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まだら双子はかく咲う  作者: 久蔵伊織
6/7

毒薬とチョコレート

 がたり、と音を立てて崩れ落ちた双子の弟を、彼は一顧だにしなかった。

 美しい笑みを湛えたまま、手を付けずにいたチョコレートケーキをフォークで弄ぶ。そしてほんの一欠片を口に運び、それからナプキンに吐き出した。

「──びりびり来る…河豚毒…テトロドトキシン」

 紅茶は舐める程度。

「紅茶には…うん、これは鳥兜。トラディショナルな毒がお好みかな?」

 私は彼に倣って、泣き出した双子の妹に目もくれず、笑んだ。すっかり見抜かれてしまっていて──それは悔しくて、嬉しかった。心が、苛立ち、踊る。

「いいえ、羽々斬(はばきり)様。わたくしは毒が、毒そのものが好きなのです。そして毒に苦しみ歪み果てる者が好きなのです」

「それは良い趣味だね、香澄子嬢。それにしても、僕達を殺してどうする心算かな?縁談ということで僕達は出向いた。縁談は家と家が、家長と家長が決めるもの。君の父御──鈴菱伯爵が一枚噛んでいるとは思えないけれど」

「父なら随分前から臥せっております」

「君の毒で?」

「呆けてしまいましたわ。アレはもう駄目になってしまったのです」

「水銀で頭の中を冒したのだね」

 私は胸のときめきを感じていた。

 何てこと!ここまで理解してくださる殿方がいるのかしら!?

 彼は華のように笑むばかり。危うげな毒瓶でもなければ、醜くも労しい病毒患者でもない。だというのに、こんなに胸を、心の臓を引き絞られる。恋というならば、これだ。この高鳴りだ。

 失礼、と彼は立ち上がり、テーブルから身を乗り出して──妹に手を伸ばした。妹はびくりと身を縮こまらせ──彼の手は妹の伸びた前髪を掬い上げる。

 私と瓜二つの貌。ただし左の目元は爛れ、瞼は塞がっている。薬傷だ。酸によるもの。勿論──潰したのは、私。

「僕は自分の半身に手酷い真似はしないよ」

 そうは言いつつ、倒れ伏した弟を放置したままだ。きっと、その背骨は私と同じ。愉しいことを、止められなくて、愉しむ為ならなんでも犠牲にする。愛玩していた小鳥も、気の良い侍女も、愛すべき両親も、この身を分けた兄弟姉妹も。

「──さて、何故僕達に縁談を?僕達は色々と…後ろ暗いけれど、華族の令嬢に狙われる筋合いはないね」

「初めは…あの首堂家の者と遊んでみたいと、そう思ったのです。華族でもなく士族でもない。なのに…爵位持ちより一目置かれる、異質の一族と」

 彼はうん、と子供のように頷き、先を促す。

「わたくしと同じ年頃の双子がいるとお聞きしました。それも、奇形だと。六本指に、白黒まだらの髪。色違いの目。なのに、美しくて。──わたくし、そういうの、とても──堪らなくて」

 告白する。

「──指の一本を酸で焼いて、焼き潰してしまいましょう?そうすれば歪でしょうけれど、五本指になりますわ……」

「白くて綺麗なお貌も…少し焼きましょう。とても慎重に、やらなければなりませんね」

「目玉は標本にして、ガラス玉…いえ宝石を用意させましょう。きらきら煌めいて、きっとお似合いになりますわ」

「勿論、弟の布都(ふつ)様も同じようになさいましょう。鏡合わせの双子ですもの、シンメトリィに」

 そうして飾りたい。レェスのリボンを結んで、豪奢な着物を仕立てて。

 胸が高鳴る。

 昂る。

 どくどくと心の臓が脈打って、速く、血が轟いて、巡って──呼吸が浅く、早くなって、


 ──目眩がした。


「…あら?おかしいわ、わたくし、なんだか、」

 額から滲む汗が滴り落ちる。胃から迫り上がって来るものに耐え切れず吐き出すと、それは赤黒い血だった。他人の物は幾らでも見た。けれど、自分の血を、こうして見るのは初めてで身が竦む。ひ、と喉が引き攣った。私の身体は、一体どうなってしまったのか。

 す、と衣摺れの音がして、立ち上がる気配に見れば、倒れ伏していた彼の弟──布都が何でもない顔で椅子に座り直した。

「あにさま、羽々斬(はばきり)。少々長引き過ぎでは」

「いやぁ、毒と毒を合わせると、互いに拮抗して打ち消し合うことがあるだろう?効果が出るまで思ったより長引いてしまったね」

 床は冷たかっただろう、すまないね、と彼は弟を労る。執事が、侍女が彼等に新しい紅茶やケーキを給仕し始めた。彼等は今度は素直に嬉しそうにそれらに舌鼓を打つ。見知った顔達は一様に無表情で、私に見向きもしない。何をしているの私は血を吐いたのにお医者様を呼びなさい何をしているのこの役立たず共また酸を浴びせて毒を飲ませて差し上げましょうか──

 がたり、と傍らで立ち上がったのは、妹の貴理子。ねぇ貴理子、私苦しいの助けてちょうだい──

 妹は私を怯えた目で見ながら後退りをするばかりだった。この鈍間愚図──さっさと動きなさい!

 私は混乱していた。

 毒に倒れたはずの布都が平然としていて、私が毒に冒されている?

 何故、どうして、私が毒を盛らせたのは当然、彼等にだけ──

「侍者は大事にするものだよ、香澄子嬢。勿論家族もね」

「自身の身の回りを引き受ける者達を痛めつけてどうする。自身の欲に溺れた結果だ。甘んじて苦しめ」

 私は苦しみのあまり、テーブルクロスを握る。ずる、とカップも何もかもをクロスごと引き落としそうになり──その手を掴み上げられた。片目を失った老執事が冷たい目で私を見据えている。

「香澄子お嬢様──お客様の前でございましょう。しゃんとなさいませ」

 冷酷に言い捨てると私を椅子の背へと叩き付けた。衝撃で背後にひっくり返り、無様に床へと転がる。苦しい、痛い、そして剰りの屈辱だった。忍んだ笑い声がくすくすくすくすと煩い。


「──首堂のお二方。今回は本当に世話になってしまい、申し訳ない」


 それはもう聞けないはずの、聞こえなくしたはずの声だった。

 水銀中毒で正気を失った筈の父が、立っていた。

 そんな、どうして、

 ごぽり、と私はまた血を吐いた。

「鈴菱伯爵──僕達はとても愉しんでいますよ」

「毒薬を弄ぶ令嬢を毒で散らすなど、古今東西何処の見せ物でもやっておりません」

「不出来な娘が出来たものだと心の底から恥いるばかり──。私が毒を盛られているとの忠言、真に有難かった」

「気付いたのは兄様です。僕達の長兄の十束(とつか)ですよ」

 ころころと彼等は笑い、そして私は愈々目が霞み、息が、切れて──恐ろしかった。恐怖、これが恐怖ということ。これまで散々他人を泣き喚かせて、愉しんだ。恐怖に歪む貌が好きだった。面白かった。そして私は今──何対もの目に見据えられ嘲笑われて、

 くすくす、くくく、ふふふ、あはは、

 笑い声がわんわんと頭に響く。煩い、五月蝿い!私を笑うなんて、許さない、許さな、


 ──助けて。


 そうして私は初めて泣いて、息が止まった。




■■■


 首堂十束(とつか)は憮然と事の顛末を聞いていた。

「私は殺せとは言っていないぞ」

「あにさまはお優しいですね」

「今まで毒や酸で酷い目に合わされて来た使用人達の顔をご覧になれば、そうした慈悲も消えるというもの」

「今回の計画に乗り気だったのは使用人達ですよ。目を潰されたり、身体を壊されたり。時には子どもを流されたりもしたそうですから」

 客人に出すものと、主人に出す皿と杯を入れ替える。その程度の失敗を誰が気にすることだろう。

 鈴菱香澄子は突然の病にてこの世を去った──ことになっている。稀代の毒薬魔は平凡に死んだことになり、記憶から消えていくだろう。

 十束は毒が入っているわけもない珈琲に厭な苦味を感じて眉を顰める。双子はチョコレートケーキがあれ以来気に入りのようで、嬉しげに平らげていた。

「恐ろしい令嬢であることは間違いない。が、毒薬を与えていたのは鈴菱伯爵とその家令だ」

「えぇ。伯爵自身、政敵に毒を使っていたのでしょうね」

「身から出た錆、としか思えませんが……ふふ、あの伯爵、十束(とつか)のあにさまの良い駒になりましょう」

 十束(とつか)は政治に興味はない。どちらかと言えば面倒だ。裏で糸を引いて雁字搦めになるよりも、前線で敵の首を獲っていた方が余程健全だ。ただでさえ人の心中は計り知れない。権謀術数など煩わしい。双子の弟達は、そうした人の澱みで遊んでいる。全く理解は出来ない。しかし愛すべき弟達。

「ねえあにさま」

十束(とつか)のあにさま」

 双子の指が絡み合う。頬と頬を寄せ、シンメトリィに。

「僕達を殺す時は、毒なんてつまらないことをなさらないで」

「その手で、腕で、どうぞ首を二つ」

 この弟達は共に死ぬことを、十束(とつか)に殺されることを望んでいる。奇妙な希死念慮。被虐願望。

「私は家族を大事にする」

 憤懣としながら吐き捨てれば、彼等は残念そうに、しかし嬉しそうに笑う。


 華のように美しく、咲う。

 


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