十四話 虚無の感情
私は文秋と別れた後、家に戻っていた。
一人で見回りでもしようかとも思ったが『時間凍結』を使った反動でとっても怠い。今日はもう動きたくない。
「ちょっと、コーヒー買ってきて!」
妹が部屋から私に指示を出して来た。なんで、こんな図々しい性格なのかは分からないがこの態度は私にしかしないからまだマシだろう。
別に断る理由もないので近くのコンビニに買いに出かけた。
外で現実改変者が暴れることは滅多にない。十年ほど前の現実改変者が現れた最初期からは想像のつかないような安全さだ。
これも、警察代わりの執行機関が作られたお陰だろう。一人で暴れようものなら向こうはチームで対応してくる。強くても数の前では無力になる。まあ、バグワームや執行機関の最高幹部以上の様に本物の化け物にとっては数が無力になることもあるが、そんな現実改変者がは一握りしかいない。
裏の世界も昔は地獄絵図だったが、今では現実改変者がいなかった頃と大して変わらない位落ち着きを取り戻している。
こうしてみると、氷の女王として一人で命を懸けて活動していた時が懐かしくなる。懐かしく思うと言ってもつい昨日の事なのだが。
変な思考で内心笑いつつも、よく今まで生きていけた運に感謝した。
いままでも幸運な方だったが、一番の幸運は文秋に出会えたことだろう。そのせいでバグワームに目を付けられたが、私にとっては十分プラスだ。
バグワームは凶悪犯を脱走させた。執行機関に席を置いている以上は許せない行為なのだが、そのお陰で文秋と協力して敵を倒せた。口では絶対に言わないが、感謝すらしている。
いらない過去はすべて捨てて、これからは文秋と表の世界でのし上がっていきたい。
のんびり歩いていると急に電話が鳴った。
文秋に貸しているスマホからだったが、喋っているのは榊原だった。
内容を要約すれば、早く来ないと私が所属していたあの部隊の事を文秋に伝えるとのことだった。
あの部隊というのは暗部の事だろう。
私は氷の女王として活動する時は匿名の方が都合が良かった。なので、偽名でもいい執行機関の暗部に入っていた。
暗部は裏社会で法外な料金で護衛をしたり、グレーな行為をしている反社会団体を証拠もなく襲撃したりと汚れ仕事をする部隊のことである。
幹部一人に私を含めた五人で構成されており、総員六人の少人数部隊だった。今は私が抜けたから五人しかいないはず。
「あいつらだけには私の事を知られる訳にはいかない」
文秋に知られるのも好ましい事ではないが、きっと文秋なら許してくれる。だが、暗部に私の事が知られるのは駄目だ。あいつらは強い上にどんな手段も使って私を暗部に戻して来るだろう。
もう、あんな危険な仕事はしたくはない。
少しでも早く行くために能力を使いたい。だが、公衆の面前で能力を使うと確実に通報される。もし、捕まっても厳重注意程度で済むだろうが、顔を見られるのは避けたい。
なら、あれを利用するしかない。
「あー。あー」
隠れて声を高く調整する。そして、仮面を氷で作り顔を見えない様にした。
大通りに戻ると、仮面を着けた変質者に視線が集まる。その視線を無視し、壁に氷の出っ張りを作る。さらに地面と靴裏を凍らせる。
正直、迷惑になるからやりたくないが致し方ない。
「退いて下さい」
壁の出っ張りを思いっきり引き、前に進む。周りは変質者が現れた事で私を見ている。だからある程度の速さなら問題なく避けられるだろう。
多くの人達が避けていく中、面白さ半分なのか私の前に立ちふさがる人が何人もいた。
邪魔をする相手の足元を容赦なく凍らせて固定し、加速に使った。私の知っている氷の女王なら、この程度の非道は息をするようにする。
目的の場所に着いたら、私がすっぽり入るほどの氷の玉を作って視線を注目させる。その隙に仮面を外し一般人に成り済ます。
最後に玉の内部のみ能力を解除する。すると、内部の空気が一気に膨張し外側の氷が爆発する様に割れる。ただの氷だったら、大小さまざまな破片が飛び散るが私の作ったのはシャーベット状の氷であり、きらめく氷の粒が降り注いだ。
周りの人達はその光景をカメラと視線を氷に捉えている。これで私がやったことはバレないはずだ。固定した人達も冷たくない氷を張りついているだけだからすぐに救出されるだろう。
っとまあ、強引なやり方を使って七分以内にビルに入りエレベーターで昇った。ビルのパスワードらしきものは先ほど送られていたメールにあった。
「すごい景色だな」
文秋が興奮気味に語っていたのを思い出した。昼間だからただ高いだけだが、もし夜だったら幻想的な風景だっただろう。
最上階から三回ほど前でエレベーターが止まった。扉が開くと即玄関で、流石お金持ちの家だなと思った。少々、怖さを感じながらも家に入った。
廊下で文秋が倒れており、横にはさっきのカラスがいた。そこまでは良かった。
「死体!?」
口にしてしまったが、上半身と下半身がお別れして内臓の散らばった男の死体が転がっていた。その死体の男をどこかで見た記憶があるのだが、誰かを思い出すのは今はそんなに重要ではない。
すぐに男の内臓を体の中に詰め死体の上下をくっつけて凍らせる。
「こいつはまだ死んではいない。まだ脈がある」
一応、生きているがこのままでは死ぬのも時間の問題だろう。
「いいか。これは私が殺した。文秋は何もしていない。これからこれを隠蔽をする」
文秋は殺しをしていない。例え、この死体がどんな事をしたクズなのかは知らないが殺しはさせない。すでに汚れている私の手はいい。だが、文秋だけは汚させるわけにはいかない。
「いや、僕がやったわけではありません」
「ああ、そうだ。文秋は何もしていない。それだけだ」
「いや、そういう事じゃなくて、僕でも氷藤さんでもなくてこの子がやったんです」
言葉を理解しているのか文秋の元にカラスが駆け寄り、頭を差し出した。文秋はその頭を撫でる。
「僕が殻曳さんにやられた事を仕返ししてくれたんだと思います。だから」
「そうか」
このカラスからは何か普通じゃない物を感じる。文秋が嘘を吐くはずもないし、このカラスが犯人で間違いないだろう。
「榊原は何処にいる?」
「彼女なら、治す為に道具を取りに行きました。それと僕も体を負傷して痛いので冷やして貰えませんか?」
「ああ分かった」
状況は大体掴めた。
殻曳という男の手に持っている根本のみの刃物で文秋が傷つけられ、カラスが仕返しに胴体を真っ二つにした。榊原は文秋に殺しをさせない為に応急処置をしようとしているのだろう。
「おまたせ。糸と針で縫って置けば、殻曳くんは何とかなる。って、氷藤くん。ボクの行動を全部無駄にしてくれたね」
榊原が裁縫道具らしきものを持って来た。あの殻曳と言う男は【自己再生】の現実改変者なのだろうか? 縫うだけで体が戻るならそういう能力であることは間違いないだろう。
「……!? 生きている? 俺はさっき負けたはず」
真っ二つになったはずの男が起き上がった。なんていう再生速度だ。まあ、とりあえずこれで殺人事件は無くなった。
「俺はまた負けたのか。いや、今回は仕方がない俺なんかが敵う相手じゃなかった」
勝手に項垂れているが、私はこの男について何も知らない。
「適切な処置をありがとう。えっと、お嬢さんお茶でもどうですか?」
うん。こんな空気が読めないような奴とは関わり合いたくない。
とりあえず、返答をする前に文秋の傷があったであろう場所を冷やす。さっきから痛みを耐えようとしているが表情で痛々しさが十二分によく分かる。文秋の事だから『迷惑を掛けたくない』とでも思って我慢しているのだろう。
「無視は」
「うるさい。少し黙ってろ」
殻曳という男がどんな奴かは知らないが、文秋を攻撃したのは間違いないはずだ。死ななかったから良かっただけで大切に扱う必要は一切ない。喋れなくなるような特大の氷を口に作らないだけまだ優しいと思えと思う。
あの男から攻撃の意志を感じていたら容赦なく氷漬けに出来た。だって、無害な相手を凍らせることはあまりいい事とは言えないからな。少なくとも文秋の前ではそんな行為は控えておきたい。
「氷藤さん。少しお話をいいですか? 二人だけでお話したいことがありまして」
「そうか。すぐに場所を作る」
文秋と私を薄い氷で覆う。これだけなら音が漏れるが、声が振動である以上は振動を止めるほど低い温度にすれば音は伝わらない。
壁を使い、文秋は痛む体に鞭を打ち強引に立ち上がった。
「今から話す内容を信じなくてもいいです。僕自身ですら思い出した事に疑問を持っていますから」
前置きで信じなくてもいいと言われたが一体どんなスケールの大きさのある話だろうか?
「前に異世界から来たと言いました。そのことなんですけど、僕は神なんです。神と言っても全知全能ではありません。僕は『消滅』を扱い、物体は勿論、概念すらも消せます。でも、今の僕には大きい物体や概念を消すことは出来ません。この世界に来る前になぜか自らの手で記憶と力を封印してしまいました。封印を解くには強い攻撃を受ける。もしくは痛みを感じることで封印が解かれていきます」
一度に理解をするのは難しいが、まだまだ強くなるというという事だろう。それも神の様な次元まで。
「僕の弱点は【無効化】の能力です。これは、現実性が薄くなったこの世界だからこそ僕がこの場に存在することが出来ていることに原因があります」
「ちょっと待て、現実性が薄くなった世界ってなんだ?」
「はい。現実性が低いです。詳しくは説明出来ませんが、現実改変者の人達は現実性が薄くなったことによって能力が使える様になっています。別の言い方をすれば、妄想が現実になっているということです」
現実性。
漠然とした一言が私を不安にさせる。
「すいません。不安になりますよね。僕もなんか、こう、どうしようもないモヤモヤがあります。それで話を戻しますが、【無効化】の能力の方たちは現実を固定する力を持っている人達です。僕は現実に存在することが出来ないですから、現実を固定化されてしまったら僕の体は虚無に戻ります」
「それって」
「そもそも、名無文秋という人物は虚無でありえない存在です」
私の抱いている不安なんて文秋の持つ不安に比べればちっぽけなモノだろう。
文秋は自分の『存在』を否定されるかもしれないのに私は『能力』のみを見ていた。
「もし現実性っていうよく分からない概念が無くなったらどうなるんだ?」
「法則がなくなります。水がなぜか氷になったり、生物になったりします。でも、そんな事にならない様にこの世界の神は頑張っていたみたいですが」
到底、私には想像もつかないようなスケールの話になってしまったが、真実を掴めたような気がする。不安もあるが、それ以上にスッキリした感情もある。
「分かった。文秋が思い出した事を信じて貰えないと思っていても勇気をもって教えてくれた。これだけでも私は嬉しい。正直、話の内容は難しくてよく分からなかったが、文秋の覚悟はよく分かった。だから、今度は私の秘密を話そう」
誰かに話すつもりは一切なかった。そもそも話さないからこそ秘密なのだが、文秋ばっかりに勇気を出させるわけにはいかない。
私も文秋と同様に勇気を出して話した方がいい。いや、話さないといけない。
「まず、これを聞いてから私を軽蔑しても嫌ってもいい。それにチームを解散してもいい」
前置きをする。これから話す内容は一般人からすれば十二分に軽蔑や拒絶を示す話だ。
「私は暗部という部隊に入っていた。自分の正義を語っておいて難だが、私は正義を捨ててお金の為に行動していた。暗部では法外な値段での護衛の仕事や暗殺の仕事をやっていた。私はお金の為に人の命を蔑ろにしていた。罪のない人を殺した訳ではないと自分を納得させ、殺しを正当化しようとする毎日だった。でも、ある日。私は麻薬を取引している場所を襲撃した。相手は護衛の現実改変者がいなかったから一瞬で仕事は終わった。だが、一つ問題が起きた。私の足元に手紙っぽい紙が落ちていた。内容は殺した誰かの娘から送られた日頃の感謝の言葉だった。この時に気づいたよ」
こんな話を誰かにするつもりはなかった。
「どんなクズにも私たちと変わらない『人生』があったことを」
……まるで懺悔だ。
文秋が別の世界の神だからだろうか、どうしても伝えたくなってしまう。
「私は間違っていたんだ! もう、引き返すことは出来ない。だから。だから、文秋にはそんな思いをして欲しくないんだ!」
私らしくない。こんなに感情的になって声を出すのはあの裏切られたとき以来かもしれない。
「私の勝手な自己欲求を文秋に押し付けてしまった。本当にすまなかった」
きっと、文秋は私を許してくれるだろう。短い期間の付き合いだが、文秋の優しさはよく知っている。
「許しません」
「えっ」
想定外の言葉で声が出てしまった。
「氷藤さんが僕に許しを請うのは許しません。氷藤さんは僕がこの世界に来て間もない頃に親身になって助けてくれた! 氷藤さんは帰る場所がない僕に居場所をくれた! 氷藤さんは僕の怪我を心配してくれた! 氷藤さんは僕の言う事を信じてくれた! 氷藤さんは僕を仲間だって言ってくれた! 氷藤さんは僕に秘密の過去を教えてくれた! 氷藤さんは氷藤さんは氷藤さんは……僕の。僕の神です!!」
…………………………。
「ハハハハハハハハハハッ!」
笑った。周りを気にせず笑った。
「なんなんですか? 笑うことはないと」
「いや、笑うことだ。文秋は別の世界の神なのに他の世界の唯の人間である私を神として見るってどういうことだ? ハハハ。もう笑うしかねえよ」
さっきまでの空気なら笑うなんてことは無かったが、神に神と言われれば笑ってしまうのは仕方がないだろう。
「信者数が一人だけど、これで私も神になれたのかな? まあそこはどうでもいいとして、この際言っとくと私は文秋の信者だからな」
勢いで思っている言葉を口にしてしまったが、後悔はない。
痛みでよろめき倒れそうな文秋の体を支える。ほとんど抱きしめに近い体勢だが、妙に安心感がある。
「私たちは仲間だ。例え、どんな困難な試練がこの先待っていようと私たちなら超えられる」
「そうですね」
この機会に平日を休みにする事を上手い具合に伝える。
「明日は休みにしよう。たまには休みも必要だ」
「分かりました。そうしましょう」
能力を解除し、氷を解除した。
名前 名無文秋
所属 執行機関
能力 対人型『虚無な実体』特殊型『消滅』
説明 別の世界の神であることを思い出した。消滅を司り、概念すらも消し去ることが出来る。しかし、能力は自ら封印しており触れたモノしか消滅をさせられない。なぜ、自ら能力を封印したのかは分かっていない。
この世界の現状を神から見た視点で理解しているが、氷藤以外にはそれを伝えることはない。話を信じて貰えるという次元ではなく氷藤の事が好きで信じているという感情によって知っている全てを語った。