ごくわずかな真実
話題は中華料理に移った。
花華さんは中華料理を美味しく仕上げる秘訣について色々語ってくれた。
けれどその内容については正直あまり覚えていない。
なんせ夢なのだ。
記憶力を求めるには無理があるのが、夢というものである。
ただ彼女の配慮は感じた。
暗くなった空気を明るくしようと、彼女は気を遣ってくれた。
「横浜にね、青夫人という方が店を構えていてね、親しくさせていただいているの。あの方と知り合ったのは常盤平について来日した後だけれど、100点満点中80点だった私の料理のクンフーを、95点に変えてくれたのは、間違いなくあの人のご指導の賜物ね。この点だけでも、私に彼女を紹介してくれた常盤平には感謝している」
常盤平さんは瀬長島君の叔父さんだ。
彼の親権者でもある。
花華さんを愛人として囲うという大物だ。
瀬長島君の警護まで申し付けてしまうのだから、その度量も計り知れない。
凄すぎて想像の焦点が合わない。
何となく中国との国交正常化を果たした時の首相を思い浮かべたっりした。
けれど花華さんの関係者に青夫人という方も出てきた時点で、聴き取りはいささか秩序を喪っってしまった。
だから整理のために訊いてみる。
「花華さん」
「ん?」
「常盤平さんも青夫人も、普通の人ですか?」
「武の種類で言えばだけど、彼らは普通よ。とてもか弱い。もちろん、わたしにとっては特別な存在たちだけど」
警察官を指差してお巡りさんと言う子供にうなずいてみせる母親みたいな微笑をした。
それから続けた。
「貴女の騎士さまと違って、私は『見せること』ができるの。体力というか寿命も使うから、四六時中という訳にはいかないけれど、誰にでも認識されうる。私の『見えない』という業はクンフーの結果なの。貴女の彼とは現象は似てはいるけれど、因果は全く違うわ。だって、彼は弱者の目には『映せない』でしょう?」
そのとおりだった。
早羅さんの姿は普通のヒトの世界から、完全にないものとして扱われている。
その事に悲哀を覚える。それを覚えることすら失礼だとは分かっていても、それでも覚えてしまう。
わたしは黙ったまま小さくうなずいた。
「そんな悲しい顔をしないで。彼は根本的に『見えない』から、貴女を守り抜けるのよ。私は無理。気功で人も癒せるし、呼吸で心のひだも読み解くことができるし、気配もこの世から消せるし、中華料理も95点な私だけれど、彼みたいに不動の心を貫くことはできない」
……嫉妬した。
そう。嫉妬という言葉が適当だろうと思う。
花華さんは、まるで全てを識る仙女みたいだ。
彼女は話す前から全てを知っている。
訊きたいことや言いたい事も全て先回りして答えてくれる。だから、心を読めるという言葉も真実だろう。
けれど彼女はもっと大切な本質を悟っている気がするのだ。
それは解くように。
好きとか嫌いとかそんな表面的な心の自由運動の話ではない。
この本質は、わたしについての本質であるのはもちろんのことだ。
けれど、何より早羅さんが抱えているものを表す。
つまり、ずっとずっと知りたくて、でも触れることすらどこか憚られた答えを、彼女は知っている気がした。
そしてそれは見当外れではなかったと思う。
泉に斧を落としたために女神と対峙するはめになった樵のような面持ちで、必死に花華さんの際立って整った瞳を覗き込む。
「教えて下さい。早羅さんはわたしをどう思っているんですか? どうして思っているんですか?」
出来るだけはっきりと伝わるようにわたしはこう尋ねた。
だけれど、正直、心臓の鳴動の方が大迫力だったと思う。
わたしは緊張していた。
緊張による心臓の鳴動によって、頬も耳たぶも血に熱くる。
夢の中であるにも関わらず眩暈のような現実感の喪失を覚える。
けれど、花華さんは優美に首を横に振った。
「それは本当に乙女な問いね。これぞガールズトークという感じだけれど、第三者がそれに答えるのは無粋。……大切な物事はね、誰かに判断を頼っちゃ駄目なの。自分で考えて、たどり着きなさい」
正論だった。
しかし14歳の子供には厳しすぎる正論だった。
そしてわたしは14歳であり、つまり泣きたくなったというより、視界が急速に水中みたいにかすれて熱くぼやけた。
「あらあら可哀そうに。お姫さまを泣かせるなんて、騎士さまも罪作りね」
花華さんはそう言って、彼女の長い人差し指と親指を、両のまぶたに触れて閉じてくれた。
視界は暗闇に帰り、頬を熱い水滴が伝うのが分かった。雨だれが渡るみたいだった。
「でも、そうね。答えの片鱗なら、見せてあげる事ができる。私は私の無意識にしか過ぎないから、干渉には限りがあるけれど、見たい?おすすめはしないけれど」
閉じた視界から鼓膜に響く彼女の言葉は、とても柔らかった。
それは美しさを覚えるほど優しく、言葉にできない不吉を覚える。
その不吉はわたしの喉のあたり一帯を硬くした。
それは石みたいに。
「……貴女が首を横に振ったら、この夢は泡と消え、意識は現実に浮かび戻る。もうそろそろ時間だし。それでも、片鱗を見る意志があるのなら、瞼を開きなさい」
花華さんの二つの指先の弾力がわたしの瞼の皮膚から離れた。
わたしは目を開いた。