35話 天童沙月・「さっちゃん」の日常/「おふろ(withゆい)」
ゆいくんは、お湯に浸かっていれば女の子にしか見えません。
「なっ、……ななな、何で!? なんで貴方、いきなり入って!?」
「だっておふろ。 まださっちゃんとは入ったことなかったもん」
自分ひとりの安心できる空間で、全身をお湯に浸けてぼんやりとしていた沙月にとって、それは衝撃的過ぎる展開だった。
――あまりに衝撃的過ぎて、彼の裸の一部分から目を離せなくなるほどに。
「いえ、あのっ! だから私たちは異性でっ!」
「? よく分かんない」
「…………………………………………」
じぃ、と見つめる先は……どうしても腰の部分。
正確には、沙月とは決定的に違う部分。
まだ混乱も深く、彼女の脳が優先して見ようとしてしまったのは、よりにもよって「そこ」だった。
丁度、彼女が湯船に浸かった状態で、彼が立ったままの姿勢と言うこともあって……ぴったりだった。
「だってさー、そもそも今日は僕が先だって言っといたのにぃ」
「……ゆいくーん、ゆいくーん? 聞こえてるー? あのねー」
「あれ、お姉ちゃんの声。 さっちゃんちょっと待ってて? …………え、そうなの?」
「うんー、さっきゆいがうとうとしてたから、先にさっ、……沙月ちゃん、ぐすん、に声をかけたのー。 てっきりまだ寝てるかと思ってたのにー、声がしたからー」
「…………………………………………………………………………………………、っ」
だんだんと事情が分かってきて、さらには冷静さを少しは取り戻してきた沙月は……自分が何を見つめていたのかを悟り、急いで目を背ける。
……わっ、私は一体何をしていたの!?
何歳も年下の男の子の……その、ところを凝視するだなんて、まるで痴女じゃない!
彼女の常識が、彼女の反応がいかに不味いものであるかを蕩々と知らせて来るため、彼女の意識は変わらずに混乱のただ中だ。
「……でもいいよね? さっちゃん」
「………………………………ふぇ?」
「だって僕、もう脱いじゃったもん。 足の裏濡れちゃったし、今は入る気分になっちゃってるもん。 だからさっちゃんと入ってくるねー、お姉ちゃん」
「ゆ、ゆいっ、わ、私もっ」
「えー? 3人は狭いしまた今度ねー」
脱衣所の外の扉がゆいの魔法によって閉じられ、かちゃりと鍵を掛けられ……更には沙月が張っていたのと全く同じロックを掛ける。
……そうよね。
いつも学校から帰ってきたら私の部屋に入ってくるのだもの、それくらいは……、と。
そう考えかけて、そもそも沙月は幼い頃から特別な才能があったからこそ今の考えに違和感を覚えなかったが、逆に言えば……ゆいは彼女や同僚と同じレベルで魔法を使いこなせるのだと思い知る。
いつも魔法のロックを解除し、物理の鍵をピッキングで開けているが……その逆もできてしまっている、というのを、今初めて知ってしまった。
……だから最初の一撃で、私たちでも敵わなかった「魔王」を打ち倒せたのかしら。
そうして思考に沈んでしまったのがトドメだった。
「さっちゃんさっちゃん、お姉ちゃんが明日一緒したいって。 いい?」
「……………………………………………………………………………………」
「ねー、いいの?」
「え? え、ええ」
「お姉ちゃーん、いいってー」
「! ありがとーっ、ゆい!」
何が良いのかしら、と、返事をしてから我に返った沙月は――改めて現状を自覚してしまった。
年下とは言え、男子と一緒に……それも明るく狭い風呂場にいるのだと。
あと、何やら明日にゆいの姉との約束が出来てしまった気もするが、今はそれどころではない。
「ちょっと掬うから手、よけて?」
「え? ……え、ええ。 ……?」
じゃぶ、とお湯を汲み上げると、じゃばじゃばと雑に――全身に掛けていくゆいを、あっけにとられたままの沙月は見続けてしまう。
両親、いや、兄と姉に躾けられているのか、肩から下を全て、特に……先ほどまで彼女が凝視していた部分の周りを流している、ゆい。
普段は腰より下まで流している髪の毛も、今はきちんと上げ、留めている。
……それは、髪の長い女子が、特に公共の場でお湯に浸かる際にするもの。
沙月の髪は長すぎるために後頭部が重くて仕方が無いため、それに魔法のおかげで特に毛が痛まないことからそうせずに、適当に邪魔にならないようにとだけしているのだが……幸いなことに、他人の家という意識からきちんと上げている。
よかった、だらしないと思われなくて。
…………………………………………ではなくて!!
「ちょっとー、ぼーっと見てないでどっちかに詰めてよー、さっちゃん。 僕、肩まで浸からないと気が済まないのっ」
「え、ええ……ごめんなさい? ……………………、え?」
♂(+♀)
月本家の、普通の家よりもいくらか広めの風呂場、足をゆったりと伸ばすことの出来る湯船。
それは誰かひとりだけならとても快適かつ全身のほとんどがお湯にしか触れないという贅沢極まりない空間なのだが――今は、ふたり。
高校生になった少女の沙月と、小学生で……少女のような少年のゆい。
じゃばじゃばとお湯で遊んでいるゆいを見ないようにしていた沙月だったが――意を決して、声をかける。
「………………………………、確認」
「ん? さっちゃんなんか言った?」
「嘘偽り無く、誤魔化し無しで答えて欲しいの。 誠実に」
「よく分かんないけど、僕、ウソ嫌いだよ?」
「そ。 なら、……あなた。 本当に、本当に! 本当に私を始めとして女性のはっ、……裸を見てもなんとも思わないのね!? よ、欲情しないのね!? わっ、わざと……私のを見たいがために入って来たわけでは、本当に無いのよね!?」
「さっちゃん早口すぎてよく分かんない。 けど、さっちゃんのはだか見てどうするの?」
「……え」
「だっていつもお母さんとかお姉ちゃんとかみどりちゃんとおふろ入るし。 あ、でも、家族以外の女の子のはだか、じろじろ見ちゃいけませんって言われてるから守ってるよ? 普段もそうだし体育のときも、プールのときも。 失礼なんだって」
「……………………………………………………………………………………」
そう言えば、そうだった。
沙月が……混乱していたとは言え、たっぷり1、2分見ていたのと違い、ゆいは彼女の顔しか見ない。
もちろん入ってくるときに体は見えてしまっただろうが――それでも、体に突き刺さるような視線は、覚えがない。
つまり、ゆいは。
――――ああ。
この子、見た目どおりに……普段の通りに、まだまだお子様なのね。
性別の差なんて大して……いえ、女装を好んでしているから、この場合はどういう扱いになるのかは分からないけれど……気にしていなくて。
……思い出して見れば、普段から身長差の関係でゆいから見上げられることが多い。
けれど……それでも、彼からしたら顔よりも近いところにあるはずの胸には……同性から来る程度の視線しか来たことが、無い?
………………………………………………………………………………。
……つまり、私が意識しすぎていたということ?
いえいえ、違うわ。
家族でも無く知り合って間もない異性がいきなり全裸で、それも浴槽に浸かってきたのだもの、警戒するのは当たり前よ。
だからこの子は、本当に、単純に……私と、まだいちども入ったことのない私と入ってみたかった。
つまりはこの子の姉と同じ動機、それ以上の感情も衝動も覚えず、ただただ、普段の通りにしているだけなのね。
………………………………………………………………………………けれど。
今、みどりさんとも一緒に……と言っていたのは気のせいだったのかしら?
いくら小学生とは言っても、仲が良いとは言っても、流石に小学4年生くらいになると男女はお互いに気にし始めるものだと聞いていたのだけれど……?
頭の中が疑問と納得でぐるぐるとしている沙月は、ひとまずとしてゆいに対する警戒を薄くした。
……が。
「でもさー、さっちゃんってさー」
「え?」
じゃぶ、と……体を硬くし、なるべく自身の裸体が見えないようにと体育座りをしていた沙月の両膝の上の両手に、ゆいの両手と体重が乗っかってきて。
「……………………………………!? ……な、何よ」
急いで目を逸らしたものの、腰を上げていたゆいの「そこ」が、丁度沙月の目線の先に来てしまい、揺れているのをしばし見て……またまた慌てて目を逸らす。
……こんなに小さな男の子の……その、ところに、何でここまで意識をしているのかしら。
そう思いつつも、小学校低学年以降は異性との接触どころか同性とのそれもほとんどなかった彼女のこと。
「そういうこと」に対する耐性は、限りなく低い。
「おっぱい。 ちっちゃいよね」
「んなっ!?」
この子は大丈夫なのだと……思い込もうとした途端の発言に、沙月は体をこわばらせる。
「ん――……僕は置いといて、みどりちゃんとお姉ちゃんを足して2で割った感じ? お姉ちゃんが、それがかわいいのっていつも言ってるし。 でもおしりも小さいからうらやましいわーって言ってるし。 やっぱりスレンダーさんって言うのなんだ」
「…………………………………………………………………………………………」
両手で深く胸を隠すも、肝心のゆいはすでに離れてちゃぷんとお湯に浸かり……何故か自分の胸を、小学生の男子にしては何だか大きい印象を見せる胸を揉んでいる。
……分かっているじゃない、この子はいきなり驚くようなことを言い出すの。
今のだって……ええと、せ、性的興奮とかではなく、単純に胸の大きさが気になったから言いだしただけ。
きっと……恐らく、そうよ、ね?
そう自分を納得させつつ、体のガードを緩める沙月。
……落ちつきなさい、戦闘経験も魔力も私の方が圧倒的に強いのだし、身体的な能力だって……男女とは言え、この子はまだ成長期前。
戦闘訓練を重ねてきた高校生の体の私なら、いざというときにでもどうとでも出来るのだから。
だから、真に受けてはいけないの。
子供はいつだって「なんで」を繰り返す、好奇心の存在。
それがただ、たまたま風呂場でお互いに裸だからこそ私に向いているだけ。
落ち着くの、落ち着くのよ。
そう、思い込んで何とか平常心を保とうとする沙月。
……小学生の男子、それも普段から女装をしている相手に対し、高校生の自分がここまで過剰に反応している理由については――少なくとも今は、彼女の意識は理解できるものではなかった。
「順調順調。 ふふふふ……」
「みどりは何故、ゆいの行動を監視しているの……怖い」