも、まだ小さいのに冒険者なんて危ないことをしているなんて」
「大丈夫ですよ、姉様。この子達は腕が立ちますから」
「あら、貴女にしては珍しく高評価ね」
ラウラの言葉に目を丸くしたラターニアは、アニス達の方に向き直る。
「ようこそ我が家へ。私はラターニア・スティングレー、ホルト子爵夫人を名乗らせて貰っているわ」
「私はアニス」
「お初にお目にかかります、ホルト子爵夫人。私はシズア。どうぞお見知りおきを」
シズアはスカートを両手で軽く摘み上げ、軽くお辞儀をしてみせた。
「あらまぁ、お行儀の良いこと。こちらこそよろしくね。それで今日から貴女方は私のお友達よ。だから私のことはターニャで良いわ」
「分かった、ターニャ」
「畏れ多いことです、ターニャ様。って、アニー。もう少しお行儀良くしたら?」
「えー?ターニャは友達だって言ってたよね。だったら普通で良いと思うんだけど?」
「相手は貴族なんだから、少しは弁えるべきよ」
ラターニアはにこにこと姉妹のやり取りを眺めている。
「ねぇ貴女方。シズアの方が見た目は幼いのだけれど、実はお姉さんなの?」
「えっ?いえ、アニーの方が姉ですけど」
あたふたと答えながら、そう見えてしまうのも仕方が無いかとシズアは思う。
前世の記憶を思い出してからこっち、前世も含めた多くの経験や真面目な性格に起因して、シズアはアニスを嗜めることが多くなっている。
年上のアニスの方が子供のような傍若無人な立ち居振舞いを変えようとしないのが問題と言えなくもないにせよだ。
アニスとの二人の間では既にそれが自然なこととなっていようが、見る人から見れば不自然に映るのだろう。
「んー、私だってやればできるんだよ」
それまで力を抜いて立っていたアニスが、背筋を伸ばして一歩前に出る。そして、にこやかな笑みを浮かべ、両手でスカートを摘まむ。
「ホルト子爵夫人、本日はお目に掛かれて光栄です。私はザイアス子爵領出身の冒険者アニス。以後お見知りおきを」
言い終えたところで笑みを深めると、魔術眼を発動させ周りの人達の魔力を一瞬だけ軽く揺する。そうすることで威圧と同じ効果が齎される。それは以前、シズアと魔術眼を試して知ったことだ。
そして膝を軽く屈伸させ、頭を少し下げる。
「どう?私の方が姉らしく見えたよね?」
姿勢を戻したアニスが誇らしげにするが、何故かラウラが噴き出した。
「貴族相手に威圧を使う奴があるか。まったく、だからヒヨッコだと言われるんだ」
「えー、教えられた通りにやったのに。最初の挨拶で強く印象付けるのが大事なんだって。ただ愛想よく笑うだけじゃ、相手に印象付けるのは難しくない?」
「それはそうだが、相手によっては喧嘩を売られたかと勘違いされるぞ」
「うーん、だから殺気を当てるのは止めたんだけど。それでも駄目なのかぁ」
アニスは腕組んで首を傾げた。
「何?さっき当てたのは殺気ではないのか?」
「そうだよ。やったのは『さっき』だけど、当てたのは『殺気』じゃない。って、ラウラ、それ駄洒落?」
「そう言うつもりではなかったが」
「あ、そ。ともかく殺気じゃないよ。どちらかと言えば、魔力を当てたような物かな?」
「魔力?魔力を当てて、そんな感じになるのか?」
「ちょっとしたコツがあるんだよ」
首を捻るラウラに、アドバイスらしきものを告げるアニス。
実際には魔術眼なのだが、コツと言っておけば怪しまれることもないだろう。ラウラができないのはコツを知らないからなのだ。
「ねぇラウ。そろそろ二階の応接に移動しようと思うのだけど」
ラターニアの言葉に、ラウラも玄関に長居し過ぎたと思い至る。
「そうですね、ラターニア姉様。行きましょう」
そしてラターニアの先導で玄関の正面にある階段を登り始める。
「ねえ、ターニャって、ラウラのお姉さんなの?あまり似てないけど」
「いや、幼い頃一緒に住んでいただけだ。血の繋がりのある姉妹ではない」
「ふーん」
アニスはそれ以上は尋ねなかった。
何となく、その先は聞くなと言うオーラがラウラから発散されているように感じたからだ。
なのでアニスは考える。
ラウラは貴族なのか平民なのか。
どちらかと言えば、貴族と言われた方が自然だ。貴族であるラターニアと一緒に生活していたことを考えれば、それが一番しっくりくる。
では平民の可能性はあるのか。
あるとすれば、ラウラの母親がラターニアの乳母で、ラウラとラターニアが乳姉妹であった場合か、ラターニアが平民の出身であった場合が思い付く。
だが、トニーの存在を考えると、どちらも無さそうに思える。
トニーも自身の地位を明らかにはしていないが、身のこなしが冒険者と言うよりも騎士に近い。騎士学校に通っていた兄のジークと手合わせした時に見た動きと重なるところがあるのだ。しかし、トニーは騎士ではない。
騎士では無いのに騎士の訓練をする者は平民にはいない。貴族だけだ。
だからトニーは貴族だろうとアニスは考えていた。
そのトニーが付き従っているように見えるラウラも、やはり貴族なのだろう。
もっともライラもトニーも貴族にしては寛容に思える。平民であるアニスとシズアを対等に扱ってくれているからだ。それは冒険者としての演技なのかも知れないが、何にしても当面ラウラ達への態度を変える必要はなさそうだ。
アニスがそんなことを考えている間に応接間へと到着、アニス達はラターニアを前に並んで座った。並び順はラウラを中央にして左にシズア、右にアニス。
トニーはソファの後ろに立っている。
皆が着席すると、目の前のテーブルの上にお茶や菓子や果物が給仕され、最初はラターニアとラウラを中心に他愛のない世間話に花を咲かせていた。
「そう言えば姉様、お腹のお子は順調ですか?」
「ええ、お蔭様で。もうすぐ四か月になるわ。悪阻も収まってきて、今は無性に果物が食べたくなるの。この子が求めているのかしらね」
そう言って、ラターニアは自分の腹を撫でる。
アニスの魔女の力の眼にも、ラターニアのお腹に宿る命の光が見えていた。
勿論、それは玄関のロビーで対面した時からのことで、だからラターニアがゆったりとしたドレスを着ているのだと分かっていた。
「おめでとうございます。あの、私もお腹を触らせて貰えませんか?」
「良いわ。こちらにいらっしゃい」
おずおずと申し出たシズアに、ラターニアが優しく手招きする。
シズアはお腹の赤ん坊に興味があるらしい。
ラターニアの傍らに膝を突き、お腹に手を当てている。
自分もシズアが母サマンサのお腹にいた時には、同じことをやっていた筈だが、残念ながら当時のことは憶えていない。
シズアに子供ができた時には是非ともお腹を触らせて貰おう。
そんなことを決意しながらシズアの様子を眺めていると、ラターニアがアニスにも手招きして来た。
どうやらシズアを眺めていたことから、同じようにお腹を触りたいのだと思われたらしい。
膨らんだお腹を触る機会はそうは無く、触らせていただけるのなら断る理由もない。
アニスはそそくさとラターニアの横へ行き、お腹を触らせて貰う。
元気に生まれて来ますようにと祈ることも忘れずに。
「それでですが、ラターニア姉様。アニス達には姉様に尋ねたいことがあるそうです」
アニス達が席に戻ると、ラウラが話を切り出した。
「あら、私に?何かしら?」
ラターニアはアニスとシズア、どちらに視線を向けようか迷っているように見える。
「このお屋敷に過去五年半に渡って毎月泥棒が入っていたと言う情報があるのですが、ご存知でしょうか?」
口を開いたのはシズア。
アニスは裏の話まで知っているために、うっかり口を滑らせる心配もあり、出発前にシズアに説明を頼んでいた。
「その話、今まで誰も気付いていないと思のですけれど。それに私達がこの屋敷を使い始めたのは三年前で、それ以前からのことでしょう?どういうことかしらね。エリックを呼んで貰える?」
ラターニアの最後の言葉はメイドに向けられた物だった。
メイドはお辞儀をすると部屋を出て行き、じきに一人の執事を伴って戻って来た。
「お呼びでしょうか、奥様」
テーブルの横で畏まるエリックに、ラターニアが視線を向ける。
「エリック、この子達から不思議な話を聞いたのだけれど」
そう前置きすると、今度はラターニアがエリックに対してシズアの話を伝えた。
「私は奥様方がいらっしゃるより前からこのお屋敷の管理を任されておりますが、そのようなことは見聞きしたことがありません。一体、どこに金貨が隠されていたのでしょうか?」
「そう言えば、侵入箇所については聞いていなかったわね。泥棒が忍び込んでいたのは、この屋敷のどこなの?」
ラターニアの視線を受けて、シズアは口を開く。
「このお屋敷に、直接外から出入りができて、忍び込んだことに気付かれ難い場所があるのですが、お分かりになりますか?」
少しの間の後、エリックが声を出した。
「もしかして、祈祷の間ですか?」
「はい」
「しかし、あそこに財宝を仕舞う場所など無かった筈です」
「良ければ確認してみませんか?情報の通りなら、まだあと金貨が四枚だけ残っていると思いますから」
そのシズアの提案に、皆興味を持ったらしく、揃って祈祷の間へと移動することになった。
祈祷の間は二階の奥に位置している。廊下に繋がる扉の他に、外のバルコニーからも出入りができるようになっていた。バルコニーと地上とを繋ぐ階段は無いが、その程度、ちょっと魔法を使えばどうにでもなる。泥棒には大きな障害でないだろう。
部屋の広さはアニス達の村の祈祷所よりか幾分狭いものの、設置されている調度品はよほど豪華な物だ。
まあ、神が祈祷する場の豪華さで与える恩恵に差を付けるとも思えず、貴族の見栄でしかないのだよなとアニスは思う。
さて、と気持ちを切り替え、アニスは前に出た。
説明はシズアに任せたが、ここから先はアニスにしかできない。
祈祷の間の奥は一段高くなっており、その段の上に設置されたそれぞれの台座の上に人の背丈と同じくらいの神の像が設置されていた。
アニスはそれらの中のザナウス神の像の前に立つと、後ろを振り返る。
「ザナウス神の像を動かす必要があるので、その前に祈りを捧げます」
誰からも反対の声が上がらないのを確かめると、アニスは像に向き直り、片膝を突いて顔の前で両手を組み、祈りの姿勢を取る。
そして神の像を動かすことへの理解を求めて念じたが、そこで馴染みのある感覚に囚われた。
まさかここで出てくるのか。いや、それは勘弁願いたいとアニスが祈りの姿勢を解く前に、頭の中に声が響いてきた。
『果て無き原初の力を持つ娘よ、久しいの。息災か?我は元気だぞ。何せ無病息災が我が信条だ、神だけに。もっとも神は病にはならぬがな』
ワッハッハと笑う相変わらずの駄洒落神ザナウス。
いや、貴方は話したがり病でしょう、とアニスは思うのだった。
うーん、アニスが頼んでもいないのに神様が出てきてしまいましたね...。
世の中、起きて欲しくないことが、起きて欲しくないタイミングで起きてしまうことってありますよね。
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(2023/11/26)
ラターニアの肩書を間違えていたので直しました。ホルト子爵夫人が正しいです。