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御伽の森  作者: 古本怜士
1/1

北極星を見つける旅へ

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自分のことを「若い」と

思える人だけ読んでください


それ以外の人は読むと

絶望するだけだと思います


この本は「小説」ではありますが

著者である僕自身の哲学本です


読んでいて苦しい部分もあるかも知れませんがあなたの心に響く言葉がこの中にたくさん

眠っていることを心から願っています


北極星を見つける旅へようこそ。


深い森があなたを待っています。


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プロローグ

神隠し

憂鬱退屈夢うつつ

北極星を見つける旅へ 」ここまで

御伽の森Ⅰ

御伽の森Ⅱ

御伽の森Ⅲ

御伽の森Ⅳ

エピローグ







プロローグ


人生に絶望して自らの命を絶ってしまう人の気持ちが、僕には少し分かる。彼らは「死にたい」なんて思っちゃいない。

仮に言葉で死にたいと言っていたとしても、それは正確な表現ではない。

より正しい表現をするとすれば、それは「どうしても生きるという選択をするに見合うだけの理由が見つからない」というものだろう。

なんとなくで生きていけるほど人生は甘くないし、逃げ切れるほど短くないのだ。人は死を単なる「悲しい出来事」だと捉えている。そこに深い理由は何もない。

いずれ死を迎える理由は「細胞の機能を体が維持できなくなるから」と科学的にあっさりした回答で大半の人は満足しているし、それ以上深く考える人はあまりいない。

だが、生きる理由となるとどうだろうか。「たまたまこの世に生れ落ちた生命体、細胞群の生命維持活動」だとあっさりした回答で人は満足するだろうか。

死は一瞬の出来事であるが、生きることはあまりにも長い時間がかかる。

この長い期間をなんの理由や根拠もなく心穏やかに暮らし続けられる人が、この世に一

体どれだけいるだろうか。

この世に神がいるとするのであれば、問うてみたい。「なぜこの宇宙を創ったのか」と。

「私はどうして生きているのか」と。「なぜこんなにも苦しいのか」と。

人生全てが嫌なわけではない。大切な仲間もいるし、守りたい人だって将来できるかもし

れない。人を愛すことは、僕にもできる。

でも、どうしてもわからないのだ。なぜ生きていくのかが。どれだけ頑張っても報われない努力もある。好きでも叶わない恋もある。仲良くしていた人と嫌悪な関係になってしまうこともある。

あんまりじゃないか、なぜこんなにも苦しいのだ。

「この宇宙はビックバンという巨大爆発によって誕生しました。もともとは何もない静か

な極小空間が宇宙の源となっていて…… 」

科学は説明する。なぜこの宇宙が生まれたのかを。どのようにしてこの地球上に生物が誕生したのかを。

でも、納得できない。小さい頃からそうだった。都合よくごまかされている。ビックバンだけでは宇宙誕生の理由を説明することはできない。

ビックバンは化学反応であって宇宙誕生の原因ではない。手元にある石と石をぶつけて反応を起こすことはできても、何もないところから石を生み出すことはできない。


「なぜこの宇宙は生まれたのか」「なぜ私達は生きているのか」

誰もこの答えを知らないのだ

 

「なぜ僕は生きているのか」

その疑問を抱えたまま、僕は一人綾杉の木の前に立っていた。暗闇で月光に照らされた大木が轟轟と音を立てながら葉を揺らしている。

樹齢千年を超える大木を前にして、僕は心の中で問うてみた。「これほど長く生きていれば何か見えてくるものがあるのだろうか」と。

この大木はどんな景色を見てきたのだろうか。樹齢千八百年という綾杉の木は、暗い夜風に揺られながら僕を見下ろしている。

僕は彼と目を合わせながらこの大木が生まれた日を、そしてこの宇宙が誕生したはるか昔を思い描いてみた。遠い過去に思いを馳せる。

自分がこの百年という短い一生の中で何をするべきなのか、何のために生きていくのか、答えを探していた。

「僕はどう生きていくべきか」

夜風に揺られながら、綾杉の木と呼吸を共にし、この世界への疑問を考えていた。




神隠し


「歪んだ心の隙間に、神が入ってくる」


 ある青年が忽然と姿を消した。彼は自身が長年追いかけてきた夢を諦めて、路頭に迷っていた。しかし、自ら命を絶つような人間ではない。

 彼の母や近所の住民がその夜必死に探し回ったが、彼が見つかることはなかった。ただ、彼の所有物が近所の神社の中で見つかったのみだ。

太古昔から人々は突然子供や村の住人などがいなくなる怪奇現象を経験し、それを神や天狗の仕業だと言って恐れた。

神隠しに合うのは子供のことが多いが、妊娠中の女性や病弱な人など精神的に不安定な人がよく失踪してはふらっと戻ってくることが多いという。

そして大抵の場合、失踪していた2,3日の記憶は曖昧で自分が何をしていたのか、どこへ行っていたのかさえも覚えていないことがほとんどだ。

彼らはどこへ行っていたのだろうか。

果たして、失踪していた間に起きていた出来事は何だったのだろうか。不思議な出来事だ。2,3日失踪していたのにその間の記憶が全くないなんて。

これが神隠しだとしたら、この間に何が起きていたのだろうか。一体何の目的で、誰が人をさらってこの世界へ帰してきたのだろうか。

追い詰められた人達が、ふらっと消えてふらっと帰ってくる。この期間に起きていた出来事を覚えている人は、誰一人としていない。

まるで追い詰められた人達の心の歪みを神が感知して、その人達をさらって何かしていたみたいだ。

神隠しの正体は、いったい何なのだろうか。そしてその青年は、どこへ行ったのだろうか。




憂鬱退屈夢うつつ


「ライオンさんに、なりたいの」

 ステージ中央から右に少し逸れたところで、小さな男の子が元気よく発表している。

「どうしてライオンさんになりたいの?」

「強くて、かっこいいから!」

 保育士さんからの質問に対して、少し恥ずかしそうに、しかしハッキリと芯のある声でその男の子は答えていた。

 この日は保育園のお遊戯会があり、最後の催し物として園児がそれぞれ将来なりたいものについて発表していた。それぞれ生き物を発表していく。

うさぎさん、ゾウさん、キリンさん、カメさん、ライオンさん……。

 三歳から六歳までの小さな子供たちがそれぞれその生き物になりたい理由を保育士さんに質問されて答えていく。僕はそれを懐かしそうに、ぼんやりと眺めていた。

 これは、三歳の頃の僕だ。そして、この光景を眺めている僕は今十八歳。ふと昔の映像を保存してあるテープを見つけて、テレビで見ていたのだ。

今の僕はライオンさんどころか、雨に濡れてぶるぶる震える小動物みたいになっている。こんな純粋無垢な少年に、今の自分の姿なんか到底見せられないだろう。

僕は高校三年生にして夢を失い、路頭に迷っていた。僕はこのお遊戯会の帰り道に、家の近所で建築現場を見て、大工さんになることを決意した。

「これは僕の人生をかけてやるべきことだ」という確信めいたものが自分の心の中に響いてきたのだ。僕はこの感覚をよく経験する。

 僕は、前回の記憶とも呼べるものを頼りに人生の意思決定をしている。

前世の記憶ではなく、前回の記憶。よく既視感を意味する「デジャブ」という言葉があるが、これがこの感覚には最も近いだろう。

 今まで長く続いてきたものには全て言語化できない謎の「親近感」があった。これが僕のやるべきことだと確信させる謎の感覚が毎回降ってくるのだ。

 しかし、今の僕はあの確信を基に進んできた道からドロップアウトしてしまった。

 あの日、建築物が出来上がっていく光景を見上げて大工さんになると決意してから、大工さん、宮大工、建築士と少しずつ変化はしていったものの、ずっと建築関係の仕事に就くことを夢見て生きてきた。

 他の選択肢など考えることはなかった。絶対にこの道に進むと決めてきたからだ。その道を失ったいま、僕はどう生きていけばいいのか分からなくなってしまった。

 この世界、少し厳密に言うと、この人間社会では、「目に見えて成果の分かるもの」以外は人生に不要なものだとみなされてしまう。

お金になるもの以外は、全て趣味以下の烙印を押されてしまうのだ。人生に害を与える存在、一人前の大人から堕落した大人へと突き落す存在。

しかし、そもそも一人前の大人とは何なのだろうか。人より苦労して、社会で活躍できる大人とは何なのだろうか。そもそも人間とは、何者なのだろうか。

自身がやりたいことをしたり、守りたい存在を長期にわたって守ったりしていくには力がいる。そしてその力とは、すなわちこの社会においてはお金のことであろう。

だが、僕にはイマイチ良く分からない。この社会に生きている人達全てが、何か催眠術にでもかかっているように見える。私達は自身が何者で、「人間」という巨大に膨れ上がった生物集団としてどこへ向かっているのか、誰も理解していないのだ。その命続く限り、私達はいったい何をすればよいのだろうか。


この世界はお互いの問題を解決しあうことで成り立っている。

 髪を自分で切ることができない人の髪を美容師が切り、自分で病気を治せない人達の病気を医者が治し、互いに補完しあって生きている。

 つまり、他人に価値を与えられない人達は必然的に人から甘い蜜を吸うだけの寄生獣のような位置づけになってしまう。

 世間が寄生獣ばかりになってしまったら、とても社会は回らないだろう。

 建築士になって、独創的な建築物を作り人の生活に貢献しようと思っていた僕にとって、急に寄生獣に自分が堕ちていく感覚は耐え難かった。

 自分が建てた建築物が人の生活を豊かにしたり、芸術として人の楽しみの一つになったりすることに、抑えられないほどの興奮を覚えていた。

こんなにかっこいい職業が、他にあるだろうか。

 でも、もうタイムリミットが近づいてきていた。僕は選択を迫られている。十八歳ともなれば大学へ進むのか働くのか決めなければならない時期だ。

 一つの道へ向けて一直線に全速力で走ってきた人がつまずくと、再起不能なダメージを受ける。でも、社会は待ってくれない。

 自分だけが取り残されていく感覚がした。「お前のやってきたことは全て無駄だったんだ」「もう用なしだ」と残酷な宣告をされた気分だった。

 お前はこれからすべてを失い、人から笑われ人の助けを借りて何とか飯を食っていくだけの寄生獣になっていくのだ。堕落した価値のない人間として残り数十年細々と生きていけと言われた気がした。

 もう、どうすればよいのか分からなかった。被害妄想気味かもしれないけれど、実際社会はドライだと思う。具体的な目標を失った僕は迫りくるタイムリミットから背を向けるようにして人生の答えを探していた。恐怖で体が引きちぎれそうになる。呼吸ができない。

 自分は何のために生きていくのか、人はどうして生きているのか。どうしてこの宇宙は誕生したのか。僕はこの答えを求めていた。

 考えてもしょうがない不毛の極み、そんなことは分かっている。でも、熱中するものが無くなって虚無感と焦燥感と空白の時間だけが押し寄せてきている今、このことについて考えずにはいられなかった。高みを目指して上り続けてきた山から急に突き落とされ、最後落ちて死ぬ前に、たまたま手が引っかかった崖の一番先端の岩場に全ての望みをかけているようだった。これが分かれば何とか生きていけるかもしれない。あまり綺麗な未来は待っていないかもしれないけれど。

別に、全てを投げ出したい訳ではない。自分の人生を棒に振りたい訳でも、人に迷惑をかけたい訳でも、楽だけして生きていきたい訳でもないのだ。

どちらかというと僕は、少しでも自分が楽しいと思ったことを突き詰めていきたいし、その道でちっぽけな存在なりに少しでも人の役に立ちたいと思っている。でも、純粋に何かを目指して何かに取り組んでいる人に横からナイフを突き立てるように突如そういう人を地獄に突き落とすような出来事とは不意にやってくるのだ。

僕は今、長年かけて頂上を目指して上ってきた山の途中でがけ崩れに巻き込まれるように滑り落ちていっている。ただ、自分が楽しいものを突き詰めて人の役に立ちたかっただけなのに。全身にものすごい痛みが走り続けている。

僕は熱中するものが見つかったとき、どれだけ幸せか知っている。

友達とどうでもいい話をしながら笑い転げることがいかに楽しいか、知っている。

好きな人ができて、その子と少しでも話せた日がいかに嬉しいものか、知っている。

一生懸命に取り組んだことがあった日に食べるご飯がいかに美味しいか、知っている。

 ただ、僕はこの社会のことが本当に分からない。唯一分かっていることは、自分が生き物であるということだ。生物学的には僕はヒトである。

「動物界・セキツイ動物門・哺乳綱・霊長目・ヒト科・ヒト属・ヒト」

また、その中でも篠宮司という名前を持ったオスだ。でも、人間は他の生物と違って社会的な生き物だ。数十億という束で行動する巨大な生物集団。

そして、僕達には他の生物と違って目に見えないものが見えている。

国家、組織、法律、友情、夢……。

そして目に見えない化け物に排斥されないように生きているのだ。僕も今は何か分からない正体不明の化け物に飲み込まれそうになっている。

 自分が何に苦しんでいるのかさえ認識させてくれない、どうすればよいのか分からずただただ空白の時間を虚無感とどうしようもできない焦燥感と共に過ごしていく。

 苦しい、あの感覚は間違いだったのだろうか。「これだ、これは僕の人生を懸けてやるべきことだ」というあの感覚。

 全てが水泡に帰し、僕のこころは深い海の底に沈んでいく。水圧で自分の体が押しつぶされてしまうような感覚がした。胸の内側に真空空間ができたように、体が縮む感覚がする。人は生物学的には人であるという事実は変わらないけれど、社会的には絶えず変化し続けている。小学生、中学生、高校生、大学生、専門学生、社会人、親、社長、フリーター、それぞれのステージで優劣を図る指標があり、そこで一喜一憂する。

「ゔっ……」という声が漏れた。もう僕はまともな人間として生きていける希望を完全に失ってしまった。

 この地獄を味わいながら残り八十年も生きていかなければならないのか。生き地獄、という言葉が僕の脳裏をよぎった。死にたいとは思わないけれど、どうやって生きていけばよいのか全く見当がつかなかった。

 どうすればよいのだろうか、本当に分からない。「俺にどうしろってんだよ」と投げやりな自分に向いているんだか社会に向いているんだか分からない怒りの言葉を吐き出した。  

そして、こういうときに大体運命の導きはやってくる。そして、ふとまたあの感覚が下りてきた。言葉が聞こえたわけではなく、イメージが下りてきた。強烈に僕はあそこへ行かなければならないという感覚がした。

「綾杉の木へ向え」

 気が付くと僕は、夜中に静かに夜道へと歩き出していた。




 

北極星を見つける旅へ


樹齢千八百年の大木はとても静かに、そして轟轟と音を立てながらそこに立っていた。いつもお参りに来る神社の御神木だからいつも見かけていたはずなのに、今日は何か違う。

 僕はこの大木を眺めながら彼と静かに会話してみた。声は聞こえてこないけれど、僕にイメージを送ってくる人。

 千八百年という長い時間生きてきたこの大木の見てきた景色や、この宇宙が過ごしてきた空間を想像してみる。「なぜ生きていくのか」静かに問うてみる。

答えが見えそうで、見えない。前から思っていたけれど、この木の前に来るととても不思議な気分になる。

 何かを見透かされているような、それでいてとても暖かな気分になるのだ。

「やぁ、よく来たね」

 と話しかけられているような気分になる。

 今までの千年を超える彼の歴史の中で、数えきれないほどの人達が彼に話しかけてきただろう。僕もその中の一人なのだ。ただ、いつもと違うのは今が夜だということ。

深夜と言えるほど遅くはないけれど、夜十時は超えている。

 なぜこの綾杉の木まで来なければならなかったのかは分からない。あのイメージがなぜ降りてきたのか、全く想像がつかない。

 しかし、人間の寿命の二十倍は生きているこの御神木なら、何か僕に答えを教えてくれそうだと、そういう甘い考えがあったのかもしれない。

 月明りはあまりなく、とても真っ暗な境内の中で夜風に吹かれながらずっと立ち尽くしていた。「これからどうしようか」と思いを巡らせた。

「それだけ長い間生きているとどういう気分になるんですか?」と少し声に出して聞いてみた。木が返事するわけはないと分かってはいるけれど、神様が答えてくれるかもしれないと思ったからだ。

 なんて立派な大木なのだろう。ひとつひとつの枝も頑丈で樹の幹もとても太くて、千八百年を生き抜いてきたこの樹の歴史を思わせる。

 この国では人間の寿命は約八十年。最近は医療が発達して百年まで生きることができるようになるといわれているが、この樹はもう既にその約二十倍も生きている。

この樹は何のために生きているのだろうか。

人類は文明を発展させることによって、外敵から命を奪われる心配は無くなった。医療の発展によって生きることができる期間も長くなった。

そして、その代償として、生きることそのものに理由が必要になったのだ。でも、木には言葉もなければ生きる理由も最初から無いような気がする。

羨ましいな、なんて失礼なことを思う。

「僕はどうすればいいんですか、答えてくれませんか。それだけ長い期間生きていれば、僕が知らない答えを知っているのではないですか」

 風が吹いてくる。またこの大木に付いている葉が全て揺れていく。ざざざ、という波の音に近いけれど少し遠い乾いた音だけが響く。

言い終わった後にふと冷静になって急に恥ずかしくなった。木が返事するわけがないだろう。本当に何を言っているのだろうか、頭がおかしくなってしまったのかもしれない。

いくら追い詰められているとはいえ、木に八つ当たりしてどうする。自分の人生は自分の手で変えていかなければならない。「もう帰ろうか」と綾杉の木に背を向けた瞬間に、体が勝手に振り返った。返事が、くる。

「不老水の祠へ向かえ」

また、イメージが降りてきた。小さな古びた小屋のようなところに、水が湧き出る岩が見えた。苔で祠の大部分が覆われている。ここへ向かえというのだろうか。

しかし、どこにあるのだろう。降ってきたイメージは恐らく不老水で間違いないのだけれど、僕はここへ行ったことがない。でも、行かなければならない。

そうしていると、ぼんやりと薄く光る火の玉が目線の先に現れた。何もなかったところから、ゆっくりと手のひらサイズの暖かな火の玉が現れたのだ。

僕の目の前をしばらく浮遊したのちに、ふよふよと進み始めた。これについて行けということだろうか。僕は境内の中をその火の玉が進むとおりに歩いて行った。ふと振り返ると綾杉の木は夏の夜風に揺られ、「いってらっしゃい」というように葉を揺らしていた。


どのぐらい歩いただろうか。「このまま帰ってくることは出来ないかもしれない」という恐怖が少しずつこみあげてきた。

そして、ちょうどその恐怖心が薄れ始めたころに、明かりの進行が止まった。

ふと左を見ると真っ暗闇に包まれた鳥居が目の前に現れた。奥の方には不気味な祠がある。イメージで見たものだ。鳥居の真ん中には「不老水大明神」と書いてある。

ここが、どうやら僕が来るべきところだったらしい。ふと前を見ると、もう僕をここへ連れてきた明かりは消えてなくなっていた。

もう、後戻りはできない。闇が深くて周りがよく見えなかったし、怖くて火の玉に縋りつくように歩いてきたので、帰り方を知らないからどう頑張ろうと引き返せない。

僕は、火の玉もなくなって真っ暗になった不老水の祠がある敷地の中を、恐る恐る歩いて行った。しかし、小屋の前にバリケードがあり、祠の中に入れなくなっている。

ただ、目の前に少し発光している綺麗な器があった。「飲め」と言わんばかりに、ちょうど一口分の水が入っている。

これは、飲むべきなのだろうか。嫌な予感がする。神聖な場所に置いてある水だ。人である僕が飲んで良いとは思えない。ただ、ここに来なければならなかったということは、ここで何かをしなければならないということだろう。腹を決めて飲むしかない。

自分はこれからどうなってしまうのか不安になってきたけれど、どのみちこのまま何もしなかったとしてもどうせやることはないのだ。

いつも感じていたイメージを基にとった行動なので、きっとこれにも何か意味があるのだろう。僕は静かにその器を持ち上げ、ゆっくりと口元へと持っていった。

そして静かに飲んだ。普通の水と何かが違うそれは口元から全身に溶け込むようにして僕の体の中に入ってきた。「あぁ、これは何か起きるな」という確信めいた感覚がした。ゆっくりと目を閉じる。そして最後の一滴が口先から零れ落ちる。

頬を伝った最後の一滴が顎先から地面に落ちた瞬間に、鍾乳洞の中で天井から水滴が落ちたときような静かな水滴の音がした。

とても静かな空間にちゃぽん、という音がやけに音が響いて聞こえた。閉じた瞼の奥から少しずつ光を感じて目を開けると、そこには真っ白な無機質な空間が広がっていた。

「あれは……」果てしなく続く真っ白な空間の中にポツンと、ぼろぼろの小さな社があった。

なぜか空間移動していることにはあまり動じなかった。

火の玉に付いていって神域に置いてある水を飲んだのだ。そりゃあ空間移動ぐらいの怪奇現象が起きたって不思議じゃない。

鮮やかな紅色の門の奥にある、古びた小さな石造りの社にはこう書いてあった。

「朽瀬神社……?」

この真っ白な無機質な空間に、数千年という年月を過ごした森の中にあるかのような社があった。


 朽瀬神社という小さな社から、和服を着た一人の男性が出てきた。顔がよく見えないが、なぜだろう、とても懐かしい感覚がする。

「人の姿でここへ来るとは、御伽の森へようこそ」

「御伽の森……、ここは……」

この男の人は森と言っているが、ここにはこの朽瀬神社というもの以外何もない。何を言っているのだろうか。

「ここは、神隠しの行きつく先の世界です」

「御伽の森、神隠しの行きつく先の世界……」

「なぜここに生身の姿で来ることができたのかは分かりませんが、あなた何か悩みはありますか?」

悩み、悩みならいくらでもある。

「なぜ生きていくのか、分からないのです。なぜこの宇宙ができたのか、なぜ私は生きているのか、この答えが知りたいんです」

 とても長い沈黙の後に、ゆっくりとその男性は話し始めた。

「なぜ生きていくのか、あなた達が苦しんでしまう理由は言葉にあります」

「言葉……?」

「太古昔、現在の野生動物がそうであるように、人々はその日暮らしをしていました。狩りをし、木の実を食べ、外敵から身を守りながら生きていたのです」

「その日その日を生きるのに精一杯だったという意味でしょうか……?」

「その通りです。しかし、あるとき人は知恵と言葉を手にしてしまいます。知恵を手にし、言葉を話すようになり、本来の生物としての役割を超えた活動をするようになります」

話のスケールが壮大すぎて話の理解に時間がかかりそうだ。しかし、この人の話はとても面白そうだ。

「その結果、人々は文明を築き、安寧な暮らしを手に入れました。簡単にいうと、命の危険が無くなったのですね」

「ただ、文明が発展し毎日死の恐怖を感じなくてよくなった代わりに、少しずつ人類は別の苦しみを味わうようになります。それが、あなたの苦しんでいる『どう生きていけばよいのか』『何を信じて生きていけばいいのか』というテーマです。このテーマについて苦しんでいる生き物は人間の他には存在していません。その他の生物は毎日生きていくのに必死ですから」

 とても難解で、かつ複雑なことを言われて、僕はただただ立ち尽くしてしまった。なぜ人間が人生に悩んでしまうのか、その答えに近づけそうで近づけない。


「まぁまぁそう焦らずに。いきなり言われてすぐに腹落ちするような内容ではありませんから」

そのまま立ち尽くしていると急にあたり一帯から蒸気のようなものが噴き出し始めた。

「しゅうぅぅぅぅ」というかすれた音を出しながら辺り一帯が真っ白な煙で覆われていく。

 人は一度に理解できるものの量には限界があるのだろう。もう何が起こっても動じなくなっていた。蒸気で何も見えなくなってしまう前に、はっと前を向くと初めてその人の顔が見えた。その人は僕が生まれる前に死んだはずの祖父だった。

そして僕の目の高さまで煙が覆ったぐらいに一気に蒸気が噴き出し、たちまち何も見えなくなった。

「一体何が起きているのだ」

あの人が話していたことの意味が分からない。朽ち瀬神社は、あの男の人は、僕の祖父は、どこへ消えたのだ。何も見えないがやみくもに動いても仕方がないので、視界が開けるまでただただ立ち尽くしていた。


 どのぐらい時間がたっただろうか、少しずつ視界が開けたと思ったらいきなり謎の生物が目の前に現れた。「ぴぃぃぃゅゅ」という音を出している。喋っているのだろうか。

ふよふよと僕の顔の前を浮遊し、少しずつ右から左へと移動していく。薄桃色の輪郭をしたそれはとても気持ちよさそうに浮遊していた。

「何が起きたんだ……」

と困惑していると急に視界が暗くなった。目の前をみると高さ三十メートルはあるであろう大木が現れた。

「なんだこれ、でかすぎる……」

少しずつ蒸気が引いていくと、その木の根元に朽ち瀬神社と、和服を着たさっきの男の人がいた。おまけに、この大木の周りにはさっきまで何もなかったはずの無数の樹木がある。そしてその木の周りに、さっきの生き物が大量に浮遊している。

「なんなんだここは……」

「ここが御伽の森、神隠しの行きつく先の世界です」

 さっきまでは何もなかった空間に、巨大な大木とそれを取り囲む無数の木々が現れた。

ここが、御伽の森……。ということは、この目の前を浮遊している無数の生命体は神隠しに合った人達だということなのか。人間に近いけれど、少し人からは遠い見た目をしている。

 ふよふよと宙に浮かび、奇妙なのが体のほとんどを顔が占めている。

 「それではこの世界について詳しく説明しましょうか」

 その男の人は僕の目を見ながらゆっくりと、話し始めた。


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