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甲子園サプライズ


 その年、わたしの高校の野球部が地区予選を勝ち抜き、夏の甲子園に出場を果たした。

 彼らの奮闘は目覚ましいものがあった。

 

 うちの高校が甲子園出場というのは、ハレー彗星くらい珍しいことだ。

 ちなみにハレー彗星は76年に一度地球に接近する。

 前回は1986年。

 7歳だったわたしは早羅さんに肩車をしてもらって、小型の望遠鏡を覗いた。

 ラピスラズリみたいな深い藍色の空に白く沈む彗星に、幼いわたしは神秘を感じた。

「すごい、ね。綺麗」

「紗愛ちゃんがいてくれる方が凄いし、素晴らしいよ」

 ため息を漏らすわたしに、早羅さんはさらっと言った。

 心からの言葉であるのは疑いようがないが、思い出すたびに、わたしの頬は火照ってしまう。


 話が逸れた。

 

 わたしの高校はステータスを知力に全振りをしている。

 よって運動はてんで駄目だ。


 でも、地区予選を勝ち抜いた。

 この時わたしは授業の関係で応援には行けなかった。

 非常に残念である。

 けれど、早羅さんにお願いをしてラジオをイヤホンで聴いてもらっていた。

 座敷童の彼は、どこで何をしようがフリーダムである。

 

 わたしは授業よりもラジオが気になって、ちらちらと彼を見てしまった。

 華奢な肩の向こうの彼の横顔は、ラインがくっきりとしていて、男の子という感じだ。

 その端正な口角が、少し上がった。


「勝ったよ」

「おお!」

 早羅さんが教えてくれた時、わたしは一人小さく叫んで、クラスの注目を集めてしまった。


 人間は基本お祭り騒ぎが好きなものだ。

 わたしも多分に漏れない。

 しかもその騒ぎの原因が精一杯頑張った成果なら、なおさら胸の底がくすぐったくなるような、素敵な何かを感じる。

 そしてこの高揚や一体感がいつまでも続いてくれたらなあ、と何となく思ったりする。

 

 まあ、この高校は知力に全振りなので、生徒たちの関心も学術方面に集中している。

 だから野球部の活躍に対する目は、温かいものばかりではない。

 むしろ冷ややかな人の方が多いのが事実だ。


 ……わたしもどちらかというと、冷ややか組に見られがちである。

 けれども、わたしは我ながら『思い立ったらど根性』がとても好きなのだ。

 それは、ちょっと夜中にこっそり出向いて早羅さんに手伝ってもらって、白地に黒の筆致で描かれた甲子園出場の垂れ幕に、ピンクの花柄を足したりするくらいには。



 学校は夏休みに突入した。

 わたしは熱気を胸の奥に抱えたまま、全校応援の準備をする。

 制服、着替えのジャージ、ハーフパンツ、保険証の写し、汗ふきシート、タオル、洗面用具、雨用の折りたたみ傘などを、バッグにひたすら詰め込む。

 この時、早羅さんは学校配布の応援グッズである黄色のメガホンをぱこぱこしていた。

「これ、いいなあ」

 と呟くので、欲しいの? と訊くと笑顔で否定される。


「おもちゃとして欲しいとかじゃないんだ。応援したいという想いが形状(ふぉるむ)に詰まっているというか、さ」

「前もって言っておくけど。わたし、ホームランが出たりしたら、それ全力で振るから。想いに想いをめちゃくちゃ乗せるから。びっくりしないでね」

 力こぶしを作るわたしに、早羅さんは、ははは、と笑った。

「幸せだね。野球部の丸刈り坊主君たちは。紗愛ちゃんとそこまで想いあえるなんて」


 ……意味がわからず、きょとんとして、首を傾げる。

 と、彼は苦笑して首を横に小さく振った。


「特に意味は無いよ」

 と言いながら、座敷童さんは窓を開けた。

 窓枠の向こうの青空と、綿菓子みたいに立ち上る遠くの入道雲に視線を投げる。

「……夏は、大気が濃いね」

 と穏やかに言ってから、彼は眩しそうに眼を細めた。



 深夜バスで(おもむ)いた甲子園球場の敷地には熱気と闘志が満ちていた。

 さすがは天下の甲子園である。

 道行く生徒たちの面立ちには、それぞれの譲れない想いが(にじ)んでいた。


 ― おおおお……!! ―


 球場を包む真夏の炎天の陽気に、よく分からない気合も覚える。

 クラスの子たちから外れたところに歩い、球場の壁面を見上げた。

 (つる)(つた)の緑が目に眩しい。


「やあ、久しぶりだね」

 20mほど後方から声がかかった。

 中年の七三分けの教師、だろうか。

 黒ズボンに白のワイシャツ。

 左手でクリーム色のハンカチで汗でてかったをぬぐいながら、こちらに右手を振ってくる。

 黒ぶちメガネの奥の瞳が穏やかだった。


 ― 中学の先生、かな? でもなんで… ―


千骸(ちがい)さん?」


 早羅さんが驚いた。

 声がとても嬉しそうだ。

 その教師に向き直る。


 それから、真っすぐ彼を見て、顔をくしゃくしゃにして笑った。

 そんな彼を見るのは初めてだった。

 無邪気というのか。

 15歳の少年に見える32歳ではなく、本当の15歳のように笑う姿に驚きを覚える。

 はしゃぐ彼はいつもに増して、キラキラとしていた。

 けど、その姿が意外すぎて、胸のどこかに複雑を覚える。


 ひと、風景が歪みかけた。

 この唐突の出来事。

 球場を包みつつある熱気の予感。

 慣れない深夜バスの寝不足とか、そういう全てに当てられてしまったのだ。


 けれど耐える。

 ここで立ちくらみとか起こしたら恥ずかしいと思ったからだ。


 ― この先生は。早羅さんが見えて、彼もこの人を知っている。つまり、『村人』なのだろう。―


 そう、千骸(ちがい)さんという先生は、わたしが初めてお目にかかる、『早羅さん以外の村人』だった。

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