31話 口づけの代償(同棲)
「新しい生け贄(沙月さん)がゆいくんと同棲する経緯よ」
「みどり……貴女、ときどき口の動きと発音が……!?」
時間は一気に巻き戻る。
それは、天童沙月が月本ゆいたちを襲ってしまったものの……冷静さを取り戻し、口約束ではあったがゆい自身に望む条件を突きつけて受け入れられ、ほっとして気が抜け――促されるままにゆいの背丈までしゃがんでしまい、熱烈な口づけと共に大量の魔力を注ぎ込まれ。
……一ノ倉みどりの謀略により、少女では無く少年だと聞かされてしまい。
自己の価値観というものが固定される前に魔法少女、そして魔女となり数年というストイックな生活を送ってきた彼女が、乙女らしいロマンを抱いていた「異性とのファーストキス」を受けてしまったのだと知ってしまい……敏感となった全身の感覚と合わせて耐えられず気を失ってしまってから1、2時間と言ったところ。
「……、ん…………」
もぞ、と何度かの寝返りを打って、天童沙月はベッドの中で目を覚ました。
いくらゆいの魔力を全身の隅々にまで注ぎ込まれて敏感となり、未知の感覚で耐えきれなくなる限界まで追い詰められ、トドメのファーストキスで気を失ったとしても、やはり彼女はエリートの中のエリートの魔女。
溢れんばかりの魔力と普段の鍛錬の成果で、すぐに目を覚ました。
「……私は、確か、――――――――――――っ!?」
ばっ、と体を起こすと温かい毛布がぱさりと落ちる感覚。
……ベッドで、眠っていた……?
どう見ても一般的な家庭の個室――ひととおりの家具は揃っているものの布団などから少しだけ古い臭いがするあたり、普段は使っていない客室と見受けられるその空間で目を覚ました彼女は、上半身だけを起こして周りをうかがいつつ――何故自分がこのような場所で眠っていたのかを思考しようとした。
――その矢先に飛び込んできたのは、唇と口腔内に忘れられない感触――ディープキスをされた場面だった。
「……っ……おと、こに……それも、あんっな女の子みたいな子供に。 それに、あの……高熱を出したときのような肌のピリピリとした感覚。 あれは、一体」
「あ、起きた?」
「ひっ!?」
ばっ、と……とっさに毛布を引き寄せるようにして枕の方へと後ずさった沙月の目の前ではその当人のゆいが……のぞき込んでいた。
先ほどの魔法少女の服装とは違い、小学生「女子」だと分かるファッションを着こなし、屈んでいるために前へ流れるスカートと髪の毛をごく自然に抑えるようにしている――やはりどう見ても女子にしか見えない、「彼」。
彼女のファーストキスを奪って失神させた張本人が、失神から覚めて数秒で話しかけて来る。
その衝撃で、深月の体と頭は完全に硬直していた。
しかも彼は――――ベッドの上、布団越しとは言え沙月の上にまたがりながら見つめていたのだった。
「なっ、……ななななんであなたがここにいるのよ!? あのとき無理矢理に説明も何も無しにく、くっ、……くちびる、を、奪っておきながらっ! ……それに、あんなにずっと、私の中を好き勝手にっ! それにその格好って」
「よかった、起きたみたいだしあげた魔力も落ち着いてるみたいだねっ! ……ねー!! さっきの子……あ、センパイなんだっけ? ……起きたよ――!!」
勢いよくベッドから飛び降りたかと思えば、ドアから走り抜けていくゆい。
「……ええ、あれは仕方が無かったの。 あなたみたいな小さな子に論理的な説明も無理なのは承知しているし、そもそも魔力を補填しろと言ったのは私自身。 だから……その、方法が……ええと。 普通で無いのと、あなたが……男の子、だったのはとがめないわ。 けれどあれは……ん、と。 するにしても、刺激が強すぎるの。 だから、次にするのならもっと優しく、時間を掛けてして欲しいの。 …………あと……いえ。 幾つも年下のあなたに言っても仕方が無いのだけど、私のはっ、……初めて、を奪った責任は。 …………………………。 ……って」
静まりかえる室内。
「え?」
羞恥で彼の顔を見られないと、自分の手元だけを見つめながらあふれてくる想いを口にしていた彼女は、ふと我に返る。
――――――文句その他いろいろを言っていたはずの相手が居ない。
ついでに言えば、なにやら大声を上げつつ外に出ていった気がする。
さらに言えば――ドアが開けっぱなしになっていて、廊下が見えている。
「……あの子…………、はぁ。 そうね、小学生の男の子だものね。 それに人の話を聞かない兆候もあったのだけれど……それにしても。 ここは、どこなの?」
ベッドから出るついでに己の服装を点検し……紛れもなく変身が解除されただけで、それ以上の変化がないことを――本当に念のためにと確かめた彼女は、恐る恐るに廊下へと足を踏み出した。
♂(+♀)
「……ごめんなさいねぇ、沙月さん。 うちの子が飛んだ迷惑をー」
「いえ、私こそ、……息子さん……? ですよね? あ、そう、ですか……を脅そうとしたのは今の通りですし」
廊下の先、複数人の声が行き交うリビングへとたどり着いた沙月を待っていたのは、ゆいの母親の謝罪だった。
少々広めのリビングルームにある広めのテーブルへと案内され、飲み物と茶菓子を出され、勧められるがままに口をつけ――ゆいの母親、というよりも姉に見えて仕方が無い人物から平謝りをされ、それに対して自分も悪かったのだというやり取りを何度か繰り返す。
……だから優しい大人の人は苦手なの、と、沙月は困惑する。
自分を利用しようとしたり、ビジネス ライクに対等な相手として話してくる相手なら平気だが……こういった優しさには弱い。
それが天童沙月という少女だ。
「魔法少女っていうのは魔力って言う力で守られているって聞いていたし、そもそもあの子は頑丈だし何をされても全然気にしない子だから、沙月さんが心配する必要はないの。 あと、ゆいは何をしてもへっちゃらな子だから」
「……そうですか」
「ええ。 魔法に目覚める前から、ほんっとうにあっちこっちでみなさんにご迷惑を……あら、ごめんなさい。 でも、話は先に聞いていたんだけど、沙月さんはゆいたちのこと、本気で襲おうってしたわけじゃないのよね?」
「はい、その……通り、です。 手柄を――頭が冷えた今となっては言いがかりも良いところですけれど、それをどのように分けて貰おうかと考えていて。 なにしろ、当時はまだ司令部も混乱していて……でも……私は、その。 人と上手くコミュニケーションが取れないので、どう切り出したら良いのかと考えていたところに、魔物の討伐が終わって気が緩んだタイミングで顔を見てしまいまして……いろいろなストレスがあったところだったのが、カッとなって……しまい。 大人げない対応でした」
テーブルの上に指を揃え、何度か目に深く頭を下げる沙月。
それに対して、いえいえ……と、頭を下げ返すゆいの母親。
――リビングに入ってきて、目の前のゆいの姉と思しき、ぽやっとした大学生風の人物が姉では無く母親だと知った途端に、それはそれはきれいな土下座をしてからというもの、強制的に椅子に座らせられてもなお事あるごとに頭を深く下げる彼女からは、育ちの良さというものがにじみ出ていた。
……あるいは贖罪の意識か。
「それで、だ。 沙月君……って呼んでもいいんだったよね。 で、沙月君。 謝罪も過ぎれば嫌みになるものなんだ。 それに君はまだ学生だし、誰が大きな怪我をしたわけじゃなし。 どころか、気を失うほどのことをされたのは君なんだ。 そのくらいにしておいたら良いんじゃないかな」
「……はい。 ご指導、ありがとうございます。 ……ええと、渡辺特務」
「渡辺でいいよ。 僕は君みたいなエリートからは最初から外れる地方公務員だし、そういうのは性に合わないからね」
ゆいの母に向けていた頭を渡辺にも向けようとして静止された沙月は、ゆっくりと頭を上げる。
目の前の……パリッとしたスーツを着こなしているものの、どこか頼りない印象……だからこそ町中に居ても人目を引かない渡辺という男。
その彼が、実は魔女としての任務でも度々――かつては魔法使いとして活躍していて、緊急時には頼れる現地指揮官になるのだと知っている沙月は、こういう人こそが本当にできる人なのよね……と思う。
「それで、だ。 ……また君の悪い癖が出ちゃったんだねぇ。 普段はこんなにも礼儀正しいし人望も厚いのに。 後輩からしょっちゅう相談を受けていたよ、君のことで」
「そんなことは無い……つもり、です。 ですが、ご指摘の通りで。 ……いちど軽く手合わせをして実力差を見せつけて対話をする……ええ。 以前にも改善するようにとご指導を受けましたこれを直せていないのは、……誠に恐縮な限りですっ」
「……本当にマジメで良い子ですねぇ」
「ええ……ごくたまにこういう問題を起こしてしまいますが、彼女は模範的でトップクラスの魔女をしておりますので。 彼女の性格は、僕が……あ、いえ、私が保証します」
ほら、お茶とお菓子が冷たくなってしまうわ、という声にしぶしぶと姿勢を正し、黙々とそれらを口に入れる沙月と、それを眺める大人たちが口を閉じる静寂。
「……んく。 ご馳走様でした、お母様」
「きれいに食べるのね、偉いわ。 ……ゆいにも見習って欲しいくらいよ」
「……さて、沙月君。 さっきも言ったけど、今回の件じゃ特に誰も困ったことにならなかったし……あ、一応路地裏を壊しちゃったのだけはあれだけど、今回は僕が魔物退治のための不可抗力ってことで書類出しておいたから大丈夫。 ……で、なにより君から攻撃された……はずのゆい君たちが何も怒ったりしていないから、不問扱いだよ。 普段の君と、今の君の態度を見ている限り、必要以上に反省しているみたいだし、ね。 ――しかし、驚いたよ。 まさか、君がここへ、だなんて」
「はい……あの巨大な魔物が出た日に来たそもそもの理由は、同僚たちのためですから」
「渡辺さん、こちらの……ええと」
「天童沙月です。 済みません、覚えにくい名前だと友人からも」
「いっいいえ、私こそごめんなさい。 で、沙月さんって、そんなにお強い……有名? なんですか?」
「ええ。 彼女は幼いころから天才魔女として度々テレビなどの広報でも活躍して貰っているほどに才能がありまして。 ついでに早くから二つ名もついていましてね」
「ふたつな!? ねえねえ、それって、かっこいいやつ!?」
「っ!? ……あの、あなた。 いきなり大声を耳元であげるの、勘弁してくれないかしら?」
「ごめんなさい!! それよりふたつな! ふたつな教えて沙月!!」
これまでは大人の会話だからと口を――大変な努力をしてつぐんでいたゆいだったが、二つ名と聞いては流石に我慢が出来なかった様子で。
沙月に抱きつきながらぴょんぴょんと跳ね……ツーサイドアップの髪とスカートを翻らせながら、目をキラキラと輝かせて沙月をのぞき込んでいた。
「僕のふたつなも欲しい!!」
「女装魔法少女で良いんじゃない……?」
「? それだとただの自己紹介だし」
「そう……ゆいくんにとって、当たり前。 ふふ、ふふふふふ……」