ガールズトーク
高台に立っていた。
さえぎる物のない陽光の下、笹薮みたいな濃い緑の草たちが辺り一面をまばゆく覆っている。
風がふもとを蛇行する川の水面から吹き上がる度に、波のような緑の弧が幾つも走る。
風にざわめく草たちが、陽をおびただしく受けてエメラルド色に煌めく。
その色合いに目を惹きつけられたわたしは、この髪もこんな風に美しく輝いてくれたら良いのにと思いった。
四六時中とは言わない。せめて、早羅さんの前では目いっぱいきらきらして欲しい、とも。
風にたなびき乱れる髪を押さえながら草むらにしゃがみ込む。
と、首の後ろ、肩に柔らかい重みを感じる。
抱きしめられたのだ。
「年頃の乙女は全体的に輝かしいものよ。ほっといてもね」
花華さんの声が、鼓膜の内側に甘く響いた。
忘れるには色々印象的すぎる声だ。
花華さんは続けて、頬をわたしに擦り付けてきた。
柔らかく、優しい弾力。
わたしの胸に甦ろうとした恐れは、この柔らかさに色合いをとても速やかに喪ってしまう。
背に感じる確かな弾力は彼女の豊かな胸である。
温かい。
なんとなくライオンに抱えられてすりすりされたらこんな感じなのかなという妙な空想を抱いてしまった。
それから、わたしは我に返った。
とりあえず慌てる。
「ふぁ、花華さん!?」
「ん?」
「」
口から出るはずの言葉たちは、気道のなかばで痞えて渋滞を起こしてもつれてごちゃごちゃに絡まりあって、結局わたしの心から秩序だけを奪っていく。
なんでここにいるんですか、そもそもここはどこなんですか?
瀬長島君を見に行ったんじゃないんですか?
とか幾らでも訊きようはあるはずなのに、である。
それらの全てをほっぽらかしにして早羅さんを視界に探す。
「可愛らしい慌てようね。でも必要なことではない」
「え」
「……わたしは貴女が気にかかった。その結果ここにいる。それだけの話なの」
花華さんはわたしをぱっと放して、隣に腰を下ろした。
川向こうに視線を美しく投げる。
わたしは彼女の横顔に見入った。
彼女の瞳は黒々として、かすかに暗い緑色を帯びていてる。
黒曜石みたいだ。
その色合いに惹き込まれる。
わたしは彼女の次の言葉を待った。
「そんなに見つめないで。照れるから」
照れるとかいう言葉がもっとも縁遠い感じがする恐るべき花華さんは、驚くべきことに本当に照れていた。
横風に揺れる黒髪がかかる口元に恥じらいすら浮かべている。
「人に見られる事に慣れてないの。わたしを知覚できる人って稀有だし。まあでも、こういうのも悪くはないわね。中々珍しい体験だわ」
川向こうに視線を戻して目を細める花華さんの前髪を風がかき乱した。
滑らかな曲線を描く額があらわになる。
形の優れた鼻梁やなまめかしさのあふれる唇とともに、彼女の額は陽を受けて輝く。
その美しさは、風に揺れる草のエメラルドなどは比べ物にならないものだった。
わたしは思わず喉を無作法に鳴らしてしまった。
耳たぶが恥じと彼女の美に熱くなり目を伏せるわたしに、花華さんは横目で微笑む。
真紅の薔薇のつぼみが少し開くみたいだ。
「これは夢なの。希望という意味の夢ではなくて、あなたが眠りから覚めるまでの刹那の間という意味の夢なの」
わたしは彼女の言葉に妙に納得した。
というより、夢の中でいちいち物事に反論するといった経験が無かったので、なるほど夢かあ、と思ったりした。
何故か背骨に張り詰めていたものがふにゃっとなったりした。
「だから早羅さんがいないんですね。」
その声には安堵が大層こもっていたらしい。
花華さんは声をこらえるようにして笑う。
「想い人の不在に理由があることに、安心する、か。乙女というものは実に輝かしいものだな」
彼女はそこで言葉を一度切った。
わたしの、ただでさえ風にまとまりのなくなっている髪をさらに乱す。
「安心しなさい。彼は目覚めつつある女方の傍に在る。現実の私は彼の向かいで貴女を気功で癒している。……ああ、大丈夫よ。私は彼を襲わないわ。見逃すと決めた相手に手をかけるのは、私の誇りが許さない。しかも彼も私を認識していないから、戦闘も起きようがないわ」
「早羅さんは花華さんが見えないんですか? 」
「余計な諍いを避けて治療に専念するために、ね。本気で気配を消しているの。本気の私は元始天尊ですら認識できない。それが私のクンフーだから」
そう語る彼女は、悪戯を語る子供みたいに誇らしげだ。
わたしは首をかしげる。
「あれ?でもわたし花華さんと話していますよ? 」
「それはね、夢だから。私の意識は貴女の治療に専念している。今ここでくつろいでいる私は、私の無意識。私は気功を通じて貴方とつながっているだけだから、この会話も現実の私は認識していないわ。貴女だって目が覚めたら忘れてしまうでしょう。でも良いの。夢だから」
わたしの脳に疑問符がおびただしく、ついには眼球すら疑問符マークになってしまったらしい。
花華さんは少し困ったように首をすくめて、口の端を上げた。
「辻褄が合わないのが夢というものよ。でも、滅多にあることじゃないの。私の気功は気を通わせて癒すだけ。ここで貴女とこうしてお話ができるのは、貴女の稀有な力のおかげよ」
彼女の言葉に疑問符すら通り越して、眼を大きく開いてぼんやりとしてしまった。
力?
口が自然に開く。
「わたしの力、ですか?」
「そう。貴女の力。でも今はあまり難しく考えないで、この時間を楽しみましょう。……何気なく憧れだったの。ガールズトーク」
花華さんはそう言ってから、笑った。
その笑顔には真紅の薔薇たちが満ちて開くような艶やかさがあった。
けれど飾り気のない素直なあどけなさもあって、わたしは思わず何度も肯いてしまった。