勇者ごっこ 3
場所が分かっているから、迷うことなく、魔王の居城にたどり着けた。
空は厚い灰色の雲に覆われ、付近の大地は荒れ果てている。それに、霧に覆われていて視界も悪い。まるで生というものを感じられなかった。町からここまでの道程で、徐々に陰鬱とした景色に変わっていた。
「ひどいな」
「ね、ひどいと思うでしょ? チハルちゃんのいたずらに比べたら――」
「ちょっと待て。いったいなんの話してんだよ。誰だ、チハルちゃんって」
「ええー? ちゃんと話聞いててよー」
「それは悪かったよ。けどおれは、魔王を倒すとか、この世界について考えてたんだよ」
ぷい、と唇を突き出しているので、おれは頭をなでてやる。すると、すぐにえへへ~、と脱力した笑顔を見せる。なんか小動物みたいだな。よしよし、もっとなでてあげよう。
「魔王を倒さなかったら、世界はこんなふうになっちまうんだよな」
カギノは暗い表情で頷く。
「じゃあ、絶対に魔王を倒さなくちゃな」
おれは扉に手をかけた。この扉を開ければ、魔王城に足を踏み入れることになる。この城のどこかに、魔王が待ち受けているはずだ。今からそいつを、ぶちのめしに行くんだ。
扉を開き、魔王城に入ろうと足を踏み入れようとした時だった。
ふいに、背後に気配を感じた。
「待てよ」
霧の向こうから、こちらに近づく影がひとつ。声からして、男だ。
「おまえは――」
お互いに顔が見える位置に立ち、影の正体を見た。その男は――。
「誰だ?」
まったく知らないやつだった。たぶん、知り合いじゃないんだろう。けど、敵であることは間違いなさそうだ。剣を抜き、こちらに向けてるんだから。
「あんたも勇者だな」
そうか。おじさんの言っていた、別の勇者というやつか。つまり、協力して戦えばいいんだよな。味方が増えるのはいいことだ。それにしても、彼の勇者服のほうがいいな。
「おれはシュウヤだ。一緒に頑張ろうぜ」
「は? あんた、なにを言っているんだ?」
「なにって、勇者同士、一緒に戦うんじゃないのか?」
「ぼく――おれは、あんたらの手を借りるつもりなんてない。あんたらじゃ魔王を倒すことなんてできないんだから、さっさと故郷に帰るんだな」
なんで知らないやつに、そんなことを言われなくちゃならないんだ。むかつくやつだ。
カギノが袖をつかみ、耳打ちしてきた。
「栄誉を求める勇者は、勇者同士、魔王を倒そうとして争っているの。気をつけて」
「はあ? なんだ、そんなことかよ」
いつの時代も、どこの世界でも、くだらない理由で争うんだな。ほかの勇者と戦って生命を落としたら、それこそ本末転倒だ。
「おまえ、名前は?」
「このおれを知らないのか。あんた、三流の勇者だな。いいだろう、特別に教えてやる。おれの名は、エイマだ」
「エイマ、だって……?」
おれの知ってる姿ではなく、見た目だけは好青年っぽいから気づかなかった。まるで別人じゃないか。髪も染めてないし、長髪じゃない。眉毛もしっかりある。
おれはただ、エイマが別人すぎることに驚いたのだが、エイマはそうは受け取らなかったらしい。名前を聞いて、こちらが動揺してるとでも思ったようだ。
「まあ、驚くのも無理はないさ。おれも結構、邪魔物を消してきた。このおれを差し置いて勇者を名乗るから、哀れな末路をたどることになる」
正直、栄誉も名声もいらん。が、こいつに負けるのだけは、たまらなく嫌だ。
「おれが魔王を倒す。引くのはおまえだ」
剣を抜くと、カギノが服を引っ張り、声を荒らげた。
「ダメだよ、シュウヤ! あなたも、私たちと一緒に協力して、魔王を倒そうよ、ね? あなたが倒したことにしてもいいから」
その言葉は、プライドの高いエイマにとって、逆効果だった。
「ふざけるなよ……。まさか、おれをバカにしてるんじゃないだろうな」
エイマはカギノをにらみつけた。おれはカギノの前に立ち、剣を構える。カギノに手出しはさせない。
「いい練習相手だ。まずは、おまえからぶっ飛ばしてやるよ」
「勝手にほざいてろ。三流どころかそれ以下のあんたに、おれは殺れない」
しばしのにらみ合いの後、風が一瞬凪いだ。
刹那、ほぼ同時におれたちは剣を振り下ろしていた。互いに斬り結び、ぶつかる剣と剣が火花を散らせる。力負けはしてない。だが――。
「たいしたことないな」
バチバチ、という音ともに、エイマの身体から青い閃光がほとばしる。その異常な光景に、おれは息を呑む。
――まずい。
おれはすぐに離れようと思ったが、時すでに遅し。一瞬の怯みを狙われ、おれは剣を弾かれてしまった。後ろに大きくのけぞり、完全に無防備状態となった。
「失せろ――ッ!」
目の前が真っ白になった。反射的に、目を閉じた。
直後、全身に衝撃が走り、おれは宙に吹き飛ばされた。地面に身体が叩きつけられ、転がっていく。霧の向こうからエイマが近づいてくる。が、かわせそうもなかった。
――呼吸が、できない。
意識が、視界が、黒く、暗く、染まっていく……。この感覚は――「死」だ。二度目だから分かる。「死」がおれを呼んでいた。
だが、カギノを守らなくちゃならないんだ。
気持ちは折れてない。けど、反してまぶたは、落ちる一方だった。カギノを守りきれずに死ぬなんて、そんなの、嫌だ!
「……ぐはぁっ!」
唐突に呼吸ができるようになり、おれは起き上がった。酸素を求めて、おれは呼吸を何度もくり返した。
「慌てないで。吸って、吐いて。吸って、吐いて……」
カギノが優しく、呼吸を促してくれる。何度か緩やかな呼吸をくり返すと、だいぶ楽になった。
視界には、先ほどまでの光景が広がっている。そして、冷静になったから気づいたが、カギノがすぐ目の前にいた。カギノは頬を赤らめ、目にうっすらと涙をためて、おれを見つめている。何故か分からないが、唇が少し濡れていた。
「カギノ……?」
「よかった……。死んじゃうかって思ったんだよ……? 本当に、よかった」
「ありがとな、心配してくれて。……それより、エイマはどうしたんだ!」
「私の魔法盾に苦戦中みたいだよ」
「そっか、助かった……」
つくづく、カギノに助けられてばかりだ。けど、本当に助かった。
おれたちは、霧のなかにうまく隠れているようだ。ある意味、この環境に助けられたかたちでもある。おれはすぐに起き上がれるほど回復できてなかった。身体がだるい。脚も重たい。あの雷で、心臓も止まっていたのかもしれない。
それにしても、魔法というのはすごいもんだな。
RPGのような世界だから、そんなものもあるのだろうと薄々思っていた。だから、ここに来るまでの間、カギノからそれを聞いた時も、そこまで意外には感じなかった。
だが、自分の目で見て、身体で識って、理解した。魔法というのは恐ろしいものだ。
エイマは雷を武器として使い、対するカギノは、身を守るための盾として使っていた。
カギノによると、魔法は一人ひとつしか使えないらしい。誰かを守ろうと瞬時に行動できるカギノに、防御魔法はぴったりだ。
元来魔法を使えない人もいるらしいが、使い方によっては武器にも盾にもなる魔法というのは、恐ろしいものであるのと同時に、便利でもあった。
「シュウヤも、魔法を使って戦ったほうがいいよ」
「おれの、魔法ね……」
どうやら、おれも魔法は使えるらしい。属性は焔。……雷系統のほうが勇者っぽく感じるのはおれだけだろうか。焔とか、自分に燃え移ったりしないか不安だ。
「彼の名前は、私も聞いたことがあるよ。ほかの勇者を、いたぶるように殺す、残忍で狡猾な人だって。まさか、あの噂が本当だったなんて……」
「ということは、さっきの攻撃は――」
「本気じゃなかったんだね。死体すら残らなかった、って噂もあるし」
思わず身震いしてしまった。
「まだ身体は動かせない?」
おれは腕が自由に動くことを確認し、剣を杖代わりにして立ち上がった。こんなところで呑気に寝ている場合じゃないよな。あいつには負けられない。魔王の前に、倒すんだ。
剣を地面に刺し、身体を動かす。腕、動く。脚――動く。
「問題ねえ。いける」
ろくに戦闘経験を積んでないから、というのはただの言い訳だ。そんなみっともないこと言えるかよ。どんな手段を使っても勝つしかない。魔法だって使うしかない。
「――魔法盾が破られた!」
第二回戦のはじまりだ。
おれは剣を持ち、青く雷が光っているほうに向かった。やつは怒っているのか、当り散らすように雷を放っている。ゲームならMP切れを起こすが、この世界ではどうなんだろう。
おれは後ろから近づいていく。ちょっとずるいけど、もとより承知だ。自分の実力にあった戦い方をしなかったら、勝つこともできない。カギノを守ることも、だ。
ちょうど姿が見えるか見えないか分からないところでしゃがむ。エイマがおれとは反対方向に雷を放つのを見計らい、全力で駆けた。エイマが振り返り、目を見開く。
「燃えろおおぉぉぉぉッ!」
右手をエイマに向けて叫んだ。ぼっ! と音を立てて、焔が手のひらから現れる。
しかし、それはライターの火より少し大きい程度のものが、一瞬出ただけだった。
……妙な静けさが漂う。誰も口を開かない。それは、戦いの緊張感から来ているものじゃないだろう。
「あんた、本当に勇者なのか?」
「あ、ああ。おれは、ゆ、勇者さ」
「声が震えてるよ! もっと自信持っていいんだよ!」
エイマは鼻で笑い、剣を下ろした。
「がっかりしたよ。まさか、そんな程度の魔法しか使えない勇者だったとはね。おれの前に立つのもおこがましい。魔王に挑むだって? 笑わせるな。ここにいること自体、大問題だ。――おれが、あんたを断罪してやる」
エイマの周りに、再び放電現象が起こる。それも、先ほどよりも大きいやつが。
「強く念じて! 気持ちが強くなればなるほど、魔法は強力になるから!」
「あんたも黙っててもらおうか!」
エイマの手が、カギノに向けられる。カギノが狙われる――ッ! そんなこと、させてたまるか。カギノを守りたい。いや、守るんだ!
その時だ。
おれの願いに呼応するかのように、全身から焔が発せられた。不思議と熱くない。全身から熱い気持ちがほとばしるようで、力がみなぎってくる。この感情は、しばらく忘れていたものだった。
「なんだよ、それ……ッ!」
おれはエイマに向けて、溢れる焔を解き放った。巨大な焔が、エイマを包み込んだ。
おれも巻き込まれないように少し後退した。焔はこちら側までやってこない。不思議に思っていると、カギノが横に立っていた。なるほど、魔法盾のおかげ、ということか。
やがて焔は消え、地面に倒れているエイマを見つけた。呼吸はあるみたいだが、全身真っ黒こげだ。殺すつもりはなかったし、安心した。
「あ、これ……」
カギノが、エイマの懐から落ちた紙を拾い上げた。どこかの地図のようだ。よく焼けなかったものだ。魔法の地図とかかな。
「どこの地図だろうな」
「これ、この城の内部の地図じゃないかなぁ」
「お、ラッキーじゃねぇか。持って行こうぜ」
エイマはまだ目を覚ましそうにない。その場に残し、先を急ぐことにした。
「ん?」
ふと、背後に視線を感じ、振り返る。だが、そこには誰も居ない。エイマも倒れたままだ。
病院で感じた視線と同じ? いや、そんなはずないか。
いったい、誰に見られているんだ。心当たりはなかった。
「どしたの?」
「あ、いや。なんでもない」
薄気味悪いな。まあ、見られているだけなら、気に留める必要もないだろう。
さあ、魔王城に突入だ。魔王をこの手でぶちのめしてやる。