事故処理と空母炎上
今日は4月2日、安芸基地では私達整備隊が昨日緊急着陸した機体を格納庫に運び、調査を行っていた。
多くの機体が火山灰との摩擦によって機体全面の塗装がまるで荒いやすりで削られたかのように無くなりザラザラになっていた。
それ以外にもエンジンのファンブレードが損傷し、一部の機体は吸引した火山灰が燃焼室内で融解した為に使い物にならなくなっていた。
こんなにだらだら言っているが結論は簡単だ。
ほとんどの機体が大規模修理が必要であるということだ。
このことは与那国基地にいる佐藤殿に送ることにした。
搭乗員は機体から降りたときは安堵して喜んでいたものの、佐藤殿への忠誠心からかその後は何も言葉を発さずに俯き沈黙してしまっている。
彼らにとって与えて頂いたものを壊したのは精神的にかなり来ているのだろう。
だから彼らにはこのことは話さないでおこうと思う。
所変わってここは与那国基地である。昨日の事故で搭乗員のほとんどが重傷を負い、基地の中にある病院のICUに収容中である。
現在大破炎上し炭になった機体が2機、前輪が折れて擱座している機体が1機の計3機が滑走路を封鎖している。
正直、今すぐにでも滑走路を開放したいところだが、今後の為にも実況見分が必要だ。
僕は葛藤したが、そのまま実況見分を続けさせることにした。
期間は4月4日午前0時までである。
基地庁舎の屋上から見ると、機体の周りには消防服を着た隊員達と迷彩服を着た隊員達が距離測定器や番号の書いてある標識を携えながら作業をしていた。
僕は今後の作業に必要だという要請を受けて大型のクレーン車や造船所で船体を運ぶために使われるような特殊大型車両を数両召喚することになった。
安芸基地から送られてきた報告書に僕は再び眉を顰めることになった。
それは普通の人だったら当然だろう。
昨日安芸基地に降ろした機体のほとんどがスクラップ同然になったのだから。
乗員が全員ケガすることなく生還できたことは良かったが、そのスクラップをどうするのか、いつ欠けた戦力を補充できるのかが最大の懸案事項となった。
そしてそんなことを考えて頭を抱えていると今度は空母から通信が入った。
「こちら空母CVL-1、応答願います!」
「こちら与那国基地、どうぞ。」
「こちらCVL-1、艦載機が炎上中です!」
かなり切迫した声で向こうは話している。
無線にはそれに混じってサイレンの音が聞こえていることからかなりやばいのだろう。
「了解。
また状況が詳しく分かり次第連絡せよ。」
「了解。」
CVL-1から送られてくる映像には空母の左舷中央にいる機体が炎上している。
これは結構やばいんじゃないかと思って僕はその映像を心配そうに見ていた。
それでしばらく心配していると火の手はどんどん広がり、機体を船から落としている様子が映っていた。
僕は驚いて無線を繋いだ。
「こちら与那国基地、現状を報告せよ。」
「現在消火活動中ですが、延焼が発生しており、これ以上の被害を食い止める為に機体を投棄しています。」
「了解...」
僕は召喚した物がどんどん海中にごみのごとく捨てられている様子を見て不快だった。
何だろう、最近隊員達ではなく物を大事にしているのかもしれない。
僕はそれに何となく気づいて、『物は取り戻せるが、命は取り戻せない。』という言葉を思い出し、自分を戒めた。
しばらくして火災は鎮火した。
幸い壊滅的なダメージと大量の死者を出すことは無かったものの30機程の機体が海中に投棄され、隊員にも少なくない死傷者が出たのは想像に難くない。
このCVL-1はそのまま安芸基地に回航することになった。
与那国基地では十分な修理設備が無い為である。
これが最後の悲劇であることを僕は切に願った。




