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幸せな真剣勝負

 わたしたちの勉強の仕方は特殊だった。

 わたしが問題を作り、早羅さんが解く。

 それだけの事を、何年も繰り返していた。

 

 問題のレベルは大学受験のそれを軽く超える。

 というより、そこが最低限といった感じだ。


 この形式に至るいきさつには、多くの説明がいる。

 が、一言でいうと、これは真剣勝負(ばとる)なのである。


 この真剣勝負(ばとる)に至る前、わたしは平凡な方法で、勉強というものをしていた。

 普通に小学校で教師の話を聴く。

 問題を解いて、暗記を試みたりなんなりをする

 そういう作業に臨むために机に向かう間、早羅さんも同じ学年の教科書やら練習ドリルやらを読んだりしていた。

 けれど彼はすぐに読破してしまった。


「続きが読みたいなあ」


 ぽつりと言ったので、わたしは商店街の書店に(おもむ)いた。

 教科書と参考書を、買い込み、彼にプレゼントするためだ。

 早羅さんは年上だからと、範囲は中学3年までの全教科にした。


「あげるから、持ってね」


 と書店を出てからすぐ、彼にまとめて渡した時だ。

 彼はそれそれは感動してくれた。

 頬を赤くして、小鹿のような黒目がちな瞳をうるうるとした。

 いつもの彼は、何事にも動じない。

 常に眠たげで、ゆるふわのほほんを地で行く。

 そんな常日頃とは全然違っていたので、わたしは非常なる満足感を覚えた。


 ちなみにこのプレゼントの費用は箪笥(たんす)の底で眠るお年玉貯金からひねり出した。

 けれど、貯金を崩したことに全く後悔はなかった。


 ……これでわかるのだけれど、朱森紗愛は好きな人にはメロメロに貢ぐタイプである。

 だから初めての恋を覚えた相手が早羅さんでなければ、とんでもないことになっていたかもしれない。


 彼はわたしがプレゼントした本を全部、あっという間に読破してしまった。

『先が気になるけどお預け』みたいな顔をしているのを見た時に、わたしの貢ぎ癖は発動した。

 やっぱりお年玉貯金を箪笥(たんす)の底から取り出して、再び本屋さんに行こうとする。

 と、制止された。


「お金はあるんだ。買い物だけ手伝って欲しいな」

 彼は苦笑いをし、わたしはもちろん大きくうなずく。

 基本的に早羅さんと歩くのはとても楽しい。

 ふわふわした気分になるのだ。

 何より、彼のために何かをできるのはとても嬉しい。


 そんなわけでわたし達は再び書店に向った。

 早羅さんには、とても大きなリュックサックを背負ってもらった。

 

 高校3年生までの参考書とセンター試験用問題集をまとめて購入。

 この時、店員の中年男性にとても不思議な顔をされた。

 まあ、これはたいしたことではない。

 早羅さんは『見えない人』だから、わたしが代わりに買ってあげるしかないのだ。

 例えば通販サービスがもっと充実した社会になったら、彼も生きやすくなるかもしれない。

 けれど、そうしたら彼は本当に座敷童みたいな引きこもりになってしまうか。

 いや、座敷童なのだけれど、一緒に外出する理由が減るのはやはり嫌だ。


 ……とまあこんな感じで再びまとめ買いした参考書類も、彼はあっという間に読破してしまった。

 なので彼は仕方なく、父の購入していた百科事典を読み漁るようになった。

 百科事典は書斎に運び込まれて以来、ずっとホコリをかぶり続けていたものだ。

 なので、辞典たちにとっても幸福なことではないのだろうか。


 ここまでは普通だと思う。

 そして、ここからが違った。


 宿題をしたり予習復習をしたりしている時に、思考がこんがらがって筆が止まる時。

 彼は必ずヒントとなる要点を教えてくれる。

 けれど、教え方が鼻につくのである。


 例えば、わたしが目盛りの問題で考え込む。

 早羅さんは開いた窓の(わく)に肘を預けて、百科事典に目を通している。。


「教科書52ページの下段に書いてあるよ」

 と言うのである。

 彼はこちらを見もしないで、さらりと言う。


 そして本当に52ページの下段に書いてある。


 いつもこういった感じなので、ある時訊いてみた。


「ページを当てるのも、座敷童の特技なの?」

「いや、ここの問題」

 彼はのほほんとそう言って、綺麗な人差し指をこめかみに当てた。

「読みながらどこに何が書いてあるか。書いてある事がどうつながってるか。覚えただけだよ。まあ、村人は基本能力が高いし、あまり気にすることじゃない」

 彼は再び辞典に視線を落とした。

 わたしはその横顔を凝視する。

 緩く波を描く前髪が、陽と風に眩い。


「それって……。早羅さんがあたしよりもっのすごく頭の出来が違うってこと?」

「まあ知能は人それぞれだけど、僕は村人だからね。村人ってのは基本身体能力が高いし、脳も身体の一部だから、僕は確かに君より知能が高いけどさ。そもそも器様に、知的能力なんて要らないからね。本当に気にしなくていい事だよ」

 彼は平然と言い放った。

 夏は暑いんだよ、とか当たり前の事をのたまう感じだ。


 ……とてもカチンときた。

 そりゃ、早羅さんが買い物で正当な手順を踏む以外は何でもできるのは十分に知っていた。

 けれど馬鹿で当たり前、みたいに言われるとさすがに傷つくので、こう訊いた。


「てことは、早羅さんは何でも解けるの?」

「うん、勉強とかいう暗号に関わることならね」

「ふーん。じゃあ、わたしが出した問題が解けなかったら、わたしと頭の出来が違うってのは嘘よね」

「まあ、事実と違う事を言ったと、反省しないといけなくなるだろうね」


 ― やってやろうじゃないの。―


 強く心に誓った。

 不屈の闘志で、思い込んだらど根性である。

 絶対早羅さんの解けない問題を出して、ぐうの音も言わせなくする。

 反省してもらいその上で、どや顔で彼を許してあげるのだ。


 ということで、国語算数社会理科について手近な所から、ひたすら問題をつくり始めた。


 けれど、どんな問題を出しても瞬殺的即答である。

 そこでひねり問題について研究を始めた。

 当たり前だけど、勉強というものは、暗記をするよりも、問題を出す側になって考えた方が楽しいし、 知識の咀嚼(そしゃく)も用意になる。

 なので、早羅さんに対する闘志とともに、勉強の楽しさを感じるようなった。

 進捗(しんちょく)具合も加速度的になる。

 わたしは小学校6年の時点で、難関私立高校レベルの問題を作るようになっていた。

 けれど、これはさすがにわからないだろうという問題をいくつ出しても、やはり瞬殺的即答である。

 これには心が折れかける。

 そんなわたしに、彼はこう言ってくれた。


「そりゃ、問題くらいソラで言えないとね。だって、理解してたら言えるだろう? でも、元々必要のないことなんだから、落ち込む必要もないよ」

 のんきな顔である。

 ふわふわしたのどかさである。

 強制的に癒されてしまう。

 が、わたしは再び心に強く誓った。


― やってやろうじゃないの。―


 というわけで、とりあえず、センター試験問題の暗誦(あんしょう)を始めた。

 それから難関国立大学の問題文も記憶。

 そのためには、物事の順番の大枠を全体的に把握して、体系的な理解が必要である。

 言葉にするとわかりにくいけれど、デッサンと感覚が似ているかもしれない。

 つまり、頭だけ書いても後で整合性が取れなくなるのだ。

 英語の文法でも数学の公式でも、全体の論理においてそれがどういう意味をもつのかを把握しながら理解しなければならないということだ。

 けど、勉強が好きではない人は、あまりぴんとこないかもしれない。

 わたしの場合はこれがピンと来たということだ。

 意欲もアップした。平日のみならず、休みの日にも図書館にこもるようになった。

 気が付けば、全国模試、学力テストも一位とか二位とかを行ったり来たりするようになっていた。


 ちなみに父母は専門の塾に行かせたがったが、それは(かたくな)に拒否した。


 わたしにとって勉強とは、朱森紗愛(あかねもりさあ)と早羅さんとの間の真剣勝負(ばとる)なのである。

 加えて、真剣勝負(ばとる)は早羅さんとの貴重な時間でもあった。

 そんな大切な時間を他人である有象無象と無為に費やすにはもったい無い、と思っていた。


 そう。

 わたしはどこかで、時間をもったいないと思っていた。

 無限に思える人生を描く同世代の若者が多い中で、有限の時を感じていた。


 それは結局、『15歳になったら教えて差し上げます』という早羅さんの言葉に、あまり良くない類の運命を感じてしまっていたからだった。

 そしてそれは間違いではなかった。

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