75話 ゆい君は、魔法少女になったようです
「……それがあの魔物の卵なのね」
「うん、封印……めがみさまがしてくれたみたい」
まだ日の差さないくぼみ。
寝そべっているゆいが片手で空にかざしているのは桜色に光る繭のようなもの。
もう動こうにも動けず眠気をこらえるので精いっぱいなパジャマ姿の少年と、そんな彼が封印後に投げ出されていたのを捕まえて地面に下ろし――カジュアルな私服になっている少女。
「さっちゃん、ずるい」
「ずるくないわ。 言ったでしょう、私は魔法少女のときと魔女の2種類の変身ができるの。 変身前のストックも2種類。 さすがに外でパジャマは嫌よ」
「お揃いなのにー」
「どうせ家なら毎晩同じでしょう」
ぶーぶー言っているゆいを無視し、辛うじて電波が立っているスマホを漁るも特に大きなニュースが流れていないのを見て――問題なく片付いたのを知って安堵する。
普通に小さなニュースが流れている時点で、人が起き出す前に大規模な戦闘は終わったのだと分かる。
……ゆいが居なければ今ごろは大変な騒ぎね。
こんなにも静かな朝は望めなかったでしょう。
「それは厳重に管理してもらうのよね? その方法は分かるのね?」
「うん、大体。 渡辺と後で持ってくんだ。 魔力吸ったりしなければ起きないはずだって」
「そう」
ちょっともったいなかったかなー、と。
倒したときの感触で必要な魔力の倍以上で攻撃してしまったことを悔やんでいるらしいゆいは、ぱたぱたと足を動かす。
……3年分を、その程度の感覚で。
これからも傍にいて矯正してあげないと。
そう決意する沙月。
「おかしな色になっていた地面もすべて元通り――ではなくここもえぐれたままだけれど」
「真っ黒にならなかったのはヘンだなぁ。 あっちならそうなってたのに」
「ああ、貴方の夢で見たわね……そうならなくて良かったのかしら」
「うん、ああなっちゃうとゆっくり浄化しなきゃなんだって言ってたし」
冷たい風が吹き付けて沙月の髪が揺れる。
「あ、さっちゃん髪の毛ほどけてる」
「……そんな余裕も無かったものね。 貴方もそうじゃない」
「…………あ。 ヘアゴムどこ!? さっきまでちゃんと!」
「さあ……ずっと戦っていたのだしその辺りの土の中かも知れないわね」
「えー!? お気に入りだったのに――……」
と、しばらく周囲の土に手のひらを差し込んでみるも当然ながらにそれが見つかることはなく――もういちど脱力して横になる。
「……ねむい」
「……そうね」
髪や服が汚れるのも気にせず、沙月は静かにゆいの真横に寝転がる。
空は少しだけ薄暗く朝日を受け入れていて山脈の一部だけが陽の光を浴びていて、風の音以外は無音の世界。
つい先ほどまでともまるで違う別世界で、沙月はほうっと息をつく。
「さっちゃんもねむい?」
「ええ。 変身、解いたから……疲れも眠気も感じるわね。 一度使い切って貴方からもらってもう一度だもの。 もう動けないわ」
「…………………………………………」
「寝てしまっては駄目よ。 誰がおぶっていくと思っているの」
「う――……」
もぞもぞと沙月に抱きつくように――ベッドの上で良くされるような格好になる彼を見て、まだまだ子供ね、と。
しかし満更でもなさそうな彼女は「5分経ったら上へ登るわよ」と残酷な未来を告げる。
「……さっちゃん、ありがと」
「どうしたのよ」
「いろいろ。 さっきも、半分こした」
「……当たり前でしょう。 貴方のお父様とお母様に面倒を見てもらっているのだもの。 少なくとも町を出るまではそれくらいはするわ」
沙月は空を見続ける。
彼の寿命――精神的なそれが、先ほどの戦いで年単位で減った。
その重大さは分かっていたものの、その分を少女にしか見えない少年から守ることができた。
そう思うと恐怖を感じない……不思議な感覚に包まれる。
「ね、さっちゃん」
「何」
「僕ね」
両腕に力を入れて……べしゃっと沙月の上に倒れ込み。
「……胸からどきなさい」
「さっちゃんのお姉ちゃんのより柔らかくなーい」
「殴るわよ」
「さっちゃん」
「だから何」
再度体を起こすことはできなかったらしく、沙月の胸にあごを乗せる形で抱きつく格好の女装少年は言う。
「僕ね。 こっちの世界では今までひとりぼっちだったんだ。 あ、お母さんもお父さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんせ、お友だちも……みどりちゃんもいたけど」
30センチも無い至近距離からの告白を、視線を受け止めながら沙月の視線が待つ。
「ちかと美希っていう魔法少女さん、渡辺、だいふく。 ……さっちゃんたちと会って、戦って。 一緒に魔法少女できて、僕、嬉しいんだ」
「…………………………………………そう」
「初めて会ったときナイフ投げられたって思えないくらい」
「忘れなさい」
「最初のころのさっちゃんってつんつんしててさー」
「良いから忘れなさい」
「お風呂も入ってくれなくて」
「男女なんだから当たり前でしょう」
「家の中じゃがみがみだし」
「うるさくしないでと言っているだけね」
ホームステイ、同居、または同棲。
少なくない時間を同じ屋根の下で過ごしたふたりは、まるで。
「今日の夕飯なんだろ」
「まずはお昼……は寝て過ごしてしまいそうね」
「うん、たぶん」
「……昨日お兄様がカレーかシチューの具材を買っていたわ」
「カレーが良い!!」
「そう。 なら帰ったら寝る前に伝えなければ、ね」
「うん!」
「……さあ、そろそろ休んだから」
「●REC」
気配を感じて上を見上げた沙月の前には再びスマホのカメラ。
「さっちゃんセンパイが無垢な小学生をユウワクしてます!!」
「誤解よ」
「やっぱりさっちゃん先輩にはおねショタが……!」
「よく分からないけれどそれは違うわ美希」
「でもでも、小学生男子をぱふぱふして……!!」
「そうでないのは分かるでしょう。 今度の稽古、厳しくても良いのね?」
「むぅ……自分の武器を惜しみなく使っています。 さすがは泥棒猫さん」
「みどり、貴女どこに……あら、だいふく?」
「力の加減をまちがえて、ついみどりを落としてしまったの。 だから仕方なくあたしが運ぶことになったわ」
2台のカメラを払いのけ、みどりを背負っているだいふくから手を借りつつ起き上が……ろうとして、先にゆいを立たせる。
「ねむい――……」
「ゆい君はがんばったからね。 僕がおぶろうかい?」
渡辺が背を向けてしゃがむのに吸い寄せられていき、掴まったと思ったら目を閉じて……すぐに寝息を立てるゆい。
「ゆい君小学生だもんね。 魔力使わないで徹夜はつらいよ」
「みどりちゃんもダウンしてるもん、ね」
「え? これは」
「……ゆいくんと、お揃い」
朝日が当たる場所だけが桜色に光っている、腰までの長い髪を流してパジャマ姿の少女にしか見えない少年。
ゆいは、久しぶりの深い眠りについた。