2話 引退宣言からの家族騒然
帰り道、僕はトボトボと、自宅に向かって歩いていた。
「はぁ~………………鬱だ。死にたい」
みちるはてっきり、僕のことをずっと励ましてくれていると思っていた。
けど、違った。
単に作品の、ひいては作者の【カミマツ】のファンだっただけだ。
僕とカミマツが別人物だと思っていた……はぁ……。
「なんか、もう嫌になっちゃったな……」
スマホを開いて、ウェブブラウザを立ち上がる。
先ほど【小説家? なろうぜ】通称【なろう】に【デジマス】の最新話をあげた。
なろうの作者ページを開く。
画面トップには【感想がつきました】の赤字が。
一話更新すると、毎回100近くの感想がつく。
ブックマーク数もめちゃくちゃあがっていた。映画化の影響か、結構見てくれる人も増えたんだ。
「…………」
いつもはすぐに確認する感想。
けれど、今日は開く気にはなれなかった。
「はぁ……やめちゃおっかな」
ぽつり、と僕はつぶやく。
そうだよ。もうどうでもいいじゃん。
頑張る理由、もうないし……。
みちるが励ましてくれるから、喜んでくれるから……頑張ってたのに……。
「そうだよ、もういいや。やめよう」
僕はなろうの作者ページをいじって、作品のあとがきに【もうやめます】と書く。
次にTwitterのページを開く。
僕はいちおう、カミマツでTwitterのアカウントを取っている。
フォロワーは【10万人】。
これは別に僕の力じゃなくて、みんなデジマスを見てフォローしてくれた人たちだ。
ただ一言、【引退します】とだけ書いた。
これでいい。
【デジマス】はこれでおしまいだ。アニメ化映画化もしたし……もういいでしょ。
と、そのときだった。
ぴりりっ♪
とスマホに着信があった。
【佐久平 芽衣】
「編集さん……? なんだろう」
僕は通話ボタンを押す。
「……お疲れ様です」
『先生! 今どこ!?』
芽衣さんの大きな声が、受話器越しに聞こえてきた。
「い、家に帰る途中ですけど……」
『わかった! 家に迎えに行くから! じゃね!』
一方的に電話を切られてしまう。
ええ~……どういうことなんだろう?
「なんで芽衣さん、うちに……? ……どうでもいいか」
新刊の作業はもう終わってるしね。
それで終わりにしよう。デジマスは未完でいいや……。
僕は投げやりになっていた。
だってもうどうでもいいしさ。
トボトボと歩き出し、家に帰ってきた。
「……ただいま」
「「ゆーちゃん!」」
ドアを開けた瞬間、誰かが僕にタックルしてきた。
「ゆーちゃん引退ってどういうことなんですかっ?」
「そーだよおにーちゃん! なんでやめちゃうのー! なんでなんでー!」
「た、ただいま……母さん、詩子」
母さんと妹が、僕が帰って来るなりだきついてきたのだ。
「おにーちゃん誰かに虐められたの!?」「いや違うけど……なんだよいきなり……」
「だってだって! デジマス削除して、Twitterで引退するって言うから!」
詩子がスマホを取り出して、僕に突き出してくる。
「かあさん、学校にちょっと抗議に行ってきます。……よくもうちの息子をいじめたな」
母さんの手にもスマホが握られていた。
尋常じゃない怒りのオーラを発している。
「い、いや別に……虐められてないから、やめてほんと」
「「よかったぁ~……」」」
ホッ、と母さんと詩子が安堵の吐息をつく。
僕らはいったん、リビングに戻る。
ソファに座ると、隣に詩子が、逆側に母さんが座る。
「なんで引退するなんて言ったの?」
「だって……」
ふたりとも、僕が小説を書いていることは知っている。
それでいて、すっごいファンなのだ。
「もう……なんか……嫌になって……」
「まあ、すらんぷって言うやつ?」
母さんが心配そうに言う。
「スランプというか……もう辞めたい……」
「だからどうしてだよー! おにーちゃん! やだやだ! デジマスが読めなくなったら、あたし死んじゃうよー!」
じたばた! と詩子が駄々をこねる。
「詩子、落ち着きなさい」
「でもぉ~」
母さんは僕の頭を抱きしめて、よしよしと撫でる。
大きくて、柔らかい胸に抱かれていると……気持ちが少しだけ落ち着いた。
「理由……聞かないの?」
「聞きません」
「どうして?」
「言いたくないって、顔してますからね」
温かい言葉と愛撫に、僕は安堵する。
「……ありがとう」
「えー! でもおかーさんだってデジマス大好きじゃーん! もう読めなくなってもいいの!?」
母さんは微笑みながら言う。
「ゆーちゃんの作品も好きだけど、その何百、何千、何万倍も……ゆーちゃんのことが大好きですから」
「母さん……」
詩子は不満げな表情になるけど……やがてため息をつく。
「そーだね。うん。ごめんおにーちゃん。おにーちゃんが決めたことなら尊重するよ。泣かないで!」
うう……こうして慰めてくれる……やっぱり家族っていいなぁ~……
「ゆぅうたぁあああああああ!」
ばーん! と扉が開く。
さえないスーツを着たメガネの男性が入ってきた。
「父さ……んぷっ」
父さんが僕を抱きしめる。
「勇太! どうした!? どうして辞めるなんて言うんだ!」
「いやそれは……」
「ダメだぞ! 勇太! おまえが辞めてしまったらぼく、会社首になっちゃうぅうううう!」
……父さんは、出版社で働いている。
しかも僕が出している小説の版元だ。
「お願いだ勇太! 引退なんて言わないで! もっと書いてくれ!」
「いやあの……父さん……」
「金か! 女か!? 地位か!? 名誉か!? なんだってやるぞ! だから引退なんて言わないでぇええ! うぉおお!」
……エキサイトする父さんの首根っこを、母さんがつまむ。
「あ・な・た」
「な、なんだよぅ……」
母さんが鬼の形相で父さんをにらみつける。
「ゆーちゃんが、嫌がってる……でしょ?」
「あ、はい……しゅみましぇん……」
この情けない大人が僕の父さんだなんて……。
「お前も知ってるだろ? 勇太が引退宣言したの」
「ええ、しってますよ。それが?」
「一大事だろ! 勇太がやめたら、管理不行き届きで首になっちゃうよ!」
「なればいいのでは?」
「母さん!?」
はぁ……と呆れたようにため息をついて、母さんが首を振る。
「情けないったらありゃしない」
「うぐ……」
「あなたが編集者として有能なら、たとえ勇太が引退してもなにも問題ないでしょう?」
「そ、それは~……そうなんだけどさ~……」
しょぼん、と父さんが首を下げる。
「そうですよ副編集長!」
ばーん! とまた扉が開く。
「あら、芽衣さん」
「佐久平くん……」
僕の担当編集、佐久平芽衣さんがやってきた。
パンツスタイルのスーツを着込んで、きりりとした目つきが凜々しい編集さんだ。
「先生!」
「あ、はい」
「乗って!」
「え?」
くいっ、と芽依さんが親指で後ろを指す。
そこにはバイクが一台、停まっていた。
「いきますよ!」
「え? え?」
「息子さんお借りしますね」
「「どうぞどうぞ」」
困惑しているのは、僕と父さん。
「さ、佐久平くん? どうしたの急に?」
「編集長からの命令です。落ち込んでいるカミマツ先生を励ましてこいと」
「え、でもそれってぼくの仕事じゃ……」
「副編集じゃ頼りないから行ってこいって!」
「ひ、ひどいー!」
とまどう僕の手を引いて、芽衣さんが僕をバイクの後ろに乗せる。
「とりあえずJOJO苑でいいですね!」
「え?」
「いってきまーす!」
「「きをつけてー」」
バイクは出発して、僕をいずこかへ連れて行くのだった。