78話 温泉 その1
「というわけで温泉に来ました」
「どう言う訳なのかしら」
「手配は全て家がしましたので」
「手段のことを言っているわけでは無いわ」
とある温泉郷。
ゆいの暮らす町から電車で1時間ほどのそこに彼女たちは居た。
「偶にはいいじゃないですか」
「良くないわ。 ……こんな」
「わーっ、すごいねぇここ!」
ゆい、沙月、みどり。
魔法少女な少年と魔法少女のような少女と魔女の少女。
……たったの3人で。
「貴女ならまだしも……ゆいと一緒だなんて」
「たまたまスケジュールが合ったのが私たちだけだったんだから仕方ありません」
「……本当に偶然なのかしら」
「さあ?」
「………………………………」
「畳って不思議な匂いするよねー」
「和室って普段は目にしないよね」
「…………言われてみればそうね」
部屋に案内されて早々に荷物を投げ出して隅々を犬のように見て回っているゆいを眺めつつ、用意されていたちゃぶ台に腰を下ろすみどりと沙月。
「椅子はないのかしら……膝が痛くなりそう」
「お庭が見えるところ秘密基地みたいになってる!」
「あ、あの良い感じに狭い空間ならありますね」
「私は彼処で過ごそうかしら。 ふすまを閉めれば静かそうね」
「えー!? さっちゃんずるい!!」
「せっかく3人で来たんですから一緒に居ましょう、沙月さん」
「………………………………」
……そもそもここへ来るのだって半ば無理やりだった気がするわね。
みどりはどうしても信用できないから気をつけないといけないわ。
ゆいのことしか見ていないみどりの顔を眺めながら、沙月は決意を固くした。
♂(+♀)
それから数十分。
せっかく来たのだからと沙月なりにくつろいでいたが、妙に静かなのに気がつく。
「……遅くはないかしら、彼」
「気になりますか?」
「旅館に迷惑をかけていないかという意味で心配しているわね」
みどりに聞けば、なんでも外を探検してくると言い残して飛び出して行ったらしい。
普段通りにうるさかったから適当に相槌を打ちつつぼんやりとローカルな番組を眺めていたためそれに気がつくのが遅れた沙月。
……ゆいらしいわね。
最低限のマナーはあるのだし、あれでも魔法少女だから何かはないのだろうけれど。
そうは思いながらも、ついちらちらと入り口の扉を眺めてしまう。
「ゆいくん追いかけたいんですか?」
「まさか」
「そうですか。 なら先に温泉入りましょうか」
「話が繋がっていたかしら?」
「いましたよ?」
「……まぁ、確かに。 せっかく普段は来ないような場所なのだから1回は入ろうかしらね」
ゆいが戻って来るのにまだかかると判断したのか、みどりはヘアゴムを取り出すと軽く髪をまとめ始める。
……そうね、せっかくなんだから。
ごく自然な態度で入浴する準備をするみどり。
余りに自然に、何も気にする風もなしに着てきた服を脱いで置いてあった浴衣を身に付ける彼女を見て――「同性だから当然に一緒に入る」のだと流れで同じように動き始める沙月。
着替え終わって小物を袋に詰め、部屋の外を眺める――フリをしていたみどりが、そっとスマホで文字を打ち込んでいた。
♂(+♀)
「説明なさい」
「私たちが先にお湯に入ってるから気づいたらゆいくんも入ったらって」
「それは良いわ。 それで」
顔を赤くして……なるべく彼との視線を遮るように縮こまって立つ沙月の声は震えている。
「――どうしてゆいが此所に入って来ているのかしら」
「それは貸し切りの家族風呂を私が頼んでおいて、鍵を2個もらっておいたからです」
「いつの間にそんなことをしていたの」
「沙月さんがお手洗いに立ったときに」
「……貴女ねぇ」
「わー!!」
「そして何故ゆいがそれを持っているの」
「部屋に置いてきたからに決まっているでしょう、分かりませんか?」
「………………………………」
「ねえねえすごいね!!」
「……何故彼をここに呼んだの」
「だって、家族ですし。 でしょう?」
「違うわね」
「ねーねー!!」
やられたわ……。
肌を隠しながらうつむく沙月は数分前までの自分を呪う。
どうしてみどりに対して油断をしたのか。
どうして他の皆が来られない中で「せっかくだから」と来るのに同意した……させられてしまったのか。
……どうしてこの可能性を思いつけなかったのか。
そう反省するも、髪をまとめて服を脱いでからゆいに追いつかれたのは変えられない事実になってしまっていた。
「いいお天気。 景色が一望できますね」
「……開放的過ぎはしないかしら」
「それがいいんです」
「……来る前に説明が欲しかったわね」
「だってしたら来ないじゃないですか」
「当たり前でしょう。 ……はぁ、せめて1人で入るのだったわ」
「あの柵の向こう登れば!」
「ゆいくん、ケガ……だいふくも痛い思いしちゃうから無茶なことダメだよ」
「はーいっ!」
そう言って走り出したらしいゆいが心配になったか、思わず目線が向いてしまう。
――いつものサイドテールと後ろ髪を大きなクリップで留めているゆいが。
さらに言えば、上半身になにもつけず下半身にもなにもつけていなくて足まで直に地面と触れている――つまりは全裸のゆいが。
そんな全裸でありつつも両脚のつけ根という一部分さえ見えなければ少女にしか見えない。
沙月が見慣れてしまった入浴時の彼だ。
「岩ごつごつしてる!」
「走らないでね、ゆいくん」
「……せめて前を隠しなさい」
「僕たちだけなんだからいいじゃんか、さっちゃん!」
「振り向かないで頂戴」
ゆいが楽しそうにうろうろとしているのは大自然――を柵で仕切っただけのエリア。
外から覗かれないものの景色は楽しめるという絶妙な高さのそれは、もちろん人の手によるもの。
吹き抜ける風とともに揺らいでいるのは煙。
かすかに臭いを感じさせるそれは地面の水面から留まることなく。
「もう、素直じゃないんですから」
「半ば騙されたのは私なのだけれど」
「慣れましたよね?」
「慣れたくはなかったわね」
視線を遠くの山肌に生える木々に固定している沙月。
腰までの髪を器用にまとめて後頭部で団子にしている彼女もまた同じように全裸だ。
ただし、しっかりとタオルで前を隠している。
ゆいのように解放感あふれる格好ではない。
しかし高校生になる彼女にとって胸と腰の膨らみを完全に隠すにはバスタオルでなければ間に合わず、手持ちのタオルでなんとか最低限を隠すだけになっている格好だ。
「でもここってすごいね! こんなに広いのに僕たちだけ!?」
「うん、なんでも魔法関係の人用に用意されてるんだって」
「……福祉というのよ」
「だって」
「さっちゃん物知りだね!」
沙月の少し前で――前を隠す気配のないのはみどり。
ポニーテールにしているものの、くせっ毛のあまりに広がって扱いにくいらしい。
だがそんなことはどうでもいいとばかりに……少しだけ少女らしい体つきになっているみどりは何も恥じることなくさらけ出している。
しかしゆいの視線が集中することはない。
見慣れているのと興味がないのと……母親と姉、そして兄の教育のおかげだ。
つまりこの貸し切りの露天風呂、家族風呂には少年が1人と少女が2人という世界が広がったのだった。