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あなたはこの手を離さない  作者: 黒須 閑
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その1

 朝のバスは通勤通学の人々で混んでいたが乗り込みホッとした。

 昨日、仕事帰りに本屋に寄ってライトノベルの本を買った。ここ数年は賞を取った小説を読むことが多かったのに、気分転換も兼ねてたまには流行りの小説が読みたくなった。会社の後輩と話していた時に勧められたのがそのライトノベルだった。

 過去、名作と呼ばれる冒険小説やファンタジー物語は色々読んできた。最近の流行りはどの程度面白いのか期待しながら手に取り、飲み物も用意してページをめくった。夕食の後の満腹感にだらけつつ読んでみれば、読みやすい文章と引き込まれるファンタジーな世界観に引き込まれ、風呂も睡眠も忘れてページをめくる手は止まらなかった。

 完読したあとには一通り楽しめた達成感に浸る。

 そこで我に返って時計を見れば夜が明けていたのだ。

 その後は慌てて確認すればせっかく張ってあった浴槽の湯は水となっていた。そのまま沸かし直して風呂に入り、眠ろうにも眠る時間は一時間もない。

 睡眠は諦め気合を入れ身支度を整えて通勤鞄のトートバッグを掴み、一人暮らしのマンションから徒歩でバス停へ向かったのだった。

 バスの中は、今日も通勤通学の人々で混んでいた。

 手頃な位置に立ち、手すりに掴まり見慣れた景色を見ていれば、バスの揺れに誘われて睡魔に襲われた。

 ライトノベルの面白さがいけないと自嘲するが、首がカクンと揺れたのがわかる。

 立ったまま船を漕ぐのは不味いと、重たい瞼を開けようとした時には、膝が挫けて一気に目が覚めた。

 同時にどんと背中を押されて座席にぶつかる! と思った目の前には、土気色の大地が広がり体が投げ出されていた。


「おい、ぼんやりしてんじゃないよ。中に入れないだろう?」

「ご、ごめんなさい!」


 条件反射で思わず謝り見上げれば、そこには外国人が数人佇んでいた。

 道を譲るように端へと避ければ、ぞろぞろと数人が目の前を通り奥へと行ってしまった。

 いつの間にバスを降りたのか。バスの中に大勢の外国人なんて乗っていただろうかと、不思議に思ったが次の瞬間、息が止まるほど驚く。

 周りの薄暗い中には、たくさんの檻の中に人々がいたのだ。

 その視線はほとんど下を向いているが、中にはじっとこちらを見る人たちもいる。その全ての人の目は暗く淀んだ視線だ。居心地が悪い。

 しかも空気も重くなんとも言えない息苦しさに襲われる。

 逃げるようにその場から目の前の光指す出入り口へと足を動かしたが、出てから呆気にとられて止まった。

 周りには大小様々なサーカスなどで見かけるテント小屋が立ち並んでいた。

 舗装された道路はなく、テント小屋の間を縫うような広めの空間が通路代わりになっているようだ。

 振り向けば、そこには威風堂々とした一際大きな天幕があった。

 どうやらそこから出てきたのだと気が付き、空を見上げ目を見張り、周りを見て焦り、行き交う人々の姿を見て愕然とした。

 夢を見ているのだろうか。

 これから陽が沈むようなオレンジ色と青空のグラデーションには月が3つあった。しかも青い月、白い月、赤い月と大小色違い。

 テント小屋から出入りする人々や歩いている人々は、見慣れた黒髪黒目の黄色人種ではない明らかに外国人で、それ以外の人々もいるのだ。

 頭には柔らかな毛で覆われた耳、ちょうど腰下に揺れる長い尾。

 今朝まで読んでいたライトノベルに登場する、いわゆる獣と人を合わせたような獣人という人々だ。

 来ている服装も丈の長い洋装をまとう人々ばかりだ。

 無意識に目をこすり、深呼吸を繰り返しても目の前の状況は変わらなかった。

 掌を見ればジンジンとした痛みに、擦りむけたらしく皮がめくれて血が滲んでいる。

 薬師丸(やくしまる)瑪瑠(める)、入社3年目の会社員。一人暮らしで独身、恋人はなし。

 現在、異世界に降り立ち途方に暮れる。

 突然の事態に対応できず、混乱し呼吸も忘れて立ち尽くしていた。




 テント小屋から人の波に乗るように流れてたどり着いたのは、大きな外壁の門の前だった。歩く人々は門の中へと吸い込まれてゆく。

 門の両脇には甲冑を着た槍を持った門番らしき人が立っていた。ここまで来たのには訳がある。たまたまテント小屋から出できた人たちの話を耳が拾ったからだ。

 夕方には街の門が閉じること。

 宿を早めに取っておいて良かったこと。

 現代っ子で野宿をしたことがない瑪瑠はすぐにも行動に移り、多くの人が向かう方向へ流れにまかせついて行く。

 頭の中には宿を探さなければと必死になっていた。同時に支払う金は持っていないが、皿洗いや手伝いでなんとか泊めてもらえる宿があればいい。それとも持ち物の中に金目になる物があれば、それで支払が可能ならそれもいたしかたない。

 恐る恐る人々の中に紛れ門をくぐり抜け、そこに広がる街並みに見とれる。

 西洋の少し古めかしい街並み。海外旅行へ行き歴史ある街並みを歩いてみたいという願いが、こんなところで叶うとは思わなかった。

 しかし瑪瑠は次第に焦る。

 店の看板なのか記された文字は全く読めない。忙しなく眼球を動かして辺りの看板を見ては、次々と文字を見るが読めもしない意味がわからなかった。

 すれ違う誰も彼もから漏れる会話は遜色なく日本語として聴こえる。

 そうして道端に立ち尽くす瑪瑠は、背後から体を押され本日二度目の路地に身を投げた。

 盛大に転び肩から下げていた鞄の中身が散らばる。


「ご、ごめんなさい」


 甲高い声が上から聞こえ見上げれば少年が顔を強張らせていた。


「レイ! 何してるの!」


 女性の叱咤する声で少年は、我に返りもう一度謝ってきた。


「前を見てなくてぶつかってしまって、お姉ちゃんごめんなさい」


 鞄からこぼれた品を少年は拾い始めたので、瑪瑠も拾い鞄に放り込んだ。


「大丈夫ですか。ごめんなさいね、息子が迷惑かけてしまって……あら、怪我してるじゃない」


 女性に手首を掴まれ掌を、さらに足元へと見られ眉を下げられた。

 女性は素早くかがんで、瑪瑠の足元に落ちていた五百円を拾ろわれ手渡された。

 少年も拾った化粧ポーチを瑪瑠に差し出してきた。


「ありがとうございます」

「トーマス、お嬢さんを丁重にお連れして」


 少年から受け取った中身を無造作にいれて、女性から受け取った五百円硬貨を慌てて鞄の中のポケットに入れた。

 ふと何か違和感があったが、それもすぐに消えてしまう。

 女性の後ろに控えていた大柄な男性が無言で瑪瑠を抱き上げたからだ。


「な、何を?!」

「怪我してるんだもの。歩くの大変でしょう」

「これぐらい平気です。歩けますから」

「ねえ、拾い忘れはない?」


 周りを見るよう促され、念の為通路を見てもないようだ。

 鞄の中を見て財布、底にスマートフォンを確認、あとは手帳や細々としたものはある。

 大丈夫だと女性に頷くと移動を始めた。




 瑪瑠は掌を見て擦り傷が治ったのを確認する。

 女性が何か言葉を呟けば怪我の痛みも傷も消えるのを目の前で見ていた。

 空に浮かぶ月が3つ、日本ではない異国の町並み、初めて見た獣人、そして魔法によって治った傷。

 思い返し鼓動が今更ながら激しく感じ、不安を煽るようで呆然としてしまう。

 さらに膝小僧の新たな傷も、気がつけばすでに治療が終わっていた。


「お姉ちゃんもう痛くない? 平気になった?」


 目の前の少年の案じる目を見てぎこちなく頷いた。


「本当に悪かったわね。うちの息子が」

「いえ、こちらこそぼんやりしていた私が悪かったですし……」

「ところでお()りはどうしたの」

「お守り?」

「護衛だよ、それとも家族とはぐれた?」

「いえ、一人です」

「え、じゃあまさか、冒険者?」


 この世界は冒険家ではなくて冒険者がいる。ますます不安が増してくる。

 それよりもどう言うべきかと悩んでだしたのが、


「どちらかというと、旅行者?」


 と笑いつつ無難な答えを告げるが、明らかに心配そうな顔を女性から向けられた。

 しばらく頭からつま先まで見られてから、急に女性は納得したようにうなずいた。


「見慣れない格好だからずいぶん遠くから来たのね。じゃあ奴隷を買いに来たんだ。ちょうど奴隷大市が外で開かれてるし、さっきも大金持ってたから」


 ふと聞き捨てならないことを女性は言った。


「大金ですか……?」

「そうよ、大白金貨落としてたじゃない。危ないのよ、下着や靴の中に入れないとスリや物取りに盗まれる」

「ダイハッキンカ?」

「さっき渡したでしょ、お金よ」


 手渡されたのは五百円硬貨だったはずだ。

 そっと鞄のポケットを見ると五百円硬貨だと思ったのは、見たこともない異国の硬貨が入っていた。女性から手渡された五百円硬貨が入ってるはずなのにどこにもない。

 さっきの違和感はこれだったのかと思うが、さらに別の違和感が湧き上がり困惑した。

 基本的に支払いは電子マネーが多いが、いつも現金は二万円前後を持ち歩いている。だが今日は家賃の支払いの関係で、銀行から引き出した現金をさらに持ち歩いていた。借りているマンションの家賃は大家さんに現金で支払う契約になっていたからだ。その契約のおかげで一人暮らしなのに広い部屋が安く借りられた。

 思わず財布を取り出そうとしたが重くさわり心地がおかしい。小銭が入っている感じがする。後で確認をしなければと今は鞄に戻した。


「若いのに女の子が一人で旅なんてよく無事だったわね。誘拐されることが多いから使用人や護衛がつくのよ。それとも冒険者でも雇ってここまで来たの?」

「そんなところです」


 瑪瑠は掘り下げて欲しくなくて相槌のように返した。

 子供や女性は一人では行動することが稀で必ず家族や使用人、もしくは護衛となる奴隷を連れて歩く。何故なら違法な奴隷商人に目をつけられると捕らえられ異国へと売りとばされるという。国に身元を保証されている公式な奴隷と違い、救い出される確率は低い。国主体で取り締まってもいたちごっこの状態。そのため必ず身を守るために護衛を付き添わせる。

 何故が女将にいかに危険か説教じみたことを言われる。一人でいたことを心配されているようだ。


「宿はどこ、うちの若いのに送らせるから」


 瑪瑠は宿をとっていないことと、お勧めの宿を聞けば女性に胸を張られた。


「ちょうど一部屋開いてるの、狭いけどそれでいいなら安くしとくから。奴隷を買うなら入用だしね。大市は明後日までだから間に合ってよかったわね」


 ここは宿屋で女性は女将をしているエリスだと名乗った。

 エリスはどうやら瑪瑠を遠いところから来た若い女の子で、奴隷を買いに来たと思っているようだ。

 異世界から来ました。とも、成人は迎えています。とも、余計なことは言わない方が無難だと黙った。




 部屋には内鍵がありしっかりとかける。机の上に借りたランプを置いて、窓のカーテンを閉じる。ベッドと机と椅子といった、ビジネスホテルのシングルのような内装だ。ただしユニットバスがないので風呂トイレは宿屋の共用を使わなければならない。町中にも入浴施設があり宿屋利用者は割引が効くので、宿泊券を発行してもらいそれを見せるようにと言われた。

 その前に先立つ物の確認をしなければならない。

 机に鞄の中から歪な形の財布を取り出した。昨日銀行から引き出した現金と常に入れている万札が消えている。その代わり財布の札入れには見覚えのない硬貨が挟まっている。

 大きな白金色が1枚、一回り小さい白金色が3枚、金色が8枚。12枚の硬貨を机に並べた。

 五百円に似た大硬貨が女将が言った大白金貨。これが十万円で、次に一回り小さい白金貨が一万円、そして金貨が千円だと予想がついた。そうやって数えれば財布に紙幣額十三万八千円があることになる。

 小銭入れを開けば、見たことのない硬貨だらけになっている。こちらも日本の硬貨が消えていた。三色三種類の硬貨があるが、数えるのが面倒なので閉じた。

 所持金がこの世界の流通している金銭に切り替わったようだ。


(一万円札が13枚なのに、何で白金貨が13枚じゃなくて大白金貨1枚と白金貨3枚なわけ?)


 鞄のポケットから女将から渡された大白金貨を1枚置き、これで13枚の硬貨。


(本当に異世界に来てしまったんだ)


 深いため息を吐き出して、手にした金銭を財布に戻す時、目を疑った。札入れのスペースに取り出したはずの硬貨がまた挟まっている。机に置いてある硬貨と見比べて、財布から硬貨を取り出した。

 机の上には硬貨の枚数が増える。

 もう一度札入れを見れば硬貨が変わらずあり、机の上と札入れを見比べる。思わず財布を逆さにして札入れ部分を広げれば、硬貨が落ち始め一定の音を立てながら机の上に転がっていく。慌てて財布を閉じて机に置いた。

 音を立て机から転がり床に落ちた金貨を拾い机に載せた。

 机に重なる硬貨を眺めてから、財布を開けて札入れには硬貨が変わらず12枚あった。机の上の硬貨を札入れに入れると跡形もなく消える。次々と机の上の硬貨を札入れに入れると溶けるように消えていく。最終的には机の上の全硬貨は札入れに吸い込まれた。

 瑪瑠は挟まっている大白金貨を取り出すと、いつの間にか札入れに補充するように大白金貨硬貨がある。手に持っていた大白金貨を札入れに戻すと消える。

 見た目には常に12枚の硬貨があるのみ。

 再び財布を逆さまに札入れを広げれば、硬貨が落ち始めるのでそっと閉じて机に置いた。こんもりとした硬貨の山を見つめる。


(どうなってるの、四次元ポケット的な?)


 机の引き出しから現れた青いロボットが浮かぶが、瑪瑠の眉間にはしわが寄る。

 これが無限か有限かどうか確かめるのも今は怖いので、ひとまずは明日以降にと後回しにした。

 今後はこの財布から硬貨を取り出すのを見られると不味い気がする。節約を心がけ盗まれないように気をつけねばならない。

 取り出した硬貨用に財布が必要だと頭に入れてから、服装もこちらで売っている一般的な服を購入しようと決めた。

 カバンの中からもう一つ取り出して、手に載せたものを見てがっかりする。スマートフォンの液晶画面が割れてしかも真っ暗な状態。電源が切れたらしく側面の電源ボタンを押しても反応はなかった。

 転んた時に壊したのかと思うが今となってはわからない。それにバッテリーがあっても繋がる見込みもないだろう。

 ここは異世界なのだ。


「一人で、どうしろっていうのよ」


 部屋に声を掠らせた瑪瑠の呟きが響く。

 急に腹から音がなり、瑪瑠は思わず笑ってしまった。

 左手の腕時計は12時を過ぎている。体内時計の正確さが恐ろしいなと思いながら、この腕時計も念の為外して壊れたスマートフォンと一緒に鞄にしまう。

 異世界の硬貨を数枚手に取り、夕食の相談をしに部屋を出ることにした。

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