一話 出会い
三年前。海岸にある巨大な倉庫が凍った。当然、中にいた人間も例外なく全身を氷に包まれた。氷により、息が出来なくなった人々は窒息し苦しんだ表情すら出来ずに死んでいった。
「仕事完了です」
凍った倉庫の隣で氷の仮面で顔を隠した白髪の女性らしき人影が声を出した。
「それにしても、現実改変者の護衛もなく銃の取引をするとは愚かでしたね」
「死ねェ!」
隠れていた男が仮面に向かって拳銃を乱射した。仮面は一切の動揺を示すことなく冷静に男の方を見ていた。まるで、拳銃なぞ脅威ではないとでも言いたげにも見える。
「その程度の武器では私に当たりませんよ」
男は壊れた人形のように動きを止めた。更に発射されていた弾丸は突如現れた氷によってすべて受け止められている。
裏の世界。人の死。
これらは現実改変者である仮面にとっては身近にある日常だった。
――――――
子供の時に何もない場所から火を出したい。空を飛んでみたい。他にもそんなファンタジー的な妄想に浸ることはよくあると思う。その妄想は人の数だけ種類があり正に十人十色ともいえる。
でも、現実でその妄想が実現することは決してない。
――それが現実なのだから。
じゃあ、もし現実を変えられる人間がいればその妄想がどうなるのか?
この世界には現実改変者と呼ばれるその名の通り現実を変える存在がいる。
そいつらは何でも出来るわけではないが、現実ではありえない現象を引き起こせる。
私は現実改変者の一人である。
能力は『温度を下げる』というもの。曖昧な説明だが、それが能力なのだから仕方がない。大方、アニメや漫画のよく噛ませになりやすい氷結使いと相違ない。
それで、今私は昼間なのに薄暗いビルに囲まれた裏路地にいる。
なぜ、こんな場所にいるかと言うと休日の日課である見回りをしていたら女性が一人で人通りのない場所に行き怪しさを感じ後をつけて来ていたからだ。
近道だという可能性も考えたが、急いでいても不気味で女性一人が近づける場所ではない。怪しい連中に絡まれるなんて目に見えている。
私の予想通り、女性は柄の悪そうな男たちに囲まれた。一人でこんな場所を歩いていれば当然そうなる。
こんな場所に女性一人だけで裏路地を通ろうとしていること自体が怪しいが、男たちは見境なく襲いかかるのだ。
まずは姿を隠して様子見をする。疑わしい相手に私の能力を見せる訳にはいかない。
能力で端っこに氷を作ってそこに隠れた。
一時的な膠着状態の中、周りにあるビルを物珍しい挙動で見ている田舎者っぽい少年が現れた。初めての上京で迷子になったのだろうか?
その少年は女性が襲われている事に気づくと同時に女性を庇うように立ち回った。正義感が強いのだろう。なんとなく、彼からは怪しさを感じない。
まだ女の方は怪しいが、少年を助ける為に能力の準備をする。
人差し指と親指を伸ばし、長方形を作りカメラの様に構えた。それを通して男たちを全体を枠の中に入れ、視界に入れる。
これで私の能力の一つの条件が整った。
『止まれ』と心の中で念じる。
倦怠感が体を襲う。能力がちゃんと発動した証だ。
私の能力は『温度を下げる』というものだ。一見地味な能力だが、条件次第では相手を細胞レベルで凍らせる事も出来る能力になる。
目の前の集団は全員、時が止まったかのように静止しているはず……。
「へ?」
少年の驚愕する声が聞こえた。周りが止まっていることに驚いているのだろう。
そんなことよりも、私は確かに全員を覆うほどの範囲を指定したはずなのに少年は止まっていない。こんな人間は初めて見た。
寒いというレベルではない。細胞の移動を止めたのに動けるなんてありえない。一体、どんな能力ならそんな芸当が可能なのか。
後学の為にも知っておきたい。
私の能力を躱せる能力を知りたい。そして、穏便に事を済ませたい。
「君は誰かな」
私は能力を解除し姿を表す事にした。
少年が他の組織の人間ならば、単体で行動することはまずない。伏兵はいないと確信したから姿を晒した。
「これをやったのは……」
「私がやったが君には攻撃してない」
「あと、これどういうことか分かりますか?」
冷静な声とは裏腹に少年の顔は困惑の表情だった。
それもそうだろう、少年の腹に男の腕が貫通している。とても現実とは思えない現象。彼も現実改変者という訳だ。
もし、意図的に表情を作っていたのなら俳優顔負けの演技だなと思うほど上手い。
「それは【透過】に似た能力だな」
「【透過】?」
「物をすり抜けられるって事だ」
少年は体を動かして腕を外した。不思議そうなその顔から本当に自分が現実改変者だという事を知らなかったのだろう。
ぎこちない体使いから、流石に演技とは思えなくなった。
「じゃあ、次は私の質問だ。君の名前は?」
「ええっと。先にあなたの名前を聞いても」
「私は氷藤 実樹」
「じゃあ、僕の名前は名無 文秋です」
とりあえず、文秋から情報を引き出す。戦う事になっても情報は一番強い武器になる。
「文秋はどこかの組織に所属しているか?」
「組織? いや分からないです。そもそも、自分の名前以外の記憶はないです」
「自分の名前以外の記憶がない!? それは本当か?」
記憶喪失。それが本当なら文秋の今までの変な行動にも納得が行く。
自分が現実改変者だと知らなかった様な行動や発言、それに疑う事を知らない純粋な心。記憶喪失ならすべて納得がいく。
それなら、組織にも属していない可能性は十二分に考えられる。
現実改変者が一人完全にフリーな状態でいるという事だ。これだけの正義感のある少年は滅多にいない。私たちの組織に入ってくれれば、きっといい働きをしてくれるだろう。
記憶の無い相手を強引に説得するのは、ちょっと気が引けるが文秋ほどの正義感があればきっと理解してくれる。
「記憶がないのなら、元に戻るまで私たちの組織に入らないか?」
「いいですよ」
「本当にいいのか!? メリットも何も言っていないのに」
「今の僕にはメリットで決める贅沢なことは出来ません。それ以前にあなたは悪い人ではなさそうですし、面白そうですから」
即答されたことに内心驚いてしまった。文秋の考えが変わる前に組織に登録しておきたいが、その前に凍らせた奴らの片付けをしなければならない。
「すこし待っててくれ。こいつらを戻す」
凍らした男たちに直接触れ、能力を解除する。私の『温度を下げる』という能力は下げる時は『知覚した場所ならどこでも発動する』代わりに解除は直接対象に触れなければいけない。
失神する程の冷気を残したままの状態で解除すれば、無力化したまま解除できる。
ちなみにこの解除を行わずに自然に解凍をさせたら徐々に血液が膨張してグロテスクな光景になる。男たちが起こそうとした罪は殺していい言い訳にはならない。
全員の解除が終わり、後は女性に掛けた能力を完全に解除すれば完了だ。
能力を解除する為に女性に手を伸ばした。
――ジジッジジジジィ
耳をつんざく音と共に女性の体の一部にノイズが走る。そのノイズは消える所か徐々に女性を覆い尽くし、新たな姿を映し出した。
「やあ! 僕は君の敵だよ!」
女性が和服を身を包んだ男に変化した。
背丈は私と同じ位で見た目は大人だ。しかし、その言動はその姿とは真逆で子供染みている。
この時代を間違えた服装と狂ったかの様な笑顔。私はこいつを知っている。
奴は現実改変者ばかりを狙い、戦闘によって病院送りにする。被害の数は百を超え、その中には強いと言われていた現実改変者も含まれていた。
素性はおろか能力すらも判明されていない。これだけ派手に暴れていて能力が特定されていないのは異常で圧倒的な戦力差がないとこんな事にはならない。
正直、こいつには出会いたくなかった。
「バグワーム」
私はそいつの名前を呟いた。
「僕ってそんなに有名人だったの!? いやー。嬉しいね。馬鹿で無計画で無差別な活動をしたかいがあるよ」
「最近の現実改変者を狙った犯罪の大半がお前が犯人だからな」
「良かったよ。氷藤ちゃんは僕が敵だと正しく認識してくれているね。それでこそ僕は君の敵だよ」
不意打ち気味に能力を発動させ、バグワームを氷漬けにする。この程度で終わるような相手なら、今まで捕まっていない訳がない。
すぐにこの程度の拘束は抜け出されるだろう。
追撃をしようにも細胞レベルまで止めていたのに動き出した相手に私が有効打を与える攻撃を持っていない。
今は逃げるしかない。
「文秋。逃げるぞ」
手を強引に引っ張り、大通りへと走ろうとしたがやはりそう上手くはいかない。
「酷いなあ! まだ人が話そうとしている途中に攻撃をするのは反則だと思うけど。……まあ、いいや」
行く手を阻むようにバグワームが立っていた。体の所々にノイズを走らせているせいで不気味さがより一層出ている。
「僕の能力は『バグワーム』。この世に存在しない。いや、してはいけない能力」
「凍れ」
再び能力を発動させる。今度は逃げられないように広範囲を凍らせた。
「ほら、また人の話を遮る。それにさっきまで僕が能力を懇切丁寧にするシーンだよ。難解な能力だからしっかり聞いて欲しかったのになあ」
氷の中でバグワームが喋っている。こいつには何も効かないのか?
「自分を最強だと思っている現実改変者はすぐに死ぬ。これはある一種法則だよね」
今度は体を動かした。凍らせても行動してくる奴らがいるせいで氷結使いは噛ませから解放されない訳だ。
「でもさ。僕は自分の能力を最強だと思っているけど誰も僕を殺せないんだよね。氷藤ちゃんみたいに強い人間なんてこの世の中には要らないんだよ。凡人と僕だけで回るんだよ。ねえ」
激しいノイズによりバグワームの姿が消えた。
「そう思うでしょ?」
いつの間にかバグワームが私の肩に手を置いていた。
どうやってここまで気配を感じさせずに近づいた? バグワームの能力は無敵なのか。
思考を全力で巡らせ、どうにかする方法を探る。
凍らせることも温度を下げることも奴には効果がない。残念なことに私の能力はそれしかない。他に手を打つことは出来ない……
せめて、無関係な文秋だけでも逃がしたい。
私はいつかこうなる事は想定し覚悟をしていた。しかし、文秋は記憶を失っていきなりこんな窮地に立たされている。こんな目の前の理不尽を止める為にあの組織に入ったのに私は実に無力だ。
私に正義は早かったのか。
「――彼女から手を離して下さい」
文秋がバグワームの腕を掴んだ。
バグワームに勝てるはずはない! 今すぐ逃げろ! 声を出そうとしたが何故か声は出なかった。
「へえ、僕に勝てるとでもって……まさか」
バグワームを地面に叩きつけた。
まるでバグワームが自滅したかの様にも見える華麗な投げ方だった。まるで達人の技のようなそんな信じられないような速さ。
「アハハハハ! いいねえ! 文秋くん! 君は最高だよ…………………………だから、死ね」
バグワームの体を纏っていたノイズが文秋に侵食し始めた。
一体あのノイズが人体にどう影響するのかは皆目見当もつかない。助けることは私の能力では不可能だ。
「バグワームさん。一つだけあなたにアドバイスしておきます」
「なんだい? 最期に聞いてあげるよ」
「人生は少しは苦労をした方がいいですよ」
文秋は容赦なくバグワームの顔を踏みつけた。華奢な見た目のバグワームはその見た目通りに体が弱かったらしく一撃で白目を剥いて気絶した。それにより、文秋に触れていたノイズも完全に消え去った。
「終わりです」
バグワームに勝った。これがどれほどの功績かは今の文秋には分からないだろう。
「よくやった」
とりあえず、抱きしめて頭を撫でる。
「まるでお姉さんみたいですね」
「何言ってんだ? 私は男だぞ」
昔からよく勘違いされるが今はそんな事はどうでもいい。
「ふう。とりあえず、連絡して回収班に引き渡す」
腕時計のボタンを押すと自動で組織の回収チームに現在位置が送られる。
そして、すぐに回収班の女が虚空から姿を現した。
「バグワームを倒したとのデマ情報を受けて……って本物のバグワーム!?」
宅配業者に類似した服を着た女がバグワームに近寄った。
「分かりました。こちらで回収し、収容します。ご苦労様でした」
バグワームと共に女が消えた。これで本当に終わりだ。
「文秋行くぞ」
名無文秋。これは凄い仲間を見つけたかもしれない。