34話 天童沙月・「さっちゃん」の日常/「朝」・「昼」
「居候……いそうろう。 ……その手があったのね。 流石はさっちゃん先輩」
「ホームステイよ。 あと、さっちゃんは止めてみどり」
「前半はさっちゃん先輩が静かに過ごしているだけ。 後半でゆいくんを見るの」
「だから、前半とか後半とか一体何なの……?」
「沙月嬢、少々良いかね?」
「ええ、どうぞ」
朝食と言う名の昼食を済ませ、洗濯などを終えて借りている部屋に戻って来てしばし、沙月――が間借りしているの部屋のドアをノックする音。
ゆいの兄に対して警戒する必要もないと分かってから、彼がいたとしても起きている間は鍵は掛けないドア――それを、魔力で軽く動かして開ける。
「ふむ、誠に魔法とは便利なものだな。 ああいや、沙月嬢のような職業魔女だからこそできるのだろうか」
「……ゆい君でもみどりさんでもできるはずです。 1回できてしまえば。 自転車と同じみたいなものですから。 もっとも、彼の方は開ける方が先にできていますけれど」
「なるほど、運動と近しいものがあるのか……興味深いな」
イスを引き、立ち上がった沙月の目に飛び込んできたのは……うっすらとした化粧もし、髪も綺麗に整え、スレンダーな美女にしか見えない垢抜けた服装をしたゆいの兄。
そう言えば今朝、ゆいはワンピースだったわね、だからそれに合わせて上下セットの服装なのかしら、と……半月掛けて理解した、ゆいの兄の服の法則性をぼうっと眺める沙月。
「む、勉強中だったか。 邪魔をして悪かったね」
「いえ。 ひとりだからこそ、ちょっとした息抜きは必要ですから」
数歩彼の元に歩み寄って行き、じっと見上げてみる。
――こんなに近くで見ても、テレビで観るような人たちみたいなお肌。
ゆいは小学生だからともかく、……髭まで全く無いじゃない。
魔法も使わずに、どうして男の人がここまで……とも思うが、それは毎回のことで。
「ならば良かった。 では私は講義に行ってくるのでな、家の留守を頼みたい」
「いつも通りに。 人も魔物も寄せ付けません」
「うむ、可愛らしい乙女な護国のエースの言。 頼もしいな。 では、夕方まで頼む」
「はい、…………行ってらっしゃい、ませ。 お兄様」
「もう少ししたら私たちと暮らす照れくささや他人行儀な所が無くなるのだろうな。 うむ、良いことだ……さてさて。 今夜は誰と呑むか。 そして誰と過ごすか……悩みどころだな……」
……そう言うの、知られているとは言え高校生の私の前で言っても良いんでしょうか、と口を出したかったが我慢し、彼が靴を履く――姿も女性そのものだ――のを眺め、玄関から出て行くのを見送る。
……ゆいとは違って家事も完璧で、お勉強も……大学だから研究というものもあるのかしら、それもゆいとは違って得意だと言うし、ゆいとは違ってきちんとした大人の気遣いというものが出来て。
女性の格好どころかお化粧でも女性顔負けな彼は、本当に完璧なのね。
少しだけの嫉妬を覚え、それに嫌気が差した沙月は、はぁ、とため息をひとつし、玄関の鍵がきちんと閉まっているのを確認してから部屋へと戻る。
この世界――特にゆいの父、多少和らいだとは言っても兄の世代などは、まだまだ女装するということ自体への偏見も強かったはずなのに……それでもおふたりは特に嫌な思いをしたことはないと言う。
お父様もきっとお兄様と同じだったでしょうし……能力があって人間関係が上手だと、あのように自然と受け入れられるのでしょうね、他人に。
多少他人よりも優れていても、あいかわらずな私とは違って。
最初の数日、自身のコミュニケーションの苦手さを充分に理解しているからこそ羨ましく、憧れでさえある月本家の男性陣――ゆい以外の――は、沙月にとってはかなりのカルチャーショックだった。
本当に羨ましい――けれど、それに見合う努力もしているはず。
才能や美貌、人付き合いの上手さで褒められる誰だって、裏では人並みを外れた努力をしているのだから。
――小学生の時から魔力を使った戦闘訓練と実地での戦闘を繰り返し、その傍らにほぼ自習で各科目を勉強している沙月には、白鳥の例えと言うものがよく理解できる。
努力とは日々の積み重ね。
天才などと簡単に言う人間は、それを理解しない大多数。
そして、努力をするのは沙月自身しか居らず……それを積み重ねて平均を超え、別格になるまでもまた、自分でしかないのだから、と。
……ゆいのお兄様もお父様も、あの女性のような声――凜とした感じの女性の声というものを自力で獲得したとおっしゃっていたし、少し調べてみたらそれは簡単なものでは無いと言うわ。
ただの技術、されど技術よ。
得るまで諦めずに練習するその努力もまた、女性の格好をするという目的のための執念ね……と、改めて思う。
…………、ゆいも2、3年の内に声変わりもするし、急に背も伸びるはず。
あの子もやっぱり……努力するのでしょうね。
可愛らしくありたいという目的だけで、努力とも思わなさそうだけど。
くす、と……沙月自身の自覚していない笑いと笑みが漏れ、彼女はそのまま机へと向き直る。
――不規則な生活を何年も……自分で律してしなければならないからこそ沙月の日常は完全に固定されている。
起きる時間は変動したとしても、その後まずは朝食、そして自分の分だけの家事を手早く片づけ、それから昼食――沙月にとっての、までの時間は勉強だ。
ホテルを転々としていると備え付けの机とイスが使いづらいものだったり、狭いものだったり、大人のサイズで背が合わなかったり――あるいは座布団を敷いてちゃぶ台の上でだったり、テーブルすらなくベッドの上でするしかなかったりもするが、今滞在している部屋のそれはきちんとした学習机とイスで、彼女にとっては久しぶりにとても使い心地の良いものだ。
「………………………………………………………………………………………………」
各科目を満遍なく、普段通りのスピードと時間で、普段通りの順番でこなしていく。
誰に教わることも無く、誰と話をすることも無く、ただただ静かに、何時間も。
彼女たち魔女は、大学卒業までの全ての出席を免除されている。
それどころか、勉強も別に強制では無い。
中学の義務教育まで――彼女にとっては去年までで本来の勉強はおしまいであって、今取り組んでいる高校の内容はする必要の無いこと。
実際に同僚の魔女や魔法使いの大半は、やらなくて良いんだし、そもそも自分たちの仕事は現場で体を動かすことだから――と、しようとすら思わない。
だが、天童沙月は黙々とこなす。
勉強は確かに面倒くさいし、必要ない知識も頭に入れなければならないし、疲れるし肩も凝るし、何よりも小説や映画の方がずっと楽しい。
けれど、やった分は――努力した分は、やっぱりどこかで私に返ってくるの。
だから、忙しい時期以外はこうして……生活のリズムとか「学生として生きている」感覚を得るためにも、彼女は机に向かう。
それは沙月の性格と信念でもあり、彼女の実家――両親の姿を小学生まで見続けてきた、彼女の選択だった。
♂(+♀)
「…………ふぅっ」
ぱたん、とノートを閉じ、かたん、とペンを置く。
魔力を扱えるようになると集中力と理解力、持続力が飛躍的に高まり、一方で疲労などは回復魔法でほとんど解消できる。
……ズルも良いところだけど、努力したものはしたのだから良いわよね、と……「今日は」邪魔されずに日課の分をこなし終えた沙月は立ち上がり、回復を掛けるとともにぐーっと体を伸ばす。
ああ、今日は良い日。
だって、あの子に邪魔されずに終えられたのだから――と、思った瞬間。
「……………………………………………………本当に間一髪。 運が良いわ」
玄関を勢いよく開ける音が聞こえ、ドアが自然に閉まる時間ももどかしいのか、ばたんと自分の体重で引っ張り閉める音が響き……走る音とともにカチャカチャというランドセルのストラップ――今流行りの魔法少女シリーズのものらしい――をの音を引き連れて、彼が沙月の所までやって来る。
「……さっちゃんさっちゃんただいま! あ、さっちゃんまだお勉強中!?」
「…………いえ、終わったところ。 だけれど、魔法で鍵を……言っても無駄ね。 ならせめてノック位して頂戴。 最低限のマナー」
「お兄ちゃんいる? お姉ちゃんは? お母さんは? お父さんは?」
「……まだどなたも。 けれど、お兄様はお酒の席があるから遅いそうだし、…………お友だちのところに泊まってくるかも、と」
「えー!? またぁ!? もうっ、お兄ちゃんったらいっつもお家にいないんだからっ」
ぷん、としながら勝手に沙月のベッドに腰掛け、足をぱたぱたとさせながら振り返るようにして彼女と……一方的な会話を始めたゆい。
……本当に、元気な女の子にしか見えないわね。
手入れが大変――魔法少女になってからは楽だろうが――だったはずの長い髪、左右で結っているリボン、みどりが着ているようなワンピースに、ピンクとキラキラした素材が主体のキーホルダーやシールでいっぱいのランドセル。
自分のことを「僕」という女子もいないわけでは無いと言うし……だいふくが女の子と間違えて契約してしまったのも無理はないわ、と思う沙月。
「さっちゃんさっちゃん」
「だから連呼しないでと」
「今日のおやつ何だって何だって!?」
「さあ。 ……けれど、丁度私も勉強が終わって小腹が空いたわ。 いつものように何か用意してくださっているでしょうから……一緒に台所、行く?」
「うん!! じゃあすぐに」
「その前に。 ゆい、帰ってきて、手、洗った?」
「あ」
「あと、うがいも。 ……帰ってきて、いつも真っ先に人の部屋に入るのだから、せめてそれはしてからにして頂戴?」
「はーいっ! ごめんなさい!」
「……良いわ、浄化魔法でこの部屋の分は何とかしておくから。 あなたは先ず洗面所。 荷物を置いてから来なさい」
「分かったーっ!」
反省していなさそうな返事をしつつ、けれどもすぐに立ち上がって洗面所の方へと……どたどたガチャガチャと走って行くゆい。
……落ち着きのない子。
まあ、年相応というものだから仕方が無いのかしら。
小学校に通っていたころにもこういう子、いたもの。
いちいち腹を立てるより、今みたいに諭せば良いの。
あの子、素直ではあるからきちんと言えば従うし……などと思いつつ。
浄化魔法を掛けたものの、彼のおしりの形にくぼんだシーツを眺めながら……沙月は思うのだった。
――あの子を抑えられるあの子のお母さんかお姉さん、もしくはみどり。
どちらかでも早く来てくれないかしら……と。