機械帝国 1
うっすらと目を開いてみたが、視界にはなにも映っていなかった。一瞬、目を開いてないと錯覚するほどに、真っ暗闇が広がっていた。
ここが、死後の世界なんだろう。
天国と地獄があるなんて言われてたが、実際にはそんなもの存在しないんだ。ただ、寂しくて虚しい暗闇のなかに放り込まれただけだ。
声を発してみたが、その音は聞こえなかった。地に足をつけているのかも怪しい。五感すべてを奪われた気分だ。
ずっとここにいなくちゃいけないのか? だとしたら、どんな責め苦よりもつらい。
ふと、なにかが震えたような気がした。
自分の身体さえ見えないが、手触りを確かめてみる。先ほどまで失われていた手先の感覚が、よみがえってくる。この感触は制服か? 震えてるのは、ポケットのようだ。
震動を頼りに、ポケットに手を突っ込む。携帯電話だ。感触は正しい。間違いなく震えている。電話を取り出す。が、画面が見えないので、苦戦しつつ電話に出た。
〈……えるか。……しも……。き……て……か〉
怖えよ。常闇で不気味な声とかマジで焦る。心霊現象かよ。あ、おれも今、心霊の仲間入りしてんのか。
「なんだ。誰なんだよ。全然聞こえないぞ」
電話の向こうからは、ノイズに混じって声が聞こえてくる。だが、なにを言ってるのかは聞き取れない。ノイズの音が耳障りだ。しかし、徐々に声が鮮明に聞こえてきていた。よかった、怪現象じゃなくて。
〈……しもし。聞こえているか〉
「ああ、聞こえた。で、おまえは誰だ」
〈よう。はじめまして、と言うべきか。……そうだな。アンノウンとでも名乗っておこうか〉
「ふざけてんのか」
〈ふざけてなんかないさ〉
電話の相手は、どうやら声を変えているらしい。だから、男か女かは分からなかった。口調は男だが、わざわざ声を変えている以上、演技をしている可能性だってあるのだ。
しかし、それでも分かることがある。
声音はどこまでも無機質で、なにかに絶望してしまったようでもあった。その声を聞いているだけで、なんだか心がざわつく。どうしてだろう。
〈言っておくが、ここは死後の世界ではないぞ〉
どうして、おれが思っていたことを言い当てたんだ。しかし、死後の世界じゃないんだとしたら、ここはどこだよ。
「根拠を聞かせろ」
〈もしおまえが死んでいたら、こんなところに来ていない。おまえが死んだら――即死すれば、すべてが終わる〉
「答えになってないぞ。ちゃんと答えろ」
〈おまえの人間関係をめちゃくちゃにしたのは、おれだ〉
「は?」
質問にまともに答えないどころか、突拍子もないことを言ってきやがった。人間関係をめちゃくちゃにしたって? それはいったい、どういう意味だ。
〈思い当たることがあるはずだ。突然のことで、驚いたはずだからな〉
ああ、驚いたさ。しかし、それを知ってる人間が、自分以外にいたのか。この電話の相手は、おれが「勇者ごっこ世界」に移動したことも知ってるんじゃないか。
〈おまえはこれから、いくつかの世界を漂流することになる〉
「ちょっと待て。事情を説明しろ!」
〈漂流した先で、おまえは戦うことになるだろう。先ほどまでいた世界のようにな〉
やはり、知っていた!
「さっきから意味分かんねえよ! おまえはなにを知ってんだ。全部教えろ!」
〈おまえに、鍵乃――仁科鍵乃は助けられない〉
「なんでおまえに――」
〈何度でも言ってやるさ。無理だとな〉
頭にきた。
「おれからも、おまえにひとつ言ってやる。おれは、絶対に鍵乃を守る。絶対に殺させたりしない。おれは、あいつを守るって決めたんだ!」
〈ほかの世界に移動してもか〉
「ああそうだ! おまえの言う『漂流』ってのは分からねえ。けどな、別の世界に鍵乃がいるのなら、何度だって助けてやる。もう、あいつを死なせたりしない――ッ!」
〈運命により、助けられないという事実が決まっているかもしれないぞ〉
「たかが運命だろ。んなもん、知ったことかよ」
もう死んだと思っていた。でも、まだチャンスは残されているらしい。鍵乃のいる世界で、幸せをつかむこともできるかもしれない。変えられるのなら、おれが変えてみせる。
「失ったものだって、全部取り返してやる。運命なんて、おれが書き換えてやる!」
〈……そうか。それが、おまえの出す答えか。強欲な願いだな〉
「ほっとけ」
〈せいぜいあがくことだ。おまえの行く末を、おれは黙って見ているさ〉
電話は切れ、またしても無音の空間となった。
見物料は高くつくぞ。おれに火をつけたことを、後悔させてやる。
途端に、自分の感覚が失われていく。まぶたが重たい。目を開けていられない。
おれは自然と、目を閉じていた。
目覚めは唐突だった。
息を切らし、汗をびっしょりとかいていた。嫌な夢でも見ていた気分だ。ある意味嫌な夢だったけどな。
しかし……。
またしても見知らぬ場所に来てしまったな。先ほどまでいた闇のなかでも、「勇者ごっこ世界」でもない。少し近代的な設備のある部屋だ。とりあえず、おれの部屋じゃない。ここは異世界じゃないみたいよ。
あまり広いわけじゃないな。教室ひとつ分くらいの広さか。起き上がり、部屋を物色してみる。
電気をつけ、カーテンを開く。窓の外は暗い。夜なのか。そういえば、先ほどから外が騒がしいな。
耳を澄ますと、けたましい警報音が、ずっと鳴り続けていた。まさか火事じゃないだろうな。だとしたら、早く逃げなくちゃ。けど、いったいどこに逃げればいい?
一人であたふたしていると、ドアが開かれた。
「やっぱり、まだ逃げてなかった」
「夕夏……無事だったんだな」
「なに言ってんの。変なこと言ってないで、早く逃げるよ、おにいちゃん」
夕夏に手をつかまれ、部屋をあとにした。……おれ、手を引っ張られること多いな。男としてどうなんだろうか。
そんなことを思ってると、広々とした部屋についた。そこには、老若男女、たくさんの人が集まってきていた。どうやら、避難場所らしかった。
「なあ、いったいなんの騒ぎなんだ? 警報音も鳴ってるし」
なにげなく訊いたつもりだったが、夕夏は怪訝そうな表情を浮かべた。
「さっきからどうしちゃったの、おにいちゃん。……は! まさか、そんな……。もしかして、機械に頭、いじられちゃったの?」
「物騒なこと言うもんだな。そんなことされた憶えはないぞ」
「いや、でもおにいちゃんならありうるかも……。それに、頭をいじられた記憶は消されちゃうだろうし。そんな、じゃあ、おにいちゃんは――」
「おーい。聞いてんのかよ」
「――もう、あたしのおにいちゃんじゃないんだね!」
ぺしん、と頭を叩いてやる。まあ、痛くない程度にな。話がちっとも進みやしない。
「いてて。ひどいよ、おにいちゃん」
膨れた顔をし、怒ってるアピールをしてるんだろうけど、かわいいだけだ。
「おれは夕夏のおにいちゃんだ。心配されるようなことはされてない。安心しろって」
「ホント?」
「ああ本当だ。信じていいぜ」
夕夏はまだ安心できないのか、顔を近づけてくる。いいにいおいだなぁ、なんて思っていたら、急に目を思いっきり開かれ、じろじろと眼球を見られる。顔近い、近いって。そして痛いからやめてほしい。まあ、これで安心させられるならいいか。
頭をつかまれ、まじまじと見られた。まるで、鑑定される壷みたいな気分だ。
「うん、大丈夫そうでよかった!」
「やれやれ。落ち着いたか?」
困った妹だ。でも、こうして隣で笑っていられるんだから、そんなことも許す。いつもの夕夏に戻ってくれて、本当によかった。
しかし、この世界では一から説明するわけにもいかなさそうだ。記憶を失った、違う世界から来た――なんてことを一言でももらせば、機械に頭をいじられたのだと判断されてしまうんだろう。
「けど、第一隊はなにしてるんだろーね」
「第一隊?」
「機械城に攻め込んだレジスタンスのメンバーでしょ。まったく、ホントに大丈夫?」
「ああ、そうだった。いや、ちょっとな……」
夕夏は黙りこくった。その横顔はとても苦しそうで、それでいて大人びていた。そんな顔を見たのは初めてで、なんて声をかければいいか分からなかった。
「あたしね、おにいちゃんが苦しいなら、ずっと一緒にいてあげてもいいよ」
「えっ……?」
「おとうさんが死んじゃって、レジスタンスから休暇をもらってから、ずっと苦しそうだから……」
「親父が死んだだって?」
「いい加減、現実を見なくちゃダメだよ!」
そう言って、夕夏は唇を噛みしめた。
そうだったんだ。この場所は、当然ではあったけど、今までいた世界とは違うんだ。親父を失い、「おれ」はきっと精神を病んでしまっていたのだろう。
夕夏は妹だというのに、精神を病んだ兄をずっと支え続けていた。だからこそ、夕夏は気丈で大人びて見えたんだ。
なにやってんだよ、この世界の「おれ」は。
もともとは機械に反旗を翻す組織の一員だったみたいだが、親父を失っただけで絶望しやがって。すべて妹に支えてらっていたのかよ。そんな情けない話、信じたくなかった。
「前に、おにいちゃんが助けてくれたこと、あったよね」
中二の秋に、おれが痴漢から助けてあげたことか? けど、この世界じゃ、そんなことしてないのか。だったら、どのことを言ってるんだろう。
「あの時、ホントに嬉しかった。だから、今度はあたしが、おにいちゃんを守るから」
ここまで言わせておいて、黙りっぱなしってのはないだろう。この世界で生きていた「樫井修弥」だって、結局は自分自身なんだ。だったら、おれが言わないでどうする。
「悪かったな、夕夏。……今まで、心配かけちまって」
よくよく考えてみれば、おれだっていつも弱かった。左ひざを怪我し、生きがいを失ったあと、夕夏は優しくしてくれた。結局、同じことだったんだ。
生きがいを失ったとばかり思い込み、なにに対しても悲観的にとらえ、腐っていた。
こうしてほかの世界に来たからこそ、冷静に自分を見つめなおすことができたのかもしれないな。
「ううん、仕方ないよ。目の前でおとうさんが死んじゃったんだから。あたしたちの目的が、あと一歩ってところで、機械によって阻止されて……。ショックだよね」
「そう、だったな」
前の世界で親父の野望を阻止したのは――おれだ。
もしかして、前の世界での出来事が、引き継がれてるのだろうか。「勇者ごっこ世界」と現実世界は、なんらかの関わりを持っていると思っていた。けど、引き継がれているとまでは考えつかなかった。
けど、それなら納得いくこともある。夕夏が助けられたという記憶も、親父が死んでしまったことも。
……あれ? おれは親父を殺した覚えなんてないぞ。
あの時、まだ生きていたはずだ。いったいどういうことなんだ。まったく分からん。考えても分からないことより、今をなんとかするべきだな。
前の世界では、勇者として魔王を倒す目的があった。今回は、機械とかいうのを倒すのが目的のようだ。もちろん、鍵乃を守るのは大前提ではあるが。
「……おれはもう大丈夫だ。戦線に戻る」
「まだ早いって。今のまま復帰したって――」
「任せろ。おれさ、バカだから気づかなかった。夕夏にそこまで負担かけてたなんて、思ってもなかった。でも、もう平気だぜ。おれは戦う。機械を倒してみせる」
夕夏のことを抱きしめると、息苦しそうにあえいでいた。妹の身体は小さく、でも心強かった。抱きしめているのはこちらなのに、抱きしめられているようでもあった。
「夕夏は、おれが――おにいちゃんが、ずっと守ってやるから」
「そん、な……。こんなところで、恥ずかしいよっ!」
解放してやると、夕夏は顔を赤くして照れていた。でも、心なしか落ち着いたようにも見えた。勇気づけてくれる微笑がかわいらしい。
「もし夕夏に危険が迫ったら、絶対に助けに来る。約束だ」
「うん。絶対にだよ。約束」
夕夏をこの場に残していくのは不安だ。それでも、機械を倒さなくちゃ、救うことなんてできない。だったら、夕夏に手を出される前に、機械を倒せばいいことだ。
避難場所から出て、まっすぐ駆け抜ける。
「おにいちゃん!」
背後から夕夏に呼び止められ、振り返った。
「そこで待ってろ! あとはおにいちゃんが――」
「そうじゃなくて」
なんだ? まだなにかあったんだろうか。
「そっちには、今、女湯しかないよ」
……マジで?
「そ、そうだったな。あー、うん。忘れてた」
「……おにいちゃんの、エッチ」
こういう時は、機械に頭をいじられたと疑ってくれないんだな。妹ににらまれながら、そう思った。