勇者ごっこ 2
鍵乃の父親と対面し、おれは息を呑んだ。
まさか死後の世界で、おじさんと対面することになろうとは。おじさんの三白眼を見つめ、おれは歯を食いしばり、覚悟を決めた。
「お父さんを連れてきたよ。勇者さま、具合悪いところとかある?」
「いや、だから。おれは具合が悪いわけじゃないんだって」
おれはおじさんへの警戒を解かずに答えた。おじさんは険しい表情を浮かべているが、殴りかかろうとする素振りは見せてない。……気を抜いてもいいのか?
事故のあと、カギノの病室の前でおじさんと鉢合わせた。おじさんは持っていた花を落とし、おれを殴った。
余裕でかわせる拳のはずだった。けど、おれは動けなかった。あれほどまでに強烈な悪意をぶつけられたのは、初めてだったからだ。
以来、見舞いに行く時はおじさんを避けるようにしていた。純粋に怖かったからだ。
おじさんは、カギノが事故に遭う一年前に、奥さんを病気で亡くしている。だから、カギノの事故はおじさんをも壊した。その原因も、おれにあった。
「……さま! 勇者さま、大丈夫?」
「……あ、ああ」
昔のことを思い返していたら、少しぼうっとしていたらしい。その間にも殴られたりしなかったし、死後の世界では憎まれてないようだ。
「顔色が悪いようだ。どこか具合が悪いなら、僕に言ってくれ。尽力する」
「そそ。お父さんはお医者さんだから、なんだって治せるよ」
「医者、なんですか……?」
おそるおそる訊ねてみた。おじさんは確か、工場で働いていたはずだ。
「前にも言った気がするが、まさか本当に錯乱しているわけではないだろうね」
「おれは平気です。錯乱なんかしてません」
「それならいいんだが……。もっと我々を頼ってくれてもいいんだからね。君の頑張りはよく知っている。君は、我々の生命の恩人なんだから」
「生命の、恩人?」
なに言ってるんだ? おれがカギノの人生を壊してしまったのに。おじさんの生活をめちゃくちゃにしてしまったのに。
「それも、忘れちゃったんだね……」
少しだけ哀しそうな笑顔を浮かべたカギノを見て、申し訳ない気持ちになった。
「ごめん」
「いいのいいの。だって勇者さまは勇者さまだもん。ずっと、私の勇者さまだから……」
カギノは遠い過去を思い出すように、天井を見上げて言った。カギノの肩に手を置き、おじさんが話を継いだ。
「我々が住んでいた村は、魔王によって滅ぼされた。僕はね、医者であり研究者だったから、やつらに連れて行かれそうになったんだ。目の前で死んでいく友人たちを、僕は助けられなかった。……大切な一人の娘さえ、守り通すことはできなかった」
「え……?」
「でもね。そんな時に君が、カギノを助けてくれた。僕のことも、魔王の手下どもから助けてくれたんだ。君には、感謝してもしきれないんだ」
「そう、だったんですか……」
なんなんだ、この世界は。死後の世界には、変な設定や出来事、歴史まで作られてるのか? おかしい。本当におれは、記憶喪失でもしてしまったんじゃないか?
「……たぶん、当然のことをしただけだと思います。目の前で困ってる人がいたから手を差し伸べた。きっと、それだけのことですよ」
「……君は、あの時もそう言ってくれたね」
そう言っておじさんは微笑んだ。
嬉しいような、気恥ずかしいような。それでいて、不気味にも感じていた。
おれには、おじさんの言う「あの時」を知らない。ここが死後の世界だとして、何故、おれが来る前から「シュウヤ」が存在してたんだ。それだけが腑に落ちなかった。
「あの、いつから医者になったんですか?」
この世界について、もう少し詳しく知っておきたい。もしかしたら、この世界は……。
「お父さんは、私が生まれる前からお医者さんだったんだよね」
「ああ、そうだ。昔、僕は大事な人を救えなかった。その時はまだ医者じゃなくてね。それで、己の無力さを思い知らされた。だから、医者になれば、誰かにとって大切な人を、救って上げられるかもしれない、って思ったんだ」
おじさんにとって、大事な人――。
それは、カギノのことじゃないのか。いや、この世界では生きてるんだから違うか。ますます理解できん。頭がこんがらがってきた。
ここは死後の世界……なんだよな。頭が痛い。なんだか、おかしい。
「大丈夫? ねえ、勇者さま。頭が痛いの?」
「平気なんだ。それよりも、おれを『勇者』って呼ぶのはやめてくれ。シュウヤでいい」
不思議そうに首をかしげたが、やがてカギノは言った。
「……分かった。シュウヤ、なにかあったなら、私たちに話して」
「我々でよかったら、話してみてくれないか。君の力になりたい」
少し迷ったが、答えを得るためには、躊躇してる場合じゃなかった。
「驚かないで聞いてほしい。先に断っておくけど、おれは別に錯乱なんか起こしてない。それだけは信じてもらえるか」
二人が頷くのを見て、おれは話すことにした。
自分が死んだこと。生前の世界でカギノは事故で寝たきりだということ。『勇者ごっこ』のこと、突然日常が崩壊したこと……。それらを淡々と語った。自分の感情はそこに含めないよう努めたから、説明にさほど時間はかからなかった。
「興味深い話だね」
おれが話し終えると、おじさんは顎に手を当てて頷いた。
「うーん……。でも、信じられないよ」
「突然こんなこと言っても、信じてもらえるわけないよな」
おれだって、話される立場だったら信じたりしないだろう。頭でも打ったんじゃないかと疑うに決まってる。
それに、自分がどこか違うところで事故に遭い、寝たきりになってるなんてことを聞かされて、信じろというほうが無理だ。
「でも……信じるよ」
「え?」
「私、信じる。シュウヤは私のそばにずっといてくれたんでしょ? 私も、シュウヤに助けられた。ずっと一緒に冒険してきた。だから、だから……」
「――ありがとう。嬉しいよ」
おれが頭をなでると、カギノは嬉しそうに表情を緩めた。状況にまだ馴染めてないが、その笑顔にとても癒された。
「私が医者を志した理由も、もしかするとそこにあるのだと、君は考えているんだね」
「全部、臆測でしかありません。けど、なにか関係性はあるのかもしれません」
「まあ、結論はすぐに出すべきではないだろう。なにも、早急に解決すべき問題というわけでもないからね」
それもそうだ。慌てて結論を出したところで、それが正解とはかぎらないのだ。
けど、なんとなくこの世界の仕組みについて、分かってきた。ここは死後の世界じゃなく、なにか別の世界なんじゃないか。
おれがいた「現実世界」と、この異世界は、なにかしらの関わりを持っている。
たとえば、ミズキは敵として現れた。現実でもそうだった。さっき確かめたことだが、この世界でも、おじさんは奥さんを病気で亡くしている。
カギノが死んでないこと、おじさんが医者になってること、おじさんに恨まれてないこと、左ひざに痛みがないことは、違う点だ。
なによりも、この世界は、おれとカギノが最後に遊んだ「勇者ごっこ」に似ている。おれのピンチに駆けつけてくれた戦士という関係性。おれが勇者という役割。RPGゲームに影響を受けた世界などが、だ。
とりあえず、この世界を《勇者ごっこ世界》と仮定しよう。
だとすると、この世界では敵だらけなんじゃないだろうか。現実世界で、おれの周りからは人が離れていった。ミズキが敵として表れ、ほかのやつらも同じなら……。そう思うと、ぞっとした。
溜息と同時に、「ぐぅ」と空腹を訴える音が鳴った。緊張感のかけらもなく、少し恥ずかしい。けど、空腹は待ってくれず、二度、三度と続いてお腹が鳴った。
「ほら、バナナでも食べなさい」
おじさんにバナナを手渡される。やや緑色が残る、まだ新鮮そうなバナナだった。二人も食べるようで、皮をむいて一緒に食べはじめた。
「このバナナ、私が採ってきたんだよー」
「そっか。だから美味しいんだな。さすがカギノだな」
心なしか、美味しく感じられた。
「そうだ。この世界のこと、それからこの世界にいた『シュウヤ』について、教えるね」
「お願いできるか?」
「シュウヤはね、勇者さまなんだよ」
「そうだろうな。そう呼ばれてたし、……この服装だし」
別にこのコスプレに慣れたわけじゃない。着替えられそうにないから諦めただけだ。
「この世界は、魔王に支配されそうになってるの。それを阻止するために、シュウヤは旅をしてて、私も付いて行ってたんだよ」
「じゃあ、その魔王とやらを倒せばいいんだな」
「魔王を倒そうとしているのは、なにも君だけではない。ある者は栄誉と名声を求め、ある者は復讐を誓い、勇者を名乗って旅をしている。まだ、誰も倒してないんだけどね」
おじさんの言葉を聞き、おれは戦う意味を考えてみた。
おれは、この世界にいつまで留まることになるのか分からない。現実に戻れるのか、それとも死後の世界に向かうのか。一生この世界にいることになるという可能性もある。
おれは確かに勇者に間違いない。けど、果たして本当に、戦う必要はあるのか?
魔王と戦えば、おれは死んでしまうかもしれない。だったら、戦わない、という選択肢もあるはずだ。この世界の「おれ」がどうだったかは関係ない。今、ここにいるおれが、選択すべきことだ。
「ねぇ、シュウヤ――」
ふいに、カギノがおれの袖をつかんだ。上目づかいでおれを見ていた。
「――私たちを、助けて」
おれは、バカだ。
戦う理由なんて、はじめから決まっていた。カギノが目の前に現れた時点で、気づくべきだった。ここに、カギノがいるということに。
カギノの存在は、おれにとって光だった。小学生の時のおれは泣き虫で、カギノに守ってもらってばかりだった。だから、とても頼もしかった。
もうあれから、七年も経った。
だというのに、久々にカギノに会って、また甘えてしまいそうになった。
まったく成長してないじゃないか。
おれはもう、甘えるわけにいかない。カギノを助けられなかったことを悔いているのなら、この世界で守り通すんだ。助けてみせる。ここがどんな世界であれ、カギノを守らなければならないことには変わりない。
「おれが、もし『嫌だ』と言ったら、どうするつもりだったんだ」
「その時は……、私一人でも行くしかないかな?」
「そんなこと、させられるかよ。おれが守ってやる。全部、おれに任せろ」
「シュウヤ……」
嬉しそうに笑うカギノを見て、おれは肚をくくった。是が非でも、魔王を倒す。カギノを守るために、負けるわけにはいかない。
「……でも、シュウヤは戦い方も忘れちゃったんだよね?」
「忘れた。けど、また最初から憶えてやる」
剣を使った戦いなんてしたことないが、戦うと決めた以上、憶えるだけだ。左ひざの痛みもない。やれるだけやってやる。
「ところで、魔王がどこにいるのか、分かっているのか」
テーブルの上にあるバナナをもらいうけ、懐にしまいつつ訊いてみた。
「もちろん。シュウヤは忘れちゃったかもしれないけど、今日にも魔王の居城に向かうところだったんだよ」
「え、マジで?」
まだ剣術とかマスターしてないんだけど? 時間をかけるつもりはなかったが、予想以上に時間がないな。レベル一に戻された勇者がおれで、本当に大丈夫なのか? もう少し経験値くらい上げたほうがよくない?
「ま、頑張るしかないよな」
「うん。私もしっかりフォローするから、一緒にがんばろー!」
「お、おー……」
このうえなく不安だ。
それでも、行かなければはじまらない。この世界を平和にしなかったら、カギノも守り通せない。
おれは、カギノの望みを叶えてやる。絶対に。