初めての恋
この話に登場する怪人:早蘿。
悪の組織、『村』の怪人。座敷童子の子孫。
15歳から歳をとらない種族。
村の最重要人物、『器様』の警護担当『防人』の任務を負う。
一定水準以上の強者と、『器様』にしか認識されない。
合計滞在時間が24時間を超えた地所を『巣』とし、地の利を駆使して戦う。
※※※※※※
15歳になった翌日の話だ。
わたし、朱森紗愛は、切り立った断崖に立って下を眺めた。
吹き上げる海風が常に髪を乱して、視界に絡んでくる。
足元からはるか下の海面に、大小の岩たちが顔を出していた。
黒土にまみれたジャガイモみたいな形と色をしている。
波が寄せて、白い飛沫をあげていた。
わたしは、切り絵や絵本調のアニメーションを連想した。
潮騒の音は一定のリズムを刻んでいた。
で、そのリズムに誘われるように崖から飛ぶ。
体が一瞬、重力を忘れて、ふわっと海風に浮く。
それから、崖下に向かって自由落下を始めた。
濃い青の波面やジャガイモ色の岩たちが、わたしの激突を待ち受けている。
ここまでは特段変わった話ではない。
15歳のわたしが崖から身を投げた。
それだけの話だ。
けど普通と違うのは、早羅さんだ。
彼は、わたしの隣を崖の壁面を海面に向かって全力疾走する、
「紗愛ちゃん何やってんですかああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
叫びながら、彼はわたしを瞬く間に追い越し、崖下に駆け抜けた。
そして待ち構え、わたしを受け止めた。
羽毛布団よりも優しく、ふわっと。
こうして、わたしの命は彼によって守られた。
わたしを守るのが、早羅さんという防人の仕事である。
それにしても崖を全力で走れるとか、怪奇以外の何物でもない。
そもそも早羅さんの存在自体が怪奇なのだ。
……わたし、朱森紗愛は1979年の12月23日に生まれた。
父と母は怪奇でも何でもない、極平凡な夫婦だった。
その頃は、父も、まだシュッとしていて、母と白菜鍋とかを食べていた。
1994年現在の父は、IT企業の社長をしている。
社長らしい、かなりでっぷりとした体型をしている。
母の体型は変わらない。
早羅さんについての一番古い記憶は、いないいないばぁ、をしてくれた事だ。
わたしは赤ちゃんベッドの柵の中で、はいはいをしながら、彼を見上げていた。
彼はわたしを見つめて、微笑んでくれていた。
そうやって、わたしのいるベッド柵から片時も離れなかった。
けれど、彼は父とも母とも何の縁もゆかりもない。
なんと知人ですらない。
そんな彼が物心つく前からわたし達と同居している。
父も母も早羅さんの存在に全く気付かないのだ。
彼は彼らの目の前にいるのに。
でも、早羅さんはお化けでも、わたしの妄想でもない。
ちゃんと皿の上のおかずもつまむ。
お茶碗も洗う。
朝の洗顔では隣でタオルを渡してくれる。
けれど、早羅さんのそういう全ての行動を、父も母も認識しないのだ。
でもちゃんと、おかずは減るし、お茶碗は綺麗になるし、彼が顔を拭いたタオルだって濡れる。
これは怪奇である。
わたしだけが、早羅さんがいる事が分かる。
していることも目に映る。
けれど、他の誰も、彼が見えない。
正確には、見えているのだけれど、認知されないらしい。
彼と話しているわたしは、空っぽの空中に話しかける可哀想な子だと思われていた。
わたしが小学に入りたてのころ、母親に精神科に連れていかれた。
検査のためだ。
IQ検査に面談、性格検査で1日かかった3週間後の結果発表。
講談を打つ医者は落語師に見えた、
「とてもIQの高いお子さんです。想像力が豊かなのでしょう。ただ、こういうことは自然に治まりますから、無理に辞めさせようとして、怒ったりしないで、温かく見守って下さいね」
よく分からない御託を聴きながら、わたしは隣にしゃがみ込む早羅さんを見た。
彼は困ったみたいに笑う。
「仕方がないよ。僕のご先祖様は座敷童だし、座敷童はヒトの目には映らないんだ」
と言った。
この時わたしは不快と怒りを覚えた。
何か、早羅さんごと世の中から馬鹿にされて無視をされているような感じがしたからだ。
けれどわたしは次の日から、人がいる場所で早羅さんと話したいときは、彼を見ないで、できるだけ声を抑えてつぶやくことにした。
こういう点では、わたしは素直だし、物分かりも良いと思う。
実際、これが正解だったのだろう。
まあ、結果としては、空中に話しかける可哀想な子から、独り言をぶつぶつ呟く暗い子、に周囲の評価が変わっただけだったけど。
それでも、である。
早羅さんと話す事で周りがわたしを変な目で見て、そのことで彼が心を痛めるよりは、100万倍以上マシなのだ。
加えて、わたしは彼を認める事ができる事を、特権だと思うようになった。
だって、早羅さんの顔は、とても整っている。
見ていると、とても穏やかな気持ちになってしまう位、笑顔が穏やかな癒し系なのである。
ゆるくウェーブがかかって肩まで伸びた黒髪はつやつやしている。
アイドルの女の子よりも小さな丸顔は輪郭がとても綺麗だ。
長い眉毛とその下のくるんと上向いた長いまつ毛。
その下のくっきりとした二重の瞼の瞳は、慈しみに満ちている。
しかも、これは第2の怪奇なのだけど、この男の子は老けないのだ。
15歳くらいの見た目が、ずううっと昔から変わらない。
1992年、わたしが中学に上がった年の事だ。
彼に、それまで何度も訊こうとして、何となく聞けなかった歳を訊いたら、31歳だと答えられた。
わたしは、全国の31歳の男性に喧嘩を売るつもりはない。
けれど、31歳でこの綺麗さはないだろう、と全力で突っ込まざるを得なかった。
そういうわけで、実際突っ込む。
「いや、ほら、座敷童って老けないから」
ちょっと困った顔をして彼はそう返してくれた。
そんな顔も素敵だった。
けれど、この時、脳裏に一抹の不安がよぎり、わたしはそれを、素直に口に出してしまった。
「わたしがおばあちゃんとかになっちゃっても、早羅さんは、見た目15歳のままなの?」
彼はもっと困った、というより、少し寂しそうな顔をした。
「その頃には僕は死んでるね。……器様をお守りするのが防人の仕事ですけど、防人の寿命は不思議と短いんです」
この時わたしは、明らかにムッとした。
早羅さんの寿命が短い事。
紗愛ちゃんと呼ばれずに器様とか他人行儀に呼ばれる事。
これは悲しく寂しい。
そして、わたしは寂しいと怒るのである。
むくれた顔をして、ぷいっ、と顔を背けたわたしをまじまじと見ながら、早羅さんは苦笑した。
「村人としては器様のそばにいれることって、本当に嬉しいんですよ。つまり、僕は紗愛ちゃんのそばにいれて幸せだし、だからちょっとくらい寿命が短くたって文句は言う気にならないよ。けど……」
口ごもった言葉の続きが気になって、13歳だったわたしは横目でちらりと彼をみた。
続きをはやくと思うけれど中々言わないので、結局しびれを切らした。
「さっさと言ってよ。晩御飯のおかずあげないわよ?」
そのころは晩御飯のおかずをあげるとかあげないとかで彼を釣っていた。
今考えるととても子供っぽい。
だけど、そういう幼稚さに付き合ってくれる早羅さんも早羅さんである。
優しすぎるのだ。
「それは、お腹が減っちゃうなあ」
「しかも今すぐ言ってくれたら羊羮もつけてあげる」
頑張って上目づかいをした。
「……つぶあんでお願いいたします」
「分かった。で、何なの?」
彼はため息をついて、長いまつげを美しく伏せながら頭をポリポリした。
「ロリコンとか思われたら立つ瀬ないんだけどね。紗愛ちゃんみたいな綺麗な女の子を守るなら、できれば、笑顔を見ていたいなあ」
「……」
「え」
わたしの沈黙に対して、分かりやすい不安とか、やってしまった感を帯びた彼の発音が可愛らしい。
そもそも31歳を可愛らしいと思う当時13歳も、稀少である。
「やーい、ロリコン!!」
はやし立てるわたしの言葉に、早羅さんはがっくりと肩を落とした。
「……だよなあ。立つ瀬がない」
「うっそ!! うっれしいっ!!」
語尾を弾ませまくりながら、早羅さんに飛び付くように抱きつく。
ビーチフラッグ大会で優勝できそうな勢いだった。
これでもかというほどメロメロの恥ずかしい描写を精一杯したので、読む方は察して欲しい。
わたしは、早羅さん、産まれてこのかたずっと共にいてくれた彼に、……恋をしていたのだ。
しかもそれは、初めての恋だった。