39話 裏でこっそりと独断専行しています
「しゅぴぃ――……」
寝息の響く、ゆいの自室。
まだ日付が変わるまでに余裕のある時刻だったが、健全な小学生のこと。
普段通りに寝付いていた彼は、ベッドの中で芯から眠っていた。
しかし――彼の枕元。
光る何かが出現し、彼に何かをささやいて消える。
「………………………………………………んむ」
むくりと体を起こした彼は、暗い室内をきょろきょろと見回し……「その意味」が分かると、ぱっと床に立つ。
「行かなきゃ」
ぱあっと彼の体が光ると――桜色のサイドテールが舞っていた。
♂(+♀)
普段は星空を隠すほどにまぶしい外套や看板の灯りがぼやけるほどの、霧の中。
「……寒い! 寒いです沙月センパイ! 結界ってこんなに寒いものなんですか!?」
「違うわ。 これはただの余波」
「余波……ですか?」
「そう。 強い魔物はね、魔力を吸収できないくらいに吸い込み続けて吐き出し続けるの。 だからこれは、ただ存在するだけで起きるものなの。 「魔王」出現時とは比べられないけれど、状況は似ているでしょう」
ひぃぃ、と肩をすぼめて美希に張り付く千花と、張り付かれる美希。
その中、何食わぬ顔で周囲に目を光らせ、両手に短刀を構える沙月。
「……逃げ出し損ねたわ。 御免なさい、先ほどまで激しい戦闘をしていた貴女たちを逃してあげられなくて」
「いえ、センパイがとっさに守ってくれたから……」
「そ、そうです、ちかちゃんもわたしも動けなくて」
路地に身を潜めて少しでも冷たい風から身を守るふたりは、申し訳なさそうに沙月を見上げる。
「……だいふくも、無事ね」
「ええ……美希に治癒してもらっていなかったら……あら。 あたし、それまでどうして」
「だっ……だいふくちゃんは……そう! 疲れてうとうとしていたのよ! ねえ美希ちゃん!?」
「そう、そう! だから思い出さなくていいんだよっ! あのヘンなもごもご」
「……何かが気になるけれど、そんな場合じゃないのよね。 結界だもの」
ヒト型に無事に戻っているだいふくは、普段とは違ってふわふわと宙に浮き沙月の傍で周囲を探っている様子だった。
「……そ、それにしてもぉ……寒すぎません、か? だって、変身中って真冬でも薄着で平気で、真夏で着込んでても平気だって聞いたのに」
「それは通常の空間の場合ね。 今みたいに魔物の支配下の結界の中だと、あなたたちの魔力が負けてしまうの。 そうね、セーターを着ていても風が当たっていたら寒い……で、感覚で分かるかしら」
「………………………………………………」
ぎゅ、と、手を取り合うふたり。
「けれど……これは」
「ええ、不味いわ。 あのときほどじゃないけど、普通の……この町の子たちが対処できるランクを超えている魔物ね。 魔女である沙月がいるから、まだ何とかなりそうだけど」
ときおり――警戒されているのか、先ほどまで千花たちが戦っていたような魔物がまとめて出現し撃退するのを繰り返す、その合間。
彼女たちは、「また」、普通でない事態だと感じつつあった。
「でも、沙月がいても町に被害が出ないで済むかしら……微妙なラインね。 余裕を持ちたいけれど、この反応は初めてだし……まだ結界も破れる気配が無いから、今のうちにきちんと倒せたら平気だろうけど、でも」
「戦力が足りないわね。 ……千花と美希は戦闘後だし、この子たちと同じくらいでも私の足手まといになるかも」
「センパイひどーい」
「事実よ。 ……貴女たちはともかく、いざというときにだいふくたちが消えるリスクを考えると、それくらいのマージンは取りたいの」
「なんだか難しい言い回し……魔女さんです、ものね、沙月先輩って」
「あの、センパイ。 ゆい君とかはどうですか? 今日は当番じゃありませんし、……この時間だと起こさないとですけど」
「……あの子も、確かに魔力は大きい。 けれどまだ子供だし……見習いが取れたばかりでしょう? 『最初の一撃』で、低リスクでヒットアンドアウェーができる状態とは比べられないわ」
「……そうね。 あたしも、なるべくならあの子に本気を出して欲しくないわ」
「? なんで? だいふく」
「………………………………………………なんでも。 ……っ、突風で飛ばされそうになって来たわね」
さらに勢いを増す風。
先日のものは台風のように生暖かいものだったが、今回は刺すような冷たさ。
……人は、寒さで体力ごと吸われるから厄介な結界になっている。
「沙月」
「……何」
「渡辺の名前、使っていいから貴女の同郷の魔女たちを呼んでくれるかしら。 念のためよ。 確か今は大きな作戦とかないでしょう?」
「……そうね。 先日を考えるとそれがいいのかもしれないわ。 「魔王」の……と言えば二つ返事でしょう」
「ええ。 相手は魔女の貴女と精霊のあたしでも初めて遭遇する存在だもの。 慎重に越したことはないわ。 この前ので、人間のセイフも文句言わないでしょ」
「……怪我の功名ね。 良いわ、丁度私と戦闘面で相性の良い仲間が空いていると聞いているし。 ……ようやく復興が始まったこの町の被害、抑えたいものね。 今は……その。 こちらに、私の家があるわけだし」
「さっちゃんセンパイ……!」
「さ、さっちゃん先輩っ」
「だからその呼び方は止めて。 ……電話は無事に繋がるようね。 …………はい、天童です。 渡辺さん、既に連絡は行っていると思いますけれど……」
「あ、電話通じるんだ」
「……あのときもそうだったし、考えてみればそうなのかも? けど、そんなに強いんだ……ね」
「そうね。 ……千花と美希には伝えられていない情報だったでしょうけれど、これは「魔王」の種、よ」
「種? 魔物って植物なの? だいふくちゃん」
「ち、違うんじゃないかな、ちかちゃん……」
「魔物の種。 ……卵。 どちらでも良いわ、奴らはあたしたち精霊と同じように形のない存在だもの。 強い魔物はね、死に際に自分のコピーを残すの。 それも、まるで存在感がなくて見つけづらいのを。 だから沙月にこの町の巡回がてらに探してもらっていたのだけど」
「……あ、なるほど。 前ので余計に平和に……や、町はぼろぼろだけど……なってるのに、なーんで沙月さんみたいなエリートさんがって思ってたけどそうだったのねぇ。 ……てっきり、ゆい君にご執心なのかと」
「ち、ちかちゃん……なんでもかんでも恋バナに結びつけるのやめようよう」
「えー、つまんないじゃない! 潤いがほしいのよぉ!!」
「……そんなどうでもいいことは置いておいて」
「どうでも良くないわ、だいふくちゃん!!!」
「どうでもいいでしょ……で、結果的に孵っちゃったと見て良いわね。 ほんとうは、こうならないようにしたかったのに」
「……はい、では。 ………………だいふく、話は付いたわ。 ……けれど、限界はあるわよ。 被害を軽減するだけで立派なの。 あと、千花? 何度も言っているけれど、あの子と私は5歳も離れているの。 色ボケもいい加減にしなさい」
「ぶ――……お堅いいいんちょ系さっちゃ」
「何か言ったかしら?」
「いーえ、なんにもっ」
会話をしながら、電話をしながらでもひっきりなしに現れてくる魔物。
それを難なく短刀を投げ……一撃で仕留めながら、「最短で5、6時間。 それさえ凌げば応援が来るわ」と伝える沙月。
「貴女も、この町の子たちも充分にがんばってくれたわ。 例えるなら……そうね。 美希がこの前お家で出たって言う、あの黒くてカサカサ動く虫。 あれを1匹退治しても、残党や卵を簡単には見つけられないって」
「ちょいちょい、だいふくちゃんだいふくちゃん」
「……だいふく、あなた。 少々以上にゆいに毒されていないかしら……? その、虫で例えるところとか。 いえ、卵とか出てきたから仕方ないのかも知れないけれど」
「――――――――――――――はっ!? あ、あたし……毒されて……!? え、エレガントじゃ……!?」
さあっと吹いた風で金色の毛がふわっと抜け、頭を抱えるだいふく。
「……だいふく。 はげない?」
「ハゲないわよ!!」
「……ほんとう、どうして小学生……だけなのかしらね、男子というものは。 虫が大好きなのかしら……それも、気持ち悪いと言いながら喜んで見たり、触ったり。 ああもう、あの子普通に素手で触ったりするから……っ」
「さっちゃんセンパイも」
「沙月」
「……沙月センパイも止めてくださいね? 私、虫苦手なんです……で、あの。 それで、私たちはどうすればいいんですか? 巡回は終わって戦って疲れてはいますけど、もう1時間くらい守ってもらいながらじっとしててコンディション戻って来ましたけど」
「そうね……眠気をコントロールできるのなら、そのまま待機しながら回復していてもらって良いかしら。 この程度の敵なら私がどうとでもできるけれど、集中力には限界があるもの。 数分で良いからときどき休みたいの」
「ちかちゃんと私がサブってことで了解ですっ」
なんだか寒さが和らいできたね、と言いつつも……不安からか、千花の手を離さない美希を見ながら、千花が元気を取り戻した顔つきになる。
「で、もうここまで来てしまったら――孵るのを待つしかないの。 この段階の魔物へ下手に刺激をすると……近隣の魔物を呼び寄せてしまうことがあるから。 また、この町に魔物があふれたら……今度こそ、対処できないわ」
「沙月の言うとおりね。 とりあえずはあたしが魔物の結界の外側に結界を張って隔離。 渡辺には、この付近の人間だけに避難させるよう伝えてあるし……ええ。 この前のようには、したくないもの」