ペイン・オブ・ラビリンス
金色の月が空に浮かんでいる。
此処ではない、どこか。
血色の瞳をした少女、が、闇夜をどこへともなく、屋内に野外に徘徊しているのだ。
「ミスマルエス、ミスマルエス」
少女はなにか呟いている。
妖しく、美しく、金色の髪を靡かせながら、何かを求めるように、何かから逃げるように疾走しているのだ。
幻想的に光る月、木々、メルヘンで中世チックな建築物。
その下でうごめく何か、赤い飛沫が舞う。
彼女のモノではない紅、幾重にも飛び散り、残虐な色彩が絵画のように場に埋め尽くされる。
金糸の髪が揺らめき、彼女は眼前の障害物の為に停止する。
目の前に、金色の虹彩、彼女の漆黒の《ヒトミ》が光を失う。
絶望の後に木霊するのは、少女の悲鳴と、ケダモノの卑下た笑い声。
客観的に見れば、背筋が凍るような、純粋に酷い陵辱と暴虐の限りを、少女は尽くされた。
体中を弄くられ、毛が逆立つような嫌悪の悲鳴、絶叫。
人が嫌悪する、ありとあらゆる所業を、仕打ちを受けたような声音。
それを成した、達成感と満足感に満ち満ちた、ような、醜悪を通り過ぎた外道にしか出せない笑い声。
「はぁ、、たのしかった?」
それを発するのは、今まで甚振られるだけだった、金糸の少女。
この世の者とは思えないほど、その美貌の輝きは増して、少女が少女でなくなったような。
艶やかな指先に顎先を撫でられても、もう化け物は動けなかった。
その圧倒的な威圧感に、完全に飲まれてしまっている。
「貴方は、わたしの望んだ、、、モノじゃなかったのぉ」
黒い瞳が、金色の髪に包まれた白い顔に映える。
それがゼロの焦点を結んだとき、既に化け物の姿はなかった。
少女は、美しい笑みを蔓延らせる。
形の良い唇の端を持ち上げた。
それは、ぞっとするほど妖艶で、黒い瞳の内、紅い目を細めて。
誰もが見惚れるような、表情を顔面に彩っていた。
「本当の、ハンターは、どこにいるの?
偽者ばかりなんてイヤ、大嫌い。
、、、また洋服汚れてしまったし、、、。
忌々しいぃぃ。
薔薇十字軍も、化け物狩りに精を出してるって言うし、急がないとぉぉ。
この胸の禁忌形。
コレのせいで、わたしの人生は何時までも始まらないぃ。
無上の治癒力は格落ちるし、でも、諦めない、わたしは絶対に諦めない、、、」
たった今、倒した化け物は、少女の瞳に格納されていた。
瞳の中の世界、玉座に座る少女に、ただの化け物でしかない存在は、相対していた。
先ほどより小さく見える化物、その傍にしゃがむと、金糸の少女は安心させるように抱き寄せた。
少女は化け物の、そこだけは人間的に白く見える首筋を、指で魅了的になぞりながら。
爪先を、狙い定めて一番太い血管に突き刺した。
少女は、傷口から噴出する溢れ出る血、噴出する紅を、傷口ごと吸い上げ、鼻腔からの甘い香にも恍惚する。
性的に興奮しているような、甘く甘い、甘えているような少女然、とした表情となる。
「はぁぁぁ、、、ホント、しょうがないわ。
こんなにも、美味しい血を飲ませてくるんだもの、、許してあげる」
そう言った、化け物は口を大きく開け、鋭すぎる犬歯を少女の頭に近づけて。
ガブリッブツリッ、グギャグガャラン。
頭蓋を割り、肉や血管等を突き破る、鈍い音。
グロテスクでバイオレンスが響き、血の香が漂い、いっそう場に充満する。
「ひっ、あ、ああ」
現実の少女は苦痛に喘いだ。
しかし、その表情は、酷く甘い快楽と悦楽にも染まっているようで、、。
グシャグシャッグッララン。
少女の首が堕ちて、化け物の犬歯が眼球のあった場所に埋まっている。
月光に照らされた、少女の目が地面で血の色に染まって煌く。
「くっ、、、もう、、だめっ、、、は、なせぇっ!」
少女が命令すると、化け物は一切の行動を停止した。
少女は荒い息を吐きながら、目の辺りを抑えた。
自分の首なし死体を無理矢理動かした。
化け物を引き剥がし、よろよろと後退する。
怒りと羞恥と屈辱やら、驚きに見開かれた目を拾い上げる。
それで、少女自身を見る。
目は、存在を認識し、自動オートで瞳の世界から状況を把握した。
ひょろっと、何事もなかったように少女は立ち上がると、微笑んだ。
美しいその笑みは、呪われているように禍々しい。
禍々しく見えるのは、恐らく顔に飛び散った血のせいだけではないだろう。
混沌に沈んだ、深遠よりもなお深い、漆黒に塗り固められた、その瞳ゆえだろう。
「お前、、、イッタイ、、、どういうつもりだぁ、、いったい・・・っ」
無感情気味に呟き、少女は噛み締めすぎて溢れた、口元の血を拭う。
と、冷たく瞳に封じられた化け物は、女を見つめて、そして、一歩前に進んだ。
「私? が、誰か?
そんなことも分からないの?」
そして、また少女を襲うように暴れだしたのだ。
その瞬間には、少女の視界から、化け物は消えていた。
「っ!?
ホント使えない!
ゴミのような奴!」
少女はその場で地団駄踏んで、激昂したように悔しがる。
「決まってるでしょ! 私は、、貴女の敵よ!」
ソプラノの声が響き渡る。
それを告げるべき、化け物は既に存在が消滅しているが、少女は何度も何度も虚空にそう告げる。
「がぁ、はぁはぁ、、、くそ」
少女は首筋に噛み付き、血を啜った感触が忘れられず、頭が痛いように抱える。
再度痛みがフラッシュバックして、迸るように奔る。
一瞬にして、化物の苦痛を、瞳でダイナミックに疑似体験した記憶が蘇る。
少女は背後に、化物がいるような感覚を錯覚していた。
瞬時に移動した少女は、白い首筋に牙が埋めこまれた、その感覚まで遡り。
化物が本能のままに頭蓋を割り、血をすする感覚を思い出していた。
「くっ!こ、のっ」
少女は、夢の中で、化物の牙から逃れようと、もがくが。
華奢な少女の体では、少しでも抵抗ができず。
暴れる少女に、化物の腕が貫いた。
一度ずるりと、少女の胸を貫いた腕を引いて。
再度差し込み、赤く紅く、輝くような少女の心臓を鷲掴む、引きずり出して。
「っ!!!!」
少女のフラッシュバックは止まらない。
痛みに声が出ない。
声にならない悲鳴をあげて、その場でビクンビクンと跳ね回る様は、狂気の一言に尽きる。
少女は、もう先刻の意気を完全に失い、その場にドウっと倒れ伏してしまう。
ピクリピクリと身体を反射させて、顔色にも美しさを持ってはいなかった。
「はっ、吸血鬼って、本当にひどい生き物ねぇ」
少女は首筋の後ろを撫でるように触り。
次の瞬間には切り裂いた。
鮮血が泉水のように溢れる。
首さわりから、顔を上げて、血だまりの中で、そうと笑う。
少女は胸から腕を引き抜かれた。
その手には、しっかりとしっとりと瑞々しく脈動する、少女自身の心の臓が握られている。
外気に晒されても、微かにも色あせず、脈打つそれ。
化物は無残に握りつぶすと、地面に横たわる女を見下ろす。
「哀れね」
少女がそう呟くと、少女の頭の中の怪物は、少女を踏み潰した、のだった。