51話 戦士の休息と、異世界と
「後半の渡辺さん。ゆいくんが昔異世界で『かみさま』してたことを……ゆいくんじゃ説明できないほど分かりやすく説明してくれたの」
「……ん」
月本家のリビングルーム。
大きな画面にはドラマが流れていて窓の外からはときどき夕方の喧噪が漏れ聞こえる。
ソファに座った家族の団欒。
それは、普通なようでいて貴重な時間だった。
「ふたりともかわいいわ――……ずっとこうしていたいの……」
「んー」
「お姉さんの手って、優しい」
ソファに腰掛けたゆいの姉のふとももにスカート越しに頭を乗せて横になっている小学生たち。
ゆいとみどり。
それは、彼と彼女の年相応の甘え方。
……もっとも、それをしたがったのは姉の方だったが。
「ふたりとも髪の毛がさらさらしていていいわぁ……若いっていいわねぇ……」
「……お姉さんも世間的にはJKという貴重な若さだそうですよ?」
「自分より若いっていうのがいいのー」
「そうなんですか」
「んー」
ぽつりぽつりと交わされる、体の感覚に言葉を乗せただけの会話。
ドラマの邪魔にならない程度に繰り返されるそれは、眠気を誘うもの。
「久しぶりのお休みでごろごろ。 ……お姉さんの膝枕、久しぶりです」
「そうねー、ふたりとも魔法少女さんだったから寂しかったわぁ」
「んー」
「ゆいー?」
「んー?」
「お母さんもお父さんも心配なだけよー? ただ、それだけなのー。 怒ってるの、ただ、それだけ」
「……んー」
もぞもぞとひたいをスカートに押し付けながら甘える弟のサイドテールの根元をくすぐりながら、姉が優しく言う。
「それにー、ふたりとも放課後ずぅっといなかったもん」
「週に2、3回ですよ?」
「7回が4回になったら半分だもーん」
「……そうですね、巡回から帰ったら私もお家に帰っていましたし」
「そういうこと。 お休みだったらお休みらしくぐーたらしましょー?」
「……ん――……」
普段着用のワンピースを着ているふたりと、いつものようにどこぞのブランドものの同じ格好をしているみどり。
姉と弟はサイズ違い、肩が出ていて腰周りが緩く丈の長く白いもの、みどりは似たようなそれの黒。
甘い香りの漂うその空間は、女子2人とどうみても女子の1人で占められていた。
その真ん中に座って目を細めながら膝の上の頭を両手で撫でている姉。
普段のようにただ甘やかしたいのとは少しだけ違った声色があった。
「小学生さんは遊ぶのがお仕事だもん、勉強なんて中学生からで充分よ。 お受験なら仕方ないけどねー。 でも私はやっぱり遊んでた方が良いって思うなぁ。 お兄ちゃんだって中学受験してたけど毎日お友だちと遊んでたしー」
「お兄さん、なんでもできてすごいですね」
「要領が良いらしいのねぇ。 私はゆっくりしちゃうから無理だわー」
「ゆいくん、中学校はまだ決めていないんですか?」
「そうねえ、まだ4年生だし。 やる気があるなら5年生からでも間に合うからって。 ……みどりちゃん、ゆいくんに合わせないでいいと思うよー?」
「いえ。 私はゆいくんに着いていく健気な乙女ですから」
「あははー、自分で言っちゃうところがみどりちゃんよねぇ」
「…………ん――……」
とりとめもない会話。
ゆいたちが魔法少女になった、あの夜から極端に減っていた時間。
「ちょーっと、走り過ぎちゃったのよ。 ゆい。 1年生だったかなぁ2年生だったかなぁ、そのときも一時期ちょーっとぴりぴりしてたときあったけど、似たような感じだったらしいじゃない? 私、説明よく分からなかったけど……ゆいは気まぐれに遊んでいるのが楽しそうなんだから、気まぐれに休んだっていいじゃない……ふぁ」
生返事しかしなくなっていたゆいに釣られてか、姉も大きなあくびをひとつ。
「お布団、行きましょうか。 このまま寝ちゃったらお姉さん、風邪引いちゃいますよ?」
「そうねぇ、遅めのお昼寝にしちゃいましょうかー。 あ、みどりちゃん、ありがとう」
「いえいえ」
「…………んー」
「む。 運んであげた方が良いだろうか。 3人とも」
「お兄ちゃん。 ……うん、おねがーい。 結構眠いのよー」
「承知した。 みどり嬢もか?」
「ゆいくんがされるなら」
「はっは、君はいつもそうだな。 判った、眠い順に運んでやろう」
とろとろとした3人に、テーブルに肘をついて眺めていた兄が割り込む。
……今日も彼は立派に、決めた格好というものをしていた。
「……心の疲れは自分では気づきにくい。 怠けているくらいで丁度良いのだ。 ましてや真面目な質ほどにそれが深刻で、気がつけば手遅れ。 ゆいたちにはそうなって欲しくないものだな」
そうつぶやきながら華麗な女性の姿をした彼は、高校生の妹でさえ軽々と運んで行った。
♂(+♀)
「では、話をまとめてみよう」
数日前の月本家のリビングルームに疲れ切った渡辺の声が響く。
その前日の夕方から魔物が急増――ゆいたちが最初に戦った頃から対応に追われていた彼はとうとう一睡もできずに、よりによって「魔王の子供」が討伐されてしまったために……未だに眠れずにいた。
今日からも徹夜確定かぁ……魔法使いの経験がなければ無理な無茶だね、と枯れた笑い声をひとつ。
「ゆい君が異世界――近頃君たち学生に流行っている漫画の世界に召喚されていたというのは今から2年半前のこと。 ゆい君が1年生と2年生にかけての時期」
テーブルには渡辺と、その正面にゆい……ゆいの両隣には沙月とみどり、その反対側、渡辺の両隣には千花と美希。
……だいふくは、珍しく自分からゆいの膝に乗っていた。
「今よりも幼い子供のころのことで、時間もかなり経っている。 さらには――あちら側の魔法で思い出しにくくなっていたようだし、記憶というものは時間経過で変わっていくもの。 だから今尋ねた内容が正確じゃないかもしれないけど……おそらくは地球で唯一の、異世界の証言だね」
缶コーヒーをすすり、ことりと置く。
「そこは魔法が発達した中世ヨーロッパに似た世界。 テーマパークみたいで楽しかったそうだし文化レベルも高かったそうだ。 ……広いとは言っても囲いの中だけしかないって言うのもね。 そこでは魔法が身近なもので、誰しもが最低限は使えて……だからこそ技術は発達する必要が無かったのかもね。 だって、文明を興す火でさえ魔法でみんな使えるんだから」
「さて、町中で……幼い子供だったし、なにより『神様』という特別な地位あってのことかもしれないけど治安もここと変わらないくらいのところ。 誰もが優しくて穏やかな世界。 ――ただ、魔物という存在が、僕たちの世界じゃまだ100年も経っていないあれらが最初からいて……僕たちの世界よりもずっとずっと、猛威を振るっている世界」
ぼうっと渡辺の動いている口を眺めているゆいの耳には入っているその言葉。
「一時期はその世界で栄えたらしいその世界の人たちも、ゆい君が召喚されたときには劣勢も劣勢。 なんでも、残っているのはある国の首都だけで、他は全滅。 立地的になんとか滅ぼされずにいるだけって言う様子だった」
そんなゆいを、ときどき後ろに振り返って――金色の髪を彼のあごに擦りつけて、ほんの少しだけ彼の口元を緩めさせる、だいふく。
あの仕草は本物の犬みたいだ、と思いつつ渡辺は続ける。
「でも、遠くない未来に全滅……人類の絶滅は明らかだった。 だからこそ彼らは切り札の魔法を使って、別の世界から救世主を連れて来た。 それが、ゆい君……当時はたったの7、8歳の子だった。 …………個人の意志を無視して、しかも未成年どころかっていう子を命の危険のある場所へ無理やり連れて行ったんだ、拉致には間違いない。 ……けれど、それを裁く術もないし、今は置いておこう。 そういうのは偉い人たちに丸投げだ」
沙月は何度目になる視線をゆいに注ぐ。
その説明をたどたどしく、渡辺やだいふく、沙月の問いかけで引き出させられていた、そのときからいつもの彼とは違う――憂いが籠もっている、彼の目元へ。
魔法で着替えたついでに、一晩の戦いでついた体の汚れはとっくに落ちているし、眠気も感じずにいられている。
肉体的には元気そのものの状態のはずだったが……どう見ても小学生には思えない、あまりにも大きな感情を押し殺した表情をするゆいを見て、沙月は当初の怒りを感じられなくなっていた。
「そんな状況なんだ、あっちの魔物はファンタジー映画とかの魔物のそれ。 ……ゆい君が倒した魔王やその子供と考えられる存在、この前のときはこの国の国防を担っている魔女の人たちや魔法使いの人たち、対魔物特殊部隊の人たちや防衛軍の何分の1を投入しても歯が立たなかったあれが、弱い方だというくらいには。 …………正直、信じたくはないけどね」
まあ、データは揃っているし次からは何とかなると思うけどね――と自信なさげにつぶやく渡辺。
そうですね、と、沙月もまた――直接戦闘をしようとして戦闘にもならなかった不甲斐なさを思い出してうつむく。
「でも、ゆい君はこうして地球に帰ってきている。 それも、魔法を使ったにせよ無傷で。 失敗して逃されたわけでもなく、成功しての凱旋だ。 ゆい君はそれだけの力を持っていた――いや、持っているんだよね。 異世界から、全滅を避けるために貴重な全てを消費してまで招き寄せた『神様』だったんだから。 うん、魔王のときのデータからも……たぶん、ゆい君は必要以上過ぎる力でねじ伏せたのが確認されているし、ほんとうにそれだけの力を持っているんだ。 …………精霊の長老と呼ばれている存在たちが口を揃えてゆい君を自由にさせろと言っていなければ、今ごろは政府の管理下にあるくらいには。 ……うん、ここまでなら報告できる。 ここまでだったら、きっと上の役にも立つだろうからさ。 けど――――――」