69話 逃走
沙月が駆ける。
両腕に小学生の魔法少女たちを抱えながら。
「――――――――――――っ!」
背筋を駆け抜ける感覚に任せて真横に飛び……勢いでゆいを落としてしまうも、一瞬の前に彼女の足が着いていた地面は「人が触れてはいけない色」に偏食しており、酷い腐臭が立ちこめる。
「うぇ……さっちゃんひどいぃ」
「……あれから無傷で逃げ続けているだけでも有り難がりなさい」
立ち上がる力もないのか落っことされた姿勢のままで文句だけ言う彼をもう一度抱き上げ、再び走り出す沙月。
――――――――――――ゆいとみどりでも、駄目だった。
その絶望感を抱えつつ、彼女はひたすらに逃走を続ける。
ゆいとみどりの「最初の一撃」という――強力すぎて魔王と呼ばれた魔物さえ倒せるはずの力。
それは、確かに直撃したはずで――少しのあいだ魔物の気配は消滅していた。
なのに、何故こうなっているの。
沙月の頭はそればかりがぐるぐると回る。
腕で抱えているサイドテールからは桜色がほとんど消えてしまっており、反対側のくせっ毛からも森の奥のような緑色がかすかにしか映らない。
ゆいとみどりは、確かに――その身に宿していた10年分の魔力という切り札を使った。
だから周囲の魔物も消えていて……沙月はただ後ろから執拗に追ってくる、たったひとつの気配だけを意識すれば良くなっていた。
「――諦めなさいよ! この子たちにはもう餌の魔力は無い! 私にも逃げる程度しか――」
数秒おきに背中を狙ってくる攻撃を、そのたびに振り向いて躱すという動作。
要救護者をふたり抱えてでは何年も異形と戦い続けてきた彼女でも神経の削れる作業だった。
――来る。
それを察した彼女は素早くふたりを下ろす――落とすと、避けられない攻撃に向けて鞭を振るい矛先を逸らす。
鞭。
沙月は既に魔力の4分の3を消費しており、出力は高いものの気恥ずかしいゴシックロリータな服装に替わっていた。
「……さっちゃんのゴスロリ、いいな――…………うぇ」
「かぼちゃパンツから手を滑り込ませた――気持ち悪い」
「……それだけ軽口を叩けるのなら死にはしないわね」
敵の逸れた攻撃で巻き上がった土煙の中、軽く顔の汚れを払ってふたりの胴を脇に。
魔女は疾走する。
「――本当に。 貴方たちがうじゃうじゃと居た魔物たちを消し飛ばしてくれていなかったら」
「えへへ……役に立てたぁ……」
「初めての共同作業楽し……うぇ」
「寝ていなさい。 舌を噛んでも知らないわよ」
沙月の足元は明るい。
彼女が――少なくとも地球では目にしたことのない色に光るそれは、ゆいたちが葬ろうとした「何か」が引き起こしたもの。
ゆいによると――異世界で侵攻を受けていたほとんどの大地がその色に染められていたという。
「今は……とにかく。 あのバケモノでもどうにかできるのだと思い込むしかないわね。 ……飛ばすわよ」
♂(+♀)
「だいふく君、平気かい」
「ええ、何とかね……」
崩れた足場――つい先ほどまで渡辺とだいふくが結界を張りながら連絡を取っていた場所。
山の稜線。
そこは既に軟らかい土に埋もれており――公務員と精霊は土の中で張っていた結界の中からもそりと顔を出した。
「今のは」
「大丈夫。 みんな無事よ。 でなければあたしはもう消えているわ」
「……そうか、良かったよ」
足の踏み場というものがことごとく耕されてしまった中、沈まないようにと気をつけながら抜け出す。
――そうして彼らが目にしたのは、先ほどまで周囲を照らしていた光が綺麗と思うほどに脳を刺激するもの。
「渡辺……あまり見ない方が良いわ。 あれは、ここにあって良いものじゃない」
「……そうみたいだね。 あれが、ゆい君の見てきた世界の」
どこの世界でも劇物は劇物らしい光なんだね、と泥だらけのスーツを払いながら耕されてしまっていない地面に足を付けてほっとする。
「いざとなったら僕がみんなを抱えて逃げるよ。 ……そのときはだいふく君、普段の姿になってくれないかな。 ぬいぐるみだったらなんとか運べそうだ」
「……悪いのだけど、あたし、ムリなの。 変身解くの」
「? だって人の姿になっていると魔力を浪費するからって言っていたじゃないか。 ゆい君の担当になるまではほとんどぬいぐるみだったし」
「…………そう、なのだけど……えっと……」
尻尾を抱きかかえて顔をうずめ、緊急時だというのに「わがまま」を言うだいふく。
よく分からないけど何かしらの理由が……と考えている渡辺を見つけたらしい魔法少女たちが現れた。
「ひぃ――……渡辺さぁーん……死ぬかと思いましたぁ」
「すっごく吹き飛ばされちゃって……雲の中って冷たいし暗いしでこわかったです」
ふよふよと切れかけの電灯のように光る髪の毛を抱えた魔法少女たちが降り立つと変身が解除される。
「ゆいくんたちの、すっごい攻撃になるだろうって思って、衝撃が来たら飛ぼうって決めてたんですけど……すっごく吹き飛ばされましたー」
「……雲までか、それはまた……」
「地面にべちゃってならないようにってふたりでなんとか……おかげでもうすっからかんです。 ごめんなさい……」
「いやいや、ふたりが無事で良かったよ。 ……あとはゆい君たちなんだけど」
「……渡辺」
「ん? ああ、ごめんねだいふく君、さっきのは」
「…………ちょっと。 ふたりだけで、良いかしら」
「うん? うん、悪いねふたりとも。 少し腰を下ろして休んでいてくれるかな」
「はひー」
「足が着くって、すてきだね……」
そこそこの時間宙を舞っていたからか、足を付けるどころか地面にうつ伏せで寝転がっている、私服姿になってしまった千花と美希。
変身していない以上気をつけて運ばないとな、と言いながらだいふくの連れるままに移動する。
「……このくらいで良いかしら」
「うん、聞こえないんじゃないかな。 遮音は」
「するわ」
だいふくと渡辺の周囲だけが見えない膜に覆われ――ゆいの『じゅうたん』のことを話していたときのように、一切の情報が漏れない空間になる。
「さて、ここまでするからには何かとんでもないことが分かったり」
「え?」
「ん?」
「……いえ、違うの。 これはあたしの都合で……」
「ふむ」
もじもじそわそわとしているだいふくを見下ろす渡辺は首をかしげる。
……精霊というのは人間のように性格に個体差がある知的生命体。
しかしながら人ほどには感情は豊かではないし、基本的に全個体が繋がっているため秘密という概念も人からのもの。
――ゆい君かみどり君関係じゃなければ、一体。
そういぶかしむ渡辺に、人の幼子を模している「だいふく」と名付けられた精霊は口を開く。
「あたし、できちゃったの」
「――――――――――え?」
金髪の下の顔は暗がりでも真っ赤になっているのが分かり、今にも泣きそうな表情――つまりは羞恥を著しく感じている精霊が、そこに居た。