1-1. シズアはゼンセを思い出す
「アニス、そろそろ下に来てくれるかい?」
アニスの耳に、伯母であるマーサの声が入って来た。
階段下から声を張り上げている。
二階に上がって来ないと言うことは、下が忙しくなっているのだろう。
「はーい、今行くー」
アニスはせっせと手を動かしつつ、開けっ放しの部屋の扉越しに叫び返す。
それからさほど時間を掛けることなく、取り掛かっていたベッドメイクを終えると立ち上がり、部屋の中を確認する。ベッドよし、カーテンよし、机の上は綺麗、引き出しの中もオーケー、クローゼットにも忘れ物無し。
仕事の出来に満足したアニスは、部屋を出てマーサを手伝いに階下へと向かった。
ここは冒険者宿のトモガラ亭。マーサはこの宿の女主人だ。旦那のトマスは冒険者ギルドに勤めていて、いまだ現役の冒険者なので昼間は基本的に宿にはいない。加えて、ここ何日かは依頼で出掛けているとのことだった。
宿の一階の正面扉を入ったところは食堂になっている。そこは吹き抜けでは無いものの階段に繋がっているため、二階から階段を途中まで下りればその様子を一望できた。お昼にはまだ少し早い筈だが、もう混み始めている。これは働き甲斐がありそうだ。もしかしたらチップもいつもより多く期待できるかもとアニスは元気よく降りていく。
「あぁ来てくれたかい、助かるよ。早速だけど、その定食を一番に持ってっとくれ。それから三番の注文取りを」
「はーい」
アニスはマーサに指示された通り、厨房のカウンターに出されていた定食のトレーを持って一番テーブルへと運ぶと、三番テーブルの横に立つ。
「やあ、アニス」
「ヨゼフ、こんにちは。今日も日替り定食?」
「ああ、それで頼む」
ヨゼフは食堂の常連で、素材採集を専門にしているD級冒険者だ。年齢はアニスの父より上、と言うか伯父のトマスよりも上。トマスは魔力量がそこそこ多い上に筋肉の衰えも見えておらず、同年代の中では別格なので参考にはならないが、40歳を過ぎても現役の冒険者を続けている人は珍しい部類に入る。しかも、ヨゼフは魔力量が少ない。採集専門であること、風魔法が得意で周囲の状況把握に優れていること、それに自分のできる範囲を弁えていて無茶をしないことなどが、長続きできている秘訣なのだろうとアニスは考えていた。
「三番、日替わり一つ」
厨房のカウンターの隅に纏めてある札の山から数字の3と書かれた札を取り出し、定食を示す黄色の丸札を乗せてカウンターの上に置きながら、注文内容を料理人に伝える。
それからカウンターの上の盛り付け終えた料理のトレーを一瞥し、六番の札が載せてあるのを確認すると、そのトレーを手に取った。
「六番のA定食、持っていくね」
「あいよ」
了解の返事を得て、そのまま六番テーブルへと運ぶ。
そんな感じにアニスは食堂の中で、忙しなく動き回っていた。
見知った顔の冒険者が幾人もいて、未成年のアニスはそうした人達に可愛がられ、たまにチップを多めに弾んで貰って喜んだりしながら、注文を取ったり、料理を運んだり、お勘定をしたりと仕事に励む。
そうこうしているうち昼飯どきが過ぎる。
すると店内は明らかに空いている状態となり、アニスの仕事時間が終わる。
アニスの宿での仕事は、午前中はチェックアウトした冒険者の使っていた客室の清掃、そしてお昼に食堂の給仕であり、それで一日250ガル。宿の昼の食事代が大体100ガルなので一日分の食事代程度の稼ぎではあるものの、自分の食い扶持は自分で稼いでいるとも言える。
アニスはまだ13歳になったばかりだが、あと二年もすれば15歳となり成人になる。この時代、仕事の無い成人の娘は早々に何処かに嫁に出されてしまう。しかし、アニスは家から出たくなかった。だから11歳の時からマーサの宿で働き始めたのだった。自分は十分に働けるし、稼げることを示すために。
働き始めるにあたっては、冒険者になることも考えた。だが、ヨゼフよりは多いにしてもトマスよりは少なく中途半端な魔力量であった自分が冒険者としてどこまでやっていけるのか確信がなかったし、何より冒険者だと、依頼で家を空けている時間が長くなる。であれば、冒険者ほどの実入りがなくとも、半日で終わる宿の仕事の方が良い。
アニスがどうしてそんなに家にいることに拘るのか。それは大好きな妹のシズアとできるだけ一緒にいたいからだ。
「悪い?」
いやいやアニスさん。どこ向いて話し掛けているんです?私はただの語り手なのですから、気にしないでくださいな。それに妹好きが悪いとは言っていないでしょう?
「ふん」
アニスはそっぽを向いた、いや、そもそもここには何もないので顔の向きを変えただけだ。
「マーサ、少し買い物に行って来る」
「あいよ」
マーサに声を掛けてから、アニスは宿の前の通りへと出、雑貨屋の方へと足を向けた。
宿から雑貨屋に行くには、一度中央広場に出て別の道に入る必要があるが、それでも歩いて数分の距離でしかない。
アニスは雑貨屋に入ると、アクセサリーのコーナーへ直行する。
明日はシズアの10歳の誕生日だから、彼女に似合うものをプレゼントしたい。
並べられたアクセサリーの中から目に付いた物を一つ一つ取り上げては、シズアが身に着けている姿を想像してにへらと相好を崩すアニス。
どれもシズアに似合いそうではあるが、最近アニスの真似をして髪を伸ばし始めているので、やっぱり髪留めかなと、シズアの瞳の色に良く似た緑色の石を使っている髪留めを手にした。
価格は500ガルと少しお高め。しかし、稼ぎがある一方で日頃殆どお金を使っていないアニスには問題の無い額だ。
「これください。プレゼント用にラッピングして欲しいんですけど」
奥のカウンターに座っていた店番の老女に注文を告げる。
「ラッピングと言ったって、箱に入れてリボンを結ぶくらいしかできんが、それでも50ガル掛かるぞ」
老女は心配そうな表情でアニスを見た。アニスにとっては痛い出費ではないかと懸念したのだろう。
「問題ないので、お願いします」
アニスはにこやかな笑顔で応じる。
プレゼントのリボンを解き、ワクワクしながら箱の蓋を開けるシズア。そんなシズアの表情を思い浮かべるだけでも十分にお釣りがくる。ラッピングしないなんてアニスには想像も付かない。
綺麗にリボンを結んでくれた老女に500ガルの半銀貨と50ガルの半銅貨を渡してプレゼントの箱を受け取ったアニスは、意気揚々と宿へと戻った。
宿の扉を開けて食堂に入る。そこではアニス達の家の隣人であるデュークがエールを飲みながら休んでいた。
「よお、アニス。買い物はできたのか?」
陽気な犬人族にアニスは笑顔で応じる。
「ありがとう、デューク。待っていてくれたんだ」
「骨休めしたい気分だったから丁度良い。気にするな」
「うん。買い物は終わったから、私はいつでも帰れるよ」
アニスは朝、宿に来るときは、牛乳を街の取引先に納めに行く父の荷馬車に乗せて貰うのだが、父は用が終わると帰ってしまう。だから、帰りは村の誰かの荷馬車に乗せて貰っていた。今日は市場に農作物を売りに来たデュークが乗せていってくれるらしい。
村の人達は皆親切で、アニスは世話になってばかりだ。
村は街から北東におよそ10キロ、荷馬車で一時間のところにある。
歩けない距離ではないものの、街道には犯罪者も出没することから、女の子一人では危ないと、独り歩きは親から禁じられていた。
自分はそこまで弱くはないと思う部分はあれ、親を心配させるのはよろしくないとアニスは大人しく親の言い付けを守り続け、今日に至る。
デュークの荷馬車で家の前まで連れてきて貰ったアニスは、乗せてくれたお礼を言いながら荷馬車を降り、手を振って荷馬車を見送った。
そして玄関の扉を開けると、勢いよく飛び込んでいく。
「ただいまー、アニスが帰ったよ。って、あれ?シズは?」
いつもなら荷馬車の止まる音を聞いて迎えに出て来るシズアの姿がない。
「それがねぇ、午後になってから調子悪そうにしてたから、部屋で休むように言ったの」
「どうしちゃったんだろう。私、見に行ってくる」
シズアのことが心配でたまらず、即座に子供部屋へと向かうアニス。
子供部屋はアニスとシズアの共同の部屋だ。二段ベッドが置いてあり、その下の段でシズアは横になっていた。
「あぁ、アニー」
アニスが部屋に入って来たのを認めたシズアが声を掛けて来た。
「シズ、どんな感じなの?」
「何だか身体が熱いの。それに良く分からない感じがして気持ち悪くて」
アニスはシズアの額に触れてみる。熱は少し上がっているようだったが、微熱程度だ。病気ではなさそうだ。
とは言え、シズアに元気が無いのは事実。
シズアの様子を毎日心行くまで観察しているアニスは、その理由が何となくだが察せられた。シズアの魔力量が増えているのだ。元々シズアは魔力量が少なかった。食堂の常連のヨゼフよりも少ないくらい。辛うじて初級魔法は使えたが、そこまでだった。
それが、今はヨゼフくらいの量になっている。魔力量が増えているから気持ち悪くなっているのか、別の原因が魔力量を増やしながらシズアを気持ち悪くさせているのかは分からない。とは言え何らかの形で体の調子と魔力量の変化は関係している気がする。
それに、少しずつではあるものの、魔力量は今も増え続けていた。
「シズの身体が成長しようとしているんじゃないかな。成長する時期は貧血になることもあるし」
「治癒魔法じゃ治らない?」
アニスは、うーんと唸りながら首を傾げる。
確信は無いにせよ、シズアの不調は魔力量の変化に関係したもので、病気ではなさそうに思える。
「何となくだけど駄目な気がするんだよね。シズがそうして欲しいなら、やってみるけど」
「アニー、お願い」
瞳をうるうるさせたシズアにお願いされてしまったら、やらないなんて言える訳がない。
アニスはシズアの胸の上に右手を翳し、そこに魔力を集めていく。十分に魔力が集まったところで、掌の先に光魔法の黄色の紋様を出し、力ある言葉を唱えた。
「ヒール」
魔法が発動してシズアの身体を包み込む。しかし、それだけだった。
治しきれない怪我や病気でも、治癒魔法を掛ければ一時的にでも少しは改善する。でも、今回はまったく変化がない。だとすれば、やはりこれは怪我や病気による体調不良ではないのだ。
アニスの見立ては正しかったが、それだとシズアの不調を治す方法がアニスには見当が付かない。これ以上状態が悪化しない限りは、様子見しかないと腹を括る。
「残念だけど、治癒魔法は効いてないよね?」
「うん。アニーは、お医者さんみたい」
シズアが力なく微笑む。そんな妹が愛おしくて、アニスはシズアの頭を撫でてやる。
「シズが治るまでここにいるから、ゆっくり休んで」
「うん、ありがとう」
安心したようにシズアは目を閉じる。そんなシズアの様子をアニスはうっとりと眺めていた。
それからアニスは言葉通りにずっとシズアのベッドの横にいた。
アニスはシズアの体調が良くなるようにと祈っていたが、変化の兆しはない。
夕食の時間になってもシズアは食欲が無いと言われ、仕方なくアニスは自分の分だけ食事を部屋に持って来て貰い、一人で食べた。
その間にもシズアの魔力は増えていた。既にアニスの魔力量を超えており、そのことをシズアに言ったものかと悩んだが、体調の悪いシズアに伝えても喜びは少ないし、増え続ける魔力量が落ち着いてからでも良いだろうと考えて口にしなかった。
夕食後もアニスはシズアに付きっ切りだったが、真夜中も近くなると流石に瞼が重くなり、昼間仕事をしていた疲れもあってシズアのベッドに突っ伏した格好で眠ってしまった。
翌朝、アニスは肩を揺さぶられて目が覚めた。
眠い目をこすって見上げると、ベッドの上で起き上がったシズアが焦った表情でアニスの肩を掴んでいた。
「アニー、大変だよ」
見たところシズアの顔の血色は良く、体調が戻ったように見えた。何が大変なのだろうか。
「シズ、どうかした?」
寝起きで不機嫌な声になってしまったかも知れないと、言葉を口にした後で焦るアニスだったが、シズアはそんなことをまるで気にしていない様子だった。
「あのね、アニー。私、ゼンセを思い出しちゃった。テンセイシャだったみたい」
は?ゼンセ?テンセイシャって何?
アニスは混乱した。
妹が大好きな姉のお話を書きたくて、書いてしまいました。
物語を引っ張るのは妹なので、普通なら妹の方が物語の主人公になるでしょう。しかし、本編では妹のために頑張る姉に焦点を当ててみました。
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(2023/12/31追記)
本章について、改行位置や表現の見直しを実施しました。
この作業で、本書全体の表現が共通化されます。
なお、次話以降も同様に手直ししますが、この手直しだけの場合、後書きへの追記はしません。