十一話 覚醒
私たちは脱走犯である『豆腐の角殴り』を捕まえる為に町の外れにある橋の下に来ていた。
監視カメラの映像によると『豆腐の角殴り』はこの辺りに隠れている。
「それにしても、なんでこんな大規模な脱走なんて起きたんでしょうかね?」
「バグワームの仕業に決まっている。わざわざあんな手紙を送るような奴だ。まともな考えじゃない」
「それもそうですね」
犯罪者が逃げたという事は悪いことだろう。しかし、この騒動を上手く利用できれば、私たちのチームが短期間で執行機関の幹部にのし上がる事も夢ではない。
「あそこに居るのが『豆腐の角殴り』だろう。文秋が先行して、もし戦闘になれば私が後方支援をする」
「了解しました」
『豆腐の角殴り』の潜伏場所は橋の下であり、身を隠すには悪くはない場所だった。若い男が周りを警戒しながら縮こまっている。これだけ怪しさがあれば特定は容易だ。
自己型の能力を持つ文秋に先に行って貰い、交渉して大人しく捕まってくれればそれはそれで楽なのだが、自主的に捕まっても死刑を言い渡されている以上は運命は変わらない。奴は絶対に抵抗してくるだろう。
私の存在が悟られなければ戦闘ではまず勝てる。
『豆腐の角殴り』は情報によれば自然型の可能性が高い。それも射程距離が非常に短く『直接触れる』位の距離にしか能力を発動出来ないとみている。
そもそも、負傷した文秋一人でも十二分に勝てる見込みのある敵なのだ。
私は身を隠し、二人の様子を観察する。
「お前は執行機関か?」
「はい。あなたは『豆腐の角殴り』さんで間違いないですよね」
「そうだ。俺がお前らの言う『豆腐の角殴り』だ。それで、お前は俺を捕まえに来たんだろ? 俺は捕まれば今度こそ死刑が執行される。大人しく戻る気はサラサラねぇよ」
遠くで見えずらいが、あの男の目は疲れ切っている。到底、生きている人間がするものではない程のくたびれ具合だ。
「なあ、頼む。俺を見逃してくれ。罪は嫌というほど反省しているし、今後は一切手に染めない事を誓う。殺した人達の償いをさせてくれ。そうだ! 許されるのなら俺が執行機関に入ってもいい。身を粉にして他の犯罪者を捕まえる手助けをする。なあ、頼むよ。俺を見逃してくれ! まだ死にたくないんだ」
男は急に土下座をして交渉して来る。私の情は一切動かないが、文秋はどうだろうか? 余裕もあるしこの際で文秋の考える正義の意見も聞いておきたい。
「僕はあなたが誰を殺したかは知りませし、金銭トラブルっていうのもどういう問題かすら正直分かりません。だから、あなたが悪なのかというのは僕にはさっぱり分かりません。でも、その殺された人にも人生があったはずです。それを踏みにじったことは到底許される行為ではありません」
「……そうか。交渉決裂だな。残念だが全力で抵抗してやる」
男は立ち上がると同時に文秋に肘打ちをしたが、『虚無な実体』の文秋には当たらず空振りになった。
空振りになったことでバランスを崩し転んだ『豆腐の角殴り』の足を凍らせる。相手が動いていなければ正確に命中させられる。
「クソ! もう一人居やがる。こんな氷――」
!? 肘で氷を粉砕した。奴の体は格闘家とは思えない程やせ細っているくせに何処にそんなパワーを持っているのか?
いや、そもそも文秋への初撃がリーチの短いエルボーだという所から変だったのだ。
敵の能力は『物質硬化』だと知らなかったら無条件で警戒を強めていたが、能力を知っていれば大した謎ではなくなる。敵は己の服を硬化させているだけのことなのだ。
なら、対処は簡単である。両手両足を縛り動けなくすれば敵は抵抗できない。
凍らせる為にまずは文秋が敵の足止めをして貰わないとこの距離からは命中率が低い。
私に言われずとも文秋は男を地面に叩きつけた。
「止めろ! このまま俺を捕まえればお前たちは関節的に人殺しになるぞ。来る日も来る日も死刑に怯える気持ちが分かるか? 人の足音一つですら死神の足音に聞こえてしまうこの恐怖。もう嫌なんだ!」
人を殺しておいて何言っているんだ? 法を破ればそれ相応の罰が課されるのはみんな同じ。これが社会という組織に属している以上は逃げられない。一番、恨むべきは犯罪で捕まった間抜けな自分自身だ。
まあ、そんな理屈うんぬんよりも人として人を殺す相手を信用できない。
動けない敵の体を固定するように凍らせようと意識を集中させる。
「アアアアァァーー!」
男が急に叫び出した。最期の悪足掻きだろうが、そのぐらいでは文秋が掴んでいる袖すら振り払えないだろう。人殺しの最期はあっけないものだ。
さて凍らせて終わらせるか。
「――はァ!?」
私の口は目の前の出来事のせいで勝手に開いていた。
一瞬の隙に『豆腐の角殴り』は文秋を吹き飛ばし、私の隣を飛ばされた文秋が転がっていた。
そして、さっきまでの弱音を吐いていた奴とは思えないしっかりとした目つきで私を捕らえている。
「ハハハ! 俺は《覚醒》したぞ! これで『豆腐の角殴り』なんてダサい呼び方考えた奴を殺しに行ける力を手に入れたぜ」
「チッ!」
舌打ちをしながらも敵を凍らせる。もう生死なんて関係ない。一刻も早く目の前の敵を止めないくては!
「無駄だ。今の俺に勝てる奴はいない!」
まるで瞬間移動にも見える速度で躱された。
「すいません。油断してしまいました。すぐに前に出ます」
「無理をするな! いざとなれば私が本気を出す」
文秋には右手の事もある。そして、決して油断なんてする奴ではない。そのことは命を救って貰った私だからこそよく分かる。ただ敵が強いだけで文秋は一切悪くない。
一番油断していたのは私の方だった。
交渉なんて不要な事をせずに奇襲をしていれば、安全に倒せたかもしれない。だが、私が敵を過小評価しすぎていたせいで安定を取らなかったのが悪い。
「僕があの人の服を『消滅』で消します。これで少しは戦闘が楽になるはずです。消した後は相手の攻撃でしばらく動けなくなるかもしれないのでその時はお願いします」
「ああ、分かった」
「じゃあ行きます!」
文秋は『消滅』の能力を説明する時に「危険極まりない能力」と言っていた。多分、本人も使う気は元からなかったのだろう。つまり、これが文秋の本気。
私もある程度のリスクを負う覚悟を決めないといけない。
敵に向かって走る文秋を見ながら指で枠を作る様に構える。
『豆腐の角殴り』は急加速をし、文秋にタックルをする。この時に足を踏まれていればまだ能力を使いこなせていない文秋は全身の能力を使えなくなってしまっている。
「消えろ!」
当たる瞬間に左手で服に触れて敵の服を消した。その代わり、敵の攻撃を防御もせずに直接喰らってしまった。
ゴルフボールが吹っ飛ばされる様な速さで文秋が飛んでくるがそれを完全に無視し能力を発動させる。
「おっと。そうはいかねェぞ!」
また超加速で躱されてしまった。
「俺は優しいから女には能力を説明してやる。俺の能力は『物質硬化』その名の通り俺以外を何でも硬くすることが出来る。そして、さっき《覚醒》したのは『時間硬化』。時間の針を硬くしてゆっくりにするっていう能力だ。この時、俺以外はその時計の影響を受ける。つまり、俺はゆっくりな時間の中を高速で動けるって訳さ。ハアハァ」
【時間操作】か、これは非常に厄介な相手になったものだ。
だが、これはチャンスでもある。
【時間操作】は馬鹿みたいに体力を消費する。時間を遅延させるだけでも、五秒使うだけで二百メートルを全力完走する程疲れる。
敵は《覚醒》したばかりでその事実をしらない。インターバルなしにバンバン能力を使えば、あともって数十秒しかないはずだ。
氷の要塞を作れば武器を失った敵の体力が尽きるまで時間稼ぎができる。
――だが、それは油断だ。
だから、私は本気を出す。少々大人げないが、相手が殺人犯の死刑囚なら容赦する必要はない。
「『時間凍結』」
【時間操作】は専売能力ではない。私みたいな特殊型なら能力の範囲内に時間すら含まれている。
この時間凍結をしている時に私の容姿は大きく変わる。髪が腰まで伸びてまるで女性の様な艶のある質になり、目の色が黄色の夜行色になる。
一度鏡で見た時は本当に自分の姿か疑わしくなるほど女性だった。
まあ、誰も見ていない容姿の事はどうでもいい。
コンマ一秒もこの時間凍結の状態を維持するのは辛いのでさっさと目の前の敵を凍らせてから解除した。
「ふぅ。疲れた。これでしばらく能力は使えないな」
『時間凍結』をした後はしばらくド派手な能力を使えない。まあ、今回の場合は能力の使用時間は短く小一時間位休めばまた使える様になるぐらいの反動しかない。
回収班を呼んだ後に文秋の元に駆け寄る。
「大丈夫か?」
「はい。なんとか生きています。でも、全身がすっごい痛いです。特に腕と肋骨が今にも破裂しそうなほど痛いですね」
「応急処置するから折れてそうな所を出してくれ」
文秋は腕と肋骨の部分を指さし痛みを訴えている。ド派手な能力は使えないが、人ひとりを直接触れて冷やす位なら問題ない。
「ありがとうございます。少し楽になりました」
「安静にしてろって。治している訳じゃないんだから」
あくまで痛覚を麻痺させている程度で治している訳ではない。それに現実改変者の中に回復させてくれるような能力者は今までに一人もいない。
「でも、困ったな。病院に行こうにも文秋には保険が効かないからかなり金がかかるぞ」
「お金ですか」
「これが社会だからな。まあ、安心しろ。私が立て替える。二人で幹部になればちっぽけな金額だろうからな。その時返してくれればそれでいい」
とりあえず、文秋には悪いが今しばらく地面に寝て貰う。
捕まえた『豆腐の角殴り』の拘束をしっかりしておかねばならない。奴に逃げる手段はもうないだろうが、その油断が今回の結果を招いた。
いつでも凍らせられるように用心しておいて悪いことはない。
一分も掛からないうちに回収班が現れた。
「あっ。お二人さん。今回は結構被害を受けているみたいですね。さて、『豆腐の角殴り』ですね」
「こいつ途中で《覚醒》して『時間硬化』を得たせいでここまでやられた」
「はいはい。その辺も加味してポイントを付与しておきますんでご安心を。それでは私は忙しいのでこれにて」
今回は逃げられずに回収されていった。これで何も問題ない。
後は文秋を病院に連れて行ってなんの以上も無ければ万事解決だ。
「じゃあ、病院に運ぶから乗っかってくれ」
「はい。ありがとうございます」
救急車っていう手も考えたが、事情を聞かれた面倒くさいし私に触れていれば常に冷やすことが出来るから文秋的にも楽になるだろう。
標準的な高校生ぐらいの体格をしている文秋を背負うのは少々厳しいが、油断をした戒めとしてこのぐらいの辛さがあった方がいい。
「グルルルル」
後ろで野犬が威嚇する様に喉を鳴らしている、それを無視して土手を離れようとする。
……野犬? 田舎ならともかくこんな都会に野犬なんているはずがない。
ゆっくり振り返ってみる。
「グルルルル」
そこには四つん這いの姿勢の今にも暴れ出しそうな野性感のある男がこっちを見ていた。
ああ、最悪だ。私の顔は今凄い青ざめていると思う。
「『グンマの怪物』だ」
文秋に事を伝え、ゆっくりと下ろす。
「どうどう。私たちは敵ではない。あ、そうだ。向こうの方で魚が取れるらしいぞ……」
犬みたいな扱いをしているが、多分こいつには言語は通じない。だから、これは全くの無意味である。
万全な状況なら一対一でも撤退する位は余裕に出来る相手なのだが、今の私は能力を上手く使えない。そのせいで勝ち目は勿論逃げることすら叶わない。
見た目的に知能は低そうだからとりあえず、食べ物で釣るしかない。
それに、『グンマの怪物』は知能の低さから軽犯罪を何度も犯した位の罪しかないはずだ。ここで逃がしても大した問題はない。
「バウッ!」
飛び掛かって来た。こうなれば、負傷中の文秋を守れるように立ち回るしかない。
「少し待て。我が同胞よ」
空から突然、ビルとかの清掃員の様な服を着た男が落ちて来た。
その男の手には鉈が握られており、物騒な雰囲気を醸し出している。こいつも脱走犯だろうか?
「俺の名は殻曳。お前を連れ帰りに来た」
殻曳と名乗った男は飛び掛かった『グンマの怪物』を鉈の腹でしばいた。
「グフゥ」
「そこで少し寝ておけ。さて」
殻曳は私たちの方を振り向いた。
「俺は執行機関で最高幹部をやらせて貰っている殻曳という者だ。あの男の事は一切公言しないで欲しい。情報弾圧位は容赦なくやるが、そんなことはしたくない。君たちが賢明な判断をする事を祈っているよ」
そういうと、殻曳は『グンマの怪物』の元に駆け寄ったと思えば、変なスイッチを押して消えて行った。
「まるでSFだったな」
「そもそも、グンマってなんですか?」
「GNM。頭文字を取ってグンマ。分かりやすくすれば宇宙人のことだな」
再び文秋を背負い、病院へと向かった。
名前 ???
所属 無し
能力 無し
説明 地球では『グンマ―の怪物』と呼ばれる軽犯罪者。GNM通称グンマ―の一般人である。『怪物』と名はついているが、あくまで彼はグンマ―では一般人程度の能力しかない。しかし、その身体能力は地球人を遥かに超越しており、対処は現実改変者でも難しい。だからこそ、怪物の名がつけられたのかもしれない。殻曳によって元の星に帰された。