十二話 過去
『豆腐の角殴り』にやられた傷を治す為に現在文秋を背負っている。
「すいません。重たいですよね」
「まあ、お世辞にも軽くはないが別に苦しい訳ではないし文秋は仲間だからな」
心配してくれているが、私は男だ。それに戦う都合上は体も鍛えている。高校生ぐらいの体重程度ならいい筋トレ気分で持ち上げられる。
「そうだ。文秋異世界から来たって言っていたが、どの位記憶を思い出したんだ?」
「別に大したことは思い出せてないですよ。場所が真っ暗だったことしか思い出せてないです」
「大変だな。家族の事とかはどうなんだ?」
「家族ですか……」
その異世界という場所での交友関係を思い出すことは不可能に近いだろう。だが、家族は人間という生物である以上は絶対にいたはずだ。
記憶を失っていても繋がりが強ければ思い出せる順序は早いだろう。
「思い出せるのは妹か姉がいる事ぐらいですね。でも、少なくとも氷藤さんに背負われている時の温かさみたいなものはなかったと思います」
「能力を使って冷やしているはずなんだが」
「体は冷たいですけど精神的なものだと思います。まるで母親のような感じです」
私は男である。見た目はともかく心と身体的特徴はしっかり男だ。決して母親ではない。ツッコミをしたいが記憶が取り戻せずに複雑な心境の相手にするほど私は無神経ではない。
「もし、元の世界に戻れる機会があったらどうするんだ?」
「電話でもお話した通り、僕は帰りたくないです。氷藤さんに拾って貰ったお陰で僕はこの世界を気に入りました。最も、帰れる可能性なんて微塵もないでしょうけどね」
笑いながら語っている所を見れば、特にこの世界に来たことはさほど問題視はしていないみたいだ。これで幹部になってもチームが崩れることはない。
「そういえば、ずっと聞きたいことがあったんですけどいいですか?」
「なんだ?」
「なんで氷藤さんは執行機関の幹部になりたいんですか?」
「前にも言ったが金だ。この社会では金が命の次に大切だからな」
「他にもありますよね」
まさか、気づかれているとは思わなかった。
「文秋だからこそ言うが、私の両親は現実改変者によって殺された」
こんな事は誰にも話さないと思っていたが、時間のある今に腹を割って話しておくのも悪くはない。
「十年前に初めて現実改変者がこの世に誕生した。文秋は知らないと思うが、執行機関やその他の組織が作られる前は現実改変者による犯罪は誰も罰することが出来なかった。そもそも刑を定める法律がない訳だからな。政府公認の執行機関が作られたのは八年前。この間の二年は表でも裏でも調子に乗った現実改変者による犯罪が後を絶たなかった。その時代に私の家も巻き込まれ強盗が押し入って来た。後はありきたりな話だ。私と妹を隠した親はあっさり死んでいった」
ここまでは実によくある話だ。他人が持っていない能力を持った人間は欲望のままに暴れる。その被害が何にも能力を持っていない人に行く。
「幼かった私は田舎に住んでいる祖父の家に引き取られた。その時、私は『温度を際限なく下げる』という能力に目覚めた。当時の私は調子に乗り、ひたすら能力を使って遊んだ。幸い人目に付かない田舎だったから問題はなかったが、その時には現実改変者を差別する目は結構強かったらしい。ある日、誰かに私の遊びが見られた。この後はまたよくある話さ。私はみんなから避けられた。でもまあ、私は自分で言うのも難だが、品行方正だったから避けられる程度で済んだ」
確か、別の場所では息子が現実改変者だからという理由で殺したとかいう殺人事件もあった。学校とかだといじめは当たり前だったり、メディアも現実改変者をかなり酷い扱いをしていた。
「当時中学生だった私は何を血迷ったのか、『悪い現実改変者を捕らえれば評価が上がるのでは』と考えた。そして、同じ学校にいた現実改変者の一人と組んで積極的に警察の真似事をした」
組んだ奴は女で『近くに居る体温を奪う微生物』を召喚する召喚型の能力を持っていた。その能力は私の能力と非常に相性が良かった。
召喚される微生物は非常に小さく何もない場所だと大した威力は期待できない能力だったが、私の能力によって人工的に雪を作る事によって、微生物は活性化し威力が大幅に上がった。
まあ、そんな昔の奴の事を文秋に語る必要はない。
それに――
「最終的に私は裏切られた。というのも、それまでの活動で上手く犯罪者を捕まえられていたんだがある日捕らえたのが現実改変者じゃなくて手品師だったんだ。全く間抜けな話だよな。組んでいた奴は『氷藤に命令されてやった』と言ったせいで、私はその場所に居づらくなった。田舎の情報伝達速度を舐めてはいけないな。祖父が優しかったから私は別の場所の学校に転校することが出来たが、もしあのままだったらもっと酷い扱いをされていただろう」
一度の裏切りで多くの物を失った。勿論、今でも裏切った女は許せないし正直、殺してやりたいとも思っている。何より、その裏切りのせいで疑い深い性格になってしまった。
「高校を卒業したら、都会で働き始めた。幸い田舎にいた時から好きだった植物の世話をする職業に就けたから、今考えると悪い判断じゃないと思っている。それで、数年前に執行機関に入って警察の真似事を再開した。今も昔も私の思想は血迷っているだろうな。あと、幹部に拘るもう一つの理由だな。これはまあ、『裏切られても高い地位なら大丈夫』って考えている位しかない。やっぱり一番は金だな」
過去を他人に出して振り返ってみると私は比較的マシな状況だったなと思う。
別にいじめで性格が大きくゆがんだわけでもないし、犯罪に手を染める事も無かった。これはある意味幸運なのかもしれない。
「氷藤さんにもいろいろあったんですね」
「別に私なんてまだまだ甘い。これより酷い過去を持っている人なんてごまんといる」
「僕が裏切るかもとかは思わないんですか?」
「ん? 裏切るのか?」
「いや、裏切りませんよ」
冗談じみて返したが、私自身も文秋が裏切らないと確信し切っていない。
初めて会った時に他人を守ろうとする行動やバグワームが襲って来た時に私を守ってくれたりという信用する理由はある。
だが、私の性格では信じ切るという事は絶対にない。どんなに信用できる行動をされてもどこか心の隅には『裏切り』が存在してしまう。これはもう治らない病だ。
これは直接文秋には言えない事だが、私は文秋になら裏切られてもいいと思っている。
なぜかと問われれば答えに詰まるが、文秋の行動は私の求める正義なのだ。
常に血迷っている私は信じたい正義を最も重要に考える。その正義に反する行動をする位なら死んだ方がいい。
例えるなら、熱心なキリスト教徒が夢の中でイエス様に命令されればどんな事であっても従うみたいなものだ。その命令が聖書で禁忌とされている事であったとしてもそんな事をお構いなしに神の命令に従う。
彼らが絶対的に信仰しているのは『神』であってそれ以外は二の次なのだ。
私にとっては文秋が『神』であり、絶対だと感じている。
言葉に表すことは出来ないが、この言葉に表せないという事自体がその『神』という概念だと思う。
だからこそ、文秋には殺人を犯させるわけにはいかない。そんな展開になるぐらいなら私が先にその相手を殺す。『神』は神だからこそ信じられる。
「私たちは二人でチームだ。少なくとも私は文秋を信用している」
「ありがとうございます。僕も氷藤さんの事を仲間として信用してます。守りたい人じゃなくて一緒に戦う仲間です」
「仲間……か。文秋の言う仲間は安心できる」
私は仲間という言葉が嫌いだが、文秋が言えば悪くは感じない。
それに文秋の性格は出来過ぎていると思っていたが「守りたい人」という言葉で文秋の持つ欲が良く分かった。これで一つ疑う事が消えた。その代わり、一つどうでもいい事が気になった。
「榊原はどうなんだ?」
「ユミは守りたい人ですね」
「じゃあ、もし私と榊原のどちらか一人を助けるならどっちを取るつもりなんだ?」
少し意地悪な質問をしてしまったが、気になった以上は知りたい。仲間と守りたい人のどっちの方が大切なのか。
「ユミを助けます。氷藤さんならどんな状況でも信じてますから、僕が助けるなんて上からなことはしません」
「なんか、コメントしずらい回答だな」
重要度的には守りたい人の方が上らしい。だが、それは仲間という存在を対等に見ているからこその選択だから文句は一切ない。
「あ、そうだ。電話で言っていたが一緒に風呂に入ったんだよな。それってどう考えても普通の関係じゃないよな」
「ハダカのつきあい。ってやつらしいですよ。お風呂のやり方が分からなかったので助かりました」
全く動揺していない。胸は無いに等しかったが、榊原は一応女性のはずだ。それに年も近いはずだし、彼女は美少女に分類されるほどの容姿の持ち主である。
文秋だって健全な男のはずだから興奮の一つするのが自然だと思うのだが、この平常心な声色からして全く興奮は勿論照れすらない可能性がある。
なら、文秋はゲイだという事になるのだが。
も、もし本当にゲイだとしたら私はどう反応すればいいか困る。別に軽蔑はしないが、仲間の意外な一面に少し驚愕するかもしれない。
一応、まだ仮説なのでもう少し話を詰めたほうがいい。
「男だけしかいないから聞くが、興奮したか?」
「はい。初めてですっごい気持ち良かったです」
「風呂の感想じゃないんだけどな……」
実は女の子だったという可能性も考えて、少し体を屈めたがちゃんと男のあれの感触がしたからそれはない。本当にどうなっているんだ?
記憶を失っていても三大欲求の一つを失うなんてあり得ない。
こうなったらストレートに聞くしかない!
「なあ。そのな。女性の全裸を見ても何も感じなかったのか?」
「ん? 別にただの体ですよね。流石に記憶を失っていてもそんな事に一々感情が動く訳ないじゃないですか」
……なんか。私の方が恥ずかしくなってきた。
ここまで来れば榊原もかなり不憫な思いをしただろう。家族でもない男と一緒に風呂に入るなんて、絶対気があるに違いない。きっと彼女は文秋に惚れている。
相当な覚悟を決めて体を晒した結果が今の文秋の反応。一発殴っても誰も文句は言えない。
「あと一緒に寝たんですよ」
「あー。一回死んだ方がいいよ君」
「え!?」
アタックする方も大胆過ぎるが、文秋は許されない事をしている。
「どーせ。何もしてないんだろ」
「何も? 逆に聞きますけど何をすれば良かったんですか?」
「ああ! もう分かった。はっきり言ってやるよ! せえっ――グッ!」
急に文秋の重さが増した。そのせいで言葉を言い切る前にバランスを崩し言葉を途中で遮られた。
「カラスか。これは」
「黒いですね」
強引に後ろを振り向くと真っ黒い羽のカラスが文秋に飛びついていた。一瞬の重さからしていい勢いで突進して来たのは分かるのだが、他の情報が少なすぎる。
カラスが一匹で襲ってくるようなことはまずない。
敵の現実改変者が攻撃を仕掛けた可能性も考慮したが、断定できない状態で野性のカラスを倒すのは少々理不尽である。とにかく情報を集めなければならない。
「そのカラスに何か変な所はないか?」
「銀色の金属製の首輪を着けています」
「首輪?」
対人型の【精神支配】で操っていると思ったが、首輪を着けるとなると召喚型の能力である可能性が高いと言える。
だが、召喚型だと仮定すると追撃が無いのは変だし、対人型なら本来のカラスの力に比べ、こんな高い攻撃力を出せない。
これは敵の攻撃でないかもしれない。
「敵らしき人はいるか?」
「いえ、人がここにいる気配は一切ありません」
「とりあえず、羽根が邪魔だから外せ」
「出来ません。凄い力です」
ひとまず、文秋事地面に下ろす。カラスををクッションにすれば放すと思っていたが……
「全然、離れません。どうしましょうか?」
「もういっその事そのままいればいいんじゃないか? ただのカラスらしいし問題はないだろ」
「痛くはないですけど、なんか罪悪感があります。能力を解除して離れます」
文秋は『虚無な実体』を部分的に発動させ、カラスから離れた。
「こうしてみると結構可愛いですね」
羽根を広げお腹を見せた状態で倒れているカラスの腹を文秋は撫でている。私も触ってみたいが、謎の恐怖によって一歩前に進むことすら出来ない。
「なあ。そのカラスはなんか変だぞ」
「何言っているんですか? 可愛いじゃないですか」
今までソロで活動していた時の特技として相手の大体の強さが分かる。この犬は強い。少なくとも私の中ではバグワームの次に入る程の強さに入る。
切り札の一つである『時間凍結』ですら、この犬の前では無意味に終わる気がするのだ。
今すぐにでもこの場を逃げ出したいが、それは文秋に対する裏切り行為になる。
この危機はいち早く伝えなくてはいけない!
「逃げろ! その鳥は……」
「フッミー! 迎えに来たよっ!」
「どうしたんですか?」
榊原によって私の声は文秋に届くことは無かった。
「同僚がね。ワープ装置をくれたんだっ。これを使って一緒に帰ろっ!」
文秋を後ろから抱きしめる様にしてから、榊原はワープ装置とやらを使って消えた。――あのカラスを連れて。
「ワープ装置って殻曳って奴が持っていた物と同じか」
流石は最高幹部様だ。人類の数十年先を行く技術を手軽に使えるモノなんだな。
「明日は月曜日だから文秋を休ませないとな」
この事は後で電話かメールで伝えればいいか。
私も社会人で仕事もある。だから、平日は緊急時以外では戦えない。
それに記憶を失ってから休みもなく戦い続けた文秋に休息が必要だろう。